表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/20

彰子養母となる

道長さまは、悪役令嬢のごとく定子さまに冷たい。


これは偶然であろうが、定子さまが一宮を産まれた日に、彰子さまが中宮になられた。一条帝は、一宮の御誕生をゆっくり祝うこともできなかった。


三人目の女皇子を出産された際に、とうとう定子さまは命を落としてしまわれた。さぞ、無念であらせられたであろう。三人のお子様の将来も心配でならなかったことであろう。さすがに、おかわいそうでならなかった。


あれこれあったが、一宮は彰子さまが引き取られお育てすることになった。彰子さまには、倫子がついている。賢く子育ての経験豊富な娘だ。安心して任せることができる。彰子さまは、まだ13歳。ご自身のお子はまだ望むことができない。藤原の娘が生んだ親王さま。大事にお育てせねば。


さすが、女の子。彰子さまは、13歳といっても、母親気分で敦康親王の養母を務められる。敦康親王が、「ははうえ、ははうえ。」と甘えられる様子も、「はい、親王さま、どうなさいましたか。」と母親ぶる様子も、それはそれはおかわいらしゅうございますのよ、と倫子が知らせてくる。


寛弘4年(1007年)に倫子が四十四歳でお産をした。かわいらしい姫君が生まれた。倫子の4番目の姫、道長さまの6番目の姫、藤原嬉子である。この時、彰子は母と末妹に織物衣と産着を贈ったそうだ。中宮様より衣を贈られるとは。私もうれしかったが、道長さまも、たいそうなお喜びであった。

(この姫も、国母になります。後冷泉天皇を産んですぐ、亡くなってしまいますが。)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ