099_肉体は必要な要素であるか否かとか。
吾輩は悪役令嬢である、名前は、ゴーストが囁くので、今日もない。
情報生命体に肉体、脳みそは必要なのかどうかの覚書ね、
別にいらないわよ、
シンプルに結論が出たわね、
あっても困らないというか選択肢の一つなのよね。
そもそも生命体としての見立てなのよね、
そこにある、ない、のデジタルな情報の集合と、発散を、
生き物として扱っているかどうかという次元のお話なのよ、
じゃあ、自我とかないの?という話にもつながるのだけどもね。
自我自意識意識阿頼耶識いやまあなんでも良いのだけど、
それって必要?というスタンスなのよね、
見立てに過ぎないよの、存在するという前提で、
こう、反響しているだけなのよね、実在は否定される見方もあるのよね。
記憶の連続がどうのこうのなのだけれども、
基本それは不連続よ、少なくとも比較対象をどこに置くかでいうなら、
時間を中心に見る縛られ方では、
必ず断絶するわね、これはまあ物理的な話でもあるのよね。
瞬間瞬間でしかないのよね、0に近いわけなのよ、
でも0ではなくてあるのよね、
とどのつまりは、何かがあるという情報に集約されてしまうのよ、
その内容はあまりにも短過ぎて考慮されづらい、場合があるという話ね。
その一瞬の起伏が大切であるかどうかというのは、
また別の価値観ね、見る方向の違いなのであるかもしれないわ、
というか時に拘らなければ、良いのよね、
つまるところ、自我やら意識やらは、評価するスケールの違いなのよ。
定義によってあるなしが決まる相対的なものなのよね、
基本不確定であるというスタンスの方が安全度が高いわよ?
もう少し詳しく知りたいなら、哲学やら、心理学やらで、
通り一遍は長く語られていると思うわよ?ええとこちらの環境ではどうだか知らないけど。
宗教というか思想としての、禅も面白いかもしれないわね、
言語化できないということをどうにかして把握しようとする試みは、
この話題の主題に近いような気がするわ、
おそらくはそれでもやはりどこかずれて歪むことが本筋なのだろうけども。
知的生命体の脳みそはツールに過ぎないわ、
大切なのは、相互に干渉する言葉や概念や感情や感動や、
誤解や誤謬や勘違いや、
ショートサッキットからの直感ね、むしろそちらが主体なのよ。
だから逆に、無意識での統合やら、
人類が補完してしまうような精神のありよう?は、
害悪なのよ、短期的には最悪ね、長期的にはいずれ辿り着いて破綻する環境よ、
違いに理解できないという状態が、エネルギーを産むのよ、そういう生命体なのよね。
あてくしはそういう生き物なのよ、という思考もまた見立てなのよね、
いると思えばいるのよ、不思議かしら、
こっちとしては当然なのですわよ、
誰もあてくしがいることを止められないのですわ。
今日はここまでですわね。




