第3話:紅枝先生は出張です
「うぃーす」
教室に入ると、既に来ていたヨードー、シキが手を挙げて応じる。
「どうじゃ後遺症の具合は?」
「いや、もう発症することは無いってさ」
あんなことを2度も3度もやられてたまるか。そうそう、昨日の帰り道にはサプライズがあった。実は数ヶ月前からウチの隣にすげーでかい豪邸の建設が始まっていて、
”こんな辺鄙なところに引っ越してくる酔狂なお金持ちは誰かしらね”
というフレーズが近所の奥様達の間で長らくコミュニケーション用語兼ミステリーになっていたのだが、ついにその謎に終止符が打たれたのだ。それがまぁ豪邸といっても日本人感覚の豪邸ではない。アメリカの何もない広大な平地にそれが1つ建っていても
”カイコクシテクーダサイ!”
とペリー提督に言わせしめるに違いないスケールだ。例えば隣に建つ俺のそこそこ大きな家を指指して
”オプションの掃除用具入れです”
とお茶目なギャグをかましても
”ああ、そうなんですか”
と実にスムーズに流されることは間違いない。もはや格差がありすぎて逆に経済評論家も格差社会の例としてピックアップできないレベルだ。サプライズというのは
「じゃ、また明日ねキョウ」
と一緒に帰ってきたマリサがその豪邸の電動式の巨大な門をリモコン操作してゴゴゴゴと開けて入って行ったことだ。貧乳ほどでかい家に住んでいるというマーフィの法則はこうしてまた真実味を増すことになったのである。
フーっと溜息をついて自分の席に座る。俺の席は窓側から、つまり左端から2列目で後ろから2段目のとこだ。前の席ではシキが難しそうなハードカバーの本を読んでいて左後ではヒロシが机に突っ伏して寝ている。机には紙が置いてあって
”親父が来たら起こしてください”と書いてある。
かわいそうだからずっと寝かせておこうか。左隣の空いてる席はアラーの加護により美月ちゃんの席だ。本当は別の生徒が座っていたのだが、俺が昨日ノビてる間、一番前の席にいた美月ちゃんに
"視力が悪いので園田さん、席を変わってもらえないですか?"
というイベントがあったようだ。これを神の加護と言わずして何と言おう? そして俺の真後ろではヨードーが熱心にPSPをカチカチと打ち込んでいる。
「リョフのC1は無双3の方が良かったのう」
と俺には良く分からない不満を吐露していた。
「おはようございます」
と黄色のリボンを揺らして入ってきたのは美月ちゃんだ。今日もポニーテールが良く似合っている。美月ちゃんはそのまま小さな歩幅でおしとやかに歩いてきて俺の隣の席に着いた。
「おはよう園田さん。今日も天気良いね」
と言ったもののいきなり天気の話とか白々しいと思ったのだが
「おはようございます京太郎さん。はい、本当に気持ちいいですね」
と花のような笑顔が返ってきた。意外に受けは良かったようだ。あれ? っていうか今下の名前で呼ばれなかったか?
「今日はクラスの役員を決める日でしたね」
そう言って机に筆記用具やルーズリーフを並べていく。ああ、そう言えば親父さんが昨日言ってたな。生徒会役員やら体育委員やらを決めるのだ。それが済んだら次は部活紹介でクラス単位で順番に回っていくらしい。野球や武道関係の部活はハードと相場が決まってるからテニスぐらいが自分に合うかもしれない。
「皆さん、おはようございますわ」
「「おはようございます八雲様!」」
やって来た妖怪猫かぶりツインテールにはいつの間にかファンクラブが発足していたらしい。皆目を覚ませ。彼らに愛想よく笑顔を振りまきながら、何故かこの妖怪は俺の右隣の席に腰を下ろすのだった。神よあなたがイエスなら俺はもはやサタンになります。
「おはようございますわ京太郎さん」
ニッコリと天使のような微笑み。なんだこの化けっぷりは。
「……」
ドゴ! 電光石火で制定カバンが視界を覆った。目が〜!! あ〜! ロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ大佐の気持ちが分かった!
「あらやだ失礼しました。つい手元が狂ってしまって」
いや手元以前にめっちゃ腰のヒネリ効いてたぞ!
「では改めておはようございます京太郎さん」
「おはようございます八雲さん今日は怪奇日食でしょうか世界が紅く見えます」
「まぁそんな余所余所しい呼び方なさらずに私のことでしたらいつものようにマリサとお呼び下さって結構ですわ」
くそ〜このツインテールめ調子に乗りやがって! その時すっと目元に桜色のハンカチが当てられた。すごくフローラルな香りが。って美月ちゃんが優しく俺の涙を拭ってくれていた。
「大丈夫ですか京太郎さん? 八雲さん悪気があってしたわけじゃないので許してあげて下さいね?」
いやむしろ悪気しかないんですけど。何てお人よしで優しいんだ。それにしてもこの展開。まさか美月ちゃんルートへの分岐フラグか!? よし選択肢だ。
1:「分かってるさ園田さん。ハンカチありがとう。今度新しいのプレゼントするからそれもらうね」キョウはハンカチを手に入れた!
2:「いや騙されたらいけないよ園田さん。この貧乳ツインテールは猫を被ってるだけで実はとんでもない化け……」キョウはツインテールの一撃により生き絶えた(BAD END)
う〜むここは後々のことを考えてマリサの化けの皮を剥いでおきたいが確実に死亡フラグが立っている。仕方ないハンカチだけ有難く頂いておこうと思ったがもはや足が限界だ。これ以上は骨が砕ける! いや、さっきからマリサが素敵な笑顔を美月ちゃんに向けて優雅に語らいつつも机の下で俺の右足をもの凄い勢いで踏みつけているのだ。いったいあの細い足のどこにこのようなパワーがぐぅぅ……。それにしてもマリサと美月ちゃんなんでこんな仲良いんだ? そういえば昨日の美少女コロニーでも一番会話が弾んでたのもこの二人だったなってもう無理足限界。
3:ハンカチ諦めてマリサルート。
1時限目のチャイムが鳴ると紅枝先生こと親っさんがバット片手に
「こらボケぇ!!」
とせっかく熱血教師に軌道修正しかけていた印象を台無しにしながら扉を蹴り開けて入ってきた。もはや突っ込むまい。シキに起こされたヒロシが号令をかけ、礼が済むと親っさんは白チョークでカリカリと黒板に役員名を書き始めた。
”保健委員(1名)、図書委員(1名)、生徒会役員(2名)、副委員長(1名)”
カタリとチョークを置くと簡単な説明をし、
「生徒会役員は投票で決めるんやけど、他の役員は希望者いたら手あげてくれ」
と募った。保健委員は健康診断の時の雑用と怪我人の付き添いが基本的な仕事だ。傷ついた時に介護してくれるのが可愛い女の子だと幸せ、と思うのは俺だけではないはずだ。ぜひここは美少女になってもらいたい。しかし基本的に暇かつ楽な役員であるため男子生徒の立候補者も多かった、が、ヨードーが手を挙げるとみんな引き下がった。
「何だかすまんのう皆。無事故に越したことは無いが、何かあったらワシが心を込めて手当てさせてもらう」
とお辞儀。
「そのときは白衣で頼むぜ!」
「ついでに色んな診察も頼むぜ!」
「俺は男でもいけるぜ!」
と男子生徒みんな納得のようだ。お前ら何か危険な勘違いしてないか? 最も暇なのが図書委員なのだが、週に1,2度の割合で放課後から閉門まで図書館の受付にいないといけないらしい。だから運動部との併用は難しそうだ。すぐに手をあげて応えたのがシキだった。他に手をあげるものもなければ異論を唱えるものも無くアッサリと決まった。まぁ適材適所な気がする。クラスから拍手が送られ、親っさんが加納志気と書いていった。さて次は生徒会役員を決めるため
”適当と思われる人物名を書け”
と記された小さな白紙が配られてきた。これでまず一人を決める。後の一人は投票で選ばれた1名が二人の候補者をあげ、その二人に決選投票を行って決めるようだ。ちょっと変わった決め方だな。結果は予想できていて、やっぱり黒板に投票数を示す”正マーク”を一番多く刻んだのは美月ちゃんだった。さて美月ちゃんがどの二人を選ぶのか実に気になるところだ。決定の拍手がパラパラと鳴り始めたころに
「あの、すみません」
と美月ちゃんが席を立った。
「どうしたんや」
との親っさんの問いに
「せっかく私を選んで下さった皆様には恐縮なのですが、出来れば副委員長をさせていただけないでしょうか?」
と答えた。最初に募ったときに立候補者のいなかった役員だ。実は黒板消しや花壇の水遣りや他にも委員長の代理など割りと地味な上に最も面倒くさいのがこの役員なのだ。美月ちゃんのことだ。誰も希望者がいなかったから敢えて選んだのだろう。何て良い子なんだ。親っさんはバットに釘打つ手を止めて。
「皆異論あるか?」
「ないです!」
「OKです!」
「美月は俺の嫁」
と皆納得したようだった。すると生徒会役員には僅差で2位になっていた……マリサが選ばれた。親っさんに呼ばれて大きなツインテールを揺らしながら黒板の前に行くマリサ。
「それじゃぁ候補者考えて二人の名前を書いてくれ」
とチョークを手渡されると、迷うことなくスラスラと丸字で書き始めた。
カタリとチョークを置いて。
候補者その1:後宮
まずは俺の名前だ。
候補者その2:京太郎
そして俺の名前だ。
一人ツボにハマって大笑いしてる親っさん。決選投票は行われなかった。俺怒っていいですか?
役員決めが終わり、
「部活紹介の時間なったら戻ってくるからな、それまで楽にしといてくれ」
と残して親っさんは扉を蹴り開けて
「俺が紅枝じゃクラァ!」
と無意味な自己主張をしながら出て行った。もう少しマシな出入りの方法はないものか。ツインテールは俺を挟んで美月ちゃんと会話に花を咲かせ、シキは黙々と読書にふけり、ヨードーはまたPSPにかじりついている。そうすると余っているヒロシと会話になるのが必然なのだが、しかし色気が無い。
「親っさんって家を出入りするときもあんな感じなわけ?」
俺の問いはごく自然なものだ。ヒロシは机に突っ伏したまま
「いや、普通に”帰った”とか”バット持って来たぞ〜”って入るね。ちゃんとドアも手で開ける」
と答えた。”バット持って来たぞ〜”が普通なのかという疑問はこの際おいて置くとして、確かに靴跡の残ったうちの教室の扉を見れば信じられないくらい常識な対応をしてると言えよう。
「でも昔に一回だけ、今みたいなノリで家に入ったことがあってな」
と言いながらヒロシはダルそうに体を起こした。
「その時はお袋に1週間家に入れてもらえなかったらしい」
これは意外な一面だ。
「へ〜、それって”惚れた弱み”ってやつ?」
”いいや”とヒロシは首を横に振る。
「怖い夫でも嫁だけには頭があがらん、っていうのは良く聞く話なんだが、うちの場合は違うんだわ」
「違うって何が?」
ヒロシはアクビをかみ殺して
「いや、何つうか親父がお袋の言うこと聞いてるのは嫁だから、とかじゃなくて純粋に”親父より強いからだ”って一回聞いたことある」
「誰から?」
「親父本人からだよ」
強さといっても色々定義があるわけだが、どんな計り方してもあのオバさんが親っさんより上って要素が見当たらない。
「基本的に自由奔放伸び伸び育てるってのが親父の教育方針らしいが”おかんだけは怒らせるなや”ってことだけは再三言われてきたな」
人は見かけによらないものだ。
例えば隣で猫をバッサリ被ってるこのツインテールのように。
「動物アレルギーですのでそんなこと出来ませんわ」
もしかして考え読まれてるのか俺。
「読んでませんわ」
美月ちゃんとの会話の合間をぬって不気味な空耳があった気がした。きっと俺も疲れているのだろう。
「上等じゃボケ! お前らの喧嘩こうたるわ!」
とグランドから威勢のいい声が聞こえてきた。
なんだなんだ? と俺もクラスのみんなもワイワイと窓側につめかける。グランドの中央にはうちの男子生徒が6,7人、それから学ランを着た他校の男子生徒が12,3人ほどいて睨み合っている。
「あれは武装高校の生徒ですね」
シキが答える。武装高校、そういえば登下校の電車で何回か見かけたっけな。名前に突っ込みたくてウズウズしたもんだ。
かつ上げ、落書き、自転車盗難、といったこのあたりで起きるトラブルにクレームつけたらそのほとんどがこの武装高校の生活指導室の電話に繋がるらしい。型にハマった問題校だ。それにしてもどうしたんだろうか。何やらお互いを口汚く罵っているが今一聞き取れない。
「一触即発の雰囲気ね〜」
俺の頭をまるで机のように肘を立てて見物しているマリサ。顔の左右で揺れてるツインテールを引っこ抜いてやりたい。
「私の聞こえた限りでは、”昨日の交流試合で桜花さんが投げた死球は故意に決まってます”と武装高校の方が言ってます」
真横では美月ちゃんが超美化して翻訳してくれた。なるほど、するともめてるのは野球部員か。どうりでうちの生徒が丸ボウズなわけだ(ちなみに武装高校の連中はモヒカンで統一)。
「シラ切んのええ加減さらせや〜!」
と武装高校のリーダーっぽいヤツが殴りかかった。それをきっかけに乱闘が勃発。砂煙を巻きあげながら殴る蹴る掴む投げ飛ばす。ワーワーと盛り上がるうちの野次馬達。すると
「ボケコラ何しとんじゃ〜!!」
と校舎からうちの担任が金属バットを持って弾丸の如く飛び出してきた。親っさん準備万端。その赤鬼ですら逃げ出すこと確実なあまりの剣幕にピタリと乱闘が止んだがお構いなしに武装高校の生徒も桜花の生徒もぶっ飛ばしていった。初撃を免れた生徒は”ヒ〜!!!”と蜘蛛の子散らすように逃げ出したが何故か担任は執拗においかけて
「ボケコラ男なら一度決めたことは最後までやり通せや〜!!」
と間違った教育論を唱えながら一人残らずぶっ飛ばして行った。これはヒドイ。こうして阿鼻叫喚の舞台の主演を親っさんが演じていると誰が通報したのか3台のパトカーがサイレンとともにグランドに到着した。そんなこともお構い無しにバットを振り回すこのチンピラは車から出てきた青い制服のお兄様たちに拘束されて
「証拠でも有るんかコラァ!」
と記憶障害を疑いたくなるような無実を訴えたのであるが、それもむなしく”H県警”と書かれた車に乗せられた。余裕綽々の現行犯。3台のパトカーの撤収と同時に救急車が5台到着し、哀れ親っさんの一撃を浴びて痙攣を続ける合計20名の被害者達はちゃくちゃくと回収され、グランドを後にするのだった。一連の光景をあっけに取られて見ているクラスメイトたち。ここで真の被害者はこの悲劇か喜劇かよくわからん舞台の主演を演じきった担任が、既に父であると公言されているヒロシ君であることを最後に申しあげておこう。彼の株はめでたくダダ下がり。窓枠でグッタリしている彼に声無きエールを送ろう。ヒロシよ、委員長よ、くじけるな。めっちゃ頑張れ。
騒動から半時間程経過した頃、”ガラガラ”と扉を開けて入ってきたのは新しい教師だ。見た目にここは突っ込ませてもらおう。アレにソックリだ。名前は伏せるが、お腹が減った子に自分の顔をその場でムシリ取って与えるアンとパンとマン(人)で出来た斬新なヒーローだ。水に弱いからという理由で世界の平和を守るという大義名分の輝いたパトロールは雨天中止。それがスーツを着ていると思ってくれれば的中率99%。先生は教卓の前に立って咳払いを一つ。
「え〜っと、紅枝先生はグランドで起きたトラブルの仲裁をされてましたが……」
敵味方問わず殴打するのは仲裁と言いません。
「突然出張が入りましたので、僕がその間担任をすることになりました」
強い! この学園の先生強い! 黒板に自らの名前を書く仮担任。
”面十日走”
読めない。全然読めない。
「僕はオモテ、トビソウと言います。苗字がオモテです。宜しくお願いします」
名前と見た目以外はまともそうな先生だ。
「これから部活紹介が始まりますので、皆さんついてきてください」
と言うと
「それじゃぁ、皆廊下に出て整列してくれ」
とヒロシが号令をかけ、部活紹介が始まった。