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 精霊とは森羅万象に宿るもの。例えば水、火、木々の間、動物の背、人の営みの中どこにでもいて、どこにもいない存在。しかし気まぐれに小人や獣、時には魚や虫のような形をとって、人間の前に現れては一緒に遊びたがったり智恵を与えたりする。機嫌を損ねると災害を起こすことも、反対に機嫌が良ければ豊作を約束してくれることもある。そしてそのどちらもしないこともある。基本的には人間と同じような感情など持っていないとされている彼らの機微を感じ取るのは難しい。言葉を話すものもいるが、その言葉は聞ける者と聞けない者がいて万人が共有できるものではない。


 精霊王とは精霊の王。全ての精霊の根源であり、父であり母である。このルフレエトワール王国においては初代国王を助け国土を与えた神聖なるもの。何十年かに一度ふらっと現れては災いか幸いをもたらすもの。畏怖すべき尊い存在。私はそう習った。



《まあそう硬くならず。あの子の末とお話がしたかっただけなのだよ》



 事実は小説より奇なりと今や使い古された言い回しだけれど、本当にそうだった。精霊王がめちゃめちゃフランクで困る。洞窟に入る前の覚悟とか返して欲しい。すごく恥ずかしい。


 ただ精霊王と話をしているのは私だけだ。四人の内の三番目で洞窟を進んでいた筈の私は、いつの間にか一人ぽつんと精霊王の御前に立っていた。皆はと慌てて振り返ると水族館にある水槽の分厚いアクリルのような壁で隔たれた場所にいた。


 怪我などはしていないようであったので安心したものの、その後はこうやって精霊王の歓待を受ける羽目になって困惑すらも追いつかない。レオナルドたちにも別に精霊たちがつき、歓迎を受けているようである。ただし彼らは精霊の言葉が分かる耳を持たないので私以上に訳が分かっていないだろう。助けてあげたいけれど精霊王の機嫌を損ねる訳にもいかず八方塞がりであるが、今すぐに何か害があるようにも見えないので流れに身を任せている。



《あ、これ花たちがくれた蜜のジュースなんだ。飲む? 飲むよね?》

「は、はあ、頂きます」

《うんうん、お土産に持って帰る分も後で用意してあげよう。それでエレオノーラ、お前は最近どうなんだい?》

「ど、どう、とは…?」



 質問に質問で返してしまった…。気付いた時にはもう口から出てしまった後だ。前世から私はこうだった。話したいという欲望が抑えきれず、余計なことや言う必要のないこと、何も考えず疑問に思ったことをそのまま口に出してしまう。今の私は言葉を発することもそう多くないからあまり気にしていなかったが、悪い癖である。


 失礼な言葉を謝罪しようと焦るが、気にしてないのか精霊王はふわふわ浮きながら蜜のジュースを銀色の器に注ぎ手渡してくれた。洞窟の中であるのに何故か明るいこの場所は、あまり魔法が得手でない私にも分かるくらいには魔力を感じる。洞窟の壁に埋め込まれている石が輝くように光っているから、きっとそれが原因だろう。



《そこにお座りよ、お前たちは浮けないからなあ》

「あ、あり、がとう、ぞ、ぞんじま、す」



 促されるままに突如出現した蔦で編まれた椅子に腰かける。そしてまた促されるままにジュースを口に含んだ。それはとても甘くてでも嫌味が無く緊張していた体に染み込んでいく。



《うん、お前ね。最近おかしいから久しぶりに気になったんだ》

「おか、おかしい、で、すか(な、何が…?)」

《うんうん、話しづらいのなら考えるだけで良いよ》

「(え)」

《大丈夫、聞こえるさあ》



 折角の甘味で緩んだ緊張が戻って来た。そういえば夢で会ったお使い(精霊王が出した使いの精霊らしい)にも私は声を出して話してはいなかった。精霊って心の中が読めるのか。どうしよう、無になる訓練なんて受けたことない。



《怯えないで良いよ、お前が私に伝えたいと思うことだけを抜き取るからね》

「(あ、それなら…)」

《うんうん、よしよし良い子だね。お前はあの子に似ているから生まれた時から気になっていたんだけど、最近は更に何か混じったみたいじゃあないか。どうしたんだい?》



 生まれた時から目をつけられていたのは初耳だが、こうなっては言い逃れはできないのだろう。精霊王は変わらずふわふわと浮きながらすう、と目を細めた。人外の美しさは形容しがたい。美人に見つめられると心臓が痛くなる。



「(あの…)」

《うんうん》



 私は洗いざらい話した。今までのこと、前世を思い出したこと、これからのことへの不安。心の中で思うだけで伝わるのだから吃音もなくスラスラ話せた。声は発していないので、傍から見れば黙っている私とたまにうんうん頷く(相槌を打ってくれている)精霊王のよく分からない空間に見えるだろう。


 どのくらい話しただろう。腕時計の文化がない世界であるのでどのくらい時間が経ったのか計る術がない。前世でもよく話しすぎて気付いたら何時間も経っていたなんてこともあったなと少し懐かしく思った。しかしその度に相手には笑いながら「落ち着け」と諭されたものだ。その節は申し訳ございませんでした。


 また血の気が下がる。精霊王相手になんてことを。久しぶりに存分に、しかも隠し事をせずに話せることが嬉しすぎて感情が抑えきれなかったのだ。それでもやっぱり精霊王はふわふわ浮きながら何も気にしていないように見える。どういう感情なんだろうあの顔。



《ふうん、ふううん? つまり今のお前は今までのお前とは違うと?》

「(え、ええと、はい、でもあの)」

《私に言わせてみればね、エレオノーラ。お前は混じってしまってやっとお前になったのだと思うよ》

「(やっと、私に…?)」

《うんうん、心配したけれど大丈夫そうだ。お前はこれからも生きていけるよ》



 何の感情も籠っていないような声色で当然のようにそう言われる。精霊王がついと指を動かすと光っていた石が更に光りだした。



《ああ、この辺へのいたずらはね。お前をここに寄こす為にしていたことだからもう何もしないさ》

「(え)」

《お前の兄にもそう言ってあるから大丈夫。あの子の耳は聞こえが悪いからわざわざ私が夢に出てあげなければいけないんだよ、面倒だったなあ》

「(それは、大変申し訳なく…?)」

《お前が謝ることがどこにあるの、不思議な子だねえ。これをあげるから持っておいきよ。あの子にもね、お前たちの始まり、あの子にもこれをあげたのだよ。臆病でねえ、つつくとよく泣いていた。本当にお前はあの子によく似ているねえ、つつかれたくらいで泣いては駄目だよ?》

「(え、あ!? ありがとうございます!)」

《うふふ、とても楽しかった。また話をしにおいで、私はその辺にいるかもしれないしいないかもしれないけど。お前が呼ぶなら話し相手になるのはやぶさかではないからね》



 未だ銀色に煌々と光る石を一つ取って私に投げると、人間のように笑いながら精霊王は空気に溶けていく。彼が完全に見えなくなると、私が持つ石以外の光は消え去り後ろにあった透明の壁も消えたようだった。


―――


 あの後、ジルには泣かれネイサンからは睨まれレオナルドには無言で抱き上げられ(やっぱりお姫様抱っこでなく、片手で子どもを抱えるように)散々だった。しかも熱が出た。本当に散々だった。


 生まれてからずっと引きこもっていたのだから、洞窟で長話なんてすれば体調くらい崩すだろう。私がこうなったのだからとジルの様子を聞くと彼女は私の世話をしながら呆れたように「あの程度で風邪なんてひいていられません!」と怒った。…それで風邪をひいた私にそれを言うのか、一応主人なのだけれど、私。一応お姫様なのだけれど、私。



「エレオノーラ様、もう少しお召し上がり下さいませ。そんな少しでは治るものも治りません」

「ええ…」

「これだけ! これだけは召しあがらないといけませんよ!」

「…」

「そんな顔をしてもダメです!」



 熱っぽい体をクッションに預けて何とか座っているというのにジルはスパルタである。その不満が顔にも出ていたのだろう、彼女は私を見て「年の離れた妹より手がかかる」と言った。…私、お姫様なんだけど!?


 他の侍女たちはそんな私たちのやり取りを微笑ましげに見ているが、これは大丈夫なのだろうか。あの塔の中では私がどうにかできるのだがここには私の直属の世話係以外の者もいる。不敬罪とかに問われたりしないのだろうか。それならば気安いこのやりとりは、私も前世の友人を思い出せるので嫌ではないのだ。前世を思い出す前からジルはこんな調子で初めはとても驚いたし、姫である私にこんなに気安く話しかけてこの侍女は何か言われないだろうかと心配したものだ。



「妹さんが、いるの?」

「ええ、生意気ですけど可愛いですよ。妹も大きくなったら宮廷で働きたいと申しております」

「そ、なの。素敵ね」

「…エレオノーラ様は大きくなったら何になりたいですか?」

「大きく、なったら?」



 これだけは食べなさいと言われたカットフルーツを膝に置きながらふむ、と考えてみる。



「わたくし、これ以上、大きくなれるかしら」

「なれますわ、こーんなに大きくなられます! そうしたらどうなりたいですか?」



 ジルが大袈裟に腕を振り回す。彼女は標準的な身長だが腕の長さを合わせればそれなりの大きさだ。分かっているとも、これは夢の話だ。実現はしない、ただの絵空事。楽しい空想のお話。その証拠に彼女は妹に話しかけているような眼差しで私を見ている。


 彼女に私はどう映っているのだろう。引きこもりの我儘姫? 持て余された可哀想な子? それともただの食い扶持だろうか。何でもいいやと笑えてきて、そう思えるのはやはり精霊王の言う通り私が私になったからなのかもしれない。



「そうね、それなら…牧場、経営、とか…?」

「ぼ、牧場…?」

「ええ、カブとか育てたり、鶏とか飼ったり、あと、ほら犬とか馬とか…?」

「か、かぶ。鶏と犬と馬…?」

「牧歌的な、物語を紡いでみたい…」



 好きだったんだよね、あのゲーム。牧場育成ゲーム。勿論、実際の牧場経営があんな風にボタン一つで全て済むような簡単な仕事でないことは分かっている。でも夢の話ならいいじゃないか、乙女ゲームも好きだったけど育成シミュレーション系は総じて好きだった。これだけはと言われたカットフルーツを含んでかみ砕きながらぼんやりと思い出す。



「だ、誰ですか! エレオノーラ様に牧場で育つ子犬の本を読ませたのは!?」

「(そんなのあるんだあ…)」



 あ、この桃やっぱり美味しい。でももうしんどい。残すのは勿体ないけどしんどい。ダメかなあ。



「ええと、ほら、エレオノーラ様? そういうのもいいかもしれませんが、ほら、流行りのロマンス小説なんて良いと思いますよ? 王宮に帰りましたらご用意致しますね!」

「?…ありがとう?」

「あ、理想! 理想のご結婚相手とかいらっしゃらないんですか!?」



 ジルは恋バナがしたかったのか…。でも、もうしんどくて。



「理想…わたくし、結婚、するのかしら…?」

「え、あ…あの、なさると、思います。あの…きっと素敵な方となさいますわ!」



 ああ、しないという選択肢がそもそも難しいのか。



「ええと、そうね…馬と、犬…あと猫とか…飼ってもいいよって、仰ってくださる方が、いいわ」

「エ、エレオノーラ様ぁ…」



 あのゲームを引きずり過ぎたかもしれない。ああ、しんどい。


―――


 ジルと話をしていたのに目覚めたら朝だった。しかも日が昇ったばかりで窓の外はまだほんのり薄暗い。それでも耳をすませると誰かが働いている音がする。ああ、これらは全て私の為の労働なのだ。そう思うと王族に生まれただけで何もなさない自身が嫌で嫌で仕方がなくなる。前まではそう感じてしまって、それでも何も行動が起こせなかったが今は違う。違うと信じたい。


 精霊王も生きていけると言ってくれた。生きていかねばならない。前世を思い出さないままであれば私はもしかすると自身で自身を殺めてしまっていたかもしれない。学園に行く前に短剣を取ったかもしれない。ゲームのヒロインは強かった、私とは別の人だ。けれど今は違う。具体的に何をすべきなのかはまだ分からないがとにかく仕事をもらおう。行動あるのみである。…社交界は、もう少し待って欲しいけれど。



 別邸のまだ見慣れない自室は一階にあって、寝室から庭に出られるようになっている。明るくなりだした庭の草花が朝露に濡れて美しい。何だか近くで見て見たくなって、あのベランダ事件のように裸足ではいけないと靴を履いて薄いガウンを羽織りそっと出てみた。


 こんなことも前まではできなかったと苦笑しつつ、病み上がりだというつまらない事実も置いておいて散策をする。



「(王宮にはない花だ)」



 前世でも今世でも初めて見る花だった。真っ赤で薔薇に似ているけど少し違う。いや薔薇の品種の内の一つなのかもしれない。



「(ああ、やっぱり、外はいいなあ)」



 知らないことがあって見たことのないものがあって、特産品とかその地の美味しいものとか。前世の私はそれが好きで旅行も好きだった。今の私の外への恐怖が全てなくなった訳ではないけど、精霊王に「生きていける」と言って貰えたことがそれを和らげてくれた。



「(そろそろ戻らないとジルたちが来てしまうかしら)」

「…姫?」

「ひぇ!」



 いきなり声をかけられ驚いて振り向くとそこにはレオナルドが立っていた。昨日までのかっちりとした騎士服とは違って少しラフなシャツとズボン姿である。シンプルで装いであるのに色とりどりの花をバックに一つも見劣りしない。か、格好いいですね?



「お散歩でしょうか、しかしこの内庭は外庭からも見ることができます。その、少々軽装過ぎるのではないかと…」



 少し顔を赤らめてレオナルドが視線を泳がせるので、自分の恰好を確認する。寝間着に薄手のガウンだけだ。前世であれば、まあ…いや、前世でも駄目かもしれない。ネグリジェにガウン。人に見られたいものでも見せていいものでもないだろう。ついでに寝起きである。当たり前だが化粧もしていない、いや、この人そういえば私の寝起き何回か見てるな。



「も、戻ります。お見苦しい、ところ、を…」

「見苦しいなどと、貴女はいつだって美しい。しかしその美しさは万人に見せて良いものではないのです」

「ご、ごめんなさい…(騎士様のリップサービス怖い。でもそうですよね、お姫様が寝間着でうろうろしてたら駄目ですよね、すみません!)」



 視線を地面に移しながらぎゅっとガウンを胸元で握りしめる。ものすごく恥ずかしい。レオナルドはもう朝の支度を整えているというのに私はこんな寝起きのままでふらふら出歩いて。王族として努力していこうとした矢先にこれでは先が思いやられる。立ち去ろうと下を向いたまま歩こうとしてそれを止められた。



「失礼致します」

「え、え?」



 拒否する間もなく、ぐいと持ち上げられてしまう。こうやって抱き上げられるのはもう三回目だろうか、しかも今回はお姫様抱っこだ。え、何で?



「病み上がりでいらっしゃるのですから、お運び申し上げます」

「いえ、あの、あるけ」

「お運び申し上げます」

「(あ、純粋に怖い)」



 逆らってはいけない圧を感じ、口を閉ざす。多少目線と手が震えているように感じるのは移動に伴う揺れのせいなのだ、そうなのだ。



「…姫は」

「は、はい?」

「姫は花がお好きですか」

「え? …ええ、嫌いでは、ありません」

「我が家の領地には先程の花のように、王都では育たない花もございます。いつか貴女様をご案内する栄誉を与えて頂けますでしょうか」

「え」



 思わず顔を上げるとレオナルドは少し口元を強張らせて私を見ていた。ど、と心臓が一回大きく鳴る。どう返すのが最適なのか分からなくて空気を食んでしまったけれど、もう一度どうにか息を吸った。



「ありが、とう、ございます。楽しみに、しております」



 あれは社交辞令である。社交界であるならば二枚舌、三枚舌でも使い分けねばならない。彼は騎士であるけれど公爵家の人間だ、であるならば相応の返答をする必要がある。耳の後ろから血が流れている音が鳴りやまないが、どうにか昔に教育係から習った無難な返しを思い出すことができてよかった。まだ言葉は詰まっているけれど、きちんとお姫様のように微笑んで返事ができたのではないだろうか。


 空気が掠れるノイズがしたような気がしてもう一度レオナルドを見る。え、あれ? ちょ、ち、近――



「お許しを感謝致します、エレオノーラ様。このレオナルド、至上の喜びでございます」

「…(は?)」

「必ずや一番良い季節に一等美しいものをお見せすることを誓いましょう」

「…(はああああああ!?)」


読んで頂きありがとうございました。

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