彰子と藤の式部
たいそう落ち着いた方で、彰子さまに学問を教えてくださるし、物語の続きも書かれるということだ。もともと、彰子さまの女房達は教養のある美人ぞろいで、一条帝もそれを目当てにいらっしゃっているような向きもあるのだが、この方が来てくださって更に拍車がかかった。名を藤式部と名付けられた。(紫式部は、後になって人からつけられた名です。)
倫子によると、藤の式部は和歌の名手であるだけでなく、漢学や漢詩の対する知識も並みの学者では太刀打ちできぬほどであるそうだ。それもそのはず、一条帝の前の天皇の花山院の春宮時代に読書役を務められた藤原為時の娘で、為時が式部の弟に教授するのを横で聞いて漢文を覚えてしまったという。5年前に夫と死別し、源氏物語を書き記していたところ、世に広まり、詮子さまの目にとまることとなったようだ。娘が一人いるという。(百人一首にも歌を残す、後の大弐三位)
彰子さまは、式部から歴史、漢学や漢詩、和歌を学んでいるそうだ。実は、式部はほかの女房に漢学に詳しいことを知られるのを嫌がるので、ひそひそ声で話がすすめられる。
これは、唐の詩人、白居易はくきょいの漢詩です。
ひたかくねむりたりて なおおくるにものうし
しょうかくにしとねをかさねて かんをおそれず
いあいじのかねは まくらをそばだててきき
こうろほうのゆきは すだれをかかげてみる
~太陽は高くのぼり十分にねむったというのに、起きるのはいやです。
小さな家の中で布団を敷き、あたたかくしているので、寒さなど心配いりません。
遺愛寺の鐘は寝たままに枕を高くし耳をすませば聞こえてきます。
香炉の峰に降る雪は、寝たまますだれを跳ね上げてみることができるのです。~
このように、詩人は左遷されてもそこで悠々自適に暮らしを楽しみ、美しい漢詩を作られたのです。この漢詩を知っていた清少納言は、定子様のお言葉を理解して、お部屋のすだれを上げて見せたそうですよ。




