1章の2 手紙は果たし状だと聞いているけど
キラは、練習を続けている。
「夢じゃない! スシくん、夢じゃないですよ! Repeat again」
「夢じゃない! スシくん、夢じゃないですよ!」
スシは「あれ、今の、マヤさんのセリフじゃないか」と思った。
そう、これはスシが勝った後期生徒会長選挙の日、クロハから泥縄第二高校への復帰を聞かせられたマヤのセリフだ(「生徒会、ないしょの欠員1」6章の10)。
スシはそのときのマヤのまなざしを思い出し、ちょっと照れくさかった。
「夢じゃない! スシくん、夢じゃないですよ! Repeat again」
「夢じゃない! スシくん、夢じゃないですよ!」
もう一度繰り返されて、スシはまたちょっと照れた。
「夢じゃない! スシくん、夢じゃないですよ! Repeat again」
「夢じゃない! スシくん、夢じゃないですよ!」
スシはズッこけた。
「ちょっとちょっと、キラさん! なんでこのセリフだけ3回繰り返しなの? 何かの間違い? それともオレへのイヤがらせ?」
「さあ、キラとしてはわからないけど。これクロハちゃんが作ってくれた教材だから」
「クロハさんが?」
「そう。いっぱい吹き込んでくれたの」
スシは、スマホの声はてっきりマヤの声だと思っていたので、意表を突かれた。
(え? この声はオリジナルのマヤさんでなくて、クロハさんが声色を使って吹き込んだものなの? オレはクロハさんやマヤさんの声色なら自分で出したことがあるから、本人の声かどうか微妙な差異もわかると信じてたんだけど。それが単なる思い込みだったことにちょっとショック)
教材を作ったと暴露されたクロハは、スシから目をそらした。
(でもスシ思うに、3回も繰り返させるって、クロハさんはマヤさんのこのセリフよっぽど気に入ったのかな? それとも、感情が入っても声色を崩すことなく安定して出せる人になれるように、基礎を機械的にこなさせるための3回繰り返しなのかな?)
スシくん、そうねえ、このときのクロハはただ単にマヤのセリフを自分でしゃべってスシくんに聞かせて、からかいたかっただけかもね。からかい上手でないクロハさん。
キラはさらに声色の練習をこなしていった。キラが鸚鵡返しを続けるごとに、クロハ・マヤ・オロネの声色と、彼女たちがいかにも言いそうな内容を体得できているように、スシには思えた。
(声の周波数成分の分布から言って、女子同士の声色は男子同士より似せやすいのはわかる。キラさんは、オレが女子の声色を出すより楽に発声できているし、化身はともかく声だけならいい線いくかもな)
キラの再生していた音声ファイルが一通り終わったところを見計らって、スシがキラに話し掛けた。
「キラさん、化身したいの?」
「したい。ほかの役員が全員化身できるのに、あたしだけ化身できないのはイヤだから。ちゃんと仲間になれていない気がするから」
「キラさん、でももう化身する必要なんてないんだよ?」
「必要がなくても、化身できるようになりたい」
スシは、化身を求め化身に熱くなるキラを、物珍しい目で見た。
「キラさん、化身できてどうするの?」
「スシくん、そんなふうに言って。あたしが化身するとイヤみたい」
「え、イヤということはないけど」
「でもスシくんだって前期は化身をやってたんでしょ? 化身するのに練習とかしてたでしょ?」
「オレは、最初のカニ書記長(中身スシ・役職は当時)化身のやり方だけは本人から具体的に教えてもらえたけど、次のクロハ会長(中身スシ・役職は当時)化身からはぶっつけ本番だったよ」
「でも頑張ったら化身できたんでしょ?」
「できた。でもオレはもともと女子みたいな声が出せるのが特技だったし、クロハさんと身長も同じくらいだったから」
「スシくんは『オレは化身に向いていた』と言っている?」
「うん、まあ、化身に向いていなかったわけではないかな」
「あたしに『オマエは化身に向いてない』と言っている?」
キラはいきり立ってツカツカとスシに近づき、スシの視界をふさぐようにして立った。キラにきつく迫られて、スシは言葉を選ぶ素振りを見せた。
「そうは言っていないよ」
「キラとしては、スシくんに『オレはできたけど、オマエはいくら頑張っても無理だ』って顔されるのはイヤだ」
「オレ、そんな顔してるかなあ?」
緊張感がないせいで、スシの顔はニヘラニヘラして見えた。
キラは少し残念そうな顔をした。
スシはキラの前で「待って」というような、両の手のひらをキラの前で広げて押しとどめるポーズをした。
「オレとしては、キラさんはすぐ女子役員の声色ならできるようになると思う。すでにいいとこ、できているとも思う。でも化身に必要なのはそれだけじゃないからね。化身に向かって進んでいっても、道を突き詰めていけば、遅かれ早かれ壁に突き当たるんじゃないかと思う」
「壁?」
「言いたかないけど、マヤさん、クロハさん、オロネさんとキラさんでは、身長差が大きい。11センチ差は厳しい。キラさんを、マヤさん、クロハさん、オロネさんと見た感じを揃えようとしても、やっぱり無理があるんじゃないかな」
「でもスシくんだって、自分と身長が違う人に化身したことあるでしょ?」
「確かにやったことはある。オレより身長が6センチ低い、163センチのキクハ教諭(中身スシ)への化身だね。でも、なぜ化身できたかというと、キクハ先生が普段ハイヒールを履いていて外見がオレらと同じ169センチくらいだったからなんだよ。オレらが先生に化身するときは、逆にハイヒールを履かないようにすることで、169センチの役員と並んだときの外見の身長差がなくなるように調整できたんだ」
生徒会室に、いきなりキクハが入ってきた。
「うわっ、キクハ先生、どうしたんですか」
「いえ、たまたま生徒会室の近くの廊下を歩いてたら、スシくんたちがわたしの話をしているような気がしたものだから」
「いえ、先生の話をしていたような、先生の話はしていなかったような」
スシがしていた話は、自分がキクハ教諭(中身スシ)に化身したときの話であってキクハ本人の話ではないので、「先生の話をしていたような、していなかったような」というスシの言い分は間違ってはいない。
キクハは泥縄第二高校の女性音楽教師だ。スシが言うように、身長は163センチでスシたちより6センチ低い。左右の眼球間距離、前歯の歯並び、耳たぶの位置と形状、顔の輪郭などがスシたちと大差ないので役員が化身しやすく、前期にはクロハ、マヤ、スシがキクハに化身している。キクハが副顧問を務めるサッカー部の公式戦のときのクロハ(「生徒会、ないしょの欠員1」3章の5)と、録音スタジオで校歌制作したときのスシとマヤ(同・5章の8)で、いずれも学校の外である。
学校の中では、キクハに化身するのは難しい。
誰かがキクハ教諭に化身すると、キクハをキクハのままにしておけなくなる。本物と化身でキクハが2人重なるわけにいかないからだ。前期によく用いられた「化身入れ替え」(AさんがBさんに、BさんがAさんに、お互い化身し合う)という方法を採ろうにも、キクハは役員の誰にも化身できないのでうまくいかない。誰かがキクハに無理に化身しようと思ったら、一般生徒の目の届かないどこかに本物のキクハを隠しておかなくてはならない。
問題はそれ以外にもある。校内6カ所に整備されている秘密化身室のどこにもキクハの私服は用意されていないので、本人からいちいち借りなければならない。本人と同じように化粧もしなければならず、化粧品も本人からいちいち借りなければならない。
必要な準備が、生徒に化身するよりも相当大掛かりなものとなる。
そもそも、そこまでして生徒が教師に化身する必要性も薄い。
以上のような理由から、これまで学校内で役員がキクハ教諭に化身した例はないのである。
「スシですけど、キクハ先生、オレはキラさんに、オレが前に先生に化身したときの話をしていたんですよ」
「そうなの」
「そうなんですよ。では先生、ごきげんよう」
スシは、体よくキクハを生徒会室の外へおっぱらった。キクハがいなくなると、キラは再びスシの前に立ちふさがった。
「スシくんは、男なのに女の化身やったりしてるでしょ? あたしは確かに身長は158センチしかなくて、マヤちゃん、クロハちゃん、オロネちゃんより11センチも低いけど、みんなと同じ女だから。スシくんより、あたしの方がみんなに化身しやすい部分だって、ハードル低い部分だって、あると思うけど」
キラは、かなりムッとしていた。
「そうかもしれないけどさ、でもキラさんは、目鼻や顔の輪郭もオレらとちょっと違うし。別系統の美少女だし」
「美少女と言ってもらえるのはうれしいな。でも仲間から別扱いしようとするのは、うれしくない。ねえスシくん、別系統の顔だとしても、たとえばクロハちゃんがかけている、変装用と見まがう黒い大きなプラスチックフレームのメガネをかければ、クロハ書記次長(中身キラ)化身ならいけるんじゃないかな?」
「そういうふうに限定的にであれば、キラさんの化身が通用する場面が全くないとは言わない。でもオレらと同じように化身をしようと思えば、最終的にキラさんがつらい思いをすることになる。早めにほかの道をすすめるのも、化身の先輩としての優しさじゃないかと思って」
キラの目に涙が浮かんだ。
クロハとオロネがキラに駆け寄った。マヤは複雑な顔で、スシに寄りそった。
「スシくん、ちょっといいですか?」
マヤがスシを生徒会室から連れ出した。
スシがいなくなると、キラはぽろぽろ泣き出した。クロハとオロネがキラを慰めた。
「ううう。そりゃあムリかもしれないよ? 届かない目標かもしれないよ? でもあたしは、あきらめずに挑み続けるのを、スシくんに見守っていてほしいのに。うううう」
「クロハは思うけど、ちょっとスシくん上から目線かなあ」
「オロネとしては、他の人だったらともかく、スシくんだけは一生懸命な人にあんなこと言ってほしくないな」
クロハとオロネがキラに同調したことで、キラの泣きがさらに激しくなった。
「うわああん。あたしの化身を、スシくんに絶対認めさせてやるんだ! リモート画面で全身を映さないでやるとか、電話かけて声だけ聞かせてやるとか、どんな手を使ってもやるんだ!」
「クロハだけど、電話で声だけだと化身と言えるか微妙だけど。あと、電話で声マネするというのも、オレオレ詐欺みたいだけど。でもまあ、スシくんはちょっと女をなめている感じがなくもないかな。だってわたしら、これまで化身で女子役員相互のバスト8センチ差をなんとかしてきたわけじゃない? 身長11センチ差だって、全方位的視線はごまかせないとしても、工夫の余地はあるんじゃないかな?」
オロネは、そう言うクロハの胸のあたりをなるべく見ないようにした。
マヤとオロネはバストがDカップくらいで、クロハはスレンダーなモデル体型だ。オロネとマヤは前期にクロハ会長(中身オロネ/マヤ)に化身するとき、わざわざアンダーサイズのブラでバストを締め上げ、サイズを小さく偽装していた。
(オロネ思うに、クロハちゃんが真っ先にバストの話をするとは。あたしらはクロハちゃんに化身するときバストを小さく調整してたけど、クロハちゃんはひょうひょうとしているように見えて、実はそういうの気にしてたのかな?)
オロネはクロハの肩にポンと手を置いて、クロハの心理を探った。クロハは普通に明るくて、そんなふうに考えているようでもなかった。
「あ、いまクロハ考えました。スシくんに猛省を促す方法」
「どんなの? オロネに聞かせて」
「キラにもぜひ教えて」
「スシくんに役員女子一同で勝負を挑むの。わたしらのうち1人だけ化身して、何人かの本物と一緒にスシくんに見せて、スシくんに誰が化身か当てさせる勝負。われわれがスシくんを倒して、鼻っ柱を折って、殊勝な気持ちを取り戻させる」
キラの顔に明るさが戻った。
オロネも「面白そう」という顔をした。
生徒会室の扉が開き、スシがマヤに連れられて戻ってきた。マヤにガツンガツン言われたスシは、神妙な顔をしていた。
翌日の金曜日。昼休みの2年1組教室でキラがスシに声をかけた。
「スシくん、この手紙を読んでほしいな」
「えっ?」
スシはドキっとした。隣の席のキラが、何でもあけすけに言葉にするキラが、わざわざ自分に手紙を渡してくる。ひょっとしてこれは、
「あ、勘違いしないでね。ラブレターじゃないから」
「なんだ」
「でもスシくんがあたしのラブレターほしいなら、じゃんじゃん書くけど?」
スシはまたドキっとした。
スシがマヤの彼氏になれて、まだ18日。安定期に入ったとは、とても言えない。
スシは「そんなときにキラさんからラブレターなどもらったらどうしよう」と、もらってもいないのに心配した。
「だとすると、これ何の手紙なの?」
「果たし状だと聞いているけど」
「えーっ!」