Ⅰ:龍ノ黎明
何時だって彼は側に居てくれた。だから今度は彼の側にドラゴンは居る────龍 ドラゴン
─────満月の夜、ふと空を見上げた。
それがどうしてなのか、自分でも良く分からない。顔を上げて星に飾られた空は遥か遠くだ。どれだけ手を伸ばしても決して届きやしない、天上の世界。瞳に映るのは何時だって暗闇とそれに散りばめられた小さな小さな明かり。
綺麗に弧を描いた月が見える。淡い光を放って辺りを照らす。月以外の光は無く、それを頼りにゆっくりと歩いていく。闇夜に包まれた世界は視界からあらゆる物を奪う。
そんな中、目の前の男はついてこいと足を踏み出す。ぐっと息を呑んだ。これから自分はどうなるのだろうか。考えるのはそればかりだ。何の為に此処に居るのか、何の為に自分はこうするのか、考えるのも億劫になって来る。
ざぁざぁと風に吹かれた木々は葉を落とす。冷えた風は体にもあたってより肝を冷やした。古びた床は歩く度に音を立て、雑音が耳に鳴り響く。いつも通りの同じ音、人との会話なんてした覚えは無い。声の出し方なんてとっくのとうに忘れてしまった。
今日もまた始まるのだ。自分にとって生きている、生かされている理由が。
────ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ。
一段と刃は鋭く、深く入り込む。
────ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ。
何度も、何度も、鋼色に輝いていた刃は何時の間にか紅く染まっていた。
────ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ。
生きていた中で一番見た色と聞かれれば、この色だと思う。体から流れ出す物の色は今でも好きだ。
────ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ、ぎーこ。
何故こんな事をしているのかと聞いても返事は返ってこない。そんな事は始めから知っていた。意味が無いと言う事も。
─────ふと、空を見上げた。
其処には同じく満月が飾られている。
さぁ、今日も彼処へ行こう。自分が『自分が望む姿』である為に─────
◆◆◆◆◆
目が覚めた。突然、眠りは打ち切られ、それに合わせて意識も蘇る。開けられた窓は外から風を呼び込みカーテンを揺らす。太陽の光はその隙間から部屋を照らし出した。
重い瞼を開け変わらぬ天上を目に映す。
「ふわぁ〜」
気怠げな声を上げつつ立ち上がり部屋で飾っているドラゴンの自作フィギュアを撫で回す。
「いや〜今日もカッコイイな〜。やっぱドラゴンって最高だぜ!」
赤と銀色の鱗が流線型のドラゴンをこのまま撫で回すという訳にも行かず、俺はせっせと学校に行く準備を始める。着替えたら朝御飯をかっ喰らってそのまま家を飛び出す。
俺の名前は天野龍勝。周りからはドラゴン野郎と言われる位にドラゴンが大好きなだけの高校生だ。家の中は何処を見ても基本的にはドラゴンが視界に入り込む。立て掛けであったりしろ壁に書かれたりフィギュアが散乱したりとしている。
極普通に生まれて、極普通に過ごして、極普通に自分のしたい事を成す。それが『天野龍勝』の人生であり人格の形なのだ。特にこれといった特技も無ければ胸を張って自慢出来る事はあまりない。やれる物は出来るまでとことんやってやれるという、ただドラゴンと言う物が好きなだけだ。だからこそ他の生きている人間と比べると、どうも目移りしてしまうらしい。
けれど、時々、俺の目は違う世界を写す。
「はぁ……またか……」
何度も見た光景に溜息を溢す。
木々が立ち、建物が並び学生やサラリーマンが歩く変わらない通学路。が、突如としてその一切が消え去った。もっと言ってしまえば眼の前の世界が変わったのだ。
彩られた風景は星空の様に妖しく、それでいて美しい光景に切り替わる。何処を見渡してもそれは変わらず辛うじて此処が何処なのかという事しか分からない。
建物等の形はそのまま、だが今俺以外に人っ子一人として居ない。
時々こうなる事があるのだ。何処に居ようとも突然目に見える世界が変わる、そんな事が頻繁に起こるのだ昔は困惑していたが今では幻覚として納得している。
治る方法は分からないし、日頃からドラゴンドラゴンしか言っていないので誰にも信じて貰えない。小学生と思われているのだろうか?
いや、今のクラスでも結構なイカれた奴らが………
「ぉ……!」
この空間でドラゴン以外の事を考え始めると何故か全身が巻き付かれたように痛みが来るのだ。目には見えないが紐と言うより蛇が服の内側に入っている感覚。
いつに無く強い締め付けに耐えながらも足を動かす。これも未だに原因は不明。医者に診てもらってもわからず終い。
首が縛り付けられる感覚に襲われながらもこうなってしまえば、兎に角いつも通りに過ごすだけだ。
「………………」
常人が見る筈の無い光景。それを十数年見続けてきたが何かを得られたりはしなかった。その世界で見つけられる大層な物も無く、同じ世界が延々と廻り続ける。そして、何時の間にか消え去ってしまう。
『……………っ!』
普段は何も聞こえない筈の世界で別の誰かの声が聞こえた。それは今までこの世界に居た時には起こらなかった事。好奇心と恐怖心が混ざり合ったまま声のした方向へと顔を向ける。
「何だ……あれ……」
視線を向けてみるとそこはぽっかりと穴が空いた様に何時もの星空では無くしっかり色付いた世界が有ったのだ。そしてその穴の奥の世界では、見た事も無い化物が映り込んでいた。
獅子の様な姿をしているが明らかに尖っている造形、全身に流れる様に這う光の線、黒い体躯は濁った輝きを見せる。口と思わしき部分からは幾本もの鋭い牙。
「あれは……焔?」
そしてその獅子の様な姿をした化物と相対する様にボロボロに成った白が混じっている紅髪の少女が居た。服装は何処か高貴さが感じられる着物とドレスが混ざった様な見た事の無い服。片手には長大な白い刀身、要は刀を持っているのだ。現代では絶対に考えられない格好。
そんな格好をする少女に俺は見覚えがあった。髪も瞳の色は全く違うがその少女の顔には確かに記憶の中の人物と一致した。
見間違いでなければ同じクラスの焔 烈華の顔とそっくりだった。他人の空似、というには余りにも似すぎている。
しかし、何より目を引いたのはボロボロに傷ついた姿だ。覚束無い足でどうにかして土曜日立っているが手に持っている刀を杖代わりにしていた。服装も所々千切れておりその隙間からは血が流れている。
どう見ても彼女の目の前に居る化物が原因なのだろうか。そんな事を考えながらも一触即発の事態に足を止めずには居られなかった。
『っ……白炎、紅隠!』
『グラァァァァ!!!!』
何らかの言葉を発した彼女は自身の体から白と紅の光を放出させた。それを見た化物は吹き飛ばす様に咆哮する。空気を震撼させた叫びは穴の向こうに居る筈の俺にすら届いた。
「っ…………!」
しかしその咆哮は一瞬にして止まった。その理由は化物が焔よりも俺の方に視線を向けていたからだ。あちらも穴を通して俺を見通せるのだろうか。向こうからすれば俺は何も無かったところから出て来たと感じているだろう。思わず身体を身構える。
俺に視線を向けるのを皮切りに少女は糸が切れたように倒れる。そして化物は俺の方へと足を踏み出す……
筈だった。
「へ…………」
化物は直ぐ様、踵を返し何処かへと去ってしまった。その様子に全身から力が抜ける。助かった、のか。化物が立ち去っても尚穴は消えず焔は倒れたまま。
髪色も白の混じった鮮やかな紅髪から綺麗な茶髪に変わっていた。
「幻覚、だよな?まぁ見るにしたって可笑しな幻覚だけど。そもそも何で焔が幻覚に出てくるんだよ……」
まだ空いている穴の元まで来てみるが閉じる様子は一切無い。入れるかどうか確かめる為に鞄を突っ込んでみるが何とも無い。
「入るか……」
このまま燻っていても仕方が無いのでいっその事足を踏み入れる事にしてみた。片足からゆっくりと区切られた様に出来た穴の向こう側に。
穴の無かった中に入ってみると其処は元居た世界とは打って変わって殺風景な世界であった。建物も空も、現実の世界にあった物は変わる事なく存在する、鮮やかさを除いて、だが。
きらびやかな星空の世界とは対照的に白黒で作られた漫画の様な世界。何処を見渡しても白黒以外の色は見当たらない。唯一色が着いているのは俺と、距離の離れた所で倒れている彼女だけだ。
「おーい……大丈夫か?」
「……………」
焔に近づいて揺さぶってみるものの気を失っているのか返事は無い。慌てて駆け寄ったのだが不思議な事に彼女は黒色の学生服に変わっていた。
増々分からなくなり本格的に幻覚だと思い始めている。しかし彼女の服を触った感じは現実さが合った。詰まる所これは現実、という事。なら仕方あるまい。
「よいしょっと。このまま見捨てたら幻覚であろうと気分悪くなるからな。文句は言わないでくれよな焔さん」
横たわる彼女を背負い何時抜け出せるか分からない幻覚では無い世界で学校へと向かい始めた。スマホで救急車に電話しようとしても繋がらなかったし病院に直接行こうにも人は居ない。と言う事で重い彼女を背負って登校する事になった。