Ⅲ:龍ノ覚醒
理不尽っつーもんは何時だって突然やってくる。────龍ノ龍者ドラゴノイドドラゴン
「いやぁ〜今日もリュウの弁当は力作だったなぁ!」
放課後の教室。授業と言う柵から外れた俺達は帰りの準備をしながら小さい事ながらも駄弁っていた。ヒデが話題に挙げたのは昼御飯の俺の弁当。これまた一週間に一度は聞いている。我ながら良く何度も同じ話題で盛り上がれると思う。
「そう?ヒデのお弁当もすっごく綺麗だったよ」
「お、嬉しい事言ってくれんじゃん!でも流石にお前のキャラ弁?には負けちまうかなぁ」
「そんなに凄いの?」
「そらそうだぜ!食材切り分けてドラゴンが弁当に居るんだからすげーよ!しかも毎日!初めて見た時は驚いちまったぜ」
「ふふふ……ありがと」
キャラ弁、というかドラゴン弁当?毎日何かしらドラゴンを弁当でも作っているのだ。昔からやってきたので造作も無いけど、時間がそれなりに掛かるのは事実だ。けどそれが日課になってる節もあるし毎日の楽しみでもあるから止められない。
「そうだ。リュウ、放課後何処行く…………リュウ!?」
「ウワッ……!」
何時も通りヒデが何処に行こうかと呼び掛けた時、一瞬窓際を見た彼にいきなり突き飛ばされる。今まで見た事の無いような焦り顔をするヒデ。
何故突き飛ばされたのか理由も分からないまま俺は倒れ後ろの机にぶつかってしまう。リュックで緩和されているものの背中の痛みに堪えながらゆっくりと目を開ける。クラスに居る人間から視線が一気に集まった。
───次の瞬間、ガシャンと大きな音を立て、窓硝子が砕け散る。
パラパラと光に当てられた欠片は無雑作に床へとばら撒かれた。その色を毒々しい赫色に変えて。
目の前の様子を見て反応が遅れた。先ず始めに聞こえたのは誰かの悲鳴、そして何かの咀嚼音。
騒ぎの中心は直ぐに分かった。何せその原因が直ぐ目の前で怒っていたのだから。
認めたくも無い現実だった。あって欲しく無い現実だった。起こる筈の無い現実だった。
だがどうしてだろうか。現実というのは、未来というのは、余りにも不明瞭だ。
俺を庇ってそうなったのは大切な親友で。
割れて散りばめられた硝子を赫色に変えたのは友達の血で。
眼の前で余りにも残酷な姿を晒していたのはヒデだったのだ。
彼の無くなった下半身からは滝の様に鮮血が溢れ辺り一面を覆う程の池が出来ていた。
「─────────。」
声が、出ない。目の前の光景は余りにも非現実的だった。爆発等が起こっている訳でも無いのにヒデの下半身は消えていた。
見えない何かに喰われたように。
机は踏み潰されたのかその形を崩している。ヒデの体からは今もグシャグシャと肉が削れる様な音が響く。剥き出しに成る骨と内臓は何故か消え去る。
脳裏に浮かぶのは今朝見えててしまった漆黒の獣。尖った爪から映り込む凶気。こんな事を出来るのはあの化物しか居ない。
「──────────!!??」
そう確信した時、不意に彼女の顔を見た。絶望に浸した様な歪んだ顔。朝見られた瞳の光は失われている。声が出そう口を必死に手で抑え、もう片方の手で頭に触れた。両目を見開き、地獄とも言える惨状を焼き付ける。
「紅がく、れっ────」
一瞬、目が合った。
「─────ぁ」
「おい烈華!?烈華!?」
糸が切れたように崩れ落ちる焔。そんな彼女を神代が焦った表情で抱き抱える。が、途端、彼らの姿形は消え去り星空に移り変わる。
気が付けば世界が変わっていた。血に塗れていた教室は見る影も無くなり変わる事の無い、光の地平線が現れる。
それを知覚した時、身を抱え込んでしまう。何をするでも無く、出来る事も無く、蛆虫の様に背を丸め込む。歯を食い縛り、涙を流し、どうか今日の全てが幻覚であれと願う。無様に喘ぐ事しか出来ない俺は必死に死への恐怖と、どうしてこうなったかを考える。
何が駄目だった?
────目を開いて。
何がヒデをああしたのか?
────視界を凝らして。
俺はどうして生きている?
────その身を思い出して。
少女の声が聞こえた。透き通った綺麗な声。耳にゾクゾクと、体に入り込む様に絡みつく様に響く。震えた手は自然と顔から離れ、目の前の光景を瞳は映す。
ぽっくりと空いた穴は見えなかった獣を視界に著す。何かを貪る様な動作をした後直様周りを見通す。強大な爪を舌で舐めながら何処かへと飛び掛かった。見えない何かに覆い被さり再びヒデをああしたのと同じ事を始める。飢えた獣の声だけが虚空の教室に貼り付く。
あの獣がしているのは間違い無くヒデ以外の人間を喰っているという事だ。
ただ貪欲に、己の飢えを満たす為だけに、人間の体を口に入れる。
赦せないと思った。
─────壊したいでしょう?
凪飛ばしたいと思った。
─────不条理を、絶対を、現実を、運命を。
打ち崩したいと思った。
─────ならきっと大丈夫。だって貴方は私の…………。
「うぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
聴こえてきた声に引き摺り込まれた様にら気が付けば駆け出していた。四肢が切れそうな勢いで穴の中へと突っ込む。考え無しに、ただ壊したい、そう思ったから跳ぶ。体の右半身が何かに覆われる様な感覚に襲われながらも、無鉄砲に拳を構える。
ありったけの力で歯を食い縛る。この不条理を叩き壊そうと、この拳を化物に放つ、筈だった。
「──────ぇ?」
間抜けな声が出る。どうせ死んでしまうのならあの化物に一矢報いろうとした拳は当たる事は無かった。
そして化物と入れ替わった様に真下から青白い光が浮かび上がる。白黒の教室全体を覆ってしまうほど大きな円陣。時計の様な形をし、ローマ数字で十二に当たる数字に短信と長針が指している。
何時の間にか白黒の世界は元の色鮮やかな世界に戻り、時計の様な円陣の針が廻る。
壊れかねない程に荒ぶる針はその形を崩し、嵐の如く輝き回った。
「…………!?」
余りの輝きに目をつぶってしまい、思わず両腕で顔元を隠し、一瞬の浮遊感と共に右半身の感触は消え去る。次に感じたのは背中に来た衝撃。腕の隙間からは光が消え、少しずつ瞼を開く。
─────思わず目を見開いた。
視界に映る全ての物に驚かされる。汚れ一つ無い教室とは比べ物にならない程に大きい、白い壁に囲まれた室内。部屋の外は一本の道を作るように白い柱が幾本にも並び立ち、縁が金色の赤いカーペットの様な物が敷かれている。
部屋の中には30の金で装飾された黒い棺が並べられていた。壁には等間隔に配置された松明。ほのかに揺らめく炎がその様子をおずおずと確かめさせた。
先程まで教室の中にいたと言うのに此処は何処なんだ。幻覚とは思えない程、細かく作られた部屋。余りにも有り得ない状況に思わず息が荒くなる。
触れる物全て傷付けると言わんばかりに俺は身構え、周囲を見渡す。すると、背後から煙が噴出するような音が鳴り響いた。
「何だ!?」
突然の事に俺は背負っていたリュックを盾代わりに構える。聞こえた通り、煙が物凄い勢いで黒い棺から排出されていた。咄嗟にポケットの中に合ったハンカチで口を抑え、室内から出ようとする。
しかしその足は踏み留まってしまう。噴出する煙の音とともに人間の声が聞こえてきたからだ。
下がりつつも恐る恐る棺の方を見やる。幾つもの並んだ棺は皆一様に開いた。煙は何時の間にか消え去り、声の主達はその中で眠っていたのだ。
「っぁ……こ、こは?」
初めに起き上がったのは神代。それに連なって他の人間も目を覚ます。棺の中に居たのはクラスメイトの面々だった。しかし、其処に居たのは全員という訳では無かった。当然死んだ人間が蘇る筈も無く、ヒデや殺された人の姿は無い。
改めて、親友が死んでしまったという事実に衝撃を受ける。ただ普通に生きていただけなのに……。何でよりによってヒデが死んじまうんだよッ……!
悲しみと怒りと憎しみが混ざり合った感情はより一層俺を苛立たせる。
「おおっ遂に勇者様達がお目覚めになられた!人魔神様は本当に成されたのだ!」
「っ……誰だッ!」
俺の背後には恍惚とした表情で棺の中から目覚めたクラスメイトを見つめ、跪く老人がいた。修道服と言うべきか金で装飾された服装、皺々になった肌からはかなりの高齢と分かる。
老人はまるで自身が信じている神が目の前に現れたと言わんばかりにただひたすらに仰ぐ。
そんな老人の行動に反応したのか未だに寝惚けていたクラスメイト達は立ち上がり希望に満ち溢れた表情で腕を広げ、変な事を口にしだした。
「あぁ!あぁ!漸く俺達はこの世界に帰ってこれたんだ!この魔素の空気……!懐かしい、本当に俺達は帰ってきたんだ!」
「勇人!これでも魔力が足りなくなる事は無いんだぜ!人魔神様はやってくれたんだよ!」
神代、金剛に引き続いてクラスカースト最上位は人が変わった様に抱き着きこの状況を喜び合っていた。他のクラスメイト達はこの状況に理解出来ておらずポカンと口を開けている。
意味が分からなかった。
こんな訳も分からない所に出て、コイツ等は訳の分からない事を言い出し始める。
ジンマジンサマ、マソ、マリョク、本当に理解できない。クラスカースト最上位が歓喜の声を上げる、が彼等以外にもこの状況を理解出来ない、と言うよりも塞ぎ込んでいる奴が居た。未だに棺桶の中で死んだ目つきをしながら手で頭を抱える何時の間にか茶髪から紅髪に変わっていた少女、
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
焔烈華だった。教室で倒れたと思えば此処では人が変わった様に同じ言葉を言い続ける。呪詛とも言えるそれには彼女の怯えが見えた。しかし、他の奴等は焔の事なんか気にも止めずに未だに跪く老人の元へと向かっていた。
機械の様に何度もごめんなさいと言う彼女に俺は安心させる様に手を肩に置いた。少なくともこの状況で信用出来て比較的マトモな人間は焔しか居ない。
「どうしたんだよほむっ」
「私のせい!」
「は?」
俺の言葉を遮る様に彼女の叫び声が耳に響く。肩に乗せた筈の俺の手を押し退け、逆に彼女が両手で俺の肩に掴みかかる。必死の形相、と言えばいいのか今まで見た事の無い表情で俺に怒鳴り掛ける。
「貴方の友達が!雲寺英樹が死んだのは私のせい!あの時、私があの化物を殺し損ねたから!だから貴方の友達は死んだの!全部私のせい!昔と何にも変わってない!ずっとあの時から幾ら強くなったって肝心な時に駄目なのよ!ごめんなさい!ごめんなさい!」
「お、おい何でだよ、何で其処でヒデの名前が出てくるんだよ?なあ頼むから落ち着いてくれ、多分だけど誰もお前の事なんか恨んじゃ居ねぇよ」
情緒不安定の彼女は俺の胸元に泣きつきひたすらに謝ってくる。泣き出したいのはこちらなのだが何とか感情を抑えて、嗚咽を鳴らす彼女の背中を撫でる。彼女が安心出来る様、適当な言葉を投げつつ、ハンカチで彼女の顔を拭く。
「おい!焔をどうにかっ!……って待てよ!」
どうしようもない彼女をどうにかして貰おうとクラスメイト、特に金剛に頼ろうとするが、話を聞いてもらうどころか老人に付いていってしまう。
「ぐす……ひっ!ごめんなさいごめんなさい私のせい!貴方が死んだのは全部私のせい!こんな事になったのも!あっちの世界がああになってしまったのも私のせい!」
「良い加減にしてくれよ……」
此処には居ない誰かに謝り続ける焔。そんな彼女の肩を持ちつつクラスメイト達が行った方向に俺も向かう。