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大罪の娘  作者: 武部恵☆美
第1章 日常の崩壊
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第5話

 下水道に入ってからどれくらい走っただろうか。


「お、お兄、ちゃん」


 鈴が息も絶え絶えに兄を呼ぶ。鈴はもう限界だった。兄に引っ張られているから無理矢理走れているが、もう足が付いていかず、転ぶ寸前だ。

 兄はそのことに漸く気づき、少し速度を落とす。そして追っ手らしき足音がしていないことにも気づき、漸く足を止めた。

 鈴は先ほどの一声が限界らしく、膝に手をついて息を荒げていた。すると擦り剥いた左足の膝小僧の痛みを、とうとう感じ始めてしまった。荒げていた息に苦痛の声が混じり始める。


「鈴? 何処か怪我をしたのか?」


 しかし、鈴にはその問いに答える元気はない。

 兄は何処だろうと探そうとしたが、ランタンがちょうど膝を照らしていたので直ぐに分かった。擦り剥いた膝は血がにじみ出ており、少し垂れていた。

 兄はリュックサックから水筒を取り外すと、蓋を開けて、まずは自分の手を洗った。


「鈴、膝を上げて。膝を洗うよ」


 鈴は息を荒げながら頷くと、膝小僧を上げようとた。しかしバランスを崩して転びそうになってしまい、手で兄の肩を掴んだら、持っていたランタンを兄にぶつけてしまった。


「あっ、はぁ、ご、はぁ、はぁ」


 鈴は謝ろうとしたが、息がつらくて言葉が上手く出せなかった。


「大丈夫だから。そのままもう一度膝を上げて」


 鈴は兄の肩を掴んだままゆっくり膝を上げて兄に差し出した。兄は水筒から水を掛けながら膝に付いた血と泥を、手で軽く擦りながら洗い流す。すると鈴の顔が痛みに歪んだ。


「ごめんね。でもちゃんと洗い流さないとバイ菌が入って大変なことになるから。ちょっとだけ我慢してね」


 鈴は我慢すると言わんばかりに、顔を歪めたまま頷いた。

 兄は傷口を洗い終えると水筒をしまい、リュックサックのサイドポケットから絆創膏を取り出し、鈴の膝小僧にペタリと貼り付けた。


「よし、もういいよ。よく我慢したね。えらいえらい」


 兄は鈴の頭を撫でると、鈴は少しだけ頬が緩んだ。

 追っ手が来ないことを確信すると、何処へ行けばいいのかと頭を巡らせた。父の話が事実でこのような事態に陥ったとするならば、確実に大手を振って表を歩けるはずがない。なら何処に行けばいいのか……まさか山奥でひっそりと暮らせと? そう思うと父の軽率な行動に腹が立ってきた。

 兄はあまり父のことが好きではなかった。幼少の頃から父が構うのは鈴ばかりで、兄はあまり構われた記憶がない。そもそも二人が遊んでいる姿を見ても楽しそうと思わなかったから混ざりたいとも思わなかった。友達と遊んでいる方が楽しかった。

 それでも、鈴ばかり可愛がられているのは子供心にいい気分にはならない。なにより、鈴を独り占めされているようでちょっとムカついていた。

 だからこの状況に追いやった父に文句の一つも言ってやりたい。言ってやりたいが、それも叶わぬ事となった今、このやるせない気持ちをなににぶつければいいのか分からなかった。

 ああ、全く。

 ……本当に父は死んでしまったのだろうか。本当に母は……考えるだけ無駄だ。だって考えたところで分からないんだから。だからそれは後回しだ。

 今はどうやって追っ手から逃げるか、だ。

 とにかく地上に出よう。いつまでも下水道(こんなところ)に居たら、病気になってしまう。それに挟まれたら逃げ場がない。

 一刻も早く、地上に出よう。幸い近くに上へ登るハシゴがある。

 兄は考えを纏め、地上の様子を見に行くことに決めた。


「鈴、ちょっと待っていて」

「何処に、行く、の?」


 鈴はこんなところで独りになりたくなかった。

 父も母も居ない今は、兄に頼るしかない。

 そもそも父に会いに行くのに、どうしてこんなところを通るのかさえ理解していない。

 そんな訳の分からない状況で、兄と離れたくないのだ。


「大丈夫。ここから上の様子を見てくるだけだ。置いていったりしないよ」


 諭すように、いつものように優しく語り掛けてくる兄。不安は拭いきれないが、鈴は大人しく頷いた。

 兄はハシゴを登り、マンホールの蓋を開けようとした。しかし固着しているのか、幾ら力を込めても蓋はビクともしなかった。

 他の場所から外に出よう。この場所を早々に諦め、ハシゴを降りた。


「行こう」


 兄は鈴の手を取ると、下流へと歩き始めた。

 鈴は鼻を摘まみながら兄に引かれて付いている。息は大分整ってきたが、この臭いには耐えられなくなっていた。兄も袖を鼻に押しつけて臭いに耐えた。

 幾つかマンホールを見つけたが、どれも固く閉ざされていて開かない。

 そうこうしているうちに、点検用の通路がある大きめの下水道に出た。二人はハシゴを使って点検用通路に降りた。

 兄は漸く腰が伸ばせると、大きく伸びをした。

 もし追っ手が来るならここだろう。そうなるとランタンの明かりはここに居ると騒いでいるようなものだ。しかし日の光が一切射さない下水道では、明かりがなければ真っ暗でなにも見えない。消すわけにはいかなかった。

 一体幾つのマンホールを開けようと試しただろうか。

 鈴が船をこいでかなり眠たそうだ。こんなところで一夜を明かすのは避けたい。避けたいが、無理をさせるわけにもいかない。

 ここが開かなければ、諦めてここで眠ろう。

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