第11話
「いらっしゃいま、せぇー……」
男女二人の客がコンビニに入ってきたので、店員は普段通り元気よく迎え入れた。
しかしその姿を見た瞬間に、嫌悪感を抱いた。普段なら隠さなくてはいけないことだが、あまりの格好に素が出てしまった。その後襲いかかってくる悪臭に鼻を摘まもうとしたが、店員という立場がその行為を押さえ込んだ。
だがそれはあくまで店員に限ったこと。他の客は突然の汚物入店に、あからさまな反応を示した。それでも直接文句を言うような客はおらず、一部の客の矛先は店員へと向かった。
そうなると店員は対応せざるを得なくなる。出来れば関わりたくない客だが、商品を汚されても困る。しかもその招かれざる客が向かったのは弁当売り場だから尚のことだ。
しかし強盗対応マニュアルはあるものの、こういった客にどう対応すればいいかは教わっていない。店員はなんて言えばいいのか頭を悩ませながら二人に近づいた。そして悪臭が強くなり、考えることすら困難になり、言葉が纏まる前に声を掛けてしまった。
「すみません」
鼻で呼吸しないように気をつけながら店員が声を掛けると、商品を手に取ろうとしていた男は女を庇い、店員の方を向いて警戒してきた。
「はい」
鋭い目つきで睨み付けられた店員は、まさかそんな態度を取られると思っていなかったので一瞬怯んで身体が硬直してしまった。
「なにかご用でしょうか」
「あ、その……ほ、他のお客様のご迷惑になりますので、えー、ご退店願えないでしょうか」
出て行けと強制は出来ないので、できる限り静かに丁寧に対応した。
「え?」
「その……臭いが……ですね……えっと、商品も、汚れてしまいますので、申し訳ありませんが……」
男が理解していないようなので、なるべく当たり障りの無い言葉を選んだ。
「あ……はい。済みません。ご迷惑をお掛けしました。行こう」
男は理解したようで、素直に謝ってきた。
男にごねられたら面倒だと思っていただけに、店員は心底安堵した。
そして男は女の手を取り、退店しようとした。
「生姜焼きは?」
しかし女は足を踏ん張り、その場に踏みとどまった。
店員は勘弁してくれよと頭を抱えたくなった。
「ごめんよ。また今度な」
「えー! やだっ! 食べたい!」
男が優しく諭したが、女はそれを聞き入れる様子はなかった。
このまま女が駄々をこね続けると他のお客さんが直接言い出しかねない。お客さん同士のもめ事は面倒くさいから店員としてはなんとしても避けなければならない。だからといって店員が直接介入することはできない。なのになにもしないという選択肢も許されていない。
店員は胃がキュッと縮む思いをした。
「お客様、店内ではお静かに願います」
それが店員にできる唯一の答えだった。
「済みません。リィン、我が儘言ってないで行くよ」
「やぁだ! 買ってくれるって言ったのぉ!」
女は泣きそうな声で叫んだ。泣きたいのはこっちだと店員は訴えたかった。
「済みませーん」
そんなとき、空気の読めない呑気な客が、レジ前で店員を呼んでいる。
店員は舌打ちをし、これだからワンオペは嫌なんだ! と店長に文句を言いたかった。
「ん゛ん゛っ」
先ほど苦情を言ってきた客が、さっさとしろと言わんばかりに店員を睨みながら咳払いをした。
〝分かっています!〟と言い返したい。言い返したいが店員はグッとこらえた。
「済いませーん!」
分かっているっ! と怒鳴りたい。怒鳴りたいが店員はグッとこらえた。
「リィン!」
「やーっ!」
「ん゛ん゛っ」
「済ぅいぃまぁせぇーん!」
〝てめぇらうるせーんだよっ! 分かってるっつってんだろっ!〟と心の中で喚き散らした店員は、男と女の首根っこを掴んだ。そして〝出てけっ! 二度と来るんじゃねぇぞ〟と心の中で絶叫しながら「お客様、他のお客様のご迷惑ですので退店願います」と感情を押し殺しながら呟き、二人を店の外へ叩き出した。
店員は二人を見下ろし、自動ドアが閉まるまで入ってこられないよう仁王立ちした。
「あの……お会計」
客はさすがになにかあったのかと察し、恐る恐る店員の背中に語り掛けた。
「少々お待ち下さい」
店員は振り返って引きつった笑顔を浮かべながら申し上げると、足早にバックヤードへと消えていった。掃除用具入れからモップを取り出し、モップ用バケツに突っ込んで湿らせ、ペダルを踏んでローラーに挟むと余分な水分を落とした。そして店内に戻り、二人分の汚い足跡をササッと吹き上げる。再びバックヤードに戻ってモップをバケツに突っ込み、一つ大きく息を吐いた。
「だからワンオペは嫌なんだっ! このクソ店長がっ!」
と店内に響き渡るほどの大声で怒りを爆発させた。スッキリしたのか、フッと我に返り、手を洗うと急いでレジに戻った。
店員は満面の笑みを浮かべると、怯える客に「大変お待たせいたしました」と詫びを入れてからレジ打ちを始めた。




