百六話 邂逅、再び
「――なさい――起きなさい、エリカ」
――聞き覚えのある声で、意識が醒める。
「んん……?」
ゆっくりと目を開け、立ち上がる。しかし、何だか感覚がおかしい。目を開けた気も、立ち上がった気もしない。
それに、意識を取り戻したこの場所も、おかしな光景に包まれていた。
それは上下右左、何処を見渡しても白いモヤの様なものに包まれている場所だった。
「これは……」
まるでこの世の場所では無いみたいだ
……この世では無い……そう言えば何で俺は意識を……。
……そうだ、アリッサに魔核を取られて……まさか。
じゃあ、本当にあの世に――。
「大丈夫、貴方はまだ生きてるわ、エリカ」
声がした。先程と同じ声だ。聞き覚えがある声。
「こっちよ、こっち。貴方の後ろ」
「後ろ?」
俺は後ろを振り向く。
「え? 何で……」
そこにはいつか、少しだけ邂逅した人物が居た。長い様で短いいつかに。あのタルタロスで。
「ヴ、ヴァレリア?」
「ヴァレ、よ? ちょっと振りね、エリカ」
それはオラシオンでタルタロスに迷い込んだ時に出会ったヴァレリアだった。
彼女が何でここに……もしかして彼女が居ると言う事は、ここはタルタロスなのか?
「いいえ、違うわ、ここはタルタロスじゃない。ここはエリカ、貴方の中。精神世界? って言えば、幾分かは分かりやすいかしら?」
せ、精神、世界……?
「ええ、私が貴方の中に入ったのよ。理解出来なければ、魔法と考えて貰って構わないわ」
漠然としていてよく分からないな……。
「そうね、一から説明するわ。この前、貴方に渡した物を覚えてるかしら?」
「うん、紫色のリボンだよね?」
「そのリボン、実はちょっと細工がしてあってね。ある魔法が込められているの。渡した相手の生命力が極端に低下した時に、術者に知らせてくれる魔法が。心当たりあるわよね?」
それは勿論。
「……うん、魔核を取られて……」
「やっぱりね。今の貴方からはあの時の膨大な魔力が感じ取れなかったから、そんな事だろうとは思ってたけど、来て良かったわ」
ヴァレリアが示す言葉。それは、人間は魔核を失った死ぬと言う事実だ。それがこの世界の人間の構造。当たり前の事。
どうやら、魔力も血と同じで体に必須なものらしく、その供給が無くなると、体の一部の機能が停止するらしい。
アリッサは、理由は分からないが俺の魔核を手に入れるのが目的だった。だから、屋上でも、王の間でも、殺しても構わないと言っていたんだろう。
「今の貴方は仮死状態にあるわ。何とか私の魔法でそこに留めているけど、時間の問題ね。このままだと、確実に死ぬわ……話を戻すわね。それで貴方の危機に気付いた私はタルタロスから出て、魔法の痕跡を追って、ここまで来た訳。それにしても驚いたわ、城が浮いてるんだもの。魂消るかと思ったわ」
「……じゃあ、まだ私は皇城の中に?」
「ええ、地下の牢に鎖で両手を磔にされているわ」
磔に? 死に行く人間をか?
いや、それよりも。
「ヴァレ、あの時と同じ事をもう一度聞くけど、何者なの、貴方は? 明らかに人智を超えてるよね? 他人の中に入り込むなんて」
「……さぁ、分からないわ」
……こいつ、まだ恍けるつもりか。
「そうじゃないの。本当に分からないの、記憶が無いから」
「え?」
「記憶が無いのよ。魔法の出し方や、その他諸々の基本的な事は覚えていたけれど、どうやって自分が生まれたとか、自分が何者なのか、とかは一切。気付いたらあのタルタロスの貴方が訪れた場所に居たわ。ずっとよ? こうして、ここに来るまで」
「――そう……」
何故か嘘を言っていない様な気がした。根拠は無いが。
「もしかしたら、貴方の言う通り、人では無いかもしれないわね……まぁ、それはさて置き、他に聞きたいことはあるかしら?」
他にか。と言っても、唐突な出来事で何を聞けば良いか……。
「そう、じゃあ思い付いたら、その都度に聞いてくれて良いわ」
「うん……」
……ってあれ、そう言えば何で……。
気に止まらなかったがこいつ、さっきから……。
「……ヴァレ、変な事聞くけど私の考えを読んでる?」
「? 当たり前じゃない。だってここは貴方の精神世界、言わば頭の中なんだから。何もしなくても、色々と伝わってくるわ」
やはりか。先程から、少し違和感を感じていた。
俺がこの場所をタルタロスじゃないかと聞く前に、ヴァレリアはそれを否定していた。
成程、考えを読む、と言うより、頭の中を読んでいたのか。
…………待て、頭の中を?
ま、まさか!?
「ヴァレ、一つ聞きたいんだけど……もしかして記憶の方……も……?」
「ええ、バッチリ。貴方が実は男で、他の世界からこの世界にやって来た事や、その世界で探偵って言うのをやっていた事と、その他の悲惨な過去。この世界の記憶も勿論、幼少期から、今の今まで。どうしてこんな空飛ぶ城が出てきたのかなんかも含めて、全部、隅から隅まで感じさせて貰ったわ」
「な、何だと……」
最悪だ……この記憶が世に知れたら、どうなる事やら……。
「ふふ、安心して? 別に言いふらすつもりは毛頭無いわ」
「……信じて良いのか?」
「ええ、でもその代わりと言っては何だけど、私の提案に乗ってみない?」
提案? 交換条件か?
「ああ、大丈夫よ。別に貴方にデメリットは一切無いわ。ただ、一つだけ。エリカ……いいえ、久遠って呼ばせて貰うわね? 久遠――このまま死なずに、生きてみない?」
それは予想外な提案だった。
「――既に一回死んだ身、何時でも死ぬ覚悟は出来てる。その肝の座り具合は立派。でも、このまま諦めても良いのかしら。貴方の友人の国を滅茶苦茶にされたままで」
「……それは……」
確かに死んでもいいと腹を括っていた。しかしその問いには……。
「勿論駄目だ。俺はあいつに誓ったんだ、アリッサからこの国を取り戻すと。それが俺があいつに、ユリウスに出来る、せめてもの償いだ……!」
やっぱりこのまま終わって良い訳が無い。こんな終わり方は認めない!
「――決まりね。なら生きましょう、二人で」
「ああ――って、どうするんだ?」
「私が貴方の魔核と同等の存在になるわ。そして、魔力を供給して、命を吹き返すわ」
「そんな事が出来るのか?」
「分からないわ。でも、何となく出来る様な気がするの」
気がするか……乗った、その大博打。
どうせ、失敗しても死、何もしなくても死だ。最後まで抗ってやる。
「具体的には?」
「私と貴方が同化するわ。精神も魔力も全て、この世界の貴方の体に収めるわ」
「分かった。直ぐにでもやってくれ」
「それじゃあ失礼するわ」
ヴァレリアが抱きついてくる。
「――久遠、この同化が終われば、私と貴方は死ぬまでずっと一緒。一心同体。もう解く事は出来ないと思うわ。覚悟は出来てる?」
もう迷いは無い。
「ああ、とっくに」
「ふふ、良かったわ。拒絶されたらかなりショックだったから」
拒絶なんてするものか。あの馬鹿を、アリッサを引き戻す最後のチャンスなんだからな。
「――四の五の言わずにやってくれ、ヴァレ――!」
「ふふ――良い返事よ、久遠! 行くわよ!」
目の前が、この空間が眩しい光に包まれる。
そう言えば、ヴァレリアは何でここまでしてくれるんだろう。一度しか会った事が無いのに。そんな事を考えていた。
だが、その疑問は直ぐに解消された。
――記憶が流れ込んでくる。
――感情が流れ込んでくる。
ヴァレリアの記憶、感情が。
ぽつんとあの庭園に立ち尽くすヴァレリア。孤独で満たされる感情の器。
それからもずっと一人で生きる日々、虚ろな目で。タルタロスから出ようとするが、未知へと踏み込むのを前にして足が竦む。
そんなどうしようも無い日々に突然、風が吹き抜ける。
俺が庭園に訪れた。
彼女は平然を装っているが、内心は無邪気な子供の様に、はしゃいで喜んでいた。
『ああ、孤独な暗い私の心を照らしてくれる……』
孤独な記憶に、俺と言う光が射し込んだ。
しかし、別れがやってくる。彼女はあの喜びが嘘の様に落胆する。
また会いたい、そう思い、紫色のリボンを渡す。
それは俺の想う気持ちと、俺への道標の二つの目的が合わさって作られたもの。
そして、魔法が発動した時、青ざめた顔と喜びの感情が重なり合う。
『もうあの人と会えなくなるのは嫌……』
未知の領域へと駆ける。不安、喜び、緊張、恐怖、色々な感情を抱きながら――。
――お前の気持ち、理解した、ヴァレリア。悲しみも喜びも全て受け取った。
良いじゃないか、生きよう、ヴァレリア。二人で――。
「――あ、ぅ……痛……」
鋭い頭痛が突き刺さる。目を開けると、そこは薄暗い鉄格子の中だ。
両手を牢の中の壁に設置された鎖で、磔にされている。
ヴァレリアが言っていた通りか。
『――ヴァレって呼んで、久遠』
頭の中でヴァレリア――ヴァレの声が響く。
ああ、ヴァレか。成功したのか?
『ええ、完璧よ。同化の方は』
どうやら、成功した様だ。こうやって、目を開けれているのが、ヴァレの言葉を裏付けている。
「う……」
意識が保てない……。
『体力が落ちてるのよ。今、治癒魔法で傷を治してるけど、暫く掛かりそうだわ。私の魔力もこの体に適応しきってないし。少し休みなさい――反撃はそれからよ?』
「ああ……その間の事、よろしく頼む――相棒」
『ふふ、良い響きね。任せなさい、相棒』
俺は眠りにつく――。
幕章 静かなる決戦前夜 完




