俺の仕える主人③ ※アレク視点
咄嗟に閉じた目。しかし、一向に紅茶は俺の元までやってこない。そろりと目を開き、見開いた。
「アマリリス様!?」
「お兄様やめて…。アレクを虐めないで」
入れて少し経った紅茶。それでもまだ熱いのはわかる。呆然としたローレンス様が手放したティーカップからは湯気が上がっていたし、アマリリスさまの綺麗な白い肌が赤くなっていた。
「アマリリス様、お手当をしましょう!傷跡が残ります!」
共にいたメイドも慌てふためく。それでもアマリリスはメイドに掴まれた手を振り離し言う。
「ご主人様は弱い者を虐めないって、お父様は言ってたもん!ご主人様は守るためにいるの!アレクを虐めたらダメ!兄様はアレクのご主人様失格なの!」
痛いであろう赤い肌。それを我慢しつつ涙を流しながらローレンス様に強く言い放つ彼女の姿はとても格好良かった。
そんなアマリリスの姿をローレンス様は呆然と立ち尽くして見ていた。
「アマリリス様、私はもう良いのです。私なんかを庇う必要は無かった。」
「あ、アレクのバカぁ…」
そう言って彼女はワンワン泣いた。もちろん、掛かった紅茶が熱かったのもあるだろう。すぐさまアマリリス様はメイドに抱かれて患部を冷やしに救護室へ向かう。
傷が残ることを危惧したが、結果は大半がドレスに掛かっていた為、患部は腕と首であり、その患部も時間が経てば綺麗に治ったので今では傷跡1つもない。
傷が残ればと、温厚で取り乱すことがない奥様ですら慌てふためいたほどに。
もちろん、あの後俺はこっ酷く両親に叱られ、ローレンス様も旦那様と奥様に叱られたらしい。ローレンス様と俺の主従関係もこのままでは行けないという事で白紙になった。
ローレンス様自身の人を使う器量と、俺自身のローレンス様をお止めする器量がまだ備わっていないと判断された。
大きな扉をノックする。
「奥様、アマリリス様。アレクです」
「どうぞ、お入りなさい」
腕にまだ包帯を巻いたアマリリス様の姿。奥様は今回のことでは決して俺を責めたりしなかった。寧ろ逆に謝られたぐらいで、こちらがたじろいだ。
「アレク〜!」
「まだ痛みますか?」
包帯はあれども駆け寄ってくるアマリリス様。腕はともかく足は元気なようだ。
あの日以来執事の仕事を免除され、代わりにアマリリス様の様子を伺いに通った。俺を庇って怪我をしたアマリリス様には、本当に申し訳ないと思う。こんなことで罪滅ぼしにはならないと分かってはいるが、気が落ち着かないのだ。
「もう平気だよ。アレクお暇なの??」
「そうですね、暇になりました」
お暇を出されたと言うのが正しいかも知れない。最初は屋敷勤めなど嫌だと強く思っていたが、今では心の中にポカリと穴が開いたような気持ちになる。
「アマリリスは本当にアレクが好きね」
「好きじゃないよ?普通!」
純真無垢な裏表のない台詞が僕の胸をぐさぐさと傷つける。
「兄様のところクビになったの?」
「まぁ…そんなところです」
さっきから誰ですか、こんな純粋無垢な幼い子にそんな心の傷を抉る言葉を教えたのは。この年頃の子はスポンジのように何でも吸収するから、気をつけて欲しい。
「じゃあ、私の所に来る?」
「え?」
「私ならアレクを守れるよ!」
まさかの守備を勝手出たお嬢様。キラキラと笑う笑顔が眩しい。どうして俺が守ってもらう方なんだろうとつくづく思う。
「アマリリス様に守られるのは執事失格ですから、僕がアマリリス様をお守りしますよ。それではだめなのですか?」
「ダメなの!私の役目なの!」
このやり取りを見ていた奥様は、直ぐに動き出して数日後には正式にアマリリスの執事に俺を指名した。
奥様曰く『アマリリスはお転婆みたい。だから守ってあげてほしい』とのことだった。
お嬢様の執事になってつくづく思うのは、奥様が言ったあの言葉は正しかったと言うことだ。気付けば木登りをしていたり、気付けば屋敷から抜け出したりと今まで他のご兄弟がされた事のない事ばかりをやりのける。
ローレンス様とは違う苦労もあったが、何より俺自身がアマリリス様に仕えることになって、とても嬉しかったと心から思えた。
『家臣を守るのも主人たる努め』と信じ考え貫く彼女の姿に心を打たれた。勿論、実際にそのような事態にはさせない。ー…ただ彼女が精一杯守ろうとする俺の事が俺自身誇りにも思えるのだ。だからこそ、彼女の側で執事として生きようと胸に誓う。
たとえ、本当の心に鍵をかけることになようとも。
チリンチリンと鐘がなる。お嬢様と自室を繋ぐベルだ。お嬢様が俺を呼んでいる。手袋を深くはめ、自室を後にする。
きっと呼び出し内容はどうでも良い事なのだろうけれど、想像できて少し笑えた。