第9話:京太郎舞う
ホームルームが終わった放課後、特に用事もないのに俺はボケーっと食堂の椅子に腰をかけている。さっさと帰れという話なのだが、本日体育教師の桑田もといゴリラの哲郎君の勧誘により陸上部入部を果たしたツインテールから
”一緒に帰ってあげるから練習終わるまで待ってなさいよね”
という有難いお言葉を頂いたので、不本意ながらここに座して抹茶オーレのパックをストローで吸っているわけである。ヨードーは演劇部へ、シキは図書委員として図書館へ、ヒロシはバスケ部へ、そしてマリサは陸上部へ、と皆それぞれ打ち込むべき何かを見つけてまさに青春を謳歌しているというのに、俺はいったいを何をしているのだと今小さじ一杯の罪悪感と戦っているのだ。紙パックがベコっと凹んで空になったことを知らせ、俺は”燃えるゴミ専用”と書かれた青いキャッチャーミットに向かってストレート! 見送り三振バッターアウト! スリーアウト試合終了! エース後宮、甲子園決勝のマウンドで完全試合です! やったー! 切なくなったのでこの辺にしておこうか。俺はその場を離れた。
校門を出て時間つぶしに勤しんでいると何やら立山駅の駅前で頭悪そうな武装高校の生徒が15人程たむろしていた。やれやれ健全な高校生なら今頃は部活に汗を流しているだろうに全くすることないのかお前達。俺? まぁ深く考えるな。
「や、だからそんな。困ります私」
すごく聞いたことあるぞこの声。放って置こうと決めたチンピラ軍団をもう一度見ればその中央には大きなスーパーの袋を抱えたポニーテールの似合う小柄で可憐な……
「美月ちゃん!? 」
俺は一も二もなく走って行った。
さて不良たちに囲まれた美少女とそれを救うべく駆け出した正義感溢れる少年ことキョウタロウ君。夕暮れに染まったこの光景に君達はベタな展開だとか、お決まりパターンだと思っていないだろうか。いえいえ世の中そんな都合良くない。お約束の展開にするための条件はまず俺がここにいる連中をおおよそ5分以内に討伐出来るほど強く背が高くてイケメンであり、加えて番組の締めを飾るにふさわしい” 言葉をつつしみたまえ、君はラピュタ王の前にいるのだ”みたいな超クールなセリフをサラリと述べることが出来なくてはならないのだ。まぁ条件を満たすと言えばせいぜいイケメンというくらいか。そこ、抗議は受け付けない。つまりはこのシチュエーションは可愛い女の子が不良にナンパされているだけという世の中どこにでもある光景であり、俺はそういう場面にチラホラいる一般目撃者の一人に過ぎないということだ。
ともかく駆け寄って
「はいはいごめんね」
と美月ちゃんとチンピラの間に満員電車の中を通るような手刀ポーズで割って入る。
「またお前かコラァ!」
「何さらしとんじゃボケ」
何やら再会を喜ぶような野次も聞こえてきたのだが華麗にスルー。
「キョウ君……。帰ったんじゃなかったの」
美月ちゃんの目には不安、驚き、そして喜びといった感情が読み取れた。可哀そうに怖かったんだな。チラっと美月ちゃんの握っている大きなビニール袋の中を見るとスコップ、ハーブの種、園芸用の土袋などガーデニング用品が詰められていた。俺はそこで美月ちゃんが副委員長だったことを思い出した。その仕事には花壇の水やりが含まれているのだが、校舎前に置かれたプランターや花がその数とバリエーションを増やしていった理由はここにあったようだ。大方皆をびっくりさせたいとか可愛いこと考えて、放課後にヒッソリと近くのホームセンターまで買いに行ってたのだろう。全くこれ以上俺のハートを掴んでどうするつもりだ美月ちゃん。決めた。悪いがここはヒーローにならしてもらうぜ。ただし俺のやり方でな。
「さて君達……ぶは」
と振り返るや否や顔面にパンチ。KO。おお〜痛いぞなんでこんな短気なんだ脳みそまで筋肉かお前ら!?
「キョウ君大丈夫!?」
と尻もちついてる俺に寄り添う美月ちゃん。ある意味美味しいなこれは。この時間を楽しむためにも少しゆっくり起き上ろうじゃないか。ぐう痛え。美月ちゃんに脇を抱えてもらいながら立ち上がる俺は
「ありがとう園田さん。平気だよ」
親指立ててクールなスマイルを浮かべる。それに安堵したのか表情を少し緩ませた美月ちゃん……とか思ったら急に目を潤ませて、どうしたのだ? その時生暖かいものが口の端をスーっと流れた。しまった! 慌ててブレザーの裾で拭うとやっぱり赤黒い染み。余計な心配かけちまった、とか思うや否や
「パシ!」
という乾いた音。信じられないことに美月ちゃんが俺を殴ったチンピラにビンタをかましていた。俺もチンピラ軍団も呆然。そのまま美月ちゃんは今まで見せたこともないないような目つきで睨みながら
「あなた達は痛みを知らないから、こんな簡単に人に暴力をふるえるんでしょ?」
と強い口調で言った。その目には涙を溜め、反対側の手はキュっと握り拳を作って震えている。うむ正論だ美月ちゃん。でもそれは同時に間違いだ。言って分かる相手と分からない相手がいるじゃないか。しかしクソやっかいなことになったな、ビンタか。
「背は大きくなっても、やってることは幼稚で我儘で、かっこつけて突っ張って、人に迷惑かけて、恥ずかしくないの!」
美月ちゃんの怒声。それは俺も怯むほど、でもこれ以上刺激すると面倒だぞ。この沈黙はやばい。終わった後がやばい。そんな心配をよそに止まらない美月ちゃん。目から宝石の粒みたいな涙をこぼしながら厳しくでも決して馬鹿にするようなことは言わず真剣に、相手のことを考えた言葉で怒りを露わにした。
「たったの一度でも、そういうことしてる陰でお父さんやお母さんがどんな顔してるか考えたことあるの? なんで、こんな」
最後にそれだけを言って美月ちゃんは嗚咽を堪えられず俯いてしまった。よく頑張ったな美月ちゃん。美月ちゃんは優しいから、心が綺麗だからこんなヤツらですらも分かってくれると信じて思いの丈を伝えたんだろう。でも世の中そんな良いやつばかりじゃないんだよ。2度や3度痛い目にあって分かる奴、あるいはそれでも分からない奴もいるんだ。そんな俺のすれた予想はあたり、とうとう、チンピラどもが顔をあげた。俺の出番だ。身構える。人数は15人くらい。武器はなし。必死でやれば美月ちゃんくらいは逃がせるぞ。さぁ今こそ男になれキョウタロウ!
「悪かったよ……」
よっしゃ来いやチンピラども! まとめて民宿”三途リバーとババァの巣”に一泊2食付で招待してくれるわ!ってあれ? 何て言ったんだ? 言葉を発していたのは俺を殴ったハーフモヒカンのチンピラ。確かにこのベッカムもどき君、目はそむけているものの顔は俺の方を向いて言ったのだ。そして今度は美月ちゃんの方を向いて
「ありがとよ。殴ってくれて」
「えっ」
顔をあげた美月ちゃん。場違いな事を申し上げるが美月ちゃんの泣き顔、濡れたユリのように綺麗だ。
「警察にパクられた時もさ、思いっきり殴られたけど、かけられた言葉はクズとか社会のゴミとかばっかりでさ、
親からもこんなマジになって説教されたことなかったんだ。だから……」
と美月ちゃんの手形が残った頬を摩りながら信じられないことをおっしゃった。そしてあろうことかチンピラ軍団に振り返って
「俺もうバカやめるわ」
とだけ残して行ってしまった。そして
「そうだな、もう卒業しよう」
「父ちゃんに合わせる顔がねぇ」
「ううう、ごめんよママン」
「そろそろドラゴソボール改の放送だ」
「やばい録画してねぇ」
「OPだけで充分だろ」
「俺はニコ動で見るぜ」
などなど美月ちゃんの言葉に心を打たれて引き上げたのがなんと13人。まさかの展開だ。残るはたった2人。今の今まで気付かなかったが、残った2人のうち1人は前に学園に来てミユキ先輩にぶっ飛ばされた金髪リーゼントヘアだった。懲りないねあんた。前に吹き飛ばされたショックで折れたのか、格好良く肩でトントンしてる木刀にはガムテープの補修痕。さりげない哀愁を感じるぞ。そんな彼は肩をワナワナと震わせて額に青筋を立てている。まぁメンツは丸つぶれだな。本当に申し訳ないがザマーミロ。このリーゼントは
「何を綺麗ごと……」
とボソリとこぼしてから
「抜かしてんだコラ〜!」
と美月ちゃんに殴りかかってきた。やれやれどこまでいっても情けない奴だ。ハイ、俺の教訓発動。
”女に手をあげるな、手をあげる奴も許すな、美月ちゃんは俺の嫁(加筆)”
俺はそのあまりに直線的に振り下ろされた木刀(補修済み)を美月ちゃんに当たらないよう真横に捌き、柄ごと手首を掴んで足払い。受身を取らなかったせいで
”ボテーン!”
という実にブサイクな音をたててリーゼントは倒れた。あと打ち所が微妙に悪かったらしく股間を抱え込んでのたうち回っている。まぁ使う機会もたぶんないだろうね。
「キョウ君危ない!」
美月ちゃんの叫び声。いえいえ御心配なく姫君。既に背後に気配を感じていた俺はタイミングよく姿勢を低くする、案の上頭上を足が掠めていった。やれやれ後頭部に蹴りですか。当たったらどうするんだ全く。実にけしからん。俺はその脚が戻される前にガバっと開かれた足の付け根。明言は避けるが男子だけにしか存在しない二つの弱点に向けて
「見せてあげよう、ラピュタの雷を」
とスーパーデコピン(両手使用の大技。使い方次第で対物ライフル並の破壊力)。こうして俺の眼下には股間を抑えてのたうち回るバカ二人が出来上がった。あ〜かっこわる。俺は美月ちゃんの方をクルリと振り返って
「園田さんケガはないかい?」
と超クールに微笑んで見たら、何故かモヒカンがもう一人美月ちゃんの背後にいた。あれ? 計算違い? 悪寒がした。空気が凍って俺も周りも動きが緩慢になる。スローモーションだ。この感覚はまずい。俺は知っている。ちょうど台風の前の静けさに似ていて、それは最悪の事態が訪れる前に感じるあの感覚だ。モヒカンは銀色の鉄パイプをゆっくりと持ち上げ、俺を見守っていた美月ちゃんの背中に向かってゆっくりと振り下ろ……とっさに俺は美月ちゃんに飛びついた。その華奢な体をぐっと抱き寄せて覆いかぶさる。ゆっくり、ゆっくりと倒れていく中、後頭部には重たい衝撃を感じた。こ、これはヘヴィじゃないか。例えるなら河野ゲリラライブをS席で聞いたような衝撃!
”あ〜、やっぱりテレビみたいにうまくいかないもんだな”
と自分のあまりの格好悪さを笑ってしまった。目の前の美月ちゃんは”信じられない”というような顔をしている。そして悲鳴。いやいや大丈夫だよ美月ちゃん。俺はどんなことがあっても勝てない喧嘩はしないんだ。ウィンクを送る。あの胸を打つ演説をしてくれていた間、俺はただ呆然としていたわけじゃない。ちゃんと策は打っていたのだ、携帯で。そしてそれは成った。意識が沈みそうになって視界が霞む中、校門からもの凄い勢いで走りこんでくるシロクマが一頭。さぁ後は任せたぞヒロシ。くそ、美味しいところを持っていかれたか。安堵した途端、俺は深い深い底なし沼に沈んでいった。
頭が痛い。猛烈に痛い。最近大繁盛な”三途リバーとババァの巣”からチェックアウトして現世へ帰還。うつぶせになったままゆっくりと顔をあげたら周りには壮絶に寝像の悪いオッサンのごとく散らばったモヒカンが3名。どうやらクマはうまくやってくれたようだ。後でツナ缶でもやるか。
「フイー」
とタメ息。安堵した瞬間脱力。再び地面に体を預けてふと柔らかな感触に気付く。”何ぞや”と顔をあげるとゼロ距離に美月ちゃんの顔があった。きっと頭をやられたせいで距離感がおかしいんだな。やれやれ加減を知れモヒカン共。
「良かった。気がついたのねキョウ君」
とホっとしたような笑顔で目には涙。いや、俺の方こそよかったよ、なんせ美月ちゃんも無事だったのだ。鼻先に微かな吐息がかかった。思考停止。するとやっぱり俺が覆いかぶさってるこの柔らかで凄く良い匂いがするのは……美月ちゃん……? 距離感正常なんですか? もしね。そうだとしたらね。すごくまずいの。今気付いたんだけどさ。これ言ったらたぶんとんでもないことになるよ? でも言わないとダメよね? さっきから俺の右手がね。なんかすっごく柔らかくて暖かくて弾力があって丸みのある……。
「あの、キョウ君……。もし動けるならその」
と頬を染めて伏せ目がちな美月ちゃん。やっぱり視線の先は俺の右手が掴んでる……
「ジーザスクライスト!」
祈りとも奇声ともつかない声を発して脱兎の如く飛び退く。意識が覚醒したとたん後頭部に痛み発生アンド自分の置かれた状況に激痛発生。頭を抱えてのたうちまわる俺の横では美月ちゃんが立ち上がり、セーラーの乱れを整え、ホコリを払っている。お〜神よお許しください! 俺はあろうことか現人女神美月ちゃんに極刑もののの無礼を働いてしまったのです! 今まで積み上げてきた美月ちゃんルート突入のためのフラグがまさかこんな形で崩壊するなんて! あ〜穴があったら掘削して地球の裏側に突き抜けたい! 短い人生を呪っていると、スっと目の前に差し出された手。その先には夕陽を背負って微笑むポニーテールの女神様。美月ちゃんはノーマルっぽいけどやっぱり気まずい。俺がムリ。
「キョウ君。そんなとこで転がってたら風邪ひくよ」
返す言葉もリアクションも失ってそのまま沈黙していると
「ほらほら」
クスリと笑って、女神様は泥だらけになっている俺の手をそっと掴んで引っ張った。さすがの俺も足腰に力を入れて立ち上がり
「ありがとう」
とひとまず平静を装った。よし落ち着けキョウタロウ。まずは深呼吸だ。そして言うべき言葉はわかってるよなお前? 本当なら火あぶりか磔刑ものだぞ? 起死回生のチャンスを逃すな!
「よし」
と俺は美月ちゃんに向き直って頭を下げ
(ごめんなさい)
「御馳走様でした」
ちょっと東京タワーから飛んでくるわ俺。何やってんだこのファッキンキョウタロウ! こんな時に命がけのボケしてんじゃねー! これで俺変態確定じゃねーか! ほら! やっぱり目の前で美月ちゃんは俯いて肩を震わして……もうあかん。俺あかん。生きてて良い存在じゃない。世界からフェードアウトしちゃえ。むしろしたい! 後宮京太郎劇場完!
「ふふふ……」
突然美月ちゃんがもらした声は……笑い?
「あははははは」
とそのまま体を折ってお腹を抱えて大笑いしている美月ちゃん。
「もう、こういう場面で笑わせないで」
あっけに取られている俺をよそにお腹を抑えたままうずくまってしまった。美月ちゃん何のスイッチが入ったのだ。
「せっかく雰囲気良くなってドキドキしてたのにもう! あはははは……」
とひとしきりに笑っていた。え? 何今のセリフ? 美月ちゃんそれどういう意味!? 一人パニクる俺をおいて
「あ〜おかしい」
と立ち上がって伸びをした。向日葵のような笑顔だ。もしかして怒ってないの……? と一縷の望みを抱いた途端美月ちゃんは腰に手を当ててムっとして
「女の子を押し倒して胸まで触るなんて! キョウ君どういうつもり!」
やっぱりあかんかった! ワイは甘かったんや! 俺は慌てて
「さっきはホント事故でワザとじゃないんだ! とっさに飛び込んでえっと勢い余って倒れてその……」
と、満員電車で痴漢を働いたオッサンの口にするどうみても言い訳です本当に有難うございました、みたいな人生終了フラグを並べていると、急に美月ちゃんは俺の首に手を回してきた。それは鼻と鼻の先がつくような近さ。急激に心拍がハネあがる。目鼻立ちの整った端性な顔には優しい栗色の瞳。それが俺の目を見捉えて
「ありがとうねキョウ君」
小柄な美月ちゃんは背伸びをして俺の頬にそっとキスしてくれた。俺は表現抜きで顔が発火したかと思った。