IMAGICA.5-02 《捕食者》
2017.12/2 更新分 1/1
そのモンスターは、きわめて不気味な姿をしていた。
上半身はカマキリで、下半身はムカデ。その尾の先にはサソリのような針が生えており、全身がぬめぬめとした銀灰色に輝いている。さらにその顔は、チューリップのつぼみのような形状をしており、目も鼻も見当たらない。
それで大きさは、上半身だけで三メートル、下半身はその倍以上にも及ぶ。そんな巨大な怪物が、無数にも思える足を蠢かしながら突進してくる姿は、まさしく悪夢そのものであった。
これまでのプレイでさまざまなモンスターを目の当たりにしてきたネムリでも、その姿はひときわ不気味に感じられた。
いや、これまで数多くのモンスターを目にしてきたからこそ、いっそう不気味に感じられるのかもしれなかった。
《イマギカ》に存在するモンスターたちは、どれほど禍々しい姿をしていようとも、あまり生理的嫌悪感を誘発されるようなデザインではなかったのだ。
また、その大きさにおいても、ネムリはもっと巨大なモンスターを討ち倒してきた。今や懐かしいステージ2のアンドロスフィンクスとて、単純な質量でいえばこのモンスターを上回っているはずであった。
しかし、それらのモンスターとこのモンスターは、何かが根本的に異なる存在であったのだ。
半分腐ったゾンビだって、巨大なイモムシじみたサンドクローラーだって、ここまで不気味に感じたことはない。この目の前のモンスターは、見ているだけで背筋がざわついてくるような、そんな不気味さを全身からかもし出していたのだった。
「『火竜の息吹』!」
と、ネムリが埒もない恐怖感にとらわれている間に、イーブが攻撃魔法の呪文を唱えた。
真紅の豪炎が渦を巻いて、怪物の巨体をからめ取る。
しかし、怪物は意に介した様子もなく、わさわさと前進し続けた。
「『地精霊の抱擁』!」
と、今度はロギが呪文を唱える。
相手の素早さを一時的に減退させる、状態変化の魔法である。
だけどやっぱり、怪物の動きに変化は生じなかった。
「本当に、魔法攻撃を受けつけないんだな。これで物理攻撃も効かないなら、不具合もいいところだよ」
「あんたね! そんな呑気なことを言ってる場合じゃないでしょ!?」
「カリカリしたって、道が開けるわけじゃないさ。……おい、キミをパーティに勧誘するぞ」
「は? こんな状況でパーティって、いったい何を――」
「パーティメンバーじゃないと支援できないだろう? このバトルが終わったら脱退してもらうから、遠慮をする必要はない」
イーブが舌打ちをしてからその要請を承認した瞬間、ロギは『風精霊の接吻』の呪文を唱えた。
ロギの掲げた剣先から生まれたエメラルドグリーンの輝きが、矢のような勢いでネムリとイーブとロギ自身の身体に吸い込まれる。
それは、味方の素早さを一時的に上昇させる、状態変化の魔法であった。
「そら、死にたくなかったら、何としてでも逃げきることだ」
三人は、普段以上の迅速さで、その場から離散した。
怪物は、迷うことなくネムリを追いかけてくる。
ネムリはそれこそ悪夢に見舞われた心境で、必死に逃げまどった。
「やっぱり、標的はあくまでもキミなんだな。それじゃあ、がら空きの背中に色々と試させてもらおうか」
そのような台詞の後に、ロギは『緋色の太刀』という声をあげた。
斬撃に炎系魔法の攻撃力を加算させる、魔法戦士のスキルである。
怪物と並走していたロギがその背中に炎の斬撃を叩きつけたが、やはりダメージポイントが表示されることはなかった。
「これも駄目か。それじゃあ、次は――おっと危ない」
怪物は、ネムリを追って突進しながら、尾の先の針をロギに繰り出した。
それを紙一重でかわしてから、ロギは『偃月閃』のスキルを唱える。
相手に与えたダメージをそのまま自分のMPとして吸収するスキルである。
しかし、それでも怪物の動きに変わりは見られなかった。
「装備、『魔女のブーツ』を『魔女のホウキ』に変更!」
と、今度はイーブの声が響く。
やがてイーブはホウキにまたがって飛来しながら、怪物の顔面に向けて『氷獣の牙』の呪文を唱えた。
氷雪をふくんだ烈風が、怪物の頭を包み込む。
しかし、その動きは止まらない。
イーブは『青のマジカルポーション』でMPを回復してから、続いて『風神の咆哮』と『雷神の咆哮』の呪文をたて続けに唱えた。
だけどやっぱり、結果は同様である。
狙いを首や下半身に変えてみても、この怪物にダメージを与えることはかなわなかった。
「くそっ! こいつは何なんだよ!」
イーブが、怒りの声をあげる。
その瞬間、怪物の尾が下からすくいあげるようにイーブへと襲いかかった。
ネムリは「危ない!」と叫んだが、それよりも早く、巨大な針がイーブの右ももに突き刺さる。
イーブは悲鳴をあげながら、地面に墜落した。
「こちらの攻撃は無効化されるのに、そっちの攻撃は有効なのか。こんな理不尽な設定はないな」
そのように述べてから、ロギは再び『風精霊の接吻』を唱えた。
状態変化の魔法を重ねがけしても、効力が増すことはない。ただ、継続時間がまるまる延長されるので、効果が切れる前に補強したのだろう。
そうしてロギがアイテムでMPを回復していると、ホウキに乗ったイーブが追走してきた。
「やあ。一撃で倒されることはなかったか」
「ふん! HPなんて、ひとつも減っちゃいないよ! ……ただ、右足が動かなくなっちゃったけどね」
ならば、『魔女のホウキ』で空中浮遊できるイーブでなければ、その時点で身動きが取れなくなっていた、ということだ。
走りながら、ロギは「へえ」とつぶやいた。
「参考までに、それで痛みを感じたりはしたのかな?」
「死ぬほど痛かったよ! まるで本物のナイフで足を刺されたような感覚さ!」
「なるほど。HPとは関係なく、痛みや麻痺を与えられるのか。ますます規格外だ」
ロギがそのように言ったとき、怪物がネムリに向かって前肢を振りおろしてきた。
巨大な大鎌の生えた前肢である。ネムリは「うわあ!」と叫びながら、横に飛んでその一撃を回避した。
「……たしかその鎌で捕らえられると、無条件で装備を解除されてしまうのだよね?」
「ああ、そうだよ! おまけに、むちゃくちゃ痛いしね!」
怪物は同じスピードで突進しながら、ぶんぶんと左右の大鎌を繰り出してきた。
ネムリは必死に、それをかわし続ける。
《イマギカ》の中なので疲労を感じたりはしないが、恐怖で足がすくんでしまいそうだった。
「ふん。このまま逃げきれそうなら鬼ごっこを続けてもよかったけど、そういうわけにもいかなそうだね」
「ど、どうしよう!? あれに捕まったら、もうおしまいだよ!」
「……仮にこいつが《イマギカ》のプレイヤーよりも高次元の存在だとしても、一方的にダメージを与えられるなんていうのは、あまりに都合がよすぎると思うんだよね」
「だったら、何だってのさ!?」
イーブがわめき声をあげると、ロギは「こうするのさ」と跳躍した。
宙を飛びながら、再び『緋色の太刀』のスキルを唱える。
炎をまとわせた斬撃が、怪物の振りかぶった大鎌の内側に叩きつけられた。
その刀身が大鎌の内側に触れた瞬間、バチッと玉虫色の輝きが弾け散る。
そうして、怪物は――初めて、その動きを静止させた。
「ふん。多少はダメージを与えられたのかな?」
立ち止まった怪物は、目のない顔をロギのほうに向けていた。
ロギは長剣をかまえつつ、すり足で距離をはかっている。
「あんた! 今、何をしたの!?」
「こいつの前肢の鎌と尻尾の先の針は、《イマギカ》のプレイヤーに痛撃を与えることができる。こちらに干渉できるなら、こちらからも干渉できるんじゃないかと考えたんだよ」
「よくわかんないけど、手の先と尻尾の先がこいつの弱点ってことだね!?」
イーブはくるりと空中で旋回して、怪物の尻尾のほうに回り込んだ。
そして、『雷神の咆哮』を尾の先端に放出する。
また玉虫色の火花が散って、怪物は忌々しげに尻尾を振り回した。
「どれだけのダメージを与えられているかはわからないけれど、無策で逃げ回るよりはマシだろう。ようやくバトルらしくなってきたね」
言いざまに、ロギは『炎の槍』の魔法を怪物の大鎌めがけて放出した。
右の大鎌にそれをくらった怪物は、左の大鎌をロギへと振り下ろす。
ロギは身をよじり、その大鎌にも斬撃を叩き込んでから、後方に飛びすさった。
「どうやら魔法ぬきの物理攻撃でもダメージを与えられるようだ。戦う気力が残っているなら、キミも参戦してくれないかな?」
それはもちろん、ネムリに向けられた言葉であった。
イーブは怪物の後方で、その尻尾の攻撃から逃げまどいつつ、必死に攻撃魔法を叩き込んでいるさなかなのである。
ネムリは怯みそうになる気持ちを叱咤して、恐るべき怪物へと突進した。
このエリアに閉じ込められているのは、ネムリだけだ。ロギもイーブもその気になれば、他のセーフティゾーンへと逃げることは可能なのである。
そんな二人がこれだけ身を呈して戦ってくれているのに、自分だけ逃げるわけにはいかなかった。
「スキル、『覇王撃砕』!」
渾身の力を込めて、『巨神の鉄槌』を振りかぶる。
それを大鎌の内側に叩き込むと、玉虫色の火花が盛大に弾け飛んだ。
あとはがむしゃらに、巨大なハンマーを振り回す。
もう片方の大鎌は、ロギが相手取ってくれていた。
イーブは回復アイテムを乱用しつつ、強力な攻撃魔法を放ち続けている。
どれほど攻撃を加えても、怪物の動きが鈍ることはない。
しかし――スキルゲージが回復したのちに、ネムリが再び『覇王撃砕』を炸裂させると、ついに怪物の大鎌が粉々に砕け散った。
「よし! こっちも尻尾を片付けたよ!」
と、イーブがこちら側に回り込んでくる。
それを横目に、ロギは再び『炎の槍』の魔法を発動させた。
それで、右肢側の大鎌も消失する。
大鎌と尻尾の毒針を失った怪物は、狂ったように暴れ始めた。
ムカデのような下半身で地面を叩き、丸太のような前肢をぶんぶんと振り回す。
そして――怪物は、つぼみのような口を開いた。
ぞろりと牙の生えた口が、大輪の花のように全開にされて、その奥に存在する巨大な眼球を露出させる。
ぬめぬめとした粘液にまみれた怪物の眼球が、迷うそぶりもなくネムリを見据えた。
その瞬間、とてつもない恐怖がネムリの背筋に走り抜ける。
数時間前、最初に襲われたときにも感じた恐怖である。
その不気味な眼球には、何か見る者の正気を揺さぶるような、おぞましい迫力があったのだ。
怪物は、ほとんど覆いかぶさるようにして、ネムリに襲いかかってきた。
横っ飛びでそれをかわすと、これまでネムリが立っていた場所で、怪物の口ががつんと噛み合わされる。
怪物は身を起こして、再び花弁のような口を開いた。
すると横合いから、イーブとロギがそれぞれ攻撃魔法を放った。
ぱっくりと開いた花弁の中にそれらが炸裂して、玉虫色の火花を散らす。
「その部分も攻撃は有効だぞ! ありったけの魔法を叩き込め!」
ロギとイーブは、立て続けに攻撃魔法を放出した。
怪物は、苦しげにのたうち回っている。
しかし、その途中でイーブの攻撃が止まった。
「ちくしょう、MPが切れた! あんたたち、回復アイテムを持ってたら、こっちによこしてよ!」
「ああ、やっぱりそっちでもショップのページを開けないのか。コハクタクも呼び出せないみたいだし、まったく厄介なことだね」
この熾烈な戦いのさなかに、ロギはそのようなことまで確認していたらしい。
ともあれ、ネムリが所有していたのはHPを回復するアイテムのみであったので、イーブの要請に応えることはできなかった。
『炎の槍』の呪文を唱えてから、ロギは後方に飛びすさり、ウィンドウを操作する。
「『生命のしずく』を一つずつ送った! ボクも回復アイテムはこれで弾切れだ」
『生命のしずく』は、HPとMPとスキルゲージをすべて回復させる、とっておきの高額アイテムである。
「どうして一つずつなのさ! あたしの魔法が一番強力なんだから、両方あたしによこしてよ!」
「だけどキミは、MPを全回復しても最大出力の魔法は二、三発が限界なんだろう? それならボクは、彼の攻撃力に懸ける」
ロギの目が、ネムリを見つめていた。
「武闘会を思い出せ。キミはこの中で、一番FPが高いんだろう? だったら、キミの攻撃が一番強力なはずだ」
ネムリは一瞬だけ迷ってから、『生命のしずく』を使用した。
枯渇していたスキルゲージが、それでフルチャージされる。
「くそっ! 『雷神の咆哮』! 『風神の咆哮』!」
イーブがやけくそのように、魔法を乱発する。
その攻撃は、狙いたがわず怪物の口の中に炸裂した。
「ほら、これで駄目なら、あとは全員で殴りかかるしかないよ!」
ネムリは無言のまま、地を蹴った。
イーブと戦った、あの試合を思い出すのだ。
自分は、この世界に適応している。それを信じて、ネムリは『巨神の鉄槌』を振りかざした。
花弁の口をくわっと開いた怪物の顔が、鼻先に迫る。
その漆黒の深淵じみた瞳を間近にすると、ネムリの背にまた悪寒が走った。
(大丈夫だ! 素早さで僕が負けるはずがない!)
粘液にまみれた牙が、上下左右からネムリに迫ってくる。
それを無視して、ネムリは怪物の眼球に『巨神の鉄槌』を振り下ろした。
「スキル、『覇王撃砕』、『飛燕の舞』!」
最大の攻撃力を込めた攻撃を二回、怪物の眼球に叩きつける。
その反動を利用して、ネムリは後方へと跳躍した。
玉虫色の火花が、噴水のように噴きあがっている。
それでもなお、怪物はのろのろとネムリのほうに迫ってきているように感じられた。
「しつっこいんだよ!」という怒声とともに、黒い影がネムリのかたわらをすりぬけていく。
それは、魔法使いの杖を振り上げたイーブであった。
「くたばれ、怪物め!」
玉虫色の火花を噴出している怪物の口のど真ん中に、イーブが杖の先を突き刺した。
その一撃で、怪物の頭部が砕け散った。
ネムリは地面に降り立って、『巨神の鉄槌』をかまえなおす。
『魔女のホウキ』に乗ったイーブも、そのかたわらにふわりと降りてきた。
怪物の全身に亀裂が走り抜けていき、そこから玉虫色の輝きがこぼれ始める。
そして――怪物は、凄まじい轟音とともに爆散した。
玉虫色の閃光が世界を包み込み、やがてそれが消失すると、怪物の巨体もこの世界から消滅していた。
「ざまあみろ! コンスタンツェの仇だ、怪物め!」
イーブがわめいて、杖の先端を地面に叩きつけた。
黒いマントに包まれたその肩は、何かをこらえるように小さく震えていた。




