俺の仕える主人。 ① ※アレク視点
「アレクに怪我が無くて良かったわ」
そう言って笑っているお嬢様に俺は呆れる。お嬢様に怪我をさせてしまったのは、お嬢様に仕える俺の責任に他ならない。情けなくて仕方がなく、医者様から部屋を出るように言われたのを良いことに、俺はお嬢様の部屋を出て自室へ向かう。
「はぁ…」
自室に戻り少し血のついた手袋を交換する。お嬢様から流れた鮮やかな血の色が物事の重大さを表していた。
キャンベル家に仕える者には部屋が与えられる。勿論個室で待遇は抜群。それに、俺自身はこの屋敷で育ったようなものである。チェルタ家は代々キャンベル家に仕える家柄なのだ。両親もこの屋敷で衣食住を行なっている。
「はぁ…」
溜息ばかりが口を出る。
そう、俺の家とも言えるこの場所。今でも覚えている。お嬢様に仕えることになったあの頃の事を鮮明に。きっとお嬢様は覚えていないであろう昔の記憶だ。
今のお嬢様と昔のお嬢様は全く変わらないままで成長したらしい。もちろん、背丈とかそう言う話ではなく中身の部分で変わらない。
家臣を守るのが主人の務めだと平気で言ってしまう彼女は昔もそれを俺に言った。
普段は大人しく、物静か。勿論年相応でお喋りは好きらしいが、基本ご兄弟の中では聞き役に徹する彼女。そんな彼女が言う我儘は可愛らしいモノばかり。人に迷惑をかけると言っても俺ぐらいにしか掛からない迷惑だったりする。しかも、そんな我儘の最たるは"もっと寝させて"なのだ。
しかし、大人しいと思って甘く見れば行動力の高さにしてやられる。今回もそうだ。お嬢様は咄嗟に俺を庇い怪我を負ったし、勝手に部屋を出て、捕まった挙句自力で脱出した。犯人まで自分で見つけようとしていたし。
そんなお嬢様、なかなかいない。
別の意味で自分の事を棚上げにしてしまうお人好しな主人。それは良い意味でも悪い意味でも働いてしまう。今回は勿論後者である。
お嬢様を守れるようになると、俺は執事という仕事に従事する時に決めた。それなのに未だに2歳も年下の主人にまたも守られてしまっている事実が歯痒くて仕方ない。
出来れば箱入り娘のまま、収まっていて欲しい。何処にも行かずにニコニコと笑っていてくれれば何も問題はない。しかしそれはお嬢様の長所を奪ってしまうのも事実。
ふと思い出すのは執事を始めたばかりの事。まだローレンス様に仕えていた10年近く前のことだ。
俺は元々、執事をしたいわけではなかった。代々続くキャンベル家の使用人という家系の中、そのしがらみから抜け出したかった。そもそも、俺自身はキャンベル家に本来仕える立場でも無かったのだ。
チェルタ家の現当主は俺の父の兄である叔父が務めている。優秀な執事という印象が今になっては強く、あんな風になりたいと思う俺の憧れでもある人だ。お嬢様の父君であるキャンベル家当主に仕えている。
俺がまだ産まれる前に、長子のクロード様、その後のリリア様にヴァンス様が産まれ、その頃にはキャンベル家は子宝に恵まれて安泰だと言われていたらしい。実際、男児が2人いたので将来的不安はこの頃には無くなっていたのだろう。
…この後にまだ3人の子宝に恵まれて総勢6名の子供という現状の大所帯が形成されるなんて誰も考えていなかった。否、考えられなかった。
実際に子供が増え続け、このままでは執事となり得る人材が足らないとなった叔父と父は俺に白羽の矢を立てた。
「アレクレス、お前に任務を与える。
ローレンス様に付き従える様に」
「…はい、父上」
父はこの家に仕えていて叔父の補佐についていたし、母もここのメイドだった。何より、執事の仕事に就くと決めた年の離れた兄もいた為、周りの人間全てがキャンベル家に仕えており、特段大きく何かが変わったこともなかった。
しかし、将来の自身のレールが俺の意思とは無関係で決められてしまった事が酷く俺には重くのし掛かってきた。
やりたくない執事としての仕事を命じられ、4、5歳の頃からローレンス様に仕える形で給仕をするようになる。幼い為、特に何かが出来るわけでは無いが、要するに遊び相手である。幼い頃から信頼関係を築くというのを目的とした物であり、父や叔父とキャンベル家当主の仲はとても良い。
「アレク」
「はい」
「これ、わかる?」
ローレンス様はとても勉強熱心だった。クロード様やヴァンス様に追いつきたくて必死なご様子。1つ違いの俺で出来ることと言えば、一緒に悩みアドバイスする事だけだ。
…そんなローレンス様はとても危うかった。
きっと、焦っていたのだろう。
甘えたい心を無くして、ただ前にある課題に無心で取り組む姿を見て、俺は感じた。
…この張り詰めた糸が切れた時、この方はどうなるのだろうか?
そして、これは現実になってしまう。