九話 オレットとリディア
俺はリディアとアッシュと共にアリッサの魔法を受け、負傷したオレットを保健室に運び込んだ。
今は日が落ち、保健室の窓からは夕日のオレンジ色の光が差し込んでいる。
俺達三人はあれからずっと、オレットの看病をしていた。
今日行われる予定だったAクラスの授業は中止になった。
「オレットさん……」
オレットが寝ているベッドの傍の丸椅子に座っていたリディアが俯きながら、小さく呟いた
「あれから眠ったままか……大丈夫なのかよ?」
リディアの後ろにある窓に背を預け、腕を組んで立っているアッシュがキャスター付きの丸椅子に座り、デスクに向かっている人物に問いかけた。
「大丈夫だ、そろそろ起きるだろ」
黒髪で顎髭を生やした二0代後半位の男性が、座りながらこちらを向いて答えた。
彼は保健室の教職員、イアン・マスラドフだ。
「それにしてもあんた、かなり恨まれてるんだな」
イアンは気だるそうに椅子から立ち上がり、こちらの方向に歩きながらリディアにそう言った。
「こいつが庇ってくれなかったら、相当ヤバかったぞ」
リディアの顔が更に暗くなる。
「ま、こいつに感謝するんだな。俺はこいつの容態をフローレンスに伝えてくるわ」
イアンは保健室から出て行った。
「……やはり、アリッサさんにも恨まれているのですね……」
リディアが再び小さく呟く。
「リディアは二人に何をしたの?」
リディアの横に立っていた俺がそう訊いた。
「……正確にはオレットさんにですわ……」
「私とオレットさんは、所謂幼馴染という関係でしたの」
リディアは寝ているオレットの顔を見ながら話し始めた。
やはり、昔からの知り合いだったのか。
「スレイプウィル家とブライド家は、昔からちょっとした縁がありまして、それで私とオレットさんは良く子供の頃に遊んでいましたの」
「ある事件でブラウド家が侯爵に降爵された話、覚えていますわよね?」
俺は何も言わずに頷く。
「ある事件と言うのはブラウド家が起こした、ハーデア教国との密輸事件ですのよ」
なるほど、密輸が明るみになって降爵されたと言う訳か。
「ちょっと待て、確かハーデアって昔から他の国とは一切、関係を持っていなかったんじゃなかったか?」
「ええ、ハーデアの領地に来航する事も、出国する事も許されない国ですわ」
つまり、鎖国状態ということだ。
ハーデア教国はアヴァルタ大陸中央部から、船に乗って海を渡らないと行けない。
ハーデア教国の領地は、アヴァルタ大陸東部の切り離された島だ。
島と言ってもかなりの広さがあり、アヴァルタ大陸東部の大半を占める程の広さがある。
「だったら密輸なんて事、無理じゃねぇのか?」
「ええ、確かにそうですわ……ですが、ハーデア教国は一枚岩じゃ無いそうなのです。ハーデア教国は国交否定派と、国交肯定派があり、ブライド家が密輸をした相手はかなりの地位を持った国交肯定派の人物だったのですわ」
俺は、リディアの話を聞いて一つ疑問に思ったことがある。
それは何故リディアがこんなに詳しいのか、という事だ。
国交を絶っているハーデア教国の情報をこんなにも知っているということは、どう考えてもおかしい。
密輸したブライド家が知っているのは当然……ブライド家の密輸事件を告発したのがスレイプウィル家という事なのだろうか。
それなら、リディアが知っていてもおかしくは無い。
「もしかして、その密輸事件を告発したのが……」
「ええ、私の父、エイダン・リース・スレイプウィルですわ。その功績を認められて、スレイプウィル家は公爵に陞爵したのですわ」
リディアが申し訳なさそうに答える。
「って事は、お前さんはそれで恨まれてるのかよ? 逆恨みにも程があんだろ」
アッシュが窓から背を離してそう言った。
「いえ! それは違いますわ!」
リディアが勢い良く、椅子から立ち上がり声を上げて言った。
「……その事件以来、スレイプウィル家とブライド家の友好な関係はがらりと変わって、一切関わらなくなりましたの」
リディアは再び丸椅子に座り、声を落ち着かせてそう言った。
「しかし、私とオレットさんはそれからも暫く、時々ですけど会っていましたの」
「ですがある日、いつものようにオレットさんとの待ち合わせ場所の、帝都にあるロータス公園に行こうとした時、お父様に止められましたの。もちろん私は行こうとしたのですが、暫く軟禁状態にされて……」
リディアの言葉が詰まる。
軟禁までする必要あるのだろうか。流石にやりすぎだろうと思う。
「……軟禁状態が解かれた後、毎日、ロータス公園に行ったのですが、結局オレットさんとは会えなくて……」
リディアが涙を零す。
それがオレットの言っていた裏切りか。
「……そういうことだったんだな……」
そう言ったのは、目を覚まして、体を起こしたオレットだった。
「オレット……さん……!」
リディアが涙を浮かべたまま、オレットの顔を見る。
「もう起きて大丈夫なのですか!?」
リディアが身を乗り出してそう言った。
「さっきの話、本当なのか?」
オレットは俯く。
彼にとって――この真実は重く伸し掛るだろう。
「……聞いていたのですの?」
リディアの言葉に、オレットが小さく頷く。
「……何故言ってくれなかった?俺はこの五年間お前を……」
オレットは俯いたまま、拳を強く握る。
「……お前を……恨みたくもないお前をずっと恨んでいた! 何故一年前のあの時、言ってくれなかったんだ!」
オレットは声を荒げ、リディアの方を向いた。
「お前さえも俺達ブライド家を裏切ったと思っていたのに……何故軟禁されていた事を隠していた!」
リディアはオレットの声に少し狼狽えたが、直ぐに口を開いた。
「……信じて貰えないと思っていたからですわ…………それに、あんな事で貴方との約束を破った私が許せないのです。言い訳紛いな理由で、貴方に許されたくなかったのですわ!」
「っ……」
今度はオレットが狼狽える。
「……ずるいだろ、そんな言い方。これ以上何も言えないだろ」
オレットは右手で頭を抱えて、そう言った。
「リディア、虫のいい話かもしれねぇが、もう一度その……友人として、一緒に居てくれないか?」
オレットはリディアから目を逸らし、頬を掻きながらそう言った。
「……良いのですか、こんな私で?」
「ああ、俺の今までの言動を許せるならの話だが……」
オレットとリディアは、お互いに向かい合う。
「そんなの、私の罪と比べれば小さな罪ですわ」
リディアは微笑みながら右手を差し出し、握手を求める。
オレットはその握手に応じた。
「ふふっ……」
「どうした?」
「いえ、まさかこんな日が来るなんて、思っても見ませんでしたから」
リディアに釣られ、アッシュも「ふっ、そうだな」と鼻で笑って言った。
「おいおい、俺達のこと忘れてねぇか?」
アッシュが二人を茶化すようにそう言った。
オレットは手を離し、ベッドから立ち上がり俺とアッシュの方を向いた。
「こほん……あの時の事、すまなかった」
オレットが頭を下げる。
あの時と言うのは、俺達がグラウンドに来た時の事だろう。
「何だよ、情緒不安定な奴だな……ま、それぐらい、にすることねぇよ。な、エリー?」
「実際私達、Aクラスでは最下層だからね……」
オレットの言葉は的を得ていて否定出来ない。
「おいおい、そりゃ辛辣すぎんだろ」
アッシュは笑いながら言った。
「……ありがとう……」
オレットは顔を上げ、感謝の言葉を述べる。
その直後、保健室の扉が勢い良く開かれ、見慣れた銀髪の女子生徒が入って来た。
「エリカ姉さん、大丈夫ですか!?」
シフィーだ。
「イアン教官にエリカ姉さんが保健室に居るって聞いて……来たんですけど……」
俺達の姿を確認したシフィーは段々と声を小さくしていく。
シフィーに続き、イアンが保健室に入って来る。
「ったく、話は最後まで聞けって」
ズボンのポケットに手を突っ込んで、イアンが気だるそうにそう言った。
「あの、どういうことですか?」
俺達は互いに、状況を説明した。
シフィーは寮に帰ってない俺を気に掛け、カミラに俺の事を聞く為に職員室に行った。
その際、カミラに報告に来ていたイアンが、俺が保健室に居ることを伝える。
それを聞いたシフィーが、俺の身にも何かあったんじゃないかと思い込んで急いでここに来たと言う経緯らしい。
「す、すみません! 私、早とちりをしてしまって……」
シフィーが頭を下げる。
「あらこの方、確か……」
リディアは、考え込む仕草を見せる。
「ああ……確か……」
オレットも考え込む。
『あ、首席の!』
二人の声が同時に重なり、顔を上げ、シフィーを見るタイミングも同時だった。
「は、はい、シフィー・ヴァイス・ライト……です」
シフィーが頭を上げ、自己紹介をした。
「……やはり……」
「……? どうした」
ぼーっとしているリディアにオレットが疑問を抱く。
「……やはり、エリカさんの姓と同じですわ!」
「……!」
オレットがリディアの言葉で、唖然とする。
「全く、君はお姉さんの事になると落ち着きがなくなるね」
そこに再び、保健室に新しい人物が現れる。
その人物は、凛々しい顔立ちと男にしては長い金色の髪が目立つ、この学校の制服を来た男子生徒だった。
「貴方は……!」
リディアがその男子生徒を見て唖然とする。
「うん? ……ああ、久しぶりだね、リディア君。それとオレット君も。一年ぶりくらいかな?」
男子生徒は爽やかな笑顔を見せる。
「お、お久しぶりです! 殿下!」
「殿下、ご無沙汰しております」
オレットとリディアが改まって、小さく会釈をする。
もしかしてこの男子生徒は……。
「そんなに畏まらなくてもいいよ。ここでは君達と同じ、一生徒だからね」
男子生徒はそう言うと、こちらに歩いて来る。
「君がエリカ君だね? 君の話はシフィー君によく聞いているよ。是非とも君に会って欲しいとせがまれてね。良い機会だと思って、君に会いに来たんだ」
シフィーもこちらに向かって来る。
「エリカ姉さん、この方がユリウス皇太子殿下です」
やはり、この男子生徒が噂のユリウスか。
「……初めまして、エリカ・ライトです。殿下の事は妹から、存じ上げております。態々、足を運んでくださり、心痛み入ります」
こういうお偉いさんと会うのは疲れる。
だから、この人物とは会いたくはなかった。
「ああ、私も君と会えて嬉しいよ。エレナ卿は元気にしているかな?」
「母の事をご存知なのですか?」
「もちろんだ、良かったらこの後……うん? そこの彼は……」
ユリウスは俺の後ろに立っていたアッシュを見て、近付いて行く。
「君、何処かで……」
ユリウスがアッシュの顔をまじまじと見る。
「人違いなんじゃねぇーの?こんなしがない平民をあんたが知ってるわけねぇだろ」
アッシュが挑発的な態度を取る。
「アッシュさん、失礼ですわ!」
リディアがアッシュの方を向いてそう言った。
「いいよ、リディア君。それじゃあ初めましてかな。私はユリウス・フォン・ユスティア、この国の皇太子だ。君の名前は?」
「……アッシュ・クレセント」
アッシュは仕方なさそうに、自分の名前を言う。
「アッシュか、いい名前だ。よろしく、アッシュ君」
ユリウスはそう言うと、右手を差し出す。
「……」
アッシュも手を差し出すが、その手は右手では無く、左手だった。
「ふ、おやおやこれは……」
握手に左手で応じる場合は、相手に敵意を示す、という意味だ。
アッシュは、ユリウスの事が嫌いなのか?
「なら、私もこっちで応えないといけないな」
ユリウスは右手を引っ込め、アッシュの手を左手で握る。
「……」
アッシュはすぐさまに、手を解く。
「……もういいか?」
アッシュはそう言うと、返事も待たずに保健室の扉に向かって行き、保健室から出て行った。
「アッシュ……?」
何だったんださっきの……さっきのアッシュの目付きは。
どうしてあんなに、怒りに満ちていたんだ?
「……殿下、俺も失礼します」
「ああ、良かったらたまには会いに来てくれると嬉しいかな。普段はSクラスの教室にいるから」
ユリウスの言葉にアッシュは「もちろんです、殿下」と不満げに言い残し、保健室から出て行った。
「……私達もお部屋に戻りましょうか?」
「そうだね、それじゃあ私達も失礼するよ。リディア君、エリカ君もまた」
そう言うと、シフィーとユリウスも保健室から出て行った。
「お前らも今日はもう帰れ。また明日の朝から授業があるんだろ? それにこの部屋の鍵も閉めたいからな」
イアンはそう言いながら、白衣のポケットから鍵の束を取り出す。
「そうですわね。帰りましょうか、エリカさん」
「うん、やる事も無いしね」
残った俺達も保健室から退出して寮に戻った。




