五十八話 ゼノ・サンチェス
時と場所は変わり、千五十八年七月十四日。アルパベーラ王国西部に位置するエルルーズ地方西の街、港街ナムカ。
その街の一角で、ある騒ぎが起きていた。
街の中央通りをある男性が駆け抜けていた。
スーツを着崩し、キリッとした顔立ちに眼鏡、茶髪のオールバックの男が。
彼の名前はゼノ・サンチェス。この街で探偵をやっている。
ゼノは何かを追っていた。その何かは中央通りの裏路地へと入り込む。
ゼノも裏路地へと入り、そのままそれを追い続ける。
だが途中、人混みに邪魔される。
それは人混みの隙間をスムーズに通り抜ける。しかし、ゼノはそうはいかない。
なので、ゼノは違う方法で人混みを躱す。
飛び上がり、壁を蹴って人混みの頭上を行き、再びそれを追う。
やがて袋小路に追い込み、逃げ場が無くなったそれを捕まえる。
「……やっと捕まえたぞ」
ゼノは溜息をつきながら、それ、猫を抱き上げる。
猫探しの依頼で、猫を見つけたまでは良かったが逃げられて、今に至る。
「全く、少々手間取らせやがって」
眼鏡をくいっと上げながら、猫を見る。
猫は何事も無かった様に欠伸をする。
「ふ、呑気な奴だ……」
ゼノは取り敢えず、通りに戻る。
そして依頼人が居る、街の西側の港通りにある、レストラン、うみねこ亭へと向かう。
「ゼノ! シュレッカを捕まえてきてくれたのか!?」
ゼノが店内に入ると、四十歳後半ぐらいの男性が彼の元へと駆け寄ってくる。
その男性はここ、うみねこ亭の店主であり、依頼人のトニー・ノットだ。
それとシュレッカは猫の名前だ。
「はい、少々手こずりましたが……」
ゼノは猫をトニーへと返す。
「いやぁ、助かったぜ! シュレッカの事が心配で、仕事に集中出来なかったからなぁ……おっと、忘れるところだったな、これは依頼料だ」
「……ええ、確かに」
ゼノはトニーから依頼料を受け取る。
「あ、ゼノ! 来てたんだ!」
そう言って、金髪ロングヘアーの元気いっぱいの女性が現れる。
彼女はミンディ・ノット。トニーの娘でうみねこ亭の手伝いをしている。
ゼノとは同い年の二十一歳で、一緒に日曜学校に通っていた幼馴染だ。
「ああ、トニーさんの依頼でね」
「依頼かぁ……たまには仕事抜きで食べに来てよね? 昔、リリーと2人で来てたみたいに……あ――」
ミンディは慌てて口を塞ぐ。
「…………そうだな。機会があれば」
ゼノは平然を装い、暗い声でそう言う。
「じゃあ、俺はこれで」
「おう、頑張れよー!」
「また来てねー」
ゼノは二人と別れてうみねこ亭を後にする。
ゼノの背中に見えなくなるまで、ミンディはずっと、心配そうな視線を送っていた。
「心配か?」
そんなミンディにトニーは静かに声を掛ける。
「……うん、二年前の事件から、ずっと無理してる……」
「…………」
トニーは黙り込む。
「何とかしてあげたいけど、私じゃ、ゼノの傷は治せない……悔しいよ……」
「大丈夫だ、あいつはきっと、自分で立ち直る……いや、立ち直れる」
「そうだね……」
二人は重い空気の中、仕事に戻る。
そしてゼノはと言うと、今日はもう予定が無い為、事務所へと戻る前にある場所に寄ることにした。
その場所は中央通りのこの街唯一、ナカム教会だ。
そこは孤児だったゼノが妹のリリーと共に育った孤児院の教会だ。
日曜学校も教会で開かれている。
「あらゼノ君、こんにちは」
ゼノが教会に入ると、金髪で修道服を着た穏やかな女性が話しかけてくる。
テッサ・マクシーム、この教会のシスターだ。
テッサはゼノがこの教会に来てから、ずっとここの管理をしている。
「テッサさん、これ少ないですが……」
ゼノは先程の依頼量を半分、テッサに渡す。
「いつもありがとう、ゼノ君。だけどこんな頻繁に寄付してもらって大丈夫なの? 確かに、最近寄付してくれる人が減って、いつも助かってるけど……」
「ええ、俺が必要な分は、確保していますから」
「そう? それなら良いけど……何かあったら、何時でも言ってね、出来る限りの事をするから」
「ありがとうございます。じゃあ、俺は――」
ゼノがそう言いかけると、教会の奥から彼の名前を呼びながら、子供が数人走って来る。
「ゼノ兄ちゃんだ!」
「ゼノ兄ちゃん、遊んでくれよ!」
「ゼノお兄ちゃん、勉強教えて!」
彼らはこの教会の孤児院の子供達だ。
ゼノが教会に来る事、こうやって駆け寄って来る。
「ああ、また今度な」
「ほんと!? 約束だよ!」
「ああ、約束だ。だから、それまで良い子にしてるんだぞ?」
「うん! 分かった!」
「よし…………じゃあ、テッサさん、俺はこれで」
「ええ、また何時でも来てね」
「はい」
ゼノは教会を後にして、事務所に戻る事にした。
事務所は中央通りの南にあるので、途中、市場に通り掛かる。
すると、市場の色々な店の店主から、声を掛けられる。
「お、ゼノ、元気にやってるか?」
「新鮮な林檎が入ったのよ、ゼノなら安くしてあげるから買っていかない?」
と、他にも次々にゼノを呼ぶ声が聞こえる。
それをゼノは適当に返事を返しながら、やっとの事で事務所に帰る。
ゼノの探偵事務所は南門近くの雑居ビル2階にある。
事務所はトイレや風呂、居住スペースの部屋が1部屋と、簡易的な作りだ。
部屋はデスクの上にノートパソコン、ソファーが2つ、机が1つ、他には冷蔵庫やファイルが仕舞われている棚なんかが置かれている。
ゼノはソファーに腰掛け、煙草に火を点ける。
「……ふぅ……」
煙草を吸い終わり、火を消してソファーに横になる。
「……今日はもう、何もする事が無いな……」
そう言いながら、事務所の天井をぼっーと見続ける――。
◇◇◇
翌日、七月十五日。午前六時四十四分。ゼノはデスクに向かって、椅子に座っていた。
今日は依頼が無く、何をしようか考えているところだ。
そんな時、事務所の扉がノックされる。
「ん? どうぞ」
ゼノが扉に向かってそう言うと、白の軍服、アルパベーラ騎士団の服を着た人物が5人程、入って来る。
アルパベーラ王国にはアルパベーラ騎士団という国家組織がある。
役割は、帝国の軍とはあまり変わらず、主に街の治安の秩序維持の為に動く。
「失礼する、サンチェス探偵事務所はここか?」
そう言ったのは、スキンヘッドで強面、ガタイの良い40歳くらいの男性。
彼はエルルーズ地方に配属されている、アルパベーラ第3騎士団中隊長、エドガー・レイブンクローだ。
「ルドガー・レイブンクロー……騎士団がこんなチンケな事務所に何の様ですかね?」
この街に住んでいるのなら、ルドガーの顔を知らない者は居ない。
彼はこの街の領主の貴族に仕えているから、1週間もこの街に居れば、嫌でも目に入る。
「ゼノ殿、貴方に依頼があって参った」
「依頼……人探しか何か?」
「いや――――殺人事件だ」
「っ……」
ゼノの表情が強ばる。
「今日の明朝、港通りの海岸で死体が発見された。被害者はうちの騎士団の新兵、セス・ホーラン……そしてもう1人――――ナカム教会のシスター、テッサ・マクシームだ」
「……何?」
ゼノは静かに立ち上がる。
「本当なのか、その話……!」
「ああ、本当だ」
ルドガーは迷いも無く、力強く頷いた。
「っ…………話を詳しく聞こう、そこに掛けてくれ」
ゼノはルドガーをソファーに座らせ、自分ももう一つのソファーに座る。




