第229話
鈴は紙コップに入れた水を沸騰させる訓練を続けた。最初は何度も爆発させていたが、紙コップなので痛手はない。水の量も半分程度なので、水飛沫が上がっても大したことはない。しかもこの夏の炎天下の中、合羽を着させられている。顔も完全に覆える面を付けさせられている。完全防備させられている。
「これなら火傷の心配はありませんね」
とのこと。どちらかというと熱中症の方が心配になるレベルだ。
合羽の下は汗だくの鈴が居る。水分補給は欠かせない。水をグビグビ飲みながら繰り返す。時折合羽を脱いで木陰に座り、風魔法で涼んで休む。汗でグショグショの服に風が当たると、気化熱でヒヤッとする。ヒヤッとする度、イーリンの写真フォルダーが充実していく。
そんなことを繰り返した。
「鈴様、今日からは氷を作ってみましょう」
「氷?」
「そ。熱を与えるんじゃなくて、奪うの。つまり分子運動を止める感じだね」
「えっと、絶対零度?」
「そこまで下げなくていいよ。氷だから零度だね」
「あ、そっか」
「何れは絶対零度だけど。そしてその先もだね」
「その先?」
「絶対零度の先だよ。つまり物理限界を超えてもらうの」
「できるの?」
「現代魔科学ではとっくの昔に実現してるよ。そもそも今の時代、魔法は物理限界を突破する手段として、それとは知らずに使ってるからね」
「えっ?!」
「守人が上手いこと情報操作した賜物ってヤツ」
「そうなんだ」
「そんなことはどうでもいいの。鈴様、早速やりましょう。いいですか、今までは魔力で振動させてきました。ですがこれからはその逆です。振動を抑えてください」
「振動を……」
「一番簡単なのは、押さえ付けることですね」
「なるほど?」
鈴はいつものように紙コップに水を入れて準備をする。それを庭の真ん中に置いて離れた。
そして掌に意識を集中して魔力を練る。それを紙コップの水へ送り、押さえ付けるイメージをする。すると紙コップごとグシャリと潰れ、水が四散した。
「鈴様、押さえ付けるのはあくまで分子運動で、そういうことじゃないからね」
「う……わ、分かってるよ」
「ならいいんだけど」
とはいえ、鈴には分子運動を押さえるというのがいまいち想像できない。押さえ付けようとすると、どうしても紙コップごとグシャリと潰してしまう。中々上手く押さえ付けられない。
「潰すということは、エネルギーを与えてることになるんです。与えるのではなく、奪うのです」
「それがよく分からないんだけど」
「そうですね。ではまず氷を作ってみましょう」
「だからそれができないんだってば」
「ですから、水を凍らせるのではなく、直接作るのです」
「直接?」
「見本の氷を持ってきますね」
「見本?」
つまり、風呂場で水を参考にして水を生成したように、氷を参考に氷を生成しよう、ということだ。
イーリンは家の中に戻って台所へと行く。棚からボウルを取り出すと、冷凍庫を開けた。そして自動製氷機の受け皿から氷をガラガラとボウルに入れる。冷凍庫を閉めると台所を離れ、鈴の元へと戻ってくる。
「はい、お手本」
「あ、うん」
鈴は差し出されたボウルから氷を一粒手に取った。表面がカラカラに乾いている氷を掌に載せる。
冷気がユラユラと立ち上っている。触るとヒンヤリしているが、そこまで冷たくない。暫くするとジワッと溶け出した。溶けた水はとても冷たく感じる。氷を掌の上で滑らすと、冷たさが広がった。氷よりも、溶けた水の方が冷たく感じる。
確か融解熱だっけ、と鈴は思いだした。つまり、この周りの熱を奪うということを真似れば水を凍らせられる、ということだ。
イーリンはそういうつもりで持ってきたのではないのだろう。しかし鈴はそう捉え、じっくりと氷が溶けて水になるのを観察した。目で、感触で、魔力で。もう一つ、二つ、三つと観察する。
イーリンが持っていたボウルを取り上げ、既に溶け始めた氷の山に手を突っ込んでみる。氷同士がくっ付いていたり、半分以上溶けていたりして、ボウル自体もかなりヒンヤリとしている。ボウルの外側にも結露によって水滴が付いている。その水滴が一部凍っていたりもする。そういった事象を観察する。
じっくりと……たっぷりと……




