プロローグ
藤原穆子は、考えた。
実は、令和の平凡な大学生で、国文学を専攻し、『蜻蛉日記』を研究していたのだが。何の因果か、藤原穆子に転生した。藤原一門と言っても、山のように親族がいて、それぞれが争っている。
少ない大臣の席を争う超上流貴族か、大納言・中納言・小納言あたりをねらうそこそこ上流貴族か、どこかの守をねらう中流貴族か、それ以下の下流貴族かに分かれる。
はっきり言って、父の藤原朝忠は、中納言。中流だ。祖父の藤原定方は右大臣、醍醐天皇の伯父に当たるから三条の右大臣と呼ばれた上流貴族だ。そして曽祖父は、天皇の外祖父でありながら、大臣にならずに亡くなってしまいそうだったので、100年以上途絶えていた内大臣を置いて、これに任じられた。しかし昇進後わずか2か月後の3月12日に亡くなってしまわれた。その後まもなく、天皇の外祖父として正一位・太政大臣の官位が贈られた。ということで、一応超上流貴族と言えなくもない。
早い話、順調に?身分が下降の一途をたどっている。
これは、いけない。私の、令和の大学生の知識をもって、大逆転をねらわなくては。
幸い、祖父、父は、有名な歌人で、和歌が尊ばれたこの時代に、娘としてのステータスは十分だ。身分のある夫をつかみ、娘や息子をしっかり教育できる上玉として売り込める。
ちなみに、祖父の
何し負わば 逢坂山の さねかずら ひとにしられで くるよしもがな
(名前に「あふさか」とあるからには、逢坂山に生えるさねかづらのツルよ、恋しいあの人を、誰にも知られず、手繰り寄せておくれ。ああ、あの人に会いたいものだ。)
父の
逢うことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
(まったく逢えない、という状況ならば、あなたのことをあきらめてしまえるのに。たまに逢えては、つれなかったり、思わせぶりだったりするあなたのことが忘れられず、恋心が燃え上がり、あなも自分も恨んでしまってどうしようもないのです。)
は、両方とも百人一首に採られている。
あまたの殿方から文を送られているわが身。平安時代の恋に勝負をかける!!
藤原穆子は、実在します。藤原穆子は、道長の娘彰子の祖母です。父方の祖母は、藤原時姫。(蜻蛉日記の筆者 道綱の母のライバル。道綱は、道長の異母兄です。)中流貴族の娘でした。母方の祖母が藤原穆子なのですが、この方の存在がなければ、彰子は生まれていませんので、『分水嶺』にふさわしい女性として選び、勝手に創作しました。もちろん、史実ではありませんので、そのつもりでお楽しみくださいませ。