第175話
イーリンは毎日足繁くマンホールに通っている。本来ならあの程度、三十分も掛からず簡単に壊せる。しかしそれはコンクリートを削るための重機なり電動工具なりがあればの話。仮にあったとしても、そんな大きな音を立てるものなんか使えない。静かに、誰にも見つからないように、守人に見つからないように慎重に削る。
鈴は日記解読のために魔力操作を日々鍛錬している……のは変わらずだ。その甲斐あってか、数日分を一気に読むことができた。
『11月30日
やっと下水道の地図ができたぞ。後は隙を見て安全確認と、地図の微調整だ。マンホールの近くを誰かが歩いた音は聞こえなかった。実際に蓋を開けて確認しないと。一番危険なタイミングだ。でもやらないと。』
「その地図は日記に書いてないみたいだね」
「そうですね。日記の隅にでも描いて頂けていれば楽だったんですが……」
『12月6日
地図の微調整は終わった。地上の安全確認も終わった。いよいよだ。明日は準備をして明後日決行だ。』
「明日……」
「あたし達も明後日入りますよ」
「開いたの?!」
「はい。一度下に降りて確認しましたが、通れそうです」
「確認したの?!」
「鈴様のために安全確認するのは当然です」
「う、ありがとう」
「滅相もない。明日潜るための支度をしておきますね。鈴様は普段通りで構いません」
「えっ、私も手伝うよ」
「いえいえ、鈴様は明後日に供えて英気を養ってください」
「英気を?」
「はい」
「そ、そう……」
『12月7日
準備といってもなにを持って行けば良いのか分からない。子供じゃ計測機械なんて高い物買えないからな。動画と手触りだけが頼りだ。』
「そうだよね。お父さん、まだ中学生なんだから」
鈴の父親の経済力は親に掛かっている。そしてそんな物が買えるほどの小遣いを貰えるほど裕福ではない。
「鈴様はその美貌でいっぱい稼いでますけどね」
に対して、鈴は経済的に親から独立しているといっても過言ではない。
「美貌?!」
「そ。底辺連中の生涯収入くらいならもう越えてますよ」
「そ、そうなんだ。凄いね」
鈴は実感が湧かなく、完全に他人事だ。
「はい。鈴様は凄いんです」
イーリンは鼻高々と言いたげに誇らしい顔をしている。
「私じゃなくてイーリンがね」
鈴は謙遜ではなく、本気でそう思っている。
「あたしが?!」
そんな鈴の返しに、イーリンは心底驚いたような顔をした。
「私じゃそんなに稼げないもの」
「なに言ってんですか。紛れもなく、鈴様が稼いだんだよ」
「違うよ。私はただの被写体。写真にして売ったのはイーリン。私じゃ自撮りも売ることもできないもの」
「そ、それは……そうだけど」
「だから凄いのはイーリン。稼いだのもイーリン」
「稼いだのは鈴様ですっ」
イーリンにとって、それはどうしても譲れないことらしい。
「私は稼いだとしても、精々モデル料程度だよ。それが妥当でしょ」
「妥当じゃない! それに鈴様の古着は値が付けられないくらい価値があるんだよ。それ一着で――」
「値が付けられないってことは、お金にならないってことでしょ。それは今の私には無価値と同じじゃない?」
「同じじゃないっ」
「そもそも、私が大金を持ってたって使えないなら無一文と同じだよ。イーリンが使ってくれるから価値があるの。私じゃ価値にできない」
鈴はイーリンの熱い思いに負けることなく、圧倒されずに自分の思いを淡々と述べた。
そんな鈴の冷静な物言いに、イーリンは落ち着きを取り戻したようだ。
「鈴様……なんか、妙に大人になりましたね」
「えっ?」
「あまり子供っぽくありません」
「そうかな?」
「子供なら天狗になって踏ん反り返るものです」
「そうなの?」
「違いますか?」
「どうなのかな。そうなのかな」
「あぁ、いつまでも子供だと思っていたのに、母は嬉しいよ。およよよよよ」
イーリンは背中を丸め、何処から取り出したのかハンカチで目頭を押さえている。
「誰が母ですかっ。変な泣き方しないでっ」
「ではやはりここはお姉様ということで」
今度はハンカチをサッとしまい、背筋を伸ばして凜とした。
「お、お姉様?!」
「なぁに、鈴様?」
「う……」
鈴はたじろいだが、一度大きく深呼吸をした。
「お姉様、わたくしが妹だと仰るなら、様付けはおかしいのではありませんこと?」
鈴はイーリンと同様に凛として振るまい、お姉様に相応しい妹であろうとする。
「はうっ!」
そんな振る舞いが、イーリンの心臓に突き刺さったようだ。
「イーリンお姉様?!」
鈴は凛として振るまい、イーリンを姉として心配した。
「ぐはぁ! も、申し訳ございません。あたくしが悪うございました。がくっ」
それが止めとなり、イーリンは瀕死の重傷を負って息も絶え絶えだ。
「お姉様! どうされたのでありますか!」
鈴は凛として振るまい、重傷の姉の傷口に砂糖を塗り込んだ。
「いやぁ! お許しください。あたくしの生命力はもうゼロなのでございます。ばたり」
辛うじて残っていたイーリンの生命力は、砂糖の摂り過ぎで目の前が暗転し、昏倒してしまった。
「ちょっと! 先に始めたのはイーリンでしょ!」
鈴は凛が行方不明になったので、容赦なくイーリンの頬をビシバシと何度も叩いた。
「うう」
すると、イーリンは奇跡的に息を吹き返した。
「もう二度と……やりません……これは」
しかしイーリンは虫の息だ。
「〝これは〟ってなんですかっ。全部止めてくださいっ」
「それは……無理ぃ……」
「無理ってなんですかっ! 私の方が無理ですよっ」
「た……」
「〝た〟?」
「耐えて……ください」
「なんでよぉ」
「あたし達の……飯の……種……だから……です……ガクッ」
「そんなご飯の素、嫌ぁ!」
鈴の絶叫を残して、イーリンは一足先に天に召された。




