IMAGICA.2-04 イーブ
2017.11/21 更新分 1/1
ネムリとロギはついにステージ2のゴール地点に達して、ステージボスとのバトルに挑んでいた。
場所は、ピラミッドの内部である。
ステージボスというのは、アンドロスフィンクスなる巨大なモンスターと、その配下である二十体のリザードマンであった。
「くそ、こいつは厄介だな! リザードマンの残りはあと何体だ!?」
「たぶん、半分ぐらいだね。でも、最初よりずっと手ごわくなってるよ」
じりじりと包囲の輪をせばめてくるリザードマンたちの姿を見返しながら、ネムリはそのように答えてみせた。
エジプト風の装束を纏って、剣と盾をたずさえた、いわゆるトカゲ人間である。魔法は使えず、力まかせの肉弾戦を得意とするモンスターであった。
彼らの主人であるアンドロスフィンクスは、背後の暗がりで悠然とうずくまっている。
こちらは人間の頭部に獅子の胴体を持つ、体長十メートルはあろうかという巨大なモンスターだ。
その瞳のない空洞の目が、オレンジ色の閃光を放出した。
その閃光が、リザードマンたちの肉体を包み込んでから、ふっと消え失せる。
「また強化魔法だ! 今のは、攻撃力の強化だな!」
これが、このモンスターたちの厄介なところであった。
アンドロスフィンクスは自ら攻撃を仕掛けてこようとはせずに、ひたすらリザードマンたちを魔法でサポートしているのである。
今のところ、確認できた魔法は三種類、攻撃力増加の『鼓舞』と防御力増加の『加護』、そして治癒魔法である『癒しの光』であった。
一定時間が過ぎると魔法の効果は切れるが、その前に新たな魔法が掛けられて、リザードマンたちを強化してしまう。この戦法によって、ネムリたちはこれまでで最大の苦戦を強いられることになってしまった。
「順番からいくと、次はおそらく『癒しの光』だ。これでまたダメージを回復されたら、たぶんボクたちのHPがもたない」
斬りかかってくるリザードマンに応戦しながら、ロギがそのようにつぶやいていた。
「こうなったらもう、イチかバチかだ。おい、リザードマンは放っておいて、アンドロスフィンクスを先に片付けるぞ!」
「ええ? だけど、さっきもそれで失敗しちゃったじゃん。あれで回復アイテムを使い果たすことになったんだよ?」
「ボクがリザードマンを引きつけるから、その間にキミがアンドロスフィンクスを仕留めるんだ。これで駄目なら全滅だから、その気で挑めよ」
そのように言い捨てるなり、ロギは『地精霊の抱擁』の呪文を唱えた。
これは、モンスターの動きを鈍らせる魔法である。地面から生えのびたたくさんの腕がリザードマンたちの身体をぎゅうっと抱きすくめてから、消えた。
「そら、素早さに特化したキミだったら、これで包囲を突破できるだろう? ボクのHPが尽きる前に、あのデカブツを仕留めてこい!」
「……わかった。最善を尽くすよ」
リザードマンの全員に『地精霊の抱擁』を使ったのだから、もはやロギのMPは尽きているはずであった。
なおかつ、MPを回復させる『マジックポーション』も、すでに残されていない。あとは残されたHPで、敵を殲滅する他ないのだ。
行きがけの駄賃でリザードマンの一体を殴り飛ばしてから、ネムリはアンドロスフィンクスに突進した。
アンドロスフィンクスは優雅に寝そべったまま、ゆらりと巨大な前肢を振り上げる。
その動きはいかにも緩慢で、素早さに特化したネムリにはスロー再生のように見えるほどであった。
「くらえ!」
この最終決戦に備えて購入した新たな武器、『ミスリル・ハンマー』を振り下ろす。
ネムリ自身の体躯よりも巨大なハンマーであるにも拘わらず、重いどころか『すばやさ』が10ポイントも加算される、『第一の町』では最強の武器のひとつである。ネムリはこの数時間で稼いだゴールドの大半をつかってこの武器を購入したのだった。
レベルも20まで上がっており、攻撃力は武器こみで三ケタを突破している。それらのすべてをぶつける思いで、ネムリは『ミスリル・ハンマー』を振り下ろした。
さらに、二度、三度と、アンドロスフィンクスの胴体を叩く。素早さに特化したネムリの前に、アンドロスフィンクスはいかにも鈍重であった。
しかし、アンドロスフィンクスの脅威は、やはり魔法である。
さきほども、リザードマンから逃げ回りつつアンドロスフィンクスに攻撃を仕掛けたところ、強烈な攻撃魔法で返り討ちにされてしまったのだ。
(だけどこいつは、一定の間隔を置かないと魔法を使えないはずだ。それに、攻撃魔法を僕に仕掛けてくれば、リザードマンに治癒魔法をかけるターンが後回しにされることになる)
だからこそ、ロギもこの作戦を決行することにしたのだろう。
リザードマンの何体かはネムリのほうに向かってきていたが、まだ『地精霊の抱擁』の効果が残っていたので、それから逃げることも難しくはなかった。
「おい! そろそろアンドロスフィンクスのターンだぞ!」
遠くのほうから、ロギの声が聞こえてくる。
それと同時に、アンドロスフィンクスの目が赤く輝いた。
ネムリは後方に飛びすさり、その攻撃を待ち受ける。
アンドロスフィンクスの口が開き、そこから真紅の炎が渦となって吐き出された。
攻撃魔法『火精霊の息吹』である。
ネムリは、渾身の力で跳躍した。
その右足が炎に炙られて、脳裏には『85pt』の数字が閃いた。
右足には、痺れたような感覚が走る。
しかしネムリの身体はすでに空中にあるので、右足はどうでもいい。
ネムリはスキルゲージが回復しているのを目の端で確認してから、レベル20で習得した新たなスキル『飛燕の舞』を発動させた。
『飛燕の舞』は、二回連続で攻撃をヒットさせる戦士のスキルである。
空中に飛び上がったネムリは、アンドロスフィンクスの顔面に『ミスリル・ハンマー』を二発くらわせた。
しかしそれでもアンドロスフィンクスは消滅せずに、牙の生えた口をネムリのほうにのばしてきた。
その鼻っ柱に、ネムリはさらに『ミスリル・ハンマー』を叩きつける。
素早さは、圧倒的にネムリがまさっているのだ。
それを信じて、ネムリは『ミスリル・ハンマー』を乱打した。
「くそ! いいかげんに、くたばれ!」
アンドロスフィンクスを殴った反動で壁まで飛んだネムリは、さらにそこから跳躍して、敵の鼻先に肉迫した。
ネムリなど一呑みにできそうな口が、牙を剥いて襲いかかってくる。
ネムリは下からすくいあげるように、その下顎を殴打した。
『クリティカル! 204pt』のダメージポイントがきらめき、アンドロスフィンクスが動かなくなる。
一瞬の静寂ののち、アンドロスフィンクスの巨体が黒い塵と化して消滅した。
そのまま急降下したネムリは、足もとで待ち受けていたリザードマンの頭にも『ミスリル・ハンマー』を叩きつけた。
ダメージが蓄積されていたらしく、リザードマンもまた消滅する。
ロギは少し離れたところで、孤軍奮闘していた。
『地精霊の抱擁』の効果は、すでに切れてしまったのだろう。リザードマンは六体まで数を減じていたが、その刃は的確にロギの身体をえぐっていた。
「ロギ! いま行くぞ!」
ここまで来たら、二人で一緒に勝利をつかみ取りたかった。
そんな思いを胸に、ネムリは『ミスリル・ハンマー』を振り払った。
そして――ネムリもロギもあと一撃でゲームオーバーという段階に至って、ようやくすべてのリザードマンを仕留めることができた。
複数のアナウンスとファンファーレが、先を競うように響きわたる。
『経験値1750、ゴールド350を獲得しました』
『ロギは、レベル21に成長しました』
『ネムリは、レベル21に成長しました』
『ステージ2、「妖魅の砂漠」をクリアいたしました。特別アイテム「青の首飾り」が贈られます』
ネムリとロギは石造りの床にへたり込んだまま、そのアナウンスを聞いていた。
痛みや疲労とは無縁の《イマギカ》においても、これだけ長時間の戦闘に及べば、やはり気疲れするものであるらしい。しかし、それすらもネムリには心地好く思えた。
「ようやく終わったな……やれやれ、もう少しレベルを上げてから挑むべきだったよ。経験値1750ってことは、サンドクローラーをいっぺんに70体も相手にしたようなもんじゃないか」
「あはは。そう考えたら、かなり無謀なチャレンジだったんだね。でも、ロギの作戦のおかげでこうしてクリアできたじゃないか」
そのように言いながら、ネムリはロギのほうに右手を差し出してみせた。
ロギは、けげんそうに首を傾げている。
「その手がどうかしたのかい? モンキーバナナみたいな指をしているね、キミは」
「そうじゃなくって、こういうときはハイタッチしたり握手したりするものなんじゃないの?」
「知らないよ。うすら寒いコミュニケーションをボクに求めないでくれ」
不機嫌そうな声で言い、ロギはウィンドウを操作し始めた。
しかたなく、ネムリもレベルアップのボーナスポイントを配分することにする。
◆ネムリ / おとこ / せんし / レベル21
◆HP:388 / 388
◆MP:0
◆FP:12580
◆ちから:72+60
◆きようさ:35
◆ぼうぎょ:70+45
◆すばやさ:109+10
◆かしこさ:14
◆けいけんち:21428
◆ゴールド:2090
◆そうび:ミスリル・ハンマー, はがねのかぶと, しろがねのよろい
◆ロギ / おとこ / まほうせんし / レベル21
◆HP:315 / 315
◆MP:74 / 74
◆FP:10975
◆ちから:69+40
◆きようさ:57
◆ぼうぎょ:59+75
◆すばやさ:54
◆かしこさ:59+20
◆けいけんち:21459
◆ゴールド:1795
◆そうび:たいまのつるぎ, まほうのかぶと, まほうのよろい, はがねのたて
この数時間で、二人はここまで成長できていた。
『FP』などは、気づけば五ケタだ。思い込みかもしれないが、この『FP』が上がれば上がるほど、ネムリはこの《イマギカ》の世界でなめらかに動けるような感じがしていた。
「さて、ボーナスアイテムは『青の首飾り』か。……ふうん、こいつは戦闘中に一回だけ『癒しの光』と同じ効果の治癒ができるらしいよ。ただし、その効力は身につけているプレイヤーのみに及ぶ、だってさ」
「ああ、それは便利だね。アイテムは二つまで装備できるんだっけ?」
「ああ。人数分獲得できているから、おたがい装備しておくことにしよう」
二人の鎧の首もとに、青色の宝石が装備された。
それを見届けから、ロギはおもむろに立ち上がる。
「さ、それじゃあ町に戻ろうか。アンドロスフィンクスの陣取っていた場所に赤い魔法陣が浮かびあがっているから、あれで町に帰還できるんだろう」
果たしてロギの推測通り、そこに足を踏み入れると、身体が光に包まれて、それが消える頃には『第一の町』に帰還できていた。
「おや、何だか賑やかになってきたね」
噴水の広場には、複数のプレイヤーが行き来していた。
だいたいは、四名連れか三名連れだ。その多くはベンチに腰かけて雑談をしているか、あるいは通りのアイテムショップを目指している様子だった。
「さすがにバトルの連続に飽きてきたのかな。三つのステージをクリアするには、地道なレベリングも必須だしね」
「うん。僕たちの他にもプレイしている人間がいるとわかって、ほっとしたよ」
「ふん。それでも、ここから見えるのはせいぜい数十人ってところだけどね」
ロギはひとつ肩をすくめてから、ウィンドウを表示させた。
「さて、これだけのゴールドがあれば新しい防具を買えそうだけど……次のステージがどんな場所かを確認してからでも遅くはないかな」
「そうだね。とりあえず、回復アイテムだけ補充しておこうか」
ネムリがそのように答えたとき、「あれー?」という少女の声が聞こえてきた。
「それって『青の首飾り』じゃん! へー、あたしらの他にステージ2をクリアしたやつ、初めて見たよ!」
振り返ると、二人のプレイヤーが近づいてきていた。
どちらも、若い娘の姿をしている。片方はサキュバスのように妖艶な姿をしており、もう片方は女騎士といったいでたちだ。
「他のお仲間は? まさか、二人でクリアしたわけじゃないんでしょ?」
「いや、二人組のパーティだけど」
ロギが黙殺しているのでネムリが答えると、サキュバスみたいなほうが「へえ!」と目を丸くした。
「そいつはなかなか大したもんだね! ま、あたしたちほどじゃないけどさ!」
妙に陽気な少女であった。
黒い髪に、褐色の肌で、瞳は金色に輝いている。その目はアーモンド型に吊り上がっており、なまめかしい唇からは牙のような八重歯がこぼれており、とにかく色気が尋常ではなかった。
また、その身の装束も、きわめて扇情的である。露出の多い黒の水着みたいな服に、黒いマントを羽織っており、肉感的な肢体が惜しげもなくさらされてしまっている。鎧を装備できない『魔法使い』か『僧侶』あたりのプレイヤーなのだろう。
もう片方の人物は、それとは対照的な甲冑姿である。上から下まで白銀の甲冑を纏っているので、露出しているのは顔のみだ。その顔も、面頬の陰になって半ば隠されてしまっている。かろうじて見て取れるのは、青い瞳と金色の前髪、そして西洋人めいた白い肌のみであった。
女騎士のほうは男性のように背が高く、褐色肌の少女はその腕に自分の腕をからめている。まるで、騎士を誘惑するサキュバスのようなたたずまいだ。
「……君たちも、ステージ2をクリアしたのかい?」
「もっちろん! 今はステージ3を攻略中さ! あたしらも二人きりのパーティだけど、ま、あたしらより先に進んでるやつなんて一人もいないだろうね!」
そのように述べてから、サキュバス少女はくすくすと小悪魔のように笑った。
「どーでもいいけど、あんたのそのアバターは何なの? アリクイ人間か何か?」
「さすがにアリクイは登録されてなかったと思うよ。これは、バクだね」
「へー、バク! どうしてそんな冴えないアバターをチョイスしたのさ?」
「子供の頃に、バクが出てくる絵本を読んでさ。それ以来、ずっとバク好きなんだよ」
少女は一瞬きょとんとしてから、けらけらと笑い声をあげた。
「なにそれ! 変なの! ずいぶんメルヘンな思考回路をしてるんだね!」
どうにも、このアバターは不評なようである。
そういえば、ロギはこの姿を見てもからかったりはしなかったなあと、ネムリはしみじみ息をつくことになった。
「で、レベルはどれぐらいなの? ステージ2をクリアしたってことは、20以下ではないんでしょ?」
「うん。ちょうどミッションをクリアしたら、レベルは21に上がったよ」
「レベル21! そんなんでよくスフィンクス野郎を倒せたね! ま、あたしらはさっきレベル25に上がったところだけどさ!」
「レベル25か。それはすごいね」
「ふっふーん! ま、あたしらにかかれば、楽勝よ!」
きわめて騒がしい少女であったが、昨晩の四人組のときのような不快さは感じられなかった。
しかし、騒がしい人間を何よりも嫌うロギは、忍耐が尽きた様子で不機嫌そうな声をあげた。
「それで、ボクたちに何の用事なんだ? まさか、パーティに誘おうと目論んでるわけじゃないだろうね?」
「まっさかー! あたしら二人がそろってれば、他のプレイヤーなんて足手まといにしかならないよ!」
サキュバス少女は、べーっと舌を出した。
無言であった女騎士のほうが、冷静な眼差しでそれを見下ろす。
「イーブ、そろそろ出発しないか?」
「あー、そうだね! 現実世界のあたしらが目を覚ます前に、とっととステージ3をクリアしちゃおう! こんな連中にかまってられないや!」
そうして、二人の奇妙なプレイヤーはウィンドウを開き、バトルフィールドへと消えていった。
ロギは収まりがつかないように、石畳を蹴りつけている。
「ふん! よく恥ずかしげもなく、あんなアバターを設定できるもんだ! きっとあいつらの中身は、小汚い中年の男だよ!」
「ええ、そうかなあ? そうだとしたら、なかなかにショックだけど」
「あの芝居がかった喋り方は、間違いないね。変態だよ変態」
ロギは、苛々と足を踏み鳴らす。
「それに、レベル25だって? ふん! きっとあいつらは初日からペアを組んで、『ゴブリンの森』をさっさと通過したんだ。それで、『妖魅の砂漠』で経験値稼ぎをしてたんだろう。ボクたちだって、昨日の内に出会っていれば、とっくに同じぐらいのレベルになっていたはずさ!」
「うん、それはそうかもしれないね」
ネムリは、バクの顔でロギに笑いかけてみせた。
「それじゃあ、僕たちはどうする? 『妖魅の砂漠』でもう少し経験値を稼いだほうがいいのかなあ?」
「いーや! 今さらパズズやサンドクローラーを相手にしてたって始まらないよ! 次のステージで、あいつらを追い抜こう!」
「了解。それじゃあ、回復アイテムを補充しようか」
そうしてネムリたちもまた、バトルフィールドへと繰り出した。
自分たちよりも先を行くプレイヤーと出会ったことで、いよいよこの《イマギカ》に対する攻略の意欲が燃えさかってしまったようだった。