婚約者の条件④
「アーノルド様、いいえ、無礼を承知ですがアーノルドとお呼びしても良いでしょうか?」
「いやいや、寧ろ大歓迎だ。
出来れば敬語だって止めて欲しいぐらいなのに」
またも柔らかい笑みを浮かべ私を見る彼。ただし瞳だけは野獣のように力強い。深く息を吐き吸い、そして彼を見る。
「アーノルド、私は貴方とは結婚しないわ。私の返事はそれだけよ」
彼のことはどこか好かない。何故かはわからないが本能がそう叫ぶのだ。だからこそ、私は自身の直感に従うまでである。
「あぁ、やっぱり君は僕から逃げようとするんだね。アマリリスのそういう所が僕は逆に好きなんだけれど」
「…やっぱりって」
「大丈夫。振り向かせるから」
自信満々の不敵な笑み。私を狙う蛇である彼と獲物の私。だけれど私は蛇に睨まれて動けない蛙ではないわ。噛み付く鼠よ。
「…貴方なんかに、絶対に振り向かないわ」
「勝負といくかい?」
「望むところよ」
ー…そう、この返事をしてしまったのがいけなかった。
アレクに度々注意を受けていた事であり、散々痛い目を見てきたのに学習しない私。ここまで来ればただの考え無しである。
それに気付いたのは屋敷に戻ってからの事だったのだけれども。
「…お嬢様、事の顛末を簡潔に述べて下さい。10文字以内で」
「わたしにもさっぱりよ」
「見事に10文字ですが説明になってません。お嬢様は婚約したくなかったと言ってましたよね?それが帰ってきたら何故婚約になってるんですか!」
そう、屋敷に戻ってくる中でお父様は早馬を走らせて屋敷に言伝をした。つまり、私とアーノルドとの婚約についてである。あれよあれよと言う間に婚約の流れになってしまった。帰ってくれば婚約を祝う雰囲気が屋敷を包んでいた。
…嵌められたのだ。
「これは勝負なの!私は絶対彼を好きにならないもの」
「…お嬢様、詳しくご説明願います」
わぁ、久しぶりに見た。
笑顔で怒るアレク。…怖いです。
そして思い出しながらアレクに事の顛末を話す。売り言葉に買い言葉、反射条件のように答えてしまった後、アーノルドは私にこう言った。
『勝負するなら公平にしなければならないよね。アマリリスの事だから屋敷から出ないと言う強行突破に出そうだし、僕に会わない方法を取りそうだ』
ゴクリと喉が鳴り、目を晒してしまう。
会わないのであれば惚れようもないと思ったら私の甘い考えはいとも簡単に崩れ去る。
『君の考えはお見通しだからね。勝負といっても不公平になるのは違うんじゃない?僕だって君を本気で落とすつもりなんだから、それでは困る。というかアマリリス、君は僕に絶対惚れないと宣言したんだから、堂々と構えていても良いよね』
私の言った言葉を一語一句覚えていて、私の墓穴を抉り取ってくる彼の言葉に何も言えなくなり、沈黙。
『僕に惚れないのであれば、僕にどれだけ口説かれても惚れないのでしょう?だったら婚約っていうのも良いよね?』
『…絶対惚れないわ。だからアーノルドの口説き文句は意味がない物になるから時間の無駄よ。』
『それを判断するのは僕だよ。絶対って言ったのはアマリリスの方だから。僕は諦めるつもりもないよ。そんなに惚れない自信があるなら僕といて証明してくれたら良いじゃないか』
言っても言い返される。押し問答のような状態が続く。結局折れたのは私である。
『分かったわ!
勝負は公平にする!』
『ありがとう。婚約はどうする?』
『そんなの好きにしてっ……っ!?ちょっ…』
『ありがとう。じゃあ宜しくね、僕の未来の奥さん。』
手の甲へ口付けされ、足早にアーノルドは掛けていく。揚げ足取りである。前言撤回を申し込む前に彼の姿は目の前から消えた。私は呆然と彼が出ていった扉を見つめて放心。
『…え?』
暫くすると彼が戻ってきて、私たちの親を連れてきて婚約の報告をしていた。彼の父親であるレイモンド公爵がとても嬉しいそうな顔をし、とても間違えましたと言える状況じゃない。
『婚約者となれば、君を口説くのが当たり前にできるからね。変な虫もつかないし』
喋り込む両親を片目に私にしか聞こえないような小さな声で言う。
『…こんなの、ただの言い間違えよ。不公平だわ。』
『本当に君に好きな人が出来たら、婚約破棄はしてあげるよ。僕からアマリリスに差し出す条件の1つだ。もちろん虚言は無しだから、虚言と分かれば婚約破棄はしない。どう?』
『…どうって、この状況でそれを言うなんて、悪い人ね』
『策士と呼んでもいいよ』
『性格悪いわ』
そうしてそのまま、レイモンド家を後にした。婚約撤回が出来ぬままに、婚約の条件も有耶無耶のままに。
「…お嬢様、前々から重々お伝えしてきましたでしょう」
「わかってる!怒らないでアレク!」
「怒りませんよ。ただ、呆れてます」
どうしても少し止まり考えてから行動するのが苦手であり、突発的に行動をしてしまう。この前の監禁事件もそれが発端でもある。分かっているのだけれど、治らないのだ。
「大体、お嬢様はっ…」
アレクのお叱りタイムを中断するように部屋のドアが叩かれる。コンコンとリズムを刻んだ音の後、入室を求める侍女の声がする。
「どうぞ入って!」
アレクから逃げる為にもこの声は神の救世主…と思ったのもつかの間、侍女が持っていたのは一つの封筒。封蝋されており、遠目から見てもわかるそれはレイモンド家の紋章。
「旦那様からの言伝でアマリリス様宛に御婚約者様からのお手紙をお預かりしてきました」
八方塞がりだ。
手紙には"愛しのアマリリス"という宛名で達筆な文字で書かれていた。…どうしよう、ときめかないわ。どちらかといえば鳥肌ものよ。
「…これはこれは、熱烈ですね」
「アレク!見ないでよ!」
冷ややかな目で手紙を覗き込むアレク。‥なんだか私が悪いことをしているわけでもない筈なのに、悪いことをした気分になってしまう。
手紙の内容は要約すればこんな内容だった。
婚約への感謝と私への想い。そして曖昧だった婚約破棄をする際の条件を取り決めるのであれば、早々に会いたいと言うことであった。そして、この手紙は内密にという事が最後に念を押されていた。
「…アレク」
「どうされましたか?」
「紙とペンを用意して欲しいのだけれど、お願いしていいかしら?あと、今度アーノルドを屋敷に呼び出すから、その用意と」
「…お会いになるのですか?」
「勝負に逃げるなんて思われたくないもの」
ご丁寧に"会わないのは不戦勝と見なすからね"と私を牽制する言葉が添えられていた。それに条件のこともある。私だってここで逃げても良いことがあるとは思えない。
「ですが、お嬢様自身が筆を取らなくとも、私が代筆でも致しますが?」
「いいの。私が書くわ」
「日時はどうされますか?旦那様にもお伺いしてきます」
…決戦となれば早い方が良いわね。
「3日後でお願いするわ」
***
「お招き頂きありがとうございます。キャンベル公爵。」
仮面を被るのはお得意な様ですね。キラキラと幻覚が見えるほどのスマイル。流石です。おかげさまでそのキラキラが私を攻撃して来ているのです。
「いやいや、そんなに畏まらなくても良い。後は若い2人にお任せするよ。勿論、執事や侍女は近くにいるから用があれば気軽に呼んでくれて構わないよ。」
「お気遣いありがとうございます。」
気遣いとは言うけれども、単に彼らは監視である。…流石に私たちなどは若い、というか幼いので無いだろうが、婚約者であるが婚前でもある為、お手つきにならない様に設けられる。
…何故この間は居なかったのかは、単にレイモンド家のの体制にもよるからだ。だからこそ今回は家に呼んだ。父はお姉様にも同じような事をするのを知っている。これを利用しない手はない。
「アマリリス、今日はまた一段と可愛いね」
…だいぶ手抜きですが。
愛想笑いで迎え撃つ。きっと彼はそれも気づいてしまうのだろう。
出掛けるわけでもない、パーティでもないとなれば服の装飾も髪のアレンジも強くはしない。勿論、お姉様の手は加えられている。婚約者に会うのであればと力を入れそうなのを、珍しく抵抗して抑えてもらった。
お陰様でクタクタになりました。
これからが勝負どころなのにも関わらず。
「アーノルドは口が上手ね。そんな台詞を簡単に吐ける程に慣れていらっしゃるのね。」
嫌味ったらしく告げる。彼は驚いたような顔をしたと思いきや顔を綻ばせる。
「ヤキモチかい?僕がこんな事言うのはアマリリスだけだよ。」
ち、ちがーう!!!
…何故、そんな解釈になるのですか…。
「庭を見せてよ。キャンベル家も庭が綺麗だと父上から教えてもらったので、是非見たいんだ」
「ちょ、ちょっと待って!」
「何?」
「…今日の目的をお忘れですか?」
私の今日の一番の目的は婚約に関する話をする事である。それなのに彼は一向に切り出す気配がない。
「アマリリスに会うのが一番の目的だからね」
「…真面目にして下さい。」
「いつだって僕は真面目だよ」
ふわりふわりと掴まない舞った綿毛のように掴んだと思っても手から溢れる感じ。掴めない男だと強く思う。
「私との婚約を今すぐ解消する話をお父様に持って行ってもいいのよ?」
「そんなことしていいの?社交界で僕たちの婚約は話題になってるらしいから、今から撤回するのは大変だろうね。勿論王宮でも話題になっているそうだよ」
…3日前のことなのに?既に王宮まで?
目の前が真っ暗になる。
「貴方、広めたわね」
「何のことだか。母上に伝えたら簡単に王宮まで伝わっただけの事だよ。母上は王宮に顔が聞くらしいからね」
にっこりと笑う彼。確信犯でしかない。王宮がこの婚約を知るということは、国中が知っているという事。ここまでくると婚約解消というのはなかなか難しい。相手方、もしくは自身に不祥事などが無いことには。
「…婚約解消、絶対するわ。私は貴方に惚れたりしない。」
「それはこの前も聞いたよ。」
「だから、約束して」
これは、私から提示する婚約に対しての条件。契約に近い婚約解消に関する条件。
「1つ目は互いに想い人が出来た場合。2つ目は婚約者としての立ち振る舞いに互いに不釣り合いが出ると他が認める場合。この場合には婚約を解消するということを、約束して頂戴」
「もちろん。僕が提示する予定だった条件とも大きく変わらないからそれでいい。期限はそうだな…僕たちが18歳になって、結婚式をあげれるようになるまでだ。」
「わかったわ」
そういうとアーノルドが顔を近づけてくる。少しずつ距離を詰めて。
「あ、アーノ…」
息と息がぶつかる距離。
「…おやめください。アーノルド様」
「あぁ、いたの?執事くん」
アレクが私とアーノルドの間に立つ。
アレクの大きな背中に、安堵を覚える。
「アレク…」
見慣れた燕尾服。心許無く裾を掴むとアレクは驚いたような顔を一瞬して、直ぐにいつも以上に優しく笑う。
「お嬢様のお好きな紅茶でもお待ちしましょう」
アレクの紅茶は私の好きなものの1つ。
コーンポタージュの次に好きなもの。
「僕はもうお暇するよ。
本日の用は済んだし。…番犬の顔も拝めたし。」
アーノルドはそう言って屋敷から出て行った。ボソリと後で言った言葉は私には聞こえなかったけれど、アレクをじっと見ていたのは感じた。
アレクはその後とても優しかった。甘く甘く甘やかされた。私を気遣っての事だろうけれど、優しさが胸に沁みた。
…アーノルドといるのは疲れるけど、アレクといるのは楽だなぁとしみじみ思う。




