夢を現実にしないようにするには。③
「…ここは?」
朦朧とした意識が鮮明になって行く。真っ暗な世界。光が全くなく、ここが何処かの判断が付かない。目が暗闇に慣れるまで時間がかかってしまう。
私のそばには誰もいない。口が覆われていない為、叫ぶ事も出来る。ただ動く事は出来ない。手と足が縛られている。手は後ろに、足は前に結ばれており、更に固定されている為立ち上がる事も出来ないのだ。
「うーん」
ごそごそと身体を動かす。
しばらくして目が慣れて来た。ここが何処か何となく分かった。私が閉じ込められているこの場所は地下だ。もう少し詳しく言うと地下のワインセラーの中だ。お父様の趣味の一つがワイン収集でその為に作られた屋敷の一部だ。
何処かに連れ出された訳ではないと知って安心する反面、この場所を知っている犯人に対して疑問を覚えた。ここはお父様が大切にしている場所で無闇矢鱈に人を入れない。私も片手で数える程しか入った事がない。子供の私だから用がある事は皆無だけれど、お父様に連れられて入る事がある。
「…ふーん」
ニヤリと顔が緩む。危機的な状況なのにも関わらずに不謹慎だとアレクがいれば小言を零しかねない。
何となくだけれど、犯人に心当たりが出てきた。
そしてそれは当たっているのだろう。
「…お父様がまた悲しんじゃうわ」
銘柄や種類、製造年ごとに綺麗に並べられた中にある2本だけ別に作られたスペースに置かれたワインたち。
そこには、兄様や姉様の生まれた年に作られたワインが置いている。これもお父様の趣味の一つ。お父様はここを子供達に見せ、決まり切ったように一言呟くのだ。
"大人になったらこれを私と一緒に飲んで欲しい。"
18歳で成人と認められ、結婚、酒などが許されるようになる。そして今は2本しかない。3本ないといけないのに1本足らないのだ。アマリリス、つまり私の部分に置くべきワインが無い。数ヶ月前に盗まれたのだ。お父様は嘆き悲しんだ。そんなお父様の姿は二度と見たくはない。
きっと、今回の犯人も同じ人間なのだろう。私に恨みを持っていてもおかしくない、たった一人心当たりのある人間。
「兎も角、早くこの部屋を出ないといけないわね」
スルリと縄が手から抜けた。縄抜け完了。お嬢様だからといって舐めてはいけない。公爵家の者達は護身用にこのような事も学ぶので、お手の物だ。手さえ自由になれば足の紐も解く事ができる。
反撃の時間の開始だ。
目が慣れたとはいえ暗闇には変わりない。目を凝らして壁伝いに歩く。ここは公爵家の一部であり、言わば慣れ親しんでいる。
頭の中で描く地図。目当ての棚にたどり着き、棚を強く引っ張ると子供の私の力でも棚は簡単に動いて隠し通路が現れる。
どの公爵家にもある隠し通路。危険な状況に陥ったりした時に逃げるためのキャンベル家の血を引き継ぐ者にしか伝承されない地図が、私やお兄様、お姉様の頭の中にも刻まれている。
「ここを通れば出られるわ」
隠し扉を開けると地上に登る階段が続いている。階段と言っても一段一段が高く急になっている階段。地図を思い返して出る場所を特定する。隠し通路は内緒の通路のため、なかなか使う事が少ない。と言うか人生初めてだ。そう思うと楽しくさえなってしまう。
…やっぱり、アレクには怒られてしまうわね。
階段をよじ登り出口に到達する。出口は出口であまり人目がつかないようにカモフラージュされている。出たのは中庭の中にある温室の一角。
辺りを見回すと庭師も誰もいない。使用人達はどうしたのだろう?急いで屋敷内へ戻る。今度は早歩きなんて物ではなく、全速力で走る。ヒールが走りにくいので途中で脱ぎ捨てた。
「はぁ…はっ…」
息が絶え絶えになる。致し方ない。ピリッと足に痛みが走るが多分石か何かで足裏を切ったのだろう。
…この屋敷、広すぎません?
屋敷内を走る。ひたすら走る。多分アレクは何処かで捕まっているのだろう。お姉様とお兄様の安否も心配だけれど、犯人からの恨みをかっている私に対しての扱いがあの程度であればきっと丁重に扱われていると思う。
右往左往して、心当たりのある所を片っ端から覗いて回る。最終、たどり着いた食堂。
全速力で走ってきたツケが回ってきたのか、足はガクガクと震えて呼吸がままならない。
扉の中から食堂を覗くと、アレクの姿があった。
…アレクだけでなく他の使用人が勢揃いしている。うちにこんなに使用人がいたなんてって思うほど沢山。
どうやらアレクは捕まっている訳ではなさそうだ。身振り手振りで他の使用人に話しをしているのが見える。ただし、歓談という安らかなものではなく緊張感を持った顔をしている。
そしてそこの中には私の姉や兄までも居るではないか。
「ローレンス兄様!シンディ姉様!」
みんな無事のようだ。思わず食堂の中に入ってしまう。
「アマリリス!?」
「お嬢様!?」
兄様も姉様も、アレクも、他の使用人達も鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。
「今までどこに居たのですか?お部屋に戻ればお嬢様はいらっしゃらないので、大騒ぎになったのです。」
「アレクが戻ってこないから探しに?」
「あれほど大人しくしているようにお伝えしておりましたのに、貴女って人はどうして…ん?」
怒りと安堵が入り混じった何とも言えない表情から一転、怒りが増したアレクの顔。
「…お嬢様、何故そんなにボロボロな格好をされているのですか?」
「えへ」
「笑って誤魔化さないで下さい。…捕まっていたのですね、それで一人で逃げてきたと」
手首を掴まれ、縄の跡をジロジロと凝視される。アレクの顔はもう鬼のように恐ろしい。
隠し通路は屋敷内の中でも異空間だ。普段目にしないその場所にはチリが積もっていたし、埃も多かった。それに全速力で走った為顔や髪は埃と汗でドロドロと汚い。
「はぁ…犯人はもう捕まえましたから、屋敷内は安全になりましたよ。だから先ずは身なりを綺麗にしましょう」
ん?今何と?
犯人を捕まえた、とアレクは言った?
「アレク!貴方って人は…!」
「…何か?」
「いえ、何もありませんわ」
ここからが私の反撃タイムかと犯人逮捕にウキウキしていたのだけれど、相手はもう御用となってしまわれたそうで私は項垂れる。
「やっぱり、犯人って…」
「お嬢様は勘が鋭いですね。犯人は彼ですよ」
アレクが指差した先にいたのは、私が想定していたただ一人の人物の姿だった。
以前に見た時よりもボロボロとした風態。縄で括られ身動きの取れない姿ながらに私やアレクを鋭く睨む吊り目。私を連れ去り監禁した犯人。
「…久しぶりね、フレーゲル」
フレーゲルはキャンベル家に出入りをしていた業者であり、主に飲食物の取引をメインに行っていた。今は無職だと思われる。前はもっと綺麗な格好をしていたので、今と昔の彼が同一人物だと分かる者も少ない。
「あんたのせいで俺の商売は狂ったんだ!だから俺はあんたを!」
「そんなの貴方の自業自得よ」
フレーゲルは過去に窃盗、横領を働いていた。最初は屋敷の小さな物を盗み売り捌く程度だったらしいが、その行為は段々とエスカレートしていき、最後に行き着いたのが父が私の為に揃えていたワインだった。
何となくたちやその他使用人達も備品の数が合わないなどには気が付いていたが、これが決定打となり犯人が見つかった。犯行が見つかった原因が私のワインだという事もあり、逆恨みされている。
…というか、犯人を告発したのも私だ。公にはされていないが、フレーゲルの出入りした後に備品が少なくなる事が多かったから分かったのだ。子供にわかるような陳腐な案で悪事を働いた自分が悪いだろう。そもそも、悪事は悪事だ。
その事実をフレーゲルが知るかは知らない。
きっと多分知らない。
父は私のワインが他所に渡ってしまったことをとても悲しんだ。だけれど、それ以上に父は優しかった。
騎士にフレーゲルを差し出す訳ではなく、ただの取引停止の処分で済ませた。ただし、キャンベル家と取引停止が大きな痛手となったのかは知らない。ただ、この様子から察するに職を失ったようだ。
「煩い煩い煩い!!公爵家に生まれて不自由も何もないお前らとは違うんだよ!俺らは!裕福で生活が保障されたお前らに俺らの気持ちがわかるもんか!」
「…貴方達の気持ちを分かるかと言えば、わからない部分が大きいわ。でも、人を陥れる気持ちは次元が違う話よ。私は知りたくも無い。」
「お嬢様、あまり近づかれないように。縄で縛っているとは言え危険です。」
私とフレーゲルの間にアレクが立つ。アレクは私と背が拳一つしか変わらない。だから、気づいてしまった。
「危ないわっ…!」
私には見えていた。フレーゲルの動きが、アレクに向かっていたことを。
無意識に身体がアレクの前へ飛び出す。ドンと言った衝撃が身体を駆け抜けた。縛っているが固定をされていないフレーゲルが、私に勢いよく体当たりをしていた。
視界がぐわりと捻じ曲がる感覚に陥る。痛い。痛みがお腹からじわりじわりと広がる。鈍痛。
姉様の叫び声が遠くで聞こえる。
兄様の慌てている声も、アレクが心配そうに私を見ている姿も、ぼんやりと見える。
そこで私の意識は途絶えた。