表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/20

プロローグ

藤原穆子は、考えた。

実は、令和の平凡な大学生で、国文学を専攻し、『蜻蛉日記』を研究していたのだが。何の因果か、藤原穆子に転生した。藤原一門と言っても、山のように親族がいて、それぞれが争っている。

少ない大臣の席を争う超上流貴族か、大納言・中納言・小納言あたりをねらうそこそこ上流貴族か、どこかの守をねらう中流貴族か、それ以下の下流貴族かに分かれる。

はっきり言って、父の藤原朝忠は、中納言。中流だ。祖父の藤原定方は右大臣、醍醐天皇の伯父に当たるから三条の右大臣と呼ばれた上流貴族だ。そして曽祖父は、天皇の外祖父でありながら、大臣にならずに亡くなってしまいそうだったので、100年以上途絶えていた内大臣を置いて、これに任じられた。しかし昇進後わずか2か月後の3月12日に亡くなってしまわれた。その後まもなく、天皇の外祖父として正一位・太政大臣の官位が贈られた。ということで、一応超上流貴族と言えなくもない。

早い話、順調に?身分が下降の一途をたどっている。

これは、いけない。私の、令和の大学生の知識をもって、大逆転をねらわなくては。


幸い、祖父、父は、有名な歌人で、和歌が尊ばれたこの時代に、娘としてのステータスは十分だ。身分のある夫をつかみ、娘や息子をしっかり教育できる上玉として売り込める。

ちなみに、祖父の

 何し負わば 逢坂山の さねかずら ひとにしられで くるよしもがな

 (名前に「あふさか」とあるからには、逢坂山に生えるさねかづらのツルよ、恋しいあの人を、誰にも知られず、手繰り寄せておくれ。ああ、あの人に会いたいものだ。)

父の

 逢うことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

 (まったく逢えない、という状況ならば、あなたのことをあきらめてしまえるのに。たまに逢えては、つれなかったり、思わせぶりだったりするあなたのことが忘れられず、恋心が燃え上がり、あなも自分も恨んでしまってどうしようもないのです。)

は、両方とも百人一首に採られている。

あまたの殿方から文を送られているわが身。平安時代の恋に勝負をかける!!



藤原穆子は、実在します。藤原穆子は、道長の娘彰子の祖母です。父方の祖母は、藤原時姫。(蜻蛉日記の筆者 道綱の母のライバル。道綱は、道長の異母兄です。)中流貴族の娘でした。母方の祖母が藤原穆子なのですが、この方の存在がなければ、彰子は生まれていませんので、『分水嶺』にふさわしい女性として選び、勝手に創作しました。もちろん、史実ではありませんので、そのつもりでお楽しみくださいませ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ