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彰子の弟妹たち

倫子は、二人の男君と四人の女君を産んだ。


男君は、摂政・関白を継いだ頼通。歴史の教科書には、あの10円玉に刻まれる平等院鳳凰堂を建立した人物として載っていた。そうか、あの頼道は、倫子の太郎君だったのか。頼通は、私の孫だったのか。今さら納得。おそらく、頼通は、弟に摂政・関白を譲るから、次郎君も位人臣を極めるかもしれない。


女君たちも、それぞれに華やかに中宮として生きていく。

二の姫は、藤原 妍子。三条帝(一条帝のいとこ。一条帝の父の兄冷泉帝と道長の長姉超子の皇子)の中宮となる。結構派手好きで、姉より美人で、衣装も派手なものを好んだらしい。あまり贅沢をするので、頼通に怒られたとか。


一条帝と彰子さまとでも、結構な年の差があったが、三条帝は一条帝より年上で、妍子は彰子さまより年下だから、実に18歳の年の差があった。親子ほども年が違う。生まれたのは、女皇子であった。道長さまは残念がっていらっしゃったが、彰子さまは、うらやましがっていらっしゃった。


しかし、道長さまと三条帝は、実に仲が悪かった。お互いに、相手の行う政治が気に入らない。何かと波風の立つ間柄。娘の夫と、孫の夫なのだが、私にはどうしようもない。


長和3年(1014年)三条帝は眼病を患ってしまわれる。目が見えにくくなってしまわれた帝に、道長さまは、退位を迫って圧力を掛けられたようだ。三条帝が退位されれば、東宮の、彰子さまのお子が帝になられる。道長さまは、外祖父になれる。


ついに、長和5年(1016年)三条帝は皇后娍子(藤原済時の娘)の子敦明親王の立太子を条件に、道長さまの圧力により二宮後一条帝に譲位され、太上天皇となられた。

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