本当の生きる知恵を教える学習塾の話
真面目な人が損する世の中になりませんように……
「せんせーさよーなら」
同じバックを背負った子ども達が、駅や迎えに来た保護者の車へと駆けていく。
N学園。学校ではなく小学生に特化した学習塾だ。
子どもが背負ったバックにはいずれもNというアルファベットのキーホルダーが付いている。
ここ数年で従来の進学塾は激減した。高学歴であっても社会に出た途端、通用しない大人が増えたからだ。確かに頭がいいにこしたことはない。
でも、人間はそれだけでは生きていけない。
※※※
N学園。低学年のクラス。
「はい! じゃあ今日は〝よいしょ!〟を勉強しますよ」
大学を卒業したばかりくらいの年齢の、女性講師が子ども達に向かって言う。
「みんな、よいしょ! ってわかるかな?」
「はいっ!」一人の女児が手を挙げた。前髪も肩まで伸びた髪もまっすぐでツヤツヤしている。
「じゃあ瑠李ちゃん」
「重たいものを持つ時の掛け声です」
「そうだね。君たちはまだそういう経験しかないかもね。大人になってからの、よいしょ! はちょっとちがいます」
女性講師はホワイトボードに、
【人のきぶんをよくさせるためにつかう】
と書いた。
「たとえば、アパレル系のお仕事。
お客さんの気分をよくさせて、何なら色ちがいの物を勧めたり、全身コーディネートを提案して、トップスもボトムスも買ってもらえるようにします。
そのためには、よいしょ! がとても大事です。店のコンセプトと合わないお客さんに対しても、よいしょ! をします。
会社の営業という仕事でも、同じです。自分の会社の商品を買ってもらうために、お客さんの機嫌を良くさせる必要があります。あらゆるところで よいしょ! は必要です。
それから化粧品カウンターでのお仕事も、よいしょ! がありますが、これはお客さんの方がよいしょ! してる場合があるので、逆です。
店先で手のひらにクリームを塗られて、お客さんが『すごい保湿力ですね!』と言ったりする場合がそれにあたります」
「あっ! うちの母さん、こないだデパート行った時、『すごいカバー力!』って言ってた!」
くるくるのくせ毛が愛らしい男児が言う。
「悠君のお母さんは、その反対のよいしょ! をしたことになるね」女性講師が言うと、教室にいる全員が頷いた。
「じゃあ、今から隣の人と二人一組になって、ロールプレイをします。
みんなが行ったことのある場所の方が、わかりやすいと思うので、〝美容室〟という設定にします。
一人が美容師役、もう一人はお客さんになってね。美容師役の人は、お客さん役の友達が『また来たいな』と思えるように、いっぱい褒めましょう!
では、よーいスタート!」
教室内は一気に騒がしくなる。
『今日はお仕事お休みですか?』
『そうなんです。社長だからいつ休んでもいいんです』
『社長さんでいらっしゃるんですか? どうりでオーラがちがうと思いました。キラキラしてらっしゃいます! その指輪はダイヤですか? よくお似合いですぅ!』
『あら、ありがと』
『それに綺麗にセットされてらっしゃって、私も勉強になります』
『そんなことないわ〜』
…………
…………
…………
低学年で育まれた、よいしょ! は後々、子ども達の身を救うことになる。
※※※
中学年のクラス。
「はい! じゃあ授業始めます」こちらは三十代とおぼしき男性講師。
マーカーを手に取り
【人を使う あくまでも自然に】
と、横一例に整った字で書いた。
「今日勉強するのは、人の使い方です。
例えば、会社に電話がかかって来た時、何コールまでに取るのがルールか知っているかな?」
「はい!」
姿勢よく椅子に座り、いかにも学級委員長をしていそうな男児が、指先までまっすぐにして手を挙げる。
「はい、立川君」
「五回くらい?」
「残念! 〝スリーコール以内に出る〟というのが、社会では推奨されているんた。だから、三回」
生徒達は深く頷く。
「仕事は同時進行でいろんなことを、しなきゃならない。パソコン作業しながら電話をとるとか、複数の書類を同時に作成するとか……他にもいろいろある」
「そこでだ、自分の抱える仕事が増えたり、滞ったりするのを防ぐためにこの【人を使う】が大切になってくる」
男性講師は、ホワイトボードをマーカーでこんこんと叩いた。
「パソコンに大事な売り上げデータの数字を、入力している時に電話がかかってきたら、どんな気持ちになる?」
「うるさいなーって思う」
「邪魔しないでほしい」
「集中できない」
口々に児童が言う。その様子を男性講師は目を細めて見ている。児童の声が落ち着いてから、講師は話し始めた。
「みんなの気持ちはどれも正解だ。
電話に出た方がいいのはわかっているだろうけれど、そんな時は思い切って無視してみよう。そして自分の仕事に集中するんだ。
人間の中には真面目と呼ばれる気質を持つ人がいて、そういう人は必ず職場には一人はいる。
彼らは真面目が故に、抱え込まないでいいことや無視していいことを無視できない。
そんな人が電話にも出てくれるはずだ。
最初のうちは、罪悪感を持つかもしれないけれど、そのうち慣れて、それが当たり前になるから大丈夫」
一番前の席に座っている、細かいチェックのワンピースを着た女児が、ノートをとっていた。
――真面目な人に、いろんなことをしてもらう
自分の仕事に集中
…………
…………
…………
面倒なことは、人にさせるということが、この年齢で刷り込まれる。それを刷り込まれた子ども達は、上手く人を使うようになる。
※※※
高学年のクラス。
「君たちも、もうすぐ卒業だね。必要なことは全て教えたと思うけれど、最後に一つ教えておきたいことがある」
そう話すのは、フライドチキンで有名な店のマスコットみたいな風貌をした、白髪に白髭の年配男性。N学園の塾長だ。
「それは、興味のない相手の話や、相手の話を理解できない場合に使う言葉だ」
塾長は悠然とマーカーを握り、達筆な字を書く。書道の草書のような字だ。
【勉強】
「興味のない話を聞かされた時は『勉強になります!』相手の話が理解できない時は『勉強不足で……』というように使うのが一般的かな」
低学年、中学年のクラスの児童とはちがい、高学年の生徒は誰も塾長の方を見ていない。
宿題をしたり、漫画を読んだりはたまたゲーム機を操作している子どもまでいる。
これこそが、N学園の教育の集大成なのだ。周りのことは適当にかわし、自分がやるべきことのみする。
塾長はそんな児童の様子を見て、満足気に髭をさすった。そして、これまでのN学園卒業生の話をした。
ここで〝よいしょ!〟が一番得意だった足立君は、営業の仕事で常にトップでありつづけ、取引先や上司にゴマをすり媚びを売り、最終的には社長になったこと。
人を使うのが上手だった馬場さんは、公務員になり面倒な市民の窓口業務を先輩後輩にふり続け、その人達を精神的不調や退職に追いやり、自分は仕事ができるふりを装い主事になったこと……
…………
…………
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「勉強になります!」
N学園に小一から通っている旗下君が間の手を入れた。
塾長は思わず「ふぉっふぉっふぉっ」と声に出して笑ってしまう。そして、思うのだった。
――旗下君の将来が楽しみだ
読んでいただき、ありがとうございました。