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エレオノーラとして初めての公務は僻地(観光地)の視察となった。人見知りの治らない私には社交よりはまだましだろう。あの王宮から出るのは生まれて初めてであったけれど、見たことのない花や動物、大きな川や可愛らしいメルヘンな家々はとても面白かった。今までは本や絵の中でしか存在を知らなかったものがそこにある。初めての馬車移動に酔うかと思いきや、それらに夢中なおかげなのか今の所は何ともなかった。
「わ…(何あれ可愛い、兎? 羽ついてる? 魔法生物ってやつかな、えー可愛い!)」
「…。隊列止まれ!」
「え(しまった、またやってしまった…!)」
姫のしかも初めての公務であるからそれはもう大袈裟な人数が動員された。一個大隊くらいらしい。…多すぎませんか。この世界で生まれた癖に引きこもっていたせいで常識がすっぽ抜けている私には、もう何が正しいのかも分からない。普通なのかこれが、そう言われるとそうな気もする。けれどやっぱり役立たずの引きこもり姫に人数をかけすぎでは? しかも私の世話係はその数に含まれていない。プラスαとして追従してくれている人もそれなりにいる。
そしてその指揮を執るのは、かのレオナルド・シェール・ベルタンキャヴァリエである。私の馬車のすぐ横で大きな黒々とした愛馬に跨り指示を飛ばす様は、正しく絵に描いたような騎士様そのものだった。
「エレオノーラ様、こちらでしょうか」
「は、はあ…(いや、そちらですけど)」
レオナルドは隊列を止め私が見ていた兎に羽がついたファンタジー動物を捕まえてきてくれた。馬車から降りちいちい鳴いている兎(?)を受け取ると予想以上にふんわりと柔らかくて、最高級ビーズクッションを触っているような気分になった。
「かわいい、あり、が、とうございます」
よく見ると兎(?)の羽は鳥のようなそれでなく、ハートを二枚くっつけたような形でしかもふにゃふにゃしている。これで飛べるのだろうか、いや魔法生物なら魔法で飛んでいるのかもしれない。何故か人に慣れている兎(?)は猫のようにごろごろ鳴きだして小さな舌で指を舐めてくれた。はちゃめちゃに可愛い。可愛いけど。
「あ、の、もう、止まって頂かなくて、よいので」
「先を急ぐ旅でもありません。適度な休憩は姫には勿論、隊の者にも必要でございます」
そう言ってもう何回も止まっているのだ。日が昇る前に出発したのに昼を過ぎても、遠くではあるのがまだ王宮が見えている。全然進んでない。このままでは片道二日と言われたそれが一週間はかかってしまいそうである。先を急ぐ旅ではないと彼は言ったが、視察であるし公務である。だらだら物見遊山して良い訳がない。何度もそう伝えているが、私の語彙力とコミュニケーション能力では全く伝わっていないようだ。
止まる理由は様々だけれど総じて私のせいである。この兎(?)のような目新しい動物を見つけてしまったり、綺麗な建物を見ていたりしているとレオナルドはいちいち隊を止めて私を馬車から降ろしその説明をしてくれる。その頻度に誰かがきっと不満を覚えているだろう。姫である私にそれを悟らせるような者はとりあえず近くにはいない。けど、何か怖い。誰からも好かれたいとまでは思ないが、不興はできるだけ買いたくない。
「で、ですが」
「この兎のような生き物はキメラの一種ですが、古くからこの地域に根付いている為に古代魔術師が創ったとか精霊王が掛け合わせただとか伝承が多く」
「…(へえ)」
「完全に野生化しているので飼育は許可されていませんが、懐かれると良いことがあるとかないとか」
「え(どっち)」
「はは、あれば良いですね」
カラッと笑うレオナルドは乙女ゲームの隠しキャラとして完璧なまでの造形をしている。笑顔が眩しいってこのことを言うのだな、前世では生でここまで顔の良い人とお友だちになった経験がないから本当に心臓に悪い。…いや、まあ、私はヒロインなんだけれど、スペックだけは。
そろそろ行きますか、とレオナルドは私から兎(?)を受け取り野に放した。手を取られ馬車に戻される。エスコートをされるのはまだ慣れなくてどう手をとれば良いのか分からなかった。本やお稽古で一通り学びはしたけれど、私はゲームとは違い今まで一切の公務や社交を行っていなかったから実践経験が乏しいのだ。それをすぐに察したレオナルドは多少強引に私の手を引いてくれるので、傍から見ればおかしなことはなかっただろう。
ほぼ知らない人たちとの旅となるから、行くと宣言してから自身で決めたにも関わらず緊張でずっと手が震えていた。しかしレオナルドは旅が始まってからずっとこんな調子で気にかけてくれる上に、教師のように知らないことを教えてくれる。騎士であるからか気さくとまではいかないけれど、私が緊張しないように言葉を選んでくれているようでもあった。
「(本当に良い人過ぎる。さすがご褒美ルートキャラ)」
恋愛感情があるかと問われれば、無い。前世の私であればこんな風に優しくされればコロッと恋に落ちただろうが、今世の私は姫である。王侯貴族の娘が結婚や恋愛に夢を見ては破滅なのだとしっかり教え込まれているのだ。
そもそもこのルートで私が持っている情報と言えば、大まかに相手キャラがレオナルドであることと溺愛・ご褒美展開である二つだけなのだ。どうして姫と騎士が恋愛結婚に至るのかが分からない。レオナルドは騎士としては最高位であるけれど、べルタンキャヴァリエ公爵家は彼の弟が継ぐ。私が彼に嫁ぐことで王家と公爵家に旨味はあまりないように思う。後、この人本当に独身なのか。結婚したという情報はなかったが…お子さんが二、三人いても不思議には思わないくらいの父性を感じる。
それにゲーム内のヒロインと私が色々と違うことも気になる。前世を思い出す前から私はヒロインと違う行動をいくつか起こしているし、ヒロインが行った行動をいくつか起こしていない。私は本当にあのゲームのヒロインなのだろうか、そしてこの世界は本当にあのゲームと同じなのだろうか。確かなのは私がこの世界で生きていること、他の人々も血の通った命ある存在であること、電源ボタンがないことである。そう思えばいくら私が彼を好きになろうと不毛な気もする。完全なヒロインでない私を彼が好きになるとも限らない。
舗装されている道だけれど自動車のように滑らかに走れない馬車の中で、ごとごとと揺られながら考えるのに疲れてしまった。何か見つけてまた止められてもいけないし、少し眠ってしまおうと目を閉じると同じ車内で控えていた侍女がブランケットをかけてくれた。
―――
なるほど片道二日とはよく計算されていたようだ。私たちは移動でありがちな賊やモンスターに襲われたりするイベントも途中の街でよく分からないクエストもなく、日程通りに目的地に着いた。あれだけ寄り道をしたのに(結局兎(?)の後も何度も止まった)二日で来られたのはいわゆるワープ機能のおかげだ。転移魔法というらしい。知識としては知っていたが実際使うのは初めてだった。
転移魔法は魔力の性質とその力が同等の場所に魔法陣を設置して使う。神殿のような建物の中にあるその魔法陣を踏むとあっという間に目的地に行くことができる魔法だ。ただ魔力が同等の場所を探すのが結構難しいらしく、そんなに多く設置できない。その上その魔法陣の場所に行くまでの距離と、目的地に行く距離を考えると出発点によっては利便性が悪いこともあるのであまり普及していない。今回は転移魔法を使う方が移動距離の短縮になるのでこちらを使ったのだ。
「エレオノーラ様、お疲れでしょう。本日は別邸にてゆっくりお休みください」
「ええ、ありがとうございます…(確かに疲れはしたけど、馬車に乗ってただけなんだよね)」
「…何か?」
「え、あ、あの、あ…皆さん、も、おつ、かれで、しょうから、しっかり、お休みください、と…(皆さんお仕事本当にお疲れ様です)」
「畏まりました、必ず伝えておきましょう。姫御自らの労いであれば皆も喜びます」
そうだろうか、そんなことはないと思うが。大袈裟に褒めてくれるレオナルドに曖昧に微笑んで侍女と一緒に屋敷に入った。昨日は貴族御用達のとんでもなく豪華なホテルに泊まったが今日の別邸もまあ豪奢なこと。…王族の別邸だから当然なのは分かっているが、どうも前世を思い出してからこのあたりの価値観が擦りあわない。今まで当たり前に使っていた数十万数百万するような食器も使うのがしんどい時がある。
いやいやいや、私は姫、私は姫。私がこういうの使わなかったら誰が使うんだ、あの食器作ってる職人さんだって売れなくなったら路頭に迷う。これは贅沢じゃない、経済は回すもの。贅沢じゃない、贅沢じゃ…ぜ、贅沢とは…?
「エレオノーラ様、すぐにお夕食にしてお休み頂けるよう整えますわ」
「ああ、うん…。いえ、今日はもう何もいりません。体を、清めて休みたいわ」
「まあいけません!」
そう声を荒げたのは伯爵家ゆかりの侍女だった。彼女は直系の貴族ではないが年も近く身元もしっかりしていると数年前から仕えてくれている。彼女のような侍女が数人いて、彼女たちになら、あまりどもらないで話すこともできた。心配してくれているのは分かるが柔らかなカウチに身を沈めるともう動きたくはなくなった。食欲より睡眠欲が勝っている感じで埃っぽいからお風呂には入りたいが、ご飯を食べる気分じゃない。馬車に乗っているだけではあったが、私はあの塔にずっと引きこもっていたのだ。基礎的な体力がない。この公務が終わったら少しは運動しよう。
「ジル、でもね」
「いけませんたらいけません! 簡単にスッと入るものをご用意しますので少しだけでもお召し上がり下さい!」
「ううん…(分かる、分かるんだけど、眠い…ああ、しんどい…)」
「眠ってはいけません! エレオノーラ様!」
「調理人の方にアイスクリームとか果物を…あ、この辺りって桃が採れたのではないかしら」
「早速取り寄せましょう」
「そんな(仕事を増やさないでいいよ、もう皆寝ようよ。皆疲れてるって、もう寝ようよ)」
「姫様、眠ってはいけません。先にお風呂に入りましょう」
桃は好きです。けれどわざわざ長旅で疲れている人を使いに出すようなことはしたくありません。もう休ませて下さい。と、きっぱりはっきり言えたのならば苦労はしない。侍女たちは私が何か言う前にさっさとお風呂に突っ込んで洗ってしまった。これも思い出してからは多少の抵抗があったが今更だったし、いきなり自分で全部やると言っても侍女が困るだろうから我慢する。
結局桃はこの地の物を誰かが用意してくれたらしく、侍女にお礼を頼むことしかできなかった。
「さあ、これだけは絶対にお召し上がり下さい」
「召しあがるまで寝てはいけませんよ」
「…(そんな、ご飯を食べない子どもみたいに言わなくても)」
ガラスの器に綺麗に盛られた桃とアイスクリームは可愛らしく美味しそうで、確かにこれくらいなら食べられそうだった。子ども扱いに少しいじけながら口に含んだけれど疲れた体に甘味が染みてぺろっと平らげることができた。その時点で眠気が限界に達したが、歯磨きだけはせねばと(この世界の歯医者は抜くことに特化している)必死に寝る準備を整え文字通りベッドに倒れこんだ。侍女の笑い声が聞こえたが、蔑みのそれではなかったのでそのまま意識は溶けていった。
―――
《ねえ》
「(う、ん)」
《ねえねえ、きみ、きこえているのでしょう?》
「(なにが?)」
《あのね、―――さまがよんでるから、いまからきてくれない?》
「(今からはちょっと、まだ夜だし)」
ああこれは夢なのだ。眠っているのに普通に会話ができている。吃音もでない。
《よるじゃ なかったら、いいの? じゃあ、あさになったら きてくれる?》
「(どこに行けばいいの)」
《あのね、ぎんのどうくつ、みずのひろばの したにあるの》
「(銀の洞窟…?)」
《そう、それでね…あ、だれか きちゃった》
「(どうしたの、待って)」
《だれか きちゃったから、もう いかないと》
「(どうして?)」
《ねえきみ、あさになったら きてね。かならず だよ―――さまが よんでるから》
手足がぬるい。ふわふわとした夢の住人は何故かいなくなってしまった。夢の中にとりのこされて一人ぼっち。もう少し眠ろうかなとまた力が抜けていく。
「姫! エレオノーラ様!」
「!」
大きな音がした。扉が無作法に開けられた音だろうと気付く前に名前を呼ばれて飛び起きる。あれ、私、何でこんなに汗をかいて。
「エレオノーラ様、エレオノーラ様! しっかりして下さい、エレオノーラ様!」
「え、あ、あ?」
肩を掴まれて揺さぶられてやっと視界が戻って来た。変わらず外は暗いけれど部屋には灯りがともされていて廊下が騒がしい。色々な声、侍女たちと男の人、騎士たちだろうか。緊張感があるざわめきで何がかあったかのようだ。
「な、なに、が(え、え? 緊急事態? 全員退避とか指示するべき?)」
「ああ、良かった。エレオノーラ様…」
「あ、レ!?」
声の限りに叫べない体で本当に良かったとこの時ばかりは感謝した。ベッドに乗り上げ私を起こしたのはレオナルドだったのだ。彼は夜も明けていないのにもう騎士服を纏っている。うん格好いい。軍服とか騎士服とかって良いよね。心底ほっとしたように眉が下がっている表情は初めて見た。
あれ、私、まだネグリジェなんですけど。何の意味もなさないのに自然と手が胸を隠す。人間切羽詰まると漫画や小説みたいな動きをしてしまうのだと学んだ。
「お休みのところ大変申し訳ございません。姫の眠りに何者かが侵入しているとの報告がございまして」
「あ、あ、あう(話を続ける感じなんですか!?)」
「夢で何かされませんでしたか、どのような者でした? このレオナルド、その不埒者を地の果てまで追いかけて必ずや息の根止めますとも」
「あ、あ…(え、物騒。そうじゃなくて、え、ちょ)」
「ああ、こんなに怯えて…。ご安心ください、姫。もう二度とこのようなことは起こしません…!」
「ひ、ぇわ(きゃーーーー!)」
抵抗する間もなく抱きしめられる。イケメンに慰められながら抱きしめられている。香水とかの良い香りじゃなくて、男の人の匂いがする。いや、そうじゃない、そうじゃない。これは事案だ。このときめきご褒美野郎。あ、違う違う。姫の! 寝室で! 騎士が姫を抱きしめるとか事案だから! しかも私未婚だし、未婚じゃなくても問題だけど!
「レオナルド様、エレオノーラ様は!?」
「侍女殿、大丈夫だ。ただ気が動転しておられる」
「まあ、姫様!」
侍女たちが入ってきてレオナルドは私から離れた。胸が、ああいや心臓がおかしい。不整脈かな? 顔を真っ赤にしている私を見て侍女たちはそれが何か外敵の仕業だと思ったらしい。慰められ美味しいハーブティーを淹れてくれた。眠れそうもないので着替えも行う。ただの視察だというのにとんでもないことになった。
…あれ、私。夢で何か、約束を。
空が少しずつ白みだし落ち着いた頃合いで、レオナルドがローブを着た人を伴ってまた訪ねて来た。そのローブには見覚えがある。宮廷魔導士のしかも上位者にしか与えられない濃い紫色のそれだ。威厳と威圧感あるローブであるけれど裾の部分に金や銀の糸で星の刺繡が入っており、子どもの頃は単純に綺麗で羨ましいと思っていた。
「この者は宮廷魔導士のネイサンでございます。エレオノーラ様の夢への侵入者を感知したのも彼で」
「ネイサンでございます、どうぞお見知りおきを。早速ですが姫様、夢で貴女様は一体何を見られました」
「おいネイサン」
「無作法失礼致します。ですが一刻を争うかもしれません、何卒」
人見知りの治りきっていない体がひゅっと息を飲んだが、そんな場合でないことは承知している。大丈夫、私は大丈夫。一国の姫様なのだもの、おとぎ話の王子様と結婚してめでたしめでたしで終わる絵本の住人ではないのだから。先程の感情との温度差で風邪をひくなと心の中で笑い飛ばして息を吸い込む。
「見ては、いま、せん。あ、あの、でも、お話を、しました」
「どのような」
うろ覚えの夢を一生懸命思い出す。そう、あれは別に敵意ある何かではなかった。
「水の、広場、のした? 銀の洞窟」
「水の広場、銀の洞窟…」
「呼んでるから、朝になったら…。ああ、そう、朝になったら」
「姫様、まさか」
「い、行かないと、約束を、だって」
「エレオノーラ様?」
「黙れ、レオナルド!」
顔から血の気が引く。見てはいない、けれどあれは。
「精霊、王が、よ、呼んでいると」
そう言っていた。
―――
そこからレオナルドとネイサンの動きは非常に早かった。当たり前である、精霊王はこの国を興した初代国王にこの土地を与えた存在で古くからの信仰対象だ。他の国では精霊は良き隣人、くらいの扱いであるがこの国では神聖なるものである。森羅万象に宿るものであるのでその辺にいる小さな精霊たちにまで頭を垂れることはないが、精霊王となると話が違う。
夢の中で言われた“水の広場の下にある銀の洞窟”はすぐに、この観光地の中心に位置する大きな泉とその地下にあるとされる洞窟のことを指しているだろうと判明した。あるとされる、とぼやかしているのはその洞窟の入り口が数十年前に潰れてしまっているからだそうだ。昔は泉の側にあった地下洞窟に通じる通路があったそうだが、数十年前の大雨で土砂が流れ込みそのまま入り口が潰れた。しかし特に観光名所でもなく、何か有用な鉱石が採れる訳でもなかったのでそのままにしていたらしい。そうなると夢で言っていた“銀の”という文言が気になるが、他に目ぼしい場所もないのでぞろぞろとそこへ向かう。
一人の方が良い気がすると言いかけたが、箱入り姫が一人で何ができると笑われそうで言い出せなかった。また私自身一人で行動するのは恐ろしかったので仕方がない。それでも大部分は別邸に残しレオナルドとネイサン、そして侍女のジルのみが私の側にいる。ジルは絶対に行くと聞かず威圧的なネイサンと大喧嘩のような議論を繰り広げ同行を勝ち取っていた。頼もしい限りである。その他は人を入れないように泉の周りの誘導や警護だ。仕方がないが仰々しいことこの上ない。
泉は大きく真ん中から噴水のようにずっと水が吹きあげていて、その周りを今は閉まっているが露店が囲んでいる。ベンチや東屋のような吹き抜けの建物もあり、実に観光地らしい景色だった。こんな状況でなければちょっと遊んで行きたいくらいだ。
「ネイサン、本当にここで合っているのか」
「合っていなければ困る、大体ここ以外にはない。不安ならばそのご自慢の足で駆け回って来い」
「何だと貴様」
「ちょっと! 喧嘩してる場合じゃないんですよ、お二方!」
私が言いたかったことをジルが全て代弁してくれるので便利だ。彼女は本来、侍女としての領分を超えるような言動はしないが、緊急事態ということもあってか遠慮や配慮というものを取っ払ってしまっている。そしてそれを私が許可した。レオナルドとネイサンも言われていることが正しいことが分かっているので何も言い返せない。
時間がないのだ。夢で私は《あさになったらきてね》と言われたのだ。答えを返した訳ではなかったが、精霊王が待っているのならば朝のうちに行かねばならない。約定を正しく結んだ訳ではなくとも精霊王の機嫌を損なう可能性があるというだけで一大事なのだ。
「いや、ああ、ここで合っている。下からの何か…魔力と、違うもの。何か…分からんが何かを感じる」
「ではともかく道を開けねば」
「! レオナルド、待て!」
「!」
RPGの隠し扉が出現したような重苦しい音と共に地面が揺れ、レオナルドの足元が崩れだした。すぐに飛びのいた彼は私とジルを庇いながら後退する。ネイサンは素早く皆に防御魔法をかけ自身は崩れた場所に駆け寄った。
「ネイサン!」
「当たりだ! 日が高くなる前に急ぐぞ、姫様と侍女殿をお守りしろ!」
「言われずとも!」
…。これ、乙女ゲームの世界じゃなくない? 私は勇者様の後ろを付いて行く系のお姫様だった? いや、うん、そもそもゲームじゃなかった。現実逃避をしつつ、ちょっと怖気づいて後ろに下がりそうになった私にレオナルドが振り返った。
「エレオノーラ様、ジル殿、私とネイサンが命に代えてもお守り申し上げます。どうぞご安心下さい」
「(命に代えてもとか言った…!)あ、の…」
「レオナルド様! エレオノーラ様はこの件でお二人がお命を落とされるようなことがあれば、それはもう一生悔やんでしまわれます! そしてそれに耐えられません! 何としてでも皆無事で帰らなければなりません!」
「それは…」
「お、ねがい、します、あの、できるだけ…!」
「我らが姫君の願いであるならばこのネイサン、否やはございません。参りましょう」
「っ! …できうる限りの努力を致します」
素早く答えたネイサンも言葉に詰まったレオナルドも苦虫を噛み潰したような顔をしていた。仕事なのは理解している、国の命運には代えられない、それでも命は重い。私には重すぎる。責任を持たねばならないのは理解している、けれど。この不安定な体と心で、もし何かあったら私は耐えられない。我儘だ、ただの我儘で保身だけれどジルの言った通りなのだ。私は姫だ、命を天秤にかけなければいけない時もくる。でも今はまだ許して欲しかった。できるだけでも構わないからその約束が欲しかった。
情けなさに唇を噛む。ああ、やっぱり外は怖い所だった。怖くて怖くて堪らない。だから私はずっとあの塔にいたのに、前世なんて思い出すから。
「まずネイサンが先導致します。次にジル殿、エレオノーラ様その後ろに私が付きます」
「畏まりました」
「は、はい」
「…あまり、思い詰められませんよう。精霊王直々の招待というだけです、王族の方々におかれましては珍しいことではないかと」
「数十年に一度ですがな」
「ネイサン!」
「本当のことだ! ですが、そこまで悪いことにはなりますまい。胸を張って下さいませ。貴女様は我らがお仕えする唯一の姫君でございます」
「精霊王も貴女様とお話がしたいだけなのかもしれません」
「そうですね、エレオノーラ様はそうそう外に出られませんから珍しかったのかも」
「…そう、かしら」
「ええ、きっとそうですよ! さ、参りましょう!」
自惚れることはできないけれど、励ましは単純に嬉しかった。上辺だけでもそう言ってもらえる地位にいるのだ、いつまでも甘えていてはいけない。我ながら簡単だなと思いつつおあつらえ向きにぽっかり空いた穴を見る。
「参り、ましょう」
読んで頂き、ありがとうございます。