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どうやら俺は『チートスキル』とやらを駆使して魔王を倒した勇者らしいけどまったく覚えがない

掲載日:2017/10/25

久しぶりに短編を書いてみました。

二万文字と短編にしてはやや長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂けると幸いです。

「おお! 勇者様のお目覚めだな!」


 いつの間にか見知らぬベッドの上にいて、浮世離れした恰好の見知らぬ奴らに囲まれて、そのうちのひとりから開口一番こんなことを言われた俺は、一体どんな顔をしていたのだろうか。鏡が無いのに「よほど苦い顔をしていたに違いない」とわかるのは、俺を囲んでいた奴らのうち、長い金髪を後ろ手に束ねた女が、心配そうな表情をずいと寄せて「まだご気分が優れませんか?」と尋ねてきたからだ。


「…………誰だ、お前」

「二日間も寝ていたというのに、起きて早々、つまらない冗談を飛ばす元気はあるのだな」


 そう言いながらも嬉しそうに笑うのは、革で出来た鎧を着込んだ、戦士のような出で立ちの女である。それに続く、「コイツらしいっちゃらしいんじゃないか」とヘラヘラする筋肉質の男。厳つい顔をした隻眼の男が「然り」と言ってそれに応じ、「ともあれ、目を覚ましたのだから何よりです」と眼鏡を掛けた優男がホッと息を吐く。


 記憶のどこを掘り起こしてみても、その風貌にもその声にも覚えがない。緊張、動揺、不安……あらゆる感情で急速に喉が渇いていくのを感じながら、俺は掠れる声でもう一度、「お前らは誰だ」と尋ねた。


「……おいおい。どうやらこりゃマジだぜ」

「……記憶喪失、でしょうか」

「……つまり、私達のことも、私達との旅も忘れたと?」

「そのようだな。……そうあって欲しくはないが」


 なんだコイツらは。何を言ってるんだ。旅ってのは……そもそも、〝勇者〟ってのはなんだ。タチの悪いテレビ局のドッキリに巻き込まれているのか。それとも、この光景が俺の妄想か何かなのか。


 困惑しながらも、俺はここで目を覚ます前の記憶を思い出そうとする。


 ――一番新しい記憶はバスの中。大学からの帰り道だった。空席の目立つ車内。心地よい揺れに身を任せているうちについウトウトしてきて、目をつぶっていたら急にバスがガクンと強く揺れて……そこから先は曖昧で何も思い出せない。まるで記憶に霧でもかかっているようだ。


 逆を言うのであれば、それより以前のことは鮮明に思い出せる。自分の名前や素性はもちろん、昨日の夕食も、一昨日行ったカラオケで何を歌って盛り上がったのかも、バイト先の常連客のクセのある喋り方も、初恋の相手の名前だって。


 唖然とする俺の顔をじっと見ながら、「自分のお名前はわかりますか?」と金髪の女が尋ねてくる。


「……イズミアキラ」

「ご職業は?」

「……普通の大学生。アルバイトは週に3回」

「……わ、わたしたちや、この世界について何か覚えていらっしゃることは?」

「……何も」


 俺の答えに、その場にいた奴らが揃って悲しそうな顔をした。演技だったら拍手ものだが、もしそうでないのだとしたらこれ以上怖いことはない。


 俺は眼前にいる金髪の女に恐る恐る尋ねた。


「……何なんだよ、お前達は。旅ってなんだ、勇者ってなんだ。俺は、お前達と、何をしたんだ?」

「……わたしたちは貴方の仲間です。わたしたちは共に世界を旅して、そして、この荒れ果てた世界を救うべく魔王を討ち滅ぼしました。アキラさん、貴方は別世界からやってきた勇者なのです」


 喉まで出かかった「馬鹿にすんな」という言葉が胃の奥まで押し戻されたのは、この場に漂う重苦しい雰囲気のせいだった。


 しばらく誰も何も言い出せずにいる時間が続くうち、段々と冷静になってきた俺は、「間違いない」と心中で断じた。


 これは手の込んだドッキリの類だ。となれば、どこかに隠しカメラが仕掛けてあるはず。


 そう考えてさりげなく辺りを見回して、カメラのレンズを探していると、武道家のような男がふいに「そうだ!」と声を上げ、何やら荷物を漁り始めた。


 やがて男は厚手のノートを一冊取り出し、「これ読め」とそれを俺に押し付けた。


「……なんだよ、これ」

「お前の日記だ。こっちの世界に来た時から一日も欠かさず書いてるんだって、よく言ってただろ?」


「ああ、そうだったな」と女戦士がそれに続く。「『全てが終わった時は、これを本にして売るんだ』。なんてことも言っていた」


 眼鏡の男が被せるように、「題名は、『突然異世界転移した俺がチートスキルを手に入れて最強の勇者になった件』、でしたっけ? よくわかりませんが、それを書いている時のアキラさんはとても楽しそうでしたね」と早口で言って会話を繋ぎ、場の空気を和やかにしようとする。


 そんな奴らを余所に、俺は手渡された日記を適当に開いてみた。



『ユマは少し真面目すぎる。酒場で出会った女と少し遊んだだけで、「不潔です」なんて言って怒るんだ。『英雄色を好む』なんて言葉もあるんだから、少しくらいの女遊びは許されてもいいだろう。なんたって俺は勇者なんだ。〝手厚い歓迎〟を受けることくらい、むしろ当然なんじゃないか』



 それを見た俺がぎょっとしたのは、書いてある内容にまったく身に覚えがないというのにも関わらず、その文字が紛れもなく俺の筆跡であったからだ。


 つまり、コイツらの言ってることは全部本当だっていうのか? 俺は勇者なんていう空想上の存在で、魔王とやらを倒したっていうのか?


 自分の預かり知らぬところで自分が動き回り、散々好き勝手なことをしたという事実の気味悪さに我慢できなくなり、咄嗟に布団を被った俺は暗闇の中で自答した。


 ――俺は一体誰なんだ?



 夜空に浮かぶのはふたつの月。ひとつが赤で、もうひとつが青。二色混ざった怪しげな光は、教科書に描かれた近世ヨーロッパのような街並みを怪しく照らしている。俺が今回の一件を手の込んだドッキリではないと改めて確信したのは、その景色を見た時のことだった。


 誰でもいい、俺の頭がおかしくなったんだと言ってくれ。そうしてくれた方がずっと楽だ。


 その日、病院を後にした俺は、快気祝いということで〝一緒に世界を救った仲間達〟と近所の酒場で夕食を共にした。


 仲間達はそこで多くのことを語ってくれた。


 まずは簡単な自己紹介から始まり、俺達の出会いについて。これまでにどんな敵と戦ってきたのか、長い旅路でどんな苦労や困難があったのか。道中の様々な失敗談。……それに、俺がいかに頼れる〝勇者〟であったのかを。


 会話の中に記憶を取り戻すきっかけでもあればと、仲間達の話に必死に耳を傾けていたが、いくら話を聞いたところで何か思い出すようなことはなく、俺の知らない俺にまつわる思い出を語る見知らぬ人間を前にして、ただただ背筋がうすら寒くなるばかりだった。


 居心地の悪い夕食会は一時間程度で終了した。というよりも、気分が悪くなった俺が打ち切りを申し出たのだ。


「まあ、ゆっくり思い出しゃいいだろ」と楽観的に笑った武闘家のポールという男は、〝回復魔法〟とやらを得意としているらしい魔導士のユマに言った。


「ユマ、アキラを家まで案内してやれよ」


 ぎこちなく頷いたユマは、俺と共に酒場を出ると「こちらです」と案内してくれた。会話も無いまま流れる時間は気まずかったが、特に話すことも思い浮かばず、俺は黙ってユマの背を追った。


 やがてユマはとある家の前で足を止め、懐に入れていた鍵を使って淀みなく扉を開けた。ずいぶんと慣れた感じのその手つきに、「ここは俺の家じゃなかったのか」と不思議に思っていると、彼女は「アキラさんとわたしは一緒に暮らしているんです」と言って悲しそうに笑った。


「待ってくれ。一緒に暮らしてるって、つまり……俺達は〝そういう関係〟なのか?」

「……やはり、覚えていらっしゃらないのですね。共に生きると誓ったあの日のことも」


 ユマはそう言って、胸の辺りで光っていたペンダントを俺に見せた。十字型で、やや大きめの銀のペンダント。当たり前ではあるがまったく覚えがない。


 俺は黙って首を横に振った。


 それから俺は、記憶を失う前の俺がいつも使っていたという自室に通された。置いてある木製のタンスも、小さなテーブルも、使い古した感じのある椅子も、初めて目にするものであったが、不思議に懐かしい感じがしたのは、俺の身体がこの部屋を覚えているのだろうか。


 ユマが部屋を出て行ってひとりになったところで、俺は先ほどポールから渡された、〝俺が毎日欠かさず書いていた日記〟とやらを開いてみた。


 最初のページを読んで、俺は自分が『ふと気が付いたらここの世界にいた』ということを知った。「何を馬鹿な」と思ったが、過去の自分が書いているのだから間違いではないのだろう。


 2ページ目には早々にユマの名前が出てくる。どうやら、この世界に来て最初に出会ったのが彼女らしい。魔物とやらに襲われていたところを彼女に助けられた俺は、しばらくの間、彼女の家で世話になりながら、穏やかな生活を送っていたようだ。


 それからしばらく書いてあるのは、「インターネットのある生活が恋しい」だの、「汗を流して働いた後は飯が美味い」だの、「ホームシックになった」だの、くだらない内容ばかり。とても勇者の書くそれとは思えない。


「……どうしようもない勇者サマだな」


 初めて意味のありそうな言葉が出てきたのは、30ページほど読み進めた後のことだった。



『――どうやら、あの爺さんが俺に言ったことは本当らしい。俺は本当に勇者なんだ。以前までの俺だったら、そんなことは信じなかっただろう。……だけど、この不思議な力が本物ということは、つまりはそういうことだ。

 勇者である俺は魔王を倒さなければならないらしい……、だけど、とりあえず今はそんなこと忘れてのんびりしたい。こんな力があれば、いくら寄り道したところで問題が起こることはあり得ないんだから、少しくらいは構わないだろう』



 この〝爺さん〟というのは、この世界における預言者だとか、そういう類の存在のことを指すのだろう。それよりも気になるのは〝不思議な力〟という単語だ。いったいこれは何を指すのか。


「不思議な力」と俺は声に出して言ってみた。なんとも馬鹿らしい響きがする言葉だが、紛れもなく俺が書いたのだと思えば、鼻で笑うことは出来なかった。


 不思議な力の正体を探るため、試しに天井に手のひらを向けて「炎よ!」と呪文めいたことを言ってみる。この世界では、まるで映画か何かのように魔法を使える人間がいるということは既に知っていたので、不思議な力とやらがその類のものなのではと考えてのことだった。


 ……が、何も起こらない。念のためにもう一度言ってみたが、火花が起こる気配さえもない。それから俺は不必要に指を鳴らしてみたり、指を銃の形にして撃つふりをしてみたりしたが、不思議な力は一向に姿を現さなかった。


 自分自身に馬鹿にされた気分になって、日記をそっと閉じたところで部屋の扉がノックされた。「どうぞ」と答えると、ユマがホットミルクの注がれたカップを持って入ってきた。


「覚えていらっしゃらないかもしれないですけど、夜はいつもこれを飲んでいらしたんです。出先でも毎日」


「ありがとう」と彼女からカップを受け取った俺は、ホットミルクを一口すすった。ほんのり甘くて熱い液体が身体の中心に向かってゆっくり落ちていくと共に、不思議と安心感が湧いてくる。


「……美味しいな」


 ふと呟かれたその一言に、ユマは心底嬉しそうに「よかったです」微笑んだ。それは俺が〝初めて〟見た彼女の柔らかい表情で、そんな表情も出来るんだなと安堵する一方、この微笑みは今の俺ではなくて、記憶を無くす前の俺に向けられたものなのだと思えば、猛烈に虚しかった。


 寂しい思いを誤魔化すため、俺は「そういえば」と話し始める。


「ユマ、俺の中にある不思議な力って、なんのことだかわかるか?」

「……不思議な力、ですか」


 少し迷うように視線を床に向けたユマは、ややあってから「はい」と頷いた。


「……心当たりはあります。ですが、その詳細まではわかりません。アキラさんは、ご自身の〝スキル〟について話したことがありませんでしたから」


〝スキル〟とは何かと尋ねると、鍛錬を積んだり、他者から購入したり、譲り受けたりすることで獲得できる超人的な技術のことをこの世界ではそう呼ぶらしい。例えば、旅の仲間のうちの一人であるアーロンは、気合を込めて剣を一振りすれば、敵を七方向からの斬撃で囲む〝一撃七殺〟のスキルを持っているのだとか。鍛錬して獲得というのはまだ話がわかるが、〝譲渡〟や〝購入〟というのがいかにもゲームチックである。


「ですが、アキラさんの戦い方は、横から見ているとスキルを使っているようには見えませんでした」

「つまり、地味だったってわけか?」


 冗談交じりの問いかけを、ユマは慌てた様子で首を横に振って「ですが」と否定する。


「アキラさんが強かったのは確かです! 剣を使っても、槍を使っても、素手で戦ったって、誰にも負けなかったんです!」

「わ、わかったよ。そんな大声出さないでも大丈夫だ」


 そう言って俺がなだめると、ユマは「すいません」と頭を下げて肩を落とした。


 それにしても、いったいどうして記憶を失う前の俺は自分の〝スキル〟を仲間にすら教えなかったのだろうか。そもそも、俺のスキルとはどういうものなのだろうか?


 いくら考えたところで答えなんかが出るわけもなく、俺はユマに助けを求めざるを得なかった。


「なあ、ユマ。その、俺が持ってるスキルがどんなものか、確かめる方法って無いのか?」

「で、でしたら、スキル鑑定士の店へ行くのがよろしいかと」

「なら悪いんだけど、明日その店まで連れて行ってくれないか? ひとりで行くにも道がわからなくってさ」

「明日でよろしいのですか? 店の主人も、アキラさんが来たとわかれば店を開けてくれると思いますが……」

「わざわざ店主に迷惑かけて店開いてもらうほど急いでるわけじゃないしな。それに、夜遅くに女の子を外に連れ出すわけにはいかないだろ?」


 ユマは目を数度ぱちくりさせると、心の底から嬉しそうに「はいっ!」と頷き、にっこりと微笑む。その笑顔にどう答えればいいのかさえも、〝今の俺〟にはわからなかった。


 その日、俺は眠れない夜を過ごした。



 結局、一睡もできないうちに次の日の朝を迎えた。支度を終えた俺は、眠い目をこすりながらユマと共にスキル鑑定士の店へと向かった。


 鑑定士の店は街のはずれの古びた一軒家で、いかにも怪しげな雰囲気が漂っている。店の扉を開けると、古本がぎっしり詰まった背の高い本棚がいくつか並べられ通路を形成していた。


 古本特有の甘い香りにくらくらしながら通路の奥まで進むと、あごに白ひげをたっぷり蓄えた老人が、籐椅子に深く腰掛けて静かに寝息を立てていた。それがスキル鑑定士であることはわざわざユマに聞かずとも理解出来た。


「お爺さん、少しいいですか?」


 俺が耳元で話しかけると、ややあった後、鑑定士は「はいはい」と眠そうに顔を上げた。


「いらっしゃい。今日はなんの用だね?」

「自分の持っているスキルを教えて欲しくて。すぐにできますか?」


「お安い御用だ」と答えた鑑定士は、すぅっと立ち上がって俺の額にそっと触れ、固く目をつぶった。何をするのかと思っていると、突然カッと目を見開いた彼は懐から紙と筆を取り出し、何やら熱心に書き始めた。


 やがて何かを書き終えた鑑定士は、「終わったよ」と言いながら丁寧に四つ折りにした紙を俺に手渡した。


「そこに君のスキルの名前と詳細が書いてある。これからも精進しなさい」


 定型文のようなセリフを吐いた鑑定士は、籐椅子に腰掛けるとまた寝息を立て始めた。まったく、よく眠れるものだ。


 俺は半ば感心しながら、受け取った紙を開いて自分の〝スキル〟を確認した。旅の仲間にすら教えなかった力。さて、いったいどんなものなのか――。



 不眠=三日に一度しか眠れなくなる。

 無口=このスキルを所持する限り口をきけなくなる(おしゃべりを所持していると無効化)

 おしゃべり=このスキルを所持する限り、言わなくてもいいことをつい言ってしまう(無口を所持していると無効化)

 押し売り=ひとりを対象にして自分が持つスキルを譲渡する。譲渡されたスキルは24時間で消失する

 じゃんけんの神様=じゃんけんで絶対に負けなくなる

 こけおどし=手を強く叩いた時、尋常でないほど大きな音が出る

 手汗=尋常じゃないほど手汗が酷くなる

 フェイスオフ=対象にした人間と自分との姿形を入れ替える。効果は1時間で消失する



「なんだこりゃ」と俺は思わず呟いた。役に立つものも多少はありそうだが、ほとんどが取るに足らない能力に見える。こんな力が魔王とやらを倒すのに役立ったのか。なぜ俺はこの程度の力で自信満々だったのか。そもそもこれで勇者を名乗っていいものか。つくづく疑問になってくる。


 俺は「見ろよこれ」と言いながら紙をユマに手渡した。それを受け取ったユマは、困ったような顔で「あの、その」とまごまごしながら俺と紙を交互に見比べた。


「ハッキリ言ってくれていいぞ。使えないスキルばっかりだって」

「い、いえその! そういうわけでは!」とユマは首を横に振って否定してくれたが、その優しさが却って心苦しい。


 俺は紙を畳んでポケットにしまうと、「ありがとな」という言葉をユマに残して独りで店を出た。



 はたして俺は本当に勇者なのか? 周囲の人間がそうだと言うから信じたが、やはり何かの勘違いではないのだろうか? 仮に俺が本当に勇者で、何らかの影響で記憶とスキルを失っただけなのだとしても、勇者だった時の俺と今の俺は同一人物なのか? 姿形が同じなだけの別人なのではないか?


 鑑定士の店を出た俺はあてもなく街を歩きながら、そんなことを考えていた。通り過ぎる見知らぬ風景を横目に眺めながら歩くうち、疑念は次第に俺の心中を支配して、ついには確信へと姿を変えた。


「……そうだ。俺は、皆が思ってるような勇者じゃないんだ」


 ふと気づくと、俺は街の裏通りのような場所に居た。倉庫のような古びた建物に左右を囲まれており、廃材や壊れた家具が至る所に放置されている様は、見ているだけで漠然とした不安を感じる。賑やかな街の中心部は遥か遠いのか、町人の声は聞こえてこない。


 人の気配のない場所に独りでいることに寒気を覚え、俺は慌てて元来た道を戻ろうとする。振り返ると、いつからそこにいたのかフードを目深に被ったひょろりとした背の高い男が5mも無い距離に立っていて、俺は思わず「うおっ」と声を上げた。


 男は俺を観察するように眺めると、口角を僅かに上げて笑った。


「獲物も持たず、護衛もつけず、か。まあ、仕事がやりやすくて助かったよ」


 目の前の男が味方ではないという理解と、思考が逃走を選択したのは、まったく同時のタイミングだった。


 俺は男の横をすり抜けると、一心不乱に脚を動かした。――が、10mも走らないうちに男はあっさり俺に追いつき、目の前に回り込んで「無駄だ」と笑った。


「勇者だかなんだか知らねえけど、人間如きが俺から逃げられるわけねぇだろうが」


 男の腕が俺の首に向けてゆっくり伸ばされる。手の平からも背中からも、尋常でないほど汗が滲み出るのを感じる。


「本当なら、ここでぶっ殺したいところなんだけどな。命令なら仕方ねぇ。俺と一緒に――」


 その時だった。小さな炎の球が飛んできて、それが目の前の男の側頭部に直撃した。突然のことに言葉を失っていると、「こちらへ!」と俺を手招くユマの姿が視界に映った。


 ユマの元へと駆け寄ると、彼女は俺を人がひとり通れる程度の細い路地に誘導した。俺は少し先を走る彼女の背中を追いながら、「助かった」と礼を言った。


「お礼なんて要りません! 今は逃げることだけを考えてください!」



「――いやいや、逃げられると思ってんのかよ?」



 声は頭上から。上を向くと影が落ちてくるのが見えた。俺達の眼前に着地したのは先ほどの男だった。フードがすっかり焼け落ちて、露わになった頭からは、兎のような大きな耳が生えている。だというのに身体は人間なのだから、なんともアンバランスな見た目だ。


「俺の耳と脚があれば、お前らがどこまで逃げたって追いつめられるんだぜ。無駄なことは止めとけって」


「なんだアイツ」と俺が思わず呟くと、ユマは「兎人とびとです」と応じる。


「……アキラさん、ここはわたしに任せて逃げてください!」

「任せてって、アイツをなんとか出来るのかよ。さっきの攻撃、全然効いてないみたいだぞ」

「……でも、なんとかするんですっ!」


「なんとかする」が捨て鉢の発言なのはユマの震える背中を見ればわかる。間違いない、ユマはここで自分を犠牲にしてでも、俺を逃がすつもりなんだ。


 それがわかっていて見捨てられるわけがない。今の俺には、ユマが心から慕い、そして愛した〝俺〟であり続ける義務がある。


 俺は無理やりユマの前に出て、兎人とやらを睨みながら「来いよ」と言った。


「相手してやる。お前みたいに変な奴、俺ひとりで十分だ」

「む、無茶ですアキラさんっ! 今の貴方は記憶を無くし、戦闘に関してはまったくの素人なんですよ!」

「心配すんなよ。俺は〝勇者〟なんだろ? だったらなんとか出来るはずだ」

「だ、駄目ったら駄目なんです! アキラさん、貴方を失ってしまったら――」

「ウッセェ女だなぁ! 発情した雌犬みてーにキンキンした声出しやがってよぉ! 頭に響くだろうがよ!」


 苛立ったように声を上げた兎人は、左右を囲む建物を乱暴に蹴った。石造りのそれはあっさりと崩れ、もし直接蹴られれば怪我程度では済まないことを教えてくれる。


「……連れてこいとは言われたが、五体無事でとは言われてねぇ。足腰砕いて動けないようにしても問題はねぇだろ」


 こちらを睨みつけた兎人は、予備動作無しで飛び上がった。落下の勢いをつけながら俺達を蹴るつもりなのだろう。


 危機を前にして凝縮された時間がゆっくり流れる。「どうすればいい」と、思考が急速に回転する。俺の身体が咄嗟に選んだ行動は、〝両手を思い切り叩く〟というものだった。


 瞬間、圧縮された空気が炸裂したような、耳をつんざく破裂音が辺りに響く。その直後に、先ほど跳躍した兎人が目の前にどさりと落ちてきた。恐る恐るつま先で蹴ってみたものの反応が返ってこない。どうやら気絶しているらしい。


 倒れ伏す兎人を警戒しながら、俺の服の袖を軽く引っ張ったユマは、「先ほどの音はなんなのでしょうか」と尋ねてきた。


「〝こけおどし〟のスキルを使ったんだ。……こんなものでも、意外と役に立つもんだな」



 気を失った兎人を置いてその場を去った俺達は、大通りまで来たところでホッと息を吐いた。わざわざ人気のない場所を選んで襲ってきたのだから、ここまで来ればまず安心とみてよいだろう。


 先ほど襲われたことについて何か心当たりが無いかと、家までの道すがらユマに尋ねると、兎人の多くは魔王の配下で、恐らくは魔王を打倒された仇討のために襲ってきたのだろうということだった。


「今後、あのような形で襲われることが増えるかもしれません。今日の夜、またみなさんで集まって対策を立てませんか?」


 あの面子と顔を合わせるというのはなんとなく気が進まなかったが、この状況では四の五の言ってはいられない。俺はその提案に了承した。


 家まで戻ると玄関のところに誰かが立って待っていた。一瞬、また刺客か何かかと思ったがそうではなく、そこにいたのは仲間のひとりである女戦士のリタだった。


 リタは俺達の姿を見つけると、「待っていたぞ」と手を振った。


「様子を見に来たんだ。アキラ、ユマ、調子はどうだ?」

「悪くはないけど、ちょうど色々話したいことがあったんだ。中で話せるか?」


「構わない」とリタは言ったので、俺は彼女を家へと招き入れた。


 家のリビングにあたる部屋で、俺はユマと共に先ほど街のはずれで兎人に襲われたことをリタに話した。終始、険しい顔つきで話を聞いていたリタは、話が終わるとどこか遠い目をしてため息を吐いた。


「因果は巡る、ということか。確かに、魔王を倒した私達は、残された魔物共にとってみれば仇以外の何者でもないわけだからな」

「……悲しいことですね」とユマは目を伏せる。

「正義の代償だろう。覚悟の上のはずだ」


 厳しい顔でそう言ったリタは、俺達の顔を値踏みするように見た後、ふと笑顔になり「ともあれ」と言った。


「ふたりとも疲れただろう。ここはしばらく私が見張っておいてやる。だから……今はゆっくり、〝眠るといい〟」


 するとどうしたことか、隣に座っていたユマが突然テーブルに突っ伏して気絶したように眠り始める。何事かと思い彼女の名前を呼びながら身体を揺すってみたが、ちっとも起きる気配がしない。


 しかしリタはそんなユマの姿を見ても、「よほど疲れていたらしい」などと言って平気な顔である。こうやって、電池が切れたように突然眠りだすというのは、ユマにとって日常茶飯事なのだろうか?


「アキラ。お前も疲れているだろう。だから、〝早く眠れ〟」

「いや、俺はいい。気ぃ使ってくれてありがとな」


 手を振ってそう答えると、リタは困惑したように俺を見た。


「……アキラ、お前は眠くないのか?」

「〝不眠〟とかいうスキルのせいで眠たくても眠れないんだ。困ったもんだろ?」

「……ああ、困ったものだな。つくづく困ったものだ。実力行使は得意ではないのだが」


 ぽつりと呟いたリタはふと立ち上がり、腰の鞘から短剣を引き抜くと、その先端を俺に向けた。何のつもりだと思った次の瞬間には、リタの姿は露出の多い服を着た青肌の女に変わっている。


「……お前、リタじゃなかったのか」

「ようやくわかったとしても遅くなぁい? アンタぁ、もう追いつめられてるわけだしぃ」


 青肌の女はけらけらと嘲るように笑う。


「催眠が効かないってわかった時はちょっと驚いたケド……。でも、今のアンタって能無しって話だしぃ? アタシなんかでもサクっと――」


 青肌の女の言葉を、文字通り途中で〝切った〟のは一振りの刃である。背中から袈裟に斬られその場に倒れた女は、やがて不定形の赤黒いぶよぶよとした物体に姿を変えた。


 俺達の窮地を救った〝本物〟のリタは、赤黒い物体を睨みつけながら言った。


「……アキラ。どうやらこれは、すぐに皆を集めなければならないらしいな」



 それからすぐに仲間達を家に集め、これからの方針について話し合った。


 意見はふたつに分かれている。魔王の配下だった魔物達の〝残党狩り〟を行うべきか。それとも、これ以上争いの火種を増やさないために、誰の目にもつかない場所で、名を変え、素性を隠して暮らすべきか。


 穏便な意見を主張しているのはユマだけであるが、彼女は仲間がどれだけ説得しようとも自らの意見を固持し続けた。夜になってもそれは変わらず、結局、結論は翌日に持ち越しということになり、その日の話し合いはお開きとなった。


「明日までには覚悟を決めておけ」というようなことを仲間たちが口々に言って家を出て行ったのは、奴らの中では既に結論は決まっているということだろう。


 仲間達が帰った後のリビングで、ユマはぽつりと呟いた。


「……アキラさんは、どちらなんですか?」


 どちらというのは、残党狩りか隠れて暮らすか、どちらを選ぶのかということだ。


 俺は話し合いの最中と同じように、「わからない」と首を振った。ユマの意見もそれ以外の仲間の意見も、俺にはどちらも正しいように思えた。


「でも、好きか嫌いかで言えば、俺はユマの考えの方が好きだ。なんていうか、優しくて」


 ユマは頬を染めてはにかむと、「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。


 その日も〝不眠〟のスキルのせいで眠れない夜が続き、俺は有り余った時間を使って日記を読むことにした。〝昔の俺〟が過去にどのような行いをしてきたのか、もっと知りたかった。


 日記を読む限り、俺は例の〝不思議な力〟を手に入れてからというもの、横暴な人間になっていったようだ。力にそのような副作用があったのか、それとも俺が元々そんな性格なのか。そのどちらなのかはわからないが、とにかく〝俺〟は自分の力に絶対の自信を持っており、誰に対しても常に上から目線だった。どこまでも傲慢で、それでいてその傲慢さに無自覚だった。自分が勇者であることを恥ずかしげもなく吹聴し、立ち寄った街ではそれをダシにして必ず商売女と遊んでいた。


 過去の自分の行いを目の当たりにして気分が悪くなった俺は、半ばまで読まないところで日記を投げ捨てた。


 それにしても、何故ユマはあんな男……もとい、勇者としての俺に惚れていたのだろうか。彼女なら、もっといい相手を見つけられただろうに。


 ……不憫で仕方ないが、それもまた彼女自身が選んだ道だ。今の俺が口を出せるわけもない。



 家の扉を乱暴に叩く音が聞こえてきたのは、日が昇ってまだそれほど経っていない時のことだった。こんな時間にいったい誰だと思いながら、音に起こされたらしいユマと共に玄関に出ると、そこにあったのは仲間達の姿だった。何故だか皆の表情は怒りに満ちている。


「どうしたんだよ、こんな時間に」


「どうしたもこうしたもあるかよ」と喧嘩腰で言ってきたのは武闘家のポールだった。


「全部思い出したんだよ、俺達は」

「思い出したってなんだよ、急に。忘れ物でもしたのか?」


「とぼけるな」と怒気を含んだ声色で言ったアーロンは、刀を抜いてその切っ先を俺に向けた。


「お前が魔王と取引をしたこと、忘れたとは言わせんぞ」

「なんだよそれ。勇者がそんなことすると思うか?」

「現にしたのですから、しかたがないでしょう」と杖を握る手に力を込めるのが魔術師のコルム。「勇者どころか、人間の風上にも置けん奴だな」とリタがそれに続く。


「ま、待てよ。詳しく説明してくれ。俺は本当に何も知らないんだ」

「だったら説明してやるよ、このクソ勇者」


 拳を構えながら俺ににじり寄るポールは事の真相を語り始める。


「お前はあの時……魔王と対峙したその瞬間に『取引をしよう』なんて言い出した。『俺の持ってる〝スキル〟をやるから、俺達を見逃してくれ。世界の征服は俺達が死んだあとでのんびりやってくれ』って。でもってお前は、『コイツらのことを思い出さずに生きられるように、俺の旅の記憶を全部消してくれないか』、なんてことも魔王に頼んだ。魔王は笑ってそれに応じたよ。俺達に、〝魔王を倒して世界は無事に救われた〟、なんて偽の記憶を植え付けた上でな」


「そんな……。何かの間違いだろ?」


「間違いじゃねぇよ。……間違いであって欲しいもんだけどな」


「お、お待ちください!」と声を上げたのがユマである。


「みなさん、魔王に騙されているんです! アキラさんがそんなことをするわけがありません!」

「馬鹿言うなよ、ユマ。お前だって、コイツの本性はわかってんだろ? こいつは確かに腕が立つ。でも、ただそれだけのどうしようもないクソ野郎だ」


 殺気立った目を見ればわかる。コイツら、本気で俺を殺すつもりだ。理解の冷たい血が駆け巡り、身体中の細胞が開く。


 ポールは拳を構えて今にも飛び掛かってきそうだ。アーロンとリタは俺の退路を塞ぐように後ろに構えている。コルムは杖を構えたまま、眼鏡の奥に光る冷たい瞳を俺に向けている。


 やるしかない。なんとしてでも、ここは逃げるしか。


 俺は手の平を強く叩き、〝こけおどし〟のスキルを発動させた。大きな音に驚いたポールが反射的に飛び退くのと同時に、アーロンがこちらへ突っ込んでくる。


 刀を振り下ろされる前に、俺は〝手汗〟のスキルを〝押し売り〟でアーロンに押し付けた。汗で滑った奴の刀は、振り下ろす前に明後日の方向へ飛んでいく。


 それを見たコルムが前に出て、何かをぶつぶつと呟き始める。杖に集まっていく光は、急速な力の高まりを予感させる。


 何が起こるのかはわからないが、とにかくアイツの好きにさせたらマズい。


「――灼熱の炎よっ! 幾千の雨となりて敵を貫けっ! ディアブロ――」


 力が限界まで高まるその直前――俺はコルムに〝無口〟のスキルを押し付けた。奴は途端に口を閉ざし、そのおかげか杖の先に灯っていた赤い光はそこで消えた。


 続けざまに発動させたのが〝フェイスオフ〟。そのスキルでポールと見た目を入れ替えた俺は、オマケとばかりに奴に〝お喋り〟のスキルを押し付けてやった。


 俺と見た目が入れ替えられたと気づいたらしいポールは、激高した様子でこちらに突貫してくる。しかしそれをリタが短剣の一振りで止めた。


「――ま、待てよリタ! 落ち着け! 俺はポールだ!」

「お前のどこがポールなんだっ! 下手な言い訳を使うなっ!」

「脳味噌筋肉で出来てんのかテメェは! 見てなかったのかよ?! アイツがスキルを使ったに決まってんだろ!」

「もうお前に騙されるものかっ! さあ来いっ!」

「クソっ! なんだってテメェは昔っから〝ワタシ賢いですので〟みてーな顔してバカなんだよ!」

「ば、バカだと?! もう許さんぞお前っ!」


 仲間割れをする奴らを尻目に、俺はこっそりその場を逃げ出した。不安そうなユマの瞳が、いつまでも俺の背中を追っていた。



 振り返らずにただ走り続け、着いた先は街を出てしばらく行ったところにある、一軒の小さなあばら家だった。元の家主が居なくなってしばらく経つらしく、床一面埃を被ってはいるが、汚らしいのを我慢すれば隠れ場所にはもってこいだ。食料や水をどうにかする必要はあるだろうが、まだ明るいうちに外に出るのは得策ではないから、夜遅くを待って辺りを探してみよう。


 俺は部屋の隅にあった埃塗れのベッドに転がり、じっと天井を眺めて時間を潰した。


 過去の俺はとんでもないことをしでかしてくれたものだ。傲慢なのはまだ構わないとして、あろうことか世界を売り、身の保身に走るなんて。勇者の名前が泣くだろう。


 ああ、それにしてもユマは無事だろうか。アイツらに捕まって人質にされてはいないだろうか。


 そう考えるとだんだんと不安になってきて、「一緒に連れてきた方がよかったのではないだろうか」という考えが頭に過ぎる。しかし、「もしかしたらユマも俺を殺そうとしているのでは?」と思えば、やはり独りで逃げて正解だったのだと、自らの思いを誤魔化すことが出来た。


 それからしばらく息を潜めて過ごしていると夜になった。「そろそろいいか」とベッドから起きて、川でも探して水を飲もうと家を出ようとしたその時、窓の外から何やら物音が聞こえた。


 ――追手か。それとも、動物か何かだろうか。


 壁に立てかけてあった錆びた手斧を手に取り、頼むから後者であってくれと願いながら外に出た俺は、音の正体を探ろうと家の裏に周る。するとそこには、窓から家の中を覗こうとしているユマの姿があった。


「まさか」と動揺しながら周囲にユマ以外の人がいないことを確認した俺は、彼女に「おい」と呼びかけた。


「何しに来たんだ、ここまで」


 突然声を掛けられ、驚いたように身体を震わせたユマは、怖々こちらを振り向くとホッと安堵の息を吐いた。


「……よかった。アキラさん、ご無事だったんですね」

「頼む、ユマ。質問に答えてくれ。何をしに来たんだ? そもそも、なんでここまで来れた? どうして俺の居場所がわかったんだ?」


「それは」と口ごもるユマは、俺の質問への答えを持っていないようだった。殺しに来たのだとは思いたくないが、そう思ってしまった方が妙な期待を持たずに済むから楽だ。


 俺はユマを疑わなければならない状況に歯噛みしながら、「ごめんな」と呟いた。


「答えられないなら信用できない。大人しく街に帰って――」

「あ、アキラさんが言ってたんです! こんな俺を信用してくれるのなら、ここに来てくれって! だから、もしかしたらって!」


 ユマがいったい何を言っているのか、今の俺にはわからなかった。ここに来ることなんて、彼女はおろか誰にも伝えていないはずなのに。


 しかし、涙で打ち震えるユマの声は嘘を吐いているそれではなかった。泣き濡れる彼女の顔を正面から見ることが出来ず、信用と不信の間に揺れる俺は、俯いたまま「説明してくれるか?」と尋ねた。


「……わたしも、詳しいことはよくわからないんです。でもアキラさんが、魔王討伐に出発する前日にわたしをここに連れてきてくれて……それで、魔王を倒したら結婚しようって言ってくれて。その証にって、ここでペンダントを渡してくれたんです。……だから、わたし……」


 ユマの言葉を聞いて、俺は先ほどの自分の発言を死ぬほど悔やんだ。こんな状況にも関わらず、俺を信じてくれた相手に対して「信用できない」だなんて。なんて無責任で、なんて身勝手で、なんてどうしようもない男なんだ。


 でも、ユマが信じているのは俺であって〝俺〟じゃない。だとすれば、ありがたいと思う反面、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。


 そんな複雑な心情をもう抱えておくことは出来ず、俺はその場にぶちまけた。


「……ユマ。お前はきっと、俺のことを好きでいてくれてるんだと思う。でも、それはきっと〝俺〟に向けられたものじゃない。お前が好きなのは勇者としての俺なんだ。だから――」

「違いますっ! わたしが好きなのは、アキラさんなんです!」


 ユマは俺に駆け寄ると弱々しく抱き着いてきた。


「今のアキラさんだから好きなんです……!」



 家の中に戻った俺達は、ふたり並んでベッドの縁に腰掛けた。右手にはユマが作ってくれたサンドイッチが、左手には彼女の右手が握られている。


 チーズとハムが挟まれたサンドイッチを噛みながら、俺はユマに「なんで俺を信じてくれたんだ」と尋ねた。


「俺は魔王と取引して、世界を売ろうとした男だぞ。なのに、なんで……」

「……もしかしたら、〝勇者〟の時のアキラさんだったら信じていなかったかもしれません。でも、記憶を無くした後のアキラさんが、優しいころのアキラさんに戻っていたから。だから、信じることが出来たんです」

「……あんまり聞きたくないんだけど、勇者の時の俺ってそんなに酷かったのか?」


「それはもう」とユマはいたずらっぽく笑う。


「酷い言葉を平気で使っていましたし、節操なく色々な女の子と遊んでいましたし、お酒はよく飲みましたし、よく『トロい』ってバカにされましたし……それに、たくさん」

「……そんな俺とよく一緒に旅なんてしてたな」

「わたしも、よく我慢してたなって思っちゃいます。……でもわたしは、本当のアキラさんが優しい方だってことは知ってましたから。魔王を倒すっていう一番のお勤めを果たした後は、アキラさんが元のアキラさんに戻るって信じてましたから」


 笑顔でそう言ったユマは、小さくあくびをして眠そうに目を擦った。「眠いのか」と尋ねると、彼女は「申し訳ありません」と頬を赤く染めた。


「ここまで走ってきたものですから、少し疲れてしまいまして……」

「寝てもいいぞ。ここは俺が見張っておくから」

「い、いえ! そんなことをさせるわけには!」

「大丈夫だ。どうせ、妙なスキルのせいで寝たくても寝れないんだからな」


 それから「ですが」「気にするな」の応酬がしばらく続き、やがて諦めたユマがベッドに潜った。申し訳なさそうに目をつぶった彼女だったが、すぐに穏やかな寝息を立て始めたところを見るによほど疲れていたらしい。


 ユマの無防備な寝顔を眺めていると、なんだかこちらまで眠くなってくる。ここで眠ってしまえれば、そして心地の良い朝をふたりで迎えることが出来れば、どれだけ幸せなことだろうか。


 ――と、いくら眠くても糸で吊り上げられているように落ちることの無かったまぶたが急に重くなってきた。いくら目を擦ってみても、重さに抗えそうにない。まるで突然まぶたにダンベルでもぶら下げられたようだ。


 誰かが何かをしているのだろうかと思って周りを見回しても、誰の姿もない。その時、鈍い頭に過ぎったのは〝不眠〟のスキルの正確な詳細だった。


〝不眠〟のスキル。三日に一度しか眠れなくなる。


 そうだ――深夜の0時を過ぎれば、ちょうど、三日――。



 目を覚ますと、薄暗い部屋の中でユマが俺を心配そうに見下ろしていた。少し前にも似たような景色を見た気がするが、あの時は彼女以外にも仲間がいたし、何より彼女の瞳に涙は溜っていなかった。


 身体を起こそうとする俺の肩を、ユマは「まだ横になっていてください」と軽く抑えた。後頭部に当たる柔らかくも暖かい感触は、膝枕でもされているのだろうか。


 ふと周りを見渡すと、眠り込んでしまう前とはまったく景色が変わっている。冷たい石畳に無機質な鉄柵。牢屋であることが一目でわかる。「見張っておく」なんて言ったのは自分だというのに、なんてザマだ。


「……悪かった。俺のせいで」

「いいんです。それより、今はどうやってここを逃げ出すか考えましょう」


 ユマは辺りを見回しながら言った。


「ここは魔王の城の地下牢です。一度捕まったことがあるのでわかります」

「その時はどうやって逃げたんだ?」

「魔王を倒した後で、アキラさん達が助けに来てくれたと聞きました。……気を失っていたので、詳しくは覚えていませんが」


 落ち込んだようにユマがそう言った直後、廊下を歩く重い足音が聞こえてきた。音の聞こえてくる方に目を向ければ、鉄柵の向こうには、薄汚れた灰色の肌と岩のように無骨な筋肉を石の鎧で覆う、二息歩行の巨大な怪物がいた。


 怪物は見た目と裏腹にある程度の知性を持つらしく、俺達に「出ろ」と静かな声で命令して窮屈そうに牢屋の鍵を開けた。


「魔王様が上でお待ちだ」

「……なんで魔王が――」

「出ろ。次は力づくだ」


 怪物の迫力に気圧された俺達は、その命令に大人しく従い牢屋を出て、指示された方へと歩みを進めた。


 長い廊下を進み、現れた階段をしばらく昇っていくと、やがて大きな広間に出た。紅い絨毯が伸びた先にある、派手な装飾を施された背の高い椅子には、黒い鎧を着込んだひとりの男が座っている。捻じれた角が頭から二本生えた、病的なほど白い肌を持つ銀髪の男だ。あれが魔王なのだろう。恐怖という存在そのものを前にしているようで、全身を震えが襲った。


「追手から逃げ、かつての仲間からも逃げ……苦労させてくれたな、勇者」


 静かな調子で魔王はそう言った。大声を出しているわけではないのに、その声は広間全体によく響いた。


「しかしようやく捕まえた。我を騙した落とし前をつけて貰おうか」

「ま、待てよ。俺には記憶がないんだ。騙したなんて言われても、何のことだか」


「記憶が無いことは免罪符にはならんぞ。我に渡した〝全て導く者(アンサートーカー)〟。全ての問いに対する答えを即座に導く万能のスキル。それが我の中から消えたのだ。何の前触れもなく、忽然とな」


 その時、思い出したのは〝押し売り〟のスキルだった。恐らく俺はそれを使って、その〝全て導く者〟とやらを魔王に渡したのだろう。それならば魔王に渡したスキルが消えたことも説明できる――が、なぜ俺はそのようなことをしたのだろうか? この世界ではスキルの譲渡とやらも可能なはず。それなら、大人しくそうする方法だってあったはずだ。


 俺の疑問を余所に魔王はさらに続ける。


「答えられないのならば我にも考えがあるぞ」

「……どうするってんだ?」

「女を殺す」


 そう言って魔王が指を鳴らすと、俺達の背後に控えていた怪物がユマの身体を右手で掴み上げた。


「――ユマっ!」


 俺は咄嗟に怪物に向かっていったが、怪物はまるで羽虫でも払いのけるように左手だけで俺の身体をあっさり吹き飛ばした。背中から床に着地して、痛みを堪えながら天井を仰ぐことしか出来ない俺は、生殺与奪を握られたユマを前に何も出来ないことがただ歯痒くて、拳を何度も自分の腿に打ち付けた。


「勇者よ、女の命は貴様の答えに掛かっている。早く答えることを勧めるがな」

「……あ、アキラさん……! だめ、です……! なにも、答えては……」


 段々とか細くなっていくユマの声を聞いた俺は、自らの身体に喝を入れてなんとか立ち上がった。

足元がおぼつかないが大丈夫。俺は、まだ、やれる。


 ふらふらしながら怪物の足元へと歩いていった俺は、「じゃんけんぽん」と呟きながら両手をチョキの形にする。


〝じゃんけんの神様〟のスキル。じゃんけんで絶対に負けない能力。俺がチョキを出せば、じゃんけんの相手である怪物は――。


 怪物の両手がパーの形になると同時にユマの身体が解放される。自分の身体に何が起きたのかわからず困惑する怪物の隙を突いて、俺達は満身創痍になった身体を互いに支え合い、残った力全てを振り絞ってその場を逃げ出した。


 ――走れ、走れ、走れッ! 


 やがて赤い絨毯が途切れる。階段まで残り数メートル――と、短い逃亡劇はそこで終わった。突如として空間が裂け、階段の前に魔王が目の前に現れたのだ。



「そこまでだ、勇者。命が惜しいのなら無駄なあがきはよせ」



 どうする、どうする、どうする?


 生還への必要条件は魔王が満足する答え。でも駄目だ。俺はそれを持っていない。


 それならここで大人しく殺されるのか? そんなの認められないに決まっている。


 俺だけ殺されるなら構わない。どうせ本性はろくでもない人間だ。でも、ユマは別だ。せめて、コイツだけは――。


 ……おい、〝俺〟。お前が本当にチートスキルとやらを持っていたっていうなら、この状況をどうにかしやがれ。この世界でたったひとり、俺を信じてくれたユマの命を救ってみせろ。


 その程度のことができなくて、何が〝勇者〟だ!


 その時、ユマの身体が強烈な光を放ち始めた。いや、正確に言えば光を放っているのはユマの首に掛けられたペンダントだ。


 眩しく、そして暖かい光は一瞬にして広間全体を包み込み、巨大な怪物を灰へと変える。至近距離から光を受けた魔王は俺達から大きく距離を取り、焦りに表情を歪ませた。


「……その忌まわしい光を見て気が変わった。今すぐに、二人纏めて殺してやる」


 魔王の左手に黒い光が収束し、それが両刃の剣を形作る。剣先を下に向けて低く構えた魔王は、確かな殺意を従えて駆け出した。


 獣、矢、弾丸。人間の物差しでは形容しきれない速度の物体が迫り来る。


 それを前にして、ごく自然にユマのペンダントへ伸びた右手。細い鎖を引きちぎり、十字型のそれを強く握れば、広間に拡散していた光が一気に手元に収束して黄金の剣へと変わった。


 握ったその瞬間に理解した。これは、魔王を唯一殺し得る破邪の剣、世界を救う勇者の証。


 大きく息を吸い込んで勇気を奮い立たせ、剣を高く掲げて構えて、打ち滅ぼすべき世界の敵――魔王を見据える。


 刹那――一閃。


 人生で初めての一振りは、世界中の闇を呑み込んだかのように黒い魔王の持つ剣ごと、奴の身体を両断した。



 この世界から魔王が消え去ってから一年が経過した。俺は地図の上に名前すらない最果ての村で、素性を隠し名前も変えて、ユマと共にひっそりと暮らしている。テレビやインターネットはもちろん、娯楽なんてものはほとんど存在しない村だが、空気も食事も美味しくて、住人は皆穏やかとくれば、それ以上を望めば罰当たりというものだ。


 嘘みたいに平穏な毎日を過ごしていると、ふと、俺はどうやって魔王を倒したのかと疑問に思うことがある。あの力はなんだったのか。元々俺の身体に宿っていたものなのか。それともあのペンダントの力によるものなのか。ならば何故、記憶を失う前の俺はあの力を使って魔王を倒さなかったのか。


 思うことは尽きない。しかしいくら考えても答えが出るような問いでもなく、思い出したように腹の底から疑問がよじ登ってくる度に俺は、悶々とした気分を味わった。


 さて、その日はよく晴れた日であったので、俺は家の外に出した籐椅子に腰掛けてのんびり読書を楽しんでいた。そんな俺に「どうも」とにこやかに話しかけてきたのが、定期的にこの村へ郵便物を配達に来るおじさんだった。


「お手紙届いてますよ、お兄さん」


 俺は突然心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。この名前もこの場所も、誰にも教えていないはずなのに。いったい誰が、何の目的で送ってきた?


「誰からですか?」と尋ねると、おじさんは「イズミアキラさんですね」などと言うので、俺はなおさら驚いた。


「いやあ、一昨年の今頃を思い出しますよ。この日のこの時間にこの手紙をこの場所に届けてくれって、頼まれちゃいましてね。面倒ではあったんですが、ずいぶんお金も頂いてしまったもので」


 そんな独り言を嬉しそうに言いながらおじさんが手紙を渡してくるのを受け取って、書いてある宛名を読んでみれば、間違いなく俺の文字だ。


 震える指で封筒を破った俺は、恐る恐る手紙を開いた。



 ――突然のことで驚いただろうな。でも安心してくれ。この手紙は罠でも何でもない。正真正銘、過去の俺から未来の俺へ宛てた手紙だ。


 まずは魔王討伐お疲れさん。色々わからないことだらけだっただろうけど、案外なんとかなるもんだろ? 人生なんてそんなもんだ。


 ユマは相変わらず可愛いんだろうな。おい、そんな警戒すんな。言っただろうが。俺はお前なんだから、お前の嫁は俺の嫁だ。おいおい、今度は照れるな。なんでわかるのかって? そりゃ、俺はお前だからな。


 さて、緊張がほぐれてきたところで本題だ。なんで俺が未来の俺自身に手紙を送ったのかって言えば、それはお前に俺のことをよく知って貰うため。なんでそんなことするのかといえば、半分はお前のため、もう半分は俺のため。つまりは100%俺のためだ。とんだ自己満足だな。書いてて少し嫌になる。


 日記を読んだだろうから、この世界に来てから俺がやらかしたことはだいたいわかってると思う。俺が魔王と取引したことも、仲間から聞かされてわかってるはずだ。


 なんで俺があんなことをしたのかと言えば、それは俺が勇者としての役目を全うしようと思ったからだ。……矛盾してるなんてことはわかってる。だから、最後までしっかり読め。


 この世界に来た俺はある日、〝神〟を名乗る爺さんと出会った。


 爺さんは言った。「お前はこの世界を救うため、お前はこの世界に呼ばれた」


 俺はもちろん「そんな馬鹿なことあるか」って言い返してやった。よくわからない爺さんの妄言を最初から信じてたら馬鹿だろ?


 一向に話を信じようとしない俺に痺れを切らした爺さんは、「これを持てばお前も自らの使命がわかるだろう」、なんて言って〝勇者の証〟とやらを押し付けた。あの、お前がユマに結婚指輪の代わりに渡した十字型のペンダントだ。


 勇者の証とやらは俺にとある力を与えた。想像はつくだろうけど、それは〝全て導く者〟のスキルだ。

いわゆる〝チートスキル〟を与えられてから俺は有頂天だった。だって考えてもみろよ。何をするにしても、前もって超高性能のグーグルで答えを調べられるようなものなんだぜ? 調子に乗るのも無理はない話だろ。


 どうすれば楽に女を落とせるか、どうすれば楽に金を稼げるか、どうすれば楽に敵を倒せるか……あらゆる質問の答えが自分の手の平の上にあった。今思えば、あの時の俺は神にでもなった気分だったのかもしれない。


 そんな気分のまま旅を続けるうち、魔王の城に攻め込む一週間前になった。その日、俺は魔王を楽に殺す答えを探るため、〝全て導く者〟のスキルを発動させたんだ。もしかしたら、下準備が必要になるかもしれないって思って、念のために少しだけ早めにな。


 ……で、導き出された答えをざっくり説明すればこれだ。『魔王と取引を交わすフリをして、これまでの旅の記憶を一切消して貰うこと。その上で、愛する者と共にもう一度魔王に挑むこと。そうすれば、今まで眠っていた真の勇者の力が目覚めて魔王を殺すことが出来る』。


 目の前が真っ白になったよ。今までのバチが当たったんだろうな、なんてことも考えた。だって、旅の記憶が消えるってことは、今の俺の意識は無くなるってことだろ? つまり今の俺は死ぬってことだ。


「わけのわからんことを」なんて思わないよな。お前も俺なんだから、この感覚はわかるはずだ。一日や二日どころじゃない記憶の巻き戻しが起これば、それは自分の死と同じだって。


 俺は必死に〝今の俺〟のままで魔王を殺す方法は無いかを探った。でも、いくら探したところでそんな方法があるわけなかった。


 魔王を殺すために必要なスキル――〝破邪の光〟は、勇者となりうる人間の、『たとえ自分の命を賭しても自分以外の誰かを助けたい』という願いから生まれる。俺が助けようとしていたのは、仲間達でも、この世界の住人でも、ユマでもなくて、自分自身の命だったんだからな。


 ……でも、俺は本当にどこまでもどうしようもない男だよ。こうやって、記憶を無くして戸惑うお前が無事に魔王の元へ辿り着けるように色々と下準備をしてるのは、「こうしてマトモに勇者の役割を務めていれば、〝今の俺〟にも勇者の力が目覚めるんじゃないか?」、なんて考えてのことだからな。そんな風に考えてるから勇者になんてなれないってのに。


 ……さて、ついさっき、お前の逃亡の役に立つクズスキルは集め終わった。これから仕上げとして、ユマに〝愛の告白〟をかましてくる。アイツは俺に惚れてるし、断られることはまずないだろうけど、念のためにスキルを使って告白の方法を調べておくよ。失敗が怖いからな。


 じゃあな、俺。アイツと幸せに暮らせよ。


 追伸、あるいは書かなくてもいいこと・・・金持ちになる方法を教えてやる。その村から西へ20キロ行ったところに少し大きめの街がある。そこでは十年に一度、日本円で十億程度の賞金が掛かった宝くじが発売される。今から二か月後のちょうど正午、その街でそのくじを買え。一等が当たる。


 お前は魔王を殺して世界を救った勇者なんだ。金持ちになって生きたってバチは当たらないと思わないか?




 その日の夕食には少し塩辛いロールキャベツが出てきた。「少し失敗しちゃいました」と照れ臭そうに微笑むユマに、俺は「いいんだ」と微笑んだ。



「……それよりもユマ、話があるんだけど――」




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