彰子の地位
無事、二宮をお産みになり、中宮彰子の地位は、安定した。
東宮は、一条帝のいとこで、道長さまの長姉のお子である宮様(後の三条天皇)が立っていらっしゃるから、その次の一宮の次には、二宮さまが天皇になられるであろう。もしかしたら、一宮をとばし、二宮が東宮になられるかもしれない。
二宮の誕生で、倫子は従一位に叙された。はじめは、道長さまが従一位に叙される予定だったのを、倫子に譲られた形だ。道長さまも、この度の栄誉が誰によるものか、よくお分かりだ。
一条帝は、彰子さまが二宮様を連れて十一月に内裏にお戻りになるのを待ちきれず、十月十六日に土御門邸に行幸された。道長さまは、見事な菊をあちこちに配され、新しい船を造らせてお池に浮かべられるなど、ご準備に抜かりはない。管弦のお遊びに、藤原氏一門の舞い、引き出物、どれをとっても豪華で雅やかで、夜遅くまで大勢の人々が酔いしれていたそうだ。
この状況をよく思わない人たちがいた。一宮の縁者たちである。寛弘6年(1009年)正月末、彰子さまと二宮さまへの呪詛が発覚する。捕まった法師から、伊周様の母君や妻の実家高階家の方々の名前が出た。一宮様の外戚である。これで、伊周様の政治力は壊滅的な打撃を受けた。
そのうえ、この年、彰子さまは続いて三宮さまを産まれた。たとえ二宮さまに何事かあっても、三宮さまがいらっしゃる。これで、道長さまの権力は更にゆるぎないものとなった。




