IMAGICA.1-01 ログイン
2017.11/13 更新分 2/4
恒平が初めて《イマギカ》にログインしたのは、今から二週間ほど前のことであった。
もっとも、当時の恒平には何が何だかさっぱり理解できていなかった。
普段通りにベッドにもぐりこみ、普段通りに照明を消して、普段通りに眠りに落ちると――そこはもう、《イマギカ》における『はじまりの広場』だったのである。
(え……何だこれ?)
恒平は、呆然と周囲を見回すことになった。
高い塀に囲まれた、広大なる広場である。空はわざとらしいぐらいに青く、そのど真ん中に太陽が浮かびあがっている。さらには白い雲も配置されていたが、それは妙にのっぺりとした質感をしており、いかにも作り物めいて見えた。
塀は古びた石造りで、広場を丸く取り囲んでいる。広場の面積は、ちょっとした野球場よりも広大であったぐらいだろう。
しかし恒平は、その広さをなかなか実感できずにいた。
その広大なる空間は、奇妙なものたちによってびっしりと埋めつくされていたのである。
それは、美術のデッサンで使う木製の人形のようなものたちであった。
顔はのっぺらぼうで、ひょろりとした体格をしており、関節部分は球体で構成されている。ユーモラスであり、いささか不気味でもある、木偶人形どもである。
その木偶人形たちが、きょろきょろと辺りを見回したり、かたわらの木偶人形につかみかかったり、あるいは地面を這いずったりしている。それらは、意思を持つ木偶人形であったのだ。
しかし広場は、完全な静寂に包まれている。
木偶人形には口がないために、喋ることができないのである。
まったく事態も把握できないまま、自分の姿を見下ろした恒平は、また新たな驚きにとらわれた。
恒平の肉体もまた、粗末な木偶人形に変じてしまっていたのだった。
(何だこれ……夢にしては、ずいぶんリアルだな)
恒平は、指のない手で自分の頭を小突いてみた。
コンコンと軽やかな音色が響いたが、頭にも手の先にもわずかな振動が伝わってくるばかりで、人間らしい感触は得られない。それに、身体を動かすことは可能だが、あまり素早くは動けない状態に陥っているようだった。
周りの木偶人形たちも、みんなのろのろと動いている。
それはやっぱりユーモラスでありつつ、いささか不気味でもある光景であった。
『プレイヤーのみなさま、《イマギカ》にようこそ!』
そのとき、頭上からその声が響きわたった。
目をやると、奇妙な物体が天空に浮かびあがっている。
それは、モンスターといっても過言ではないような存在であった。
『わたくしは案内人のハクタクと申します。プレイヤーのみなさまを、《イマギカ》の世界にご案内いたします』
他の木偶人形たちも、その大半が上空を見上げていた。
ただ、脱力したように座り込んだり、赤ん坊のように這いずったりしている者も、けっこうな数が見受けられる。それでも、過半数は上空を見上げていた。
『突然の話でありましたので、みなさまもさぞかし面食らっておられることでしょう。しかし、何も心配する必要はございません。ここはみなさまの夢の中なのでございます』
ハクタクと名乗るその存在は、よく通る声でそのように語っていた。
白くて全身が毛むくじゃらの、人とも獣ともつかない姿である。ただ、あまり恐ろしい感じはしない。頭には牛のような角が、下顎にはヤギのような髭が生えており、白い毛に覆われた顔には三つの目――という異形であるにも拘わらず、その姿はどこか飄々としていて憎めない感じがした。
『《イマギカ》は、夢の中に作られた空想の世界なのであります。夢の中なのですから、何も危険なことはございません。また、現実世界でみなさまが目覚めれば、それで自然にログアウトすることがかないます。ですから、現実世界を離れたこの場所で、思うぞんぶん楽しんでいただきたく思います』
周りの木偶人形たちは、のろのろと手や頭などを振り回している。
きっと、わけがわからなくてパニック状態に陥っているのだろう。恒平とて、心の中では同じ気持ちだった。
(それじゃあ、もしかして……この周りの木偶人形も、みんな僕と同じ人間なのか? こんなにたくさんの人間が、同じ夢を見ているっていうことなのか?)
恒平は、そんな風に考えた。
すると、それに応えるように、ハクタクが言った。
『この場には、およそ15000名のプレイヤーさまが集まっておられます。よろしければ、なるべく大勢のみなさまに《イマギカ》の世界を楽しんでいただきたく思います』
「…………」
「…………」
「…………」
『この《イマギカ》に準備されているのは、胸躍る冒険と戦いの日々であります。モンスターの跋扈するフィールドに繰り出して、さまざまな経験を重ねつつ、現実世界では味わえない昂揚と悦楽にひたっていただきたく思います』
「…………」
「…………」
「…………」
『ですがもちろん、危険なことは一切ございません。モンスターと戦っても生命を落としたり、手傷を負ったり、それどころか痛みを感じることすらございません。あくまで安全なる環境の中で、冒険と戦いを楽しんでいただきたく思います』
「…………」
「…………」
「…………」
『それではまず、冒険の準備を始めていただきましょう。以降は、わたくしの分身めがみなさまをマンツーマンでご案内いたします』
巨大な毛むくじゃらの姿が、ふいに天空からかき消えた。
それと同時に、小さな毛むくじゃらの物体が、恒平の目の前に出現した。
さきほどのハクタクを二頭身にデフォルメした、ミニチュア版である。それは体長三十センチほどで、ふよふよと空中に浮かんでいた。
『わたくし、コハクタクでございます。プレイヤーさまを《イマギカ》の世界にご案内いたします』
可愛らしい子供みたいな声で、その物体がそんな風に述べてきた。
周囲を見回すと、すべての木偶人形の眼前に、同じものが出現した様子である。
もしもこの場に15000名の木偶人形がいるならば、15000体のコハクタクとやらが出現したということだ。
(何だよこれ……《イマギカ》って、いったい何なんだ?)
恒平が心中でつぶやくと、コハクタクの三つの目がきらりと光った気がした。
『《イマギカ》は、冒険と戦いを楽しむ仮想世界でございます。剣と魔法でモンスターを討伐するゲーム世界と認識していただければ間違いないかと思われます』
(ぼ、僕の心を読み取っているのか?)
『はい。他に質問がございましたら、ご遠慮なくどうぞ』
(そ、それじゃあ……モンスターを倒すって、具体的にどうすればいいのかな?)
『まずはアバターとキャラクターを作成していただき、そののちに装備を整えていただきます。すべての準備が整いましたら、バトルフィールドにご案内いたします』
(そこで、モンスターと戦うのかい?)
『はい。モンスターを討伐しながら、まずは「第一の町」を目指していただきます。そのミッションをクリアいたしますと、次のステージへの扉が開くシステムになっております』
(……本当に危険なことはないのかな?)
『はい。モンスターの討伐に失敗してHPが尽きた際は、自動的にこの「はじまりの町」に帰還することになります。そこで準備を整えなおして、再チャレンジしていただければと思います』
(HPって、ヒットポイントのこと? 本当に、ゲームの話みたいだな)
『はい。《イマギカ》は現実世界のMMORPGを模して創られた世界であるのです』
なんとも理解し難い状況であった。
恒平はしばし黙考したのち、違うベクトルの質問をぶつけてみた。
(周りの人たちも、みんな僕と同じ人間なの?)
『はい。《イマギカ》は、複数のプレイヤーさまが同一の場所でお楽しみいただける仕様となっております』
(人間同士の争いになったりはしないのかな?)
『はい。セーフティゾーンにおいてもバトルフィールドにおいても、他プレイヤーさまへの攻撃は無効とされる仕様になっております。プレイヤーさま同士のバトルが楽しめるのは、十日に一度の「イマギカ武闘会」においてのみとなっております』
(イマギカ武闘会? 何だい、それは?)
『「イマギカ武闘会」は、《イマギカ》における最大のイベントとなっております。日々の冒険とバトルで培ったプレイヤーさまの力を競い合う場でございます。もちろんそのバトルにおいてもプレイヤーさまの身が危険にさらされることはありませんし、武闘会を勝ち抜くとさまざまな賞品を手にすることがかないます』
(安全なのはありがたいけどさ、相手の攻撃をくらったらどうなっちゃうのかな?)
『モンスター討伐においても「イマギカ武闘会」の対戦においても、ダメージを受けた際は微かな衝撃として知覚されます。また、HPが尽きた際には一瞬だけ知覚が遮断されますが、肉体や精神に負荷がかかることは一切ないとお約束いたします』
(ふーん。それなら確かに、危ないことはないのかもね)
恒平の好奇心は、あらかた満たされた。
ということで、本題に入らせてもらうことにする。
(でもさ、夜はぐっすり眠らせてほしいんだよね。何とかこの場所から解放してもらえないものかなあ?)
空中に漂ったまま、コハクタクはわずかに身体をのけぞらせたようだった。
毛むくじゃらなので表情はわからないが、「ガーン」という擬音が似合いそうな仕草である。
『……プレイヤーのみなさまには、なにとぞ《イマギカ》の世界をお楽しみいただきたく願っております』
(うん、だけどさ、僕は明日も学校だから、なるべく疲れを残したくないんだよ。夢の中でそんな大騒ぎしてたら、身体がもたなそうだし)
『ご心配は不要です。《イマギカ》における活動が現実世界の肉体や精神に疲労感を与えることは一切ございません』
(うーん、それでも何とか解放してもらうことはできないかなあ?)
『ログアウトの方法はただひとつ、プレイヤーさまの肉体が眠りから覚めることのみでございます』
(……夢の世界に魂がとらわれて、一生目覚めないまま、なんてことにはならないだろうね?)
『もちろんでございます。わたくしどもは、あくまで夢の中における悦楽と昂揚をご提供しているばかりでございます』
(わたくしどもって、誰のことなのさ? いったいどこの誰がこんな愉快な場所を僕たちに準備してくれたのかな?)
コハクタクの目が、さきほどとは違う感じで瞬いた。
『まことに申し訳ないのですが、わたくしにはそのご質問にお答えする権限が与えられておりません』
(ああ、そうなの……)
『はい。心置きなく《イマギカ》の世界をお楽しみいただければ幸いでございます』
何から何まで、素っ頓狂な話である。
恒平は、心の中で深々と溜息をつくことになった。