彰子養母となる
道長さまは、悪役令嬢のごとく定子さまに冷たい。
これは偶然であろうが、定子さまが一宮を産まれた日に、彰子さまが中宮になられた。一条帝は、一宮の御誕生をゆっくり祝うこともできなかった。
三人目の女皇子を出産された際に、とうとう定子さまは命を落としてしまわれた。さぞ、無念であらせられたであろう。三人のお子様の将来も心配でならなかったことであろう。さすがに、おかわいそうでならなかった。
あれこれあったが、一宮は彰子さまが引き取られお育てすることになった。彰子さまには、倫子がついている。賢く子育ての経験豊富な娘だ。安心して任せることができる。彰子さまは、まだ13歳。ご自身のお子はまだ望むことができない。藤原の娘が生んだ親王さま。大事にお育てせねば。
さすが、女の子。彰子さまは、13歳といっても、母親気分で敦康親王の養母を務められる。敦康親王が、「ははうえ、ははうえ。」と甘えられる様子も、「はい、親王さま、どうなさいましたか。」と母親ぶる様子も、それはそれはおかわいらしゅうございますのよ、と倫子が知らせてくる。
寛弘4年(1007年)に倫子が四十四歳でお産をした。かわいらしい姫君が生まれた。倫子の4番目の姫、道長さまの6番目の姫、藤原嬉子である。この時、彰子は母と末妹に織物衣と産着を贈ったそうだ。中宮様より衣を贈られるとは。私もうれしかったが、道長さまも、たいそうなお喜びであった。
(この姫も、国母になります。後冷泉天皇を産んですぐ、亡くなってしまいますが。)




