地獄の沙汰も……
「殺人2件に強盗3件。生前の行いから考えるに、地獄行きが妥当なとこだな」
「そ、そんな殺生な! 閻魔様、どうかお慈悲を!」
地獄行きの裁定を下された男が、涙を流して懇願する。
「お前なぁ、強盗1件でも地獄に行くには十分だってのに調子良すぎだろ。少々慈悲あっても焼け石に水だろが。ホレ、行った行った」
死者の生前の行いが書き記されている閻魔帳が置かれた黒壇の向こうで、閻魔大王が蝿でも追い払うかのように、シッシッと手を振る。
ここはあの世の玄関口。通称、閻魔の裁判場。
天国への階段を上るか、地獄への井戸に落とされるか、死者はここで閻魔大王に生前の行いを裁かれる。
「お慈悲を、お慈悲をぉぉぉ……」
「へっへっへ! おらぁ、コッチ来いやぁ罪人! 無間地獄からやさしさをアナタへ、がモットーの『赤オニやめての宅急便』が真心こめて地獄の底までお届けしてやるぜ!」
「まずは名物、血煙り温泉からじゃあ! 血液どころか溶岩沸き立つ灼熱温泉で、体の芯まで、骨も残さずほっこりゆだってこいやぁ!」
泣き喚き、黒壇にすがりつく男を居並ぶ鬼達が引き剥がす。
男は滅茶苦茶に手足を振り回して暴れるが、大人ですら見上げるほどの体躯を持った鬼の力は強く、歯が立たない。
「あ、ソーレ♪」
ほどなく男は担ぎ上げられ、鬼達の手により地獄へと続く井戸に放り込まれた。
罪人が投げ込まれる様子を尻目に、閻魔大王が愚痴を吐く。
「かぁーったく、最近の死人はどうも往生際が悪くて困る」
「閻魔様、ウチに来るのは往生した連中でっせ」
「ちげえねぇ!」
傍らの赤オニのツッコミに、居並ぶ鬼達からゲラゲラと笑い声が上がった。
イチイの木を削り作られた杓子で閻魔大王が机を叩いた。
「こらお前ら、とっとと次の死人を連れてこんかい。あんまりサボってるとお前らを地獄に叩き落すぞ」
「ひゃっひゃっひゃ、針山三丁目は俺の実家でさぁ。閻魔様、休暇くれるんですかい?」
赤オニのへらず口が面白かったのか、閻魔大王が大口を開けて笑う。
「閻魔様、次の死人を連れてきました!」
死人を通す門の両脇に立つ青オニの言葉に、閻魔大王は咳払いをひとつして襟を正す。
立ち並ぶ鬼たちも姿勢を正し、むっつりと口をつむぐ。
こういうモノは、はじめが肝心なのだ。あまりフランクな態度で話していては、閻魔大王の威厳にかかわる。
死者を招き入れるための朱塗りの大門が、両脇に立つ二人の青オニによって開かれる。
石をすり合わせるような重々しい音を立てて開かれた扉からは、一人の眼鏡をかけた背広姿の男が現れた。
「おう、突っ立ってないでさっさと歩……」
青鬼がせっつくよりも早く、男は堂々とした足取りで閻魔大王のいる黒壇の前までやってきた。
ここに連れてこられた死人は、善人悪人の区別無く、大抵の場合は震え上がる。
物怖じしない男の佇まいに、地獄の鬼たちは呆気にとられた。
「ほぉ、こりゃまた随分と胆の据わった奴が来たな」
面白い人間も居たものだ、と閻魔大王が薄く口元を歪ませる。
居並ぶ鬼たちを見廻し、男が口を開いた。
「あなたは……雰囲気からして閻魔様、ですか?」
「そうだ。これからお前を天国行きか地獄堕ちかを決めさせてもらう」
「なるほど」
居並ぶ鬼たちを見廻して、男は納得行ったのか一人うなずいた。
「では、ここで私の生前の行いが裁かれるというわけですね」
「その通り。お前がかつて行ったことの全てがこの閻魔帳には書き記されている。嘘を吐く事もしらばっくれる事も出来んからな」
平然としている男の態度を見て、少し脅かしてやろうと牙をむいてニヤリと閻魔大王が笑う。だが、大きく鋭い牙を見ても男は動じる様子が無い。
「随分と余裕があるなお前」
「ええ。これでも生前は貴方と同じく法に仕える者の端くれでしたので」
男の言葉は自信と尊厳に満ち溢れていた。法に仕える者を名乗るだけあり、着込んだ背広の胸元では弁護士の職にあることを示す天秤をかたどった金の記章がつけられていた。
「ほー、なるほど。誓って自分に罪は無いと。そういうわけか」
閻魔大王が口髭をなでながら、分厚い閻魔帳を手に取る。
時々、こういう人間がいる。
良心強く良識高く、罪を憎み、善くある事に誇りを抱いて生を全うした死者が。
この手の連中は、自分が善くある事に誇りを抱くだけあって、大した罪を重ねているわけでもなくすんなりと天国へ行ける者も少なくない。
罪人を地獄に放り込むことが仕事の鬼たちからするとつまらない輩なのかもしれないが、そこはそれ。
閻魔大王からすれば仕事が速く片付くに越したことは無い。
「ま、それならそれで結構。嘘吐いてるかどうかも読みゃわかるしな。さてさてお前は……」
パラパラと閻魔帳を捲り、男の事について書かれたページを開く。
居並ぶ鬼たちは、男の雰囲気からして自分たちの出番はない、と感じて退屈そうに立っている。鼻くそをホジる鬼もいれば、眠たげに欠伸をする鬼もいた。
「あん!? なんじゃこりゃぁ!」
突然上がった閻魔大王の素っ頓狂な叫び声に、鬼たちが驚いて黒壇に目を向ける。イチイの木で出来た杓子を黒壇に叩きつけ、閻魔大王が男を指差す。
「なーにが法に仕えるものだ馬鹿タレ! この狸野郎、お前は地獄行き確定だ!」
地獄行きを告げられた男は、しかし動じない。
「何故でしょう。理由をお聞かせ願いたい」
「何故!? 何故だと!? お前、生前に殺人犯やら強盗犯やらを片っ端から弁護して回ってただろう! 本来なら有罪となるものを無罪にさせたり裁かれるべき責を必要以上に軽くしたり、やりたい放題だったろうが!」
厳しく責め立てる閻魔の言葉はまだ続いた。
「弁護したものが実は何もしておらず冤罪だったというのならば話はわかる。だが、お前は、殺人を犯したと知りながらも依頼人を弁護をし、やれ証拠はどうしただの何だのと難癖をつけて裁かれる罪人を無罪放免野に放ったな!? お前の罪は、今までお前が弁護してきた罪人どもと同じほどに重い! 地獄以外にお前の居場所など無いわ!」
閻魔大王の鋭い叱責に、しかし男は動じない。
「弁明をさせて頂いても、よろしいですかな?」
静かに口を開く男を、閻魔大王がなじった。
「はん、聞くだけ聞くがな。お前の行いは全て、この閻魔帳に書かれており明白だ。いや、お前だけじゃない、お前が弁護をした者の行いまでもな。お前が生きた人間界の裁判の時とは違い、証拠不十分で無罪放免とは行かんぞ」
厳しい口調の閻魔大王と違い、男の声は、あくまでも静かだ。
「閻魔様のおっしゃるとおり、私は確かに殺人の容疑に掛けられているものが殺人を犯しているであろうと思いながらも弁護をし、無罪としたことがあります。同じく、強盗をした者の弁護を行い、通常強盗の罪を犯したものが受ける刑期よりもだいぶ軽い判決へと持ち込みました」
「うん? なんだお前、自分の罪を認めるのか?」
弁明、と言った割にはやけにあっさり認めたので、閻魔大王は怪訝な顔をした。
「私自身の行いは認めます。ですが、私の行いを罪だとするあなたの主張を認めるつもりはありません」
「なあーに言ってるんだ馬鹿タレ! 罪人逃がしておいて何が罪を認めん、だ! そんな滅茶苦茶な理屈、通るわけ無いだろうが!」
「いいえ、通ります。私の生きた人間界では、閻魔様の持つ閻魔帳のような大層な品はありませんでした。よって、我々の世界では罪を裁く上でまず罪があるかどうかを徹底的に調べる必要があります。それがいい加減ですと、実際は何の罪も無い人間が誤って刑罰を受ける事にもつながりかねません。安易な決めつけで疑わしきを罰していては、一部の罪人を取り逃がす以上の血と涙が流れます」
男の話に段々と苛立ってきたのか、閻魔大王が頭を掻き毟る。が、男の話は止まらない。
「私が弁護した罪人の捜査は杜撰で、多くのアラがありました。あの時のような捜査と起訴の仕方で罪を裁く対応がまかり通れば、いずれ罪を犯さぬ者が罪人とされ、巻き込まれる危険性がありました。他の罪人の弁護についても同じです。咎無き者を罪人として責めるという不善を正すために、私は彼を弁護しました。その行為に罪があるとは私は思いません」
「うぬぬ……」
張りのある声で弁明をする男の意見に、閻魔大王は眉をしかめた。
男は、生前は優秀な弁護士として知られていた。
いくつもの裁判で勝訴を納めてきた彼は、閻魔大王の糾弾や叱責を真正面から言い負かし、説き伏せ、己の無実を語った。
「じゃあお前、その法律とやらに触れなければ何やってもいいと、そういうわけか?」
「はい。逆を言うと、何をもって罪とされるかは万人が明確に判るよう書き記されていなければなりません。でなければ、あの時は無罪でこの時は有罪などという善悪の境界に乱れが生まれます」
「お前、口先だけでもっともらしい事を言っていてもなぁ、こっちは嘘吐いているかどうか丸わかりだからな!」
「それは安心しました。私が誠意を持って嘘偽り無い本心を話していること、閻魔様はお分かりになるわけですね。ところで閻魔様、あの世では悪行とはどのようなモノであると規定されているのですか?」
「うるさいわい! 悪行についてはこの閻魔帳にしっかりかかれておるわ!」
「お話を聞いている限りですと、閻魔帳に書かれてあることは死者が生前にどのような行いをしたかだけで、善悪の判別はそれを読まれる閻魔様が決めているに過ぎないのではないのですか?」
「な、何を言うか! そのへんもちゃんと閻魔帳に……」
「閻魔様、嘘はいけませんよ」
「ぬぬぬ!」
閻魔大王の眉間に、皺が深く刻まれる。
この男が罪人なのかどうなのか、話を聞くうちに閻魔大王はわからなくなってきた。
天国か地獄か、男にはどちらが相応しいのか。場は混乱を極めた。
こうなってくると、盛り上がるのが鬼たちだ。
退屈そうに鼻くそをほじっていた鬼や居眠りを決め込んできた鬼たちは、いまはこぞって男が天国、地獄のどちらに行くかの賭けに興じている。
閻魔大王と男の議論はなおも続き、やがて閻魔大王が杓子を黒壇に叩きつけた。
「もうよい。お前に罪があるかどうか、我には判断つかん。特例として、天国でもどこでも、好きに行くといい」
「ありがとうございます」
男は会釈をすると、天国へと続く階段を登り始めた。
男の天国行きに賭けていた鬼たちが歓声を上げ、逆に地獄行きに賭けていた鬼たちから悲鳴が上がった。
階段を登る途中で、ふと男が立ち止まり、閻魔大王に尋ねた。
「閻魔様、一つお聞きしたい。天国とはどのような所ですか?」
「一切の悩みも争いごとも無い、心清く正しき善人たちの住まう楽園だ」
それを聞いた男は、
「それでは仕事になりませんね」
言うが早いか、階段を駆け下り地獄の井戸へと身を投げた。
鬼たちの歓声が悲鳴に変わり、悲鳴が歓声に変わった。
地獄の沙汰も……END
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