借金
「いやもう、完全に出遅れた感じというか」
ダグザの町は、サービス開始1日目とは思えないほどに賑わっていた。
大通りで露店を出すプレイヤー、それを物色するプレイヤーに、狩りが終わって帰ってきたであろうパーティ。様々な人がごった返し、自分の居ない間に1年くらい経ってたと言われても驚けないほど、町は活気に溢れていた。
自分がアラドに滞在していた数時間の間に、ここまで置いて行かれるとは思ってもみなかった。リク以外の友人たちもベータテスト時と同じキャラクターネームで始めると言っていたから彼らと連絡を取ることもできるだろうが、きっととっくに狩りに勤しんでいることだろう。ほとんどの友人が攻略最前線を走る者達なのだから、こんなところで立ち止まっている者は少ない。
「じゃあやっぱ、まずはスキルとか揃えるか」
そんなことを呟き、歩き出す。
既に置いて行かれてるのだから、今更急いだところで簡単には追いつけない。そもそもまだ攻撃手段すらない生産職なのだ。
ダグザは最初の町でありながらも規模はかなり大きく、猟師スキルのほか、様々なスキルを取得することができる。予定ならば、この町でビルドに必要なスキルは全て取得できるはずだ。
アラドの時のように未実装な職業があったり、ベータテスト時と編成の変わっている職業があるかもしれない。まずはそれを調べ、必要なものを考え、構築を少しずつ変えてくのも良いかもしれない。
しばらく町並みを見物しながら歩いていると、見知った顔に出会う。
……うん、あれ町長だ。さっきのアラドの町長だ。
「えーと、町長さん?」
「ん? なんだお前……ああ、キヌと言ったか。なんか用か?」
記憶は確かに受け継がれているようだが、なんか、郷愁とか感慨深さとか皆無。30分くらい前に会ったぞお前。こんな近くに居るとか聞いてないんですけど……。
「あ、別に用はないです……」
ここに居るのは、上位権限を持っていないただのNPCだ。スキルの相談など行えないのだから、現状、特に用はない。
「なんだそっちから話しかけておいて。暇なら手伝ってくれんか?」
驚いたことに絡んできた町長がそう言うと、眼前にポップアップが浮かぶ。
≪クエストを受けますか?『町長の頼み事』≫
うーんどうしよう、正直、こういう細かいクエストは世界観の補完が多く、それに興味のない自分にとってあまり旨味のあるクエストではない。こんなところで偶然出会った町長から受けられるくらいなんだから大した報酬もないだろうし……。
ただまあ今は急ぎではない。こんなところで断ると彼にまた会った時にネチネチ言われそうで面倒というのは思ったが、ただのNPC相手にそこまで考えてしまった自分に少し驚く。ただ単純に、スキルを教えてもらったお礼に、一度くらいは依頼を受けても良いだろうと思ったのだ。
「良いよ。何すればいいの?」
『はい』の選択肢を押し、彼に問う。まさかこんなところから始まるクエストに長時間拘束があるとは思えない。大方お使い系だろうとタカをくくって問いかける。
「おう助かるよ。なに、薬屋の婆さんのところまでこれを届けて欲しいだけなんだ。よろしく頼むよ。薬屋の場所は分かるか?」
「あー、たぶん。東通のだよね?」
「そうだ。じゃあ頼んだぞ」
そう言って渡されたのは茶色い包み紙にくるまれた、四角い何か。
……どうやってインベントリに収納するんだろう。いや、こんな程度のサイズなら別に手に持ったままでも良いのだが。
もうこの町長はメタ発言をしないはずだ。「これどうやってしまうの?」とか聞いて変な顔されたくはない。どこかで会った友人にでも聞けば良いだろう、たぶん。
町並みを思い出しながら20分ほど歩いていると、薬屋に辿り着く。本当に相当時間をロスしているような気もするが、それならもういっそ、今日一日くらい潰しても良いだろう。どうせ、スキルの取得をする予定だったのだ。周囲とレベル差は広がるだろうが、たった一日分なら効率よく狩ればいつでも追いつける程度でしかない。
「町長さんからお届け物でーす」
配達のアルバイトをしているような感覚だ。薬屋のカウンターに人は居なかったので大きめの声で叫ぶと、奥からゆっくりとおばあちゃんが歩いてくる。うん、腰の曲がり方とか足の引きずり方とか、完全におばあちゃん。NPCの動き一々細かすぎないか? こんな無数のNPC、一体誰がモデリングしているのやら。
「おお助かるよ。ついでといってはなんだが、儂の願いも頼まれてくれんか? なに、町長に報告しにいく道すがらじゃよ」
「別に良いけど、次は何?」
「娘にな、これを届けて欲しいんじゃ。今なら通りの本屋で働いてるはずだから、よろしく頼むよ」
「りょーかい。達者でね」
断る理由もないので、また新たなクエスト≪薬屋の頼み事≫を受ける。うん、これあれだ、よくあるお使いクエストのリンク。
デスペナ時の暇潰しとかにやるやつだ。知ってる知ってる。
一個一個のクエスト報酬は大したことないが、塵も積もれば山となる理論でそれなりの報酬を得ることができる。続ければ続けるほどに報酬は貰えるが、時間比で見ると一つのクエストで大量の報酬を貰えるものの方が圧倒的に良いことが多く、ただの暇潰し程度の扱いだ。
面倒に感じた時点で断れば良いだろう。そのくらいの意識で受けたこのお使いクエスト連鎖が、まさか丸一日続くとは、誰も思わなかったことだろう。
◇
「つ、疲れた……」
結局丸一日お使いリンクは続き、最後に町長の家で夕食までご馳走になり、何故かデザートの配達まで行い、ようやく解放された時にはあたりは暗くなっていた。
時計を表示すると、今は21時。確か最初に町長に会った時点で13時くらいだったから、凡そ8時間は拘束されていたことになる。もう本当にそこらのアルバイトだ。
「報酬も大したことないし、今度からは受けないどこ……」
8時間拘束されたにしては少なすぎる報酬だった。時給1000円だとしても8000円分くらいは貰っても良いはずだ。こんな程度の額では、ちょっと高めの宿に泊まったら1泊でなくなってしまう。日雇い労働者じゃないんだから、流石に割に合わなすぎるクエストだ。
というか、夜って皆はどうするつもりなのだろう。別に宿屋でなくとも寝ることは出来るのだ。このゲームではログアウトの必要がない。眠気を感じることから毎日睡眠を取る必要があるのは分かるが、ただの疲れかもしれない。
いやゲーム内で露骨に疲れを感じるのはどうかと思う。なにせ、結局丸一日町から一歩も出てすらいないからだ。狩りをしていたプレイヤーに比べると、皆無に等しい疲労でしかないはず。まさかここにも運動不足というのが影響されているなんてことはない……はずだ。お願いだからリアルの身体能力を参考にするのはやめてくれ。
適当な宿に入ってフロントのNPCに聞いてみると、どうやらそこにはゲーム的な能力が働くらしく、宿の外見からは想像できないほどの定員があることを知った。10部屋くらいしかなさそうな宿なのに800部屋あるとか流石に色々設計間違ってるだろと言いたくはなるが、今5万人近いプレイヤーがこの町に居ることを思うと、そうでもしないと収容しきれないのだろう。
宿にチェックインをし、窓辺に座って通りを眺める。大通りに面した宿なので、窓の外を見るとまだ沢山の人で活気に溢れている様子が見て取れた。
露店の数は、昼間の数倍にもなっているだろうか。通りの両サイドに隙間なく露店が並び、誰から居なくなるとまた通りがかった人が店を出す。そんな繰り返しは、見ていて飽きないものだった。
露店は、商人の職業で『露店』スキルを取得すれば誰でも出すことができるものだ。売買金額や販売数によってレベルが上がり、一定以上までスキルレベルが上がれば店舗を借りたり買ったりもできるようになる。
どうしても長期的な販売が必要になるスキルなので、生産職が生産ついでに店を出すことが多い。鍛冶場などが必要ない生産職なら、作りながら店を開けることもできるからだ。逆に、鍛冶場から出れない鍛冶職などは、商人プレイヤーやNPC、はては知人の露店を間借りして販売することもある。そんな風に、経済は回っていたのだ。
しばらく通りを眺めていると、突然眠気に襲われる。
うん、もう寝て良いだろう。安価な宿だがベッドは柔らかいし、それだけあれば寝ることはできる。椅子で仮眠を1週間生活だって経験があるのだ。
明日のことは、起きてから考えよう。毛布にくるまれながら、ゆっくりとそんなことを考える。
ゲームの中で、一日が終わる。
◇
「……ん、朝かな……」
自然に目が覚める。見知らぬ天井――じゃなかった、昨日入った宿の天井だ。
確か、チェックアウト時間は10時のはず。そんなとこまでリアルにしなくても良いが、今の時間は朝8時半。昨日何時まで起きていたかはあまり覚えてはないが、8時間くらいは寝ていたはずだ。
ふと部屋を見渡すと、視界の端でアイコンが点滅していることに気がつく。アイコンはメールボックスだ。メール機能は、本人がログインしていない時間に要件を送ったり、NPCからの連絡に使われる。
開いてみると、差出人は『アラド町長』あ、町長NPCの名前、アラドなのか。まんま町の名前で、割りと雑。
「嫌な予感がするなあ……」
『昨日は助かったよ。もしも時間があったら、今日も頼まれてくれんか? 報酬として、特別なスキルを授けよう』
「クソ! やるしかねえじゃねえか!!」
特別なスキルなんて言われてスルーできるビルダーがどこに居るって話だ。どれだけクソスキルでも、存在を知らないことには価値を見出すことはできない。流石にぶっ壊れスキルなんてことはないはずだが、互換性のないオンリーワンスキルなら重要だ。8時間労働をしてでも得る価値はある。きっとある。あってくれ。頼む。
宿の売店でパンを買ってくると、部屋に戻り包みを開く。うん、やっぱり匂いもある。
ライ麦系のパンで、少しの塩見と、さっくりとした食感が朝には丁度いい。ステータスの空腹値は食後でも47までしか回復しなかったが、まあ空腹を感じるほどではない。とりあえず今日は、どこまで空腹値を減らしても行動できるかの実験も兼ねることに決めた。
食事を済まし宿のチェックアウト手続きを行うと、町長の家に向かって歩く。
もう時間は9時を回っている。露店通りに昨晩ほどの活気はないが、もう場所取りが行われており、露店の開店準備を始めるプレイヤーや、狩りの帰りなのか、疲れた顔で歩くプレイヤーも居る。皆、色々なことをし、昨日一日を乗り越えたのだ。町中を駆けずり回った自分と違い、もっと広い世界を見てきたのであろう。自分は今日もパシリで決定。いつ彼らに混ざれるんだろう。
町長の家の玄関で呼び鈴を鳴らし、見慣れた顔に一言。
「うーっす町長、要件って?」
「おお、キヌか。よく来てくれたよ」
「……ところで質問なんだけど、このクエスト何人くらい受けてるの?」
「…………何の話だ?」
町長は、不審そうな顔でこちらを見る。
流石に、昨日アラドの町に居た町長とは違い、そういう情報にアクセスする権限は持ってないようだ。この反応がNPCとしては正しいし、やっぱり昨日のはおかしかった。
「いやごめんごめん気にしないで。ところで要件は?」
「ああ、そうだった。今日はな――」
そうして決まりました、きっと今日一日もこうして潰れるのであろうお使い連鎖。なんだろう、なんか、全てを間違えたような気がする。
◇
「感謝の礼は、このスキルだ」
眼前にポップアップ。丸二日かけて貰えたスキルは――
「『運び屋』? なんだこれ」
行動系スキル『運び屋』。スキルツリーがない、つまり派生のしないステータス上昇系スキルであり、一般的に効果はあまり大きくない。
正直、丸二日かけて貰うほどでもないスキルだ。これと似たようなスキルなら無数に存在するし、あえてこれを選ぶメリットがほとんどない。
「そのスキルがあると、お使い系のクエストが優先的に受けれるようになるぞ」
「俺、パシリじゃないんだけど……」
「まあまあ気にするな。あっても損はしないと約束するぞ」
「そんならいいんだけど……」
スキルが揃ってきてスキル枠が足りなくなったら真っ先に外しそうではあるが、確かにステータス上昇系なら装備して損することはない。
「明日もまた依頼あったりする?」
「いいや、お前は十分やってくれたよ。当分頼むことはないだろう」
頼むぞオッサン。そう心に呟いて彼に別れを告げ、家を出る。
昨日ほどではないが、既に夕方時だ。スタートダッシュに出遅れたどころではないが、まあ、あと3年もあるんだ。今急いだところで、何が変わるというわけでもない。ゆっくりと、自分なりのプレイスタイルを見つければ良いんだ。
この町に住むのはプレイヤーだけではない。プレイヤーとほぼ同じ数のNPCが住んでおり、彼らと良い関係を結ぶことはきっとマイナスには働かない。そう信じよう。
まだ暗くなるまで時間はあるが、流石に今から狩りにでかけたり、スキルの取得に走るのは難しそうだ。適当に露店を物色したら宿に入って、明日早めに行動をはじめよう。そんな計画を練って露店通りを歩いていると、ある看板が目につく。
ある露店が出している看板だ。確か露店スキルレベルがある程度まで上がると、露店の上に看板を出せるようになる。看板といっても、薄い板が宙にぷかぷかと浮いているのだが。
【募】琥珀色の石
そんな看板を出したプレイヤーは自分の露店で胡座をかき、何かを編んでいる女性プレイヤーだ。露店の販売スペースには、何も置かれていない。
毛糸の塊から2本の太い糸を出し、交互するように無言で編み続けている。何を売るでもなく、ここまでガッツリスキル上げをしている姿は異様で、「なんでこんなんで露店スキル上がってんだ?」と思わせるほど。確か、ベータテスト時には露店スキルのスキルレベルを上げるには、何かしらの売買が必要だったはずなのに。
「あの、琥珀色の石って、これですよね?」
インベントリから実体化する。アイテムをインベントリに収納したりそこから出したりする方法は、昨日お使いの最中に自然に気付いた。アイテム化できる物体に手を当て、念じるだけでインベントリにしまうことができる。出すときはPC時代と同じで、インベントリからクリックするだけでいい。
彼女に話しかけたのは『琥珀色の石』という、二日間のお使い報酬で大量に貰えたアイテムの処分先が見つかったからであり、別に、彼女が何をしているかに興味があるわけでもなかった。
いや、ベータテスト時に手に入れることのなかった素材アイテムを、どう使うのかは気になったが。
「あー…………私ですか」
「……アンタしか居ないでしょ」
ゆっくりと顔を上げた女性プレイヤーは、なんというか、異様なまでに眠そうだった。というか、半分以上寝てるだろこいつ。リアクションが遅すぎるし、目の焦点が明らかにあっていない。茶色い髪を後ろで結び、大きな黒縁メガネをかけている以外は特徴のない地味な姿だ。
地べたに座ったままこちらを見上げている彼女は、しかし両手の動きが止まることはない。ずっと何かを編み続けており、マフラーにしては幅の広い謎の布ができていくさまを眺めることしかでいない。
「すみません、寝ずにやってたものでちょっとボーっとしてまして」
「……いつから寝てないんですか」
「あー…………始めた時からずっとですね」
彼女の返答に、流石に驚きを隠せない。いや、流石に寝なさすぎだろ。自分昨日がっつり8時間寝たし、今も露店見終わったら寝るつもりだったし。
「……寝れば良いのに」
「いやー……それもそうなんですけど、勝手に露店レベル上がるんで中々動けなくてですね、これ……」
「なんか売買しないと上がらなくないですか?」
「やー……なんか上がるようになってるみたいですよ。……私、買い取りくらいしかしてないのに、もう露店レベル19まで上がってますし」
……流石にそれは上がりすぎな気もするが、序盤は上がりやすいとかそういうのだろうか。
「で、これ、要るんですよね、いくらで買い取って貰えます?」
彼女に向けた取引ウィンドウに琥珀色の石をありったけ乗せると、眠そうだった彼女の目は突如見開かれる。
「あっこれ、配達クエやりましたね」
「……よく分かりましたね」
「個数39なのそれしかないですし。ちょっとそんなにあったら所持金足りないんですけど、友人呼ぶので待ってて下さい」
さっきまで半分寝ながら編み物をしていた彼女は突然目を見開き作業を止め、誰かに個別通話、ウィスパーを飛ばしたようだ。
3分ほど待っていると、灰色の髪をした長身の女性が現れる。全身をアクセサリで埋め尽くしたバンギャのような女性だ。正直、地味な文学少女みたいな露店の主と比べると、キャラクター性が違いすぎる気もするが。
あと特徴として、現れた女性には、ある特徴がある。耳が、長いのだ。
種族としてエルフもしくはハーフエルフを選んだ場合、このように長く、尖った耳になる。キャラメイクに拘れば人と同じような耳の形にもできるが、エルフを選ぶタイプの人にはステータス補正より「見た目が可愛いから」という理由で選ぶ人も多く、このように、あえて目立たせる人がほとんどだ。
「ヨっちゃんおまたせー。えーと、配達クエやった人ってこの人?」
「そうそう、流石にそんな買い取るお金なかったから、直接取引よろしくね」
「まだ二日目だってのに変わった人も居るもんだ。お陰で助かるけど……えーと、アタシは八重、八に重ねるで書いてヤエね。よろしくー。で、お兄さんの名前は?」
「キヌって言います、どうも」
「はいはーい。で、取引だけど、1個1kくらいでいいかな?」
彼女の言葉に、流石に驚きを隠せない。kというのは1000の略称で、1個1kだと琥珀色の石39個で39000Gにもなる。ちなみにGは金銭単位である“グリフス”のことであり、別にゴールドというわけではない。が、ネット上ではほとんどゴールドと読まれていた。
この素材、そんな高価な素材だったのだろうか?
この町では、ほとんどの店売り武器は1k以下で手に入る。ポーションなどは1kもあれば10個以上買えるし、昨日の宿屋だってたったの800G。それなのに突然出てきた39000G。流石に、そこまで価値のある代物とは思えない。
「……これ、そんな高いんですか?」
「うーんどうだろ、そりゃ適正かって言われたら大分高いけど、安値ふっかけて他所に持ってかれても困るからねえ」
ヤエと名乗った彼女はそう返す。その反応で、大体察した。
この石1個で1kというのは恒常の価値ではない。今、この瞬間静かに値上がりしているだけの素材アイテムなのだということを。
「適正価格ってのはどんくらいなんですかね」
「ま、700くらいかな? ただそんなんで無知なプレイヤーから1個2個買い取ったとこでたかが知れてるし、大口なら1kでも大歓迎だよ。どうする? ふっかける?」
ふっかける?と煽るように彼女は言った。つまりこれは、「これ以上アタシに交渉を求めるか?」と聞いているのだ。
彼女にとって、琥珀色の石を39個まとめて手に入れることには、相場の1,5倍近い値段を払う価値があるとカードを見せている。その状態で、どこまで買取価格を釣り上げれるかの交渉をするのかと、彼女は問うてきている。
「じゃ、1個700でいいですよ。その代わり、何に使ってるかとか教えてもらえます?」
「……ん? いや、ふっかけるってのはそっちの意味じゃないんだけど」
「別にもっと高くしろなんて言うつもりありませんから。相場が700なら700で良いですよ」
「やー、アタシからしたら助かるんだけど……じゃ、27300ね。おまけも付けとくよ」
取引ウィンドウに載せられたのは27300Gと、指輪が一つ。これは市販品ではない。ハンドメイドだ。
つまり彼女の職業は――
「なるほど、細工師ですか」
「そうそう。琥珀色の石が低レベル時にギリギリ扱える宝石だから、無地の指輪にくっつけて売っぱらう感じ。序盤でスキルレベル上げとくと競争相手引き離せて便利なんよ」
彼女はそう言ってけらけらと笑う。全身につけている大量のアクセサリも、きっと彼女のお手製なのだろう。
生産職において、他のプレイヤーよりワンランク上の装備が作れるというのは、何よりも大きな力を持つ。顧客が増えれば知名度も上がり、知名度が上がれば素材の持ち込みも増える。素材の持ち込みが増えれば またスキルレベルを上げることができ、ワンランク上の装備を常に作り続けることができるようになる。
その礎となる為の出費なら、惜しくはないのだろう。
「というか、27300Gなんて二日目でよく手に入りましたね」
「あー……内緒にしとくつもりだったけどまあアンタなら悪用はしないか。これ、見てみ」
ヤエは自身のスキル欄を指先で弾き、クルリと回してこちらに見せてくる。なるほど、この画面って回すこともできたのかと少し関心。
彼女のスキル構成は、いたって普通の細工師だ。『金属細工』のレベルだけが15と他と比べて高く、『宝石加工』『彫金』のような別職業のスキルも載せたアクセサリ特化のハイブリッド型。しかし、最後の一つだけ、見たことのないスキルがあった。
「『金貸し』……ってなんですかこれ」
「これね、銀行のお使いクエでちょっと裏ワザ使うと貰えるスキルで、銀行から金借りれるようになるんだよ。ちなみに人に貸すこともできるようになるけど、そっちの機能はまあ使わないね」
「えっ、つまり今の金……」
「そ、借りた金。レベル低いうちは手数料も結構かかるけど、序盤でこれ以上に大金手に入る手段ないからねー、1か月もあれば返せるようになるだろうから、そんな気にせずバンバン借りてるんだよ」
「まさかの借金操業!?」
「そんなわけで安くしてくれるのは大いに助かるワケ。こんだけあれば結構レベル上げれると思うから、もうちょっとマシなの作れるようになったら融通するよ。フレンド交換しとく?」
「じゃ、お願いします」
≪フレンド申請 八重≫
『はい』の選択肢を選び、彼女とのフレンド登録が完了。フレンド欄には他に「リク」の名前しかない。戦闘職ばかりを選んでいたので、生産職のフレンドができるのは珍しいのだ。いや、冷静に考えなくとも今は自分も生産職だが。
「あれ、この職業って何?」
八重はそう疑問符を浮かべ、ヨっちゃんと呼んだ眼鏡の女性に自分のフレンド画面を見せる。
「ほんとだ、私も見たことないですよ。コック帽に包丁――料理人とかですか? これ」
フレンドになると、キャラクターネームの前に職業を現すアイコンが見えるようになる。料理人のアイコンは眼鏡の彼女が言ったように、コック帽に包丁だ。ちなみに槍使いであるリクのアイコンは槍が一本あるだけで、細工師のヤエのアイコンは指輪の中にハンマー。うん、ギリギリ伝わらなくもない。
「あー、そうです、料理人です」
「それ、新職?」
「ですよ。なんか料理にバフが乗るみたいで、試してもないんですけど……」
そう言うと、八重と眼鏡の女性は目を合わせ、ゆっくりと頷く。
「ホームにご招待~! ホラ、ヨっちゃんもフレンド申請。しとかないとホーム入れないでしょ」
「え? あ、はい」
≪フレンド申請 陽≫
……とりあえず『はい』を押す。なんか流れがわからなくなってきた。
「……ホームって」
プレイヤーホームは、安くとも数十万Gはする。そこで、ここの借金王だ。…………嫌な予感しかしない!!
「うん、買っちゃった。割りと一等地だよ?」
「生産職皆で借金返す約束で、ルームシェアしてるんです。いや、まあ、借金したのは彼女一人だけですけど……」
「えへへ、たった400万だからね」
「よ、よんひゃ……!??」
空いた口が塞がらないとはこのことだろう。正直、ベータテスト時代では、1週間金策に励んで稼げる額が10万と言われていた。トッププレイヤーやトップ生産者は違うんだろうが、普通のプレイヤーからしたらそんな額だ。
……それを、開始二日目で買うとは。借金が自由にできるとはいえ、手数料も馬鹿にならないはずだ。
「実際、生産職ってこの町出る必要ないからねー」
「ポータル通れば他の町にも行けますしね。一等地を買えるのはスタート直後だけだからって彼女が突然買うって言い出して。……買ってからルームシェア相手探すとか言い出した時は流石に驚きましたけど」
「いや、でも実際見つかったから良いでしょ」
楽天家のヤエと現実派の陽の組み合わせは、中々に噛みあわせが悪いような気がする。ただ、出会って二日目でここまで中が良いわけないから、リアルフレンドなり以前からのゲーム友達だったりしたのだろう。それなら、この波長の合わなさは普段通りなのかもしれない。
「で、ホームに招待ってのは?」
「あー、ホームにキッチンあったんだけど、誰も料理スキルなんて取ってなかったから何もできなくてねー。トマト切っただけなのに突如黒焦げになった時は流石に雑すぎるって突っ込んじゃった」
「……というか、キヌさんに会うまで料理スキル持ってる人にすら会ってなくて。まさかダグザに来たら取れないなんて思わないですよね」
「てか、アラド以外選択肢すら出てないみたいよ? エルフの町、ミューラではそんな話聞かなかったからね」
……え? 取れない? 料理スキルが?
確か、レストランのオバチャンはネヴァンとかいう町に居ると言っていたはずだ。それがどこかは分からないが、彼女以外に職業、料理人を取得できるNPCが居ないとしたら。
それはつまり、ネヴァンに辿り着くまでに料理スキルを持っているのは、アラドの町で料理スキルを取得したプレイヤーだけ、ということになるのだろうか。
……希少価値はある。いや、しかしここで考えるべきは逆なのだ。
ある程度ストーリーが進んでからでないと取得できない生産職が、重要であり、強いものが作れるはずがないのだ。むしろ、完全な趣味職業である可能性が高い。序盤にはどう考えても要らないから、序盤の入手手段がない、そんなことになってしまうのだ。
……うん。微妙かも。料理。
「というわけで、専属コックさんよろしく。女の子いっぱいだよ? スキル上げれるよ? てなわけで作って! 二日目だけどパン飽きたの! 加工すらできないの結構つらい! サンドイッチくらい作らせてよ!」
「わぁ! 嬉しくなくもないお誘いだ!」
確かに、嬉しくないわけではない。キッチンがあれば料理スキルレベルも上がるだろうし……いや、どうせ手でやるんだからスキルレベル上がる意味なくない? いや、バフがあるか。じゃあ一応ある。
けど、良いように使われているだけなような気がしないこともない。
「とりあえず今日だけなら。人数と、あと……食材売ってる店とか分かります?」
「店は分からないですけど、トマトくらいなら昨日買ったの残ってますよ」
「あ、あとアタシさっき牛乳と卵買ってきたよ。オムレツくらいできるかなって思ったんだけど、黒焦げになるくらいなら作れる人にパス。よろしく!」
ヤエに取引ウィンドウを突然開かれ、卵が10個と牛乳1リットルが置かれた。そして陽にはトマトを置かれた。……トマト切るだけで焦げる(!?)のに、オムレツを焼けるとどうして思ったのか、そっちの方が気になる。
「あー、あと、塩と砂糖とかあります?」
せめて調味料くらいは欲しい。というか、後は塩と砂糖さえあれば、ある程度のものが作れる気がする。頭をフル回転させてレシピを思考――やっぱ、こんだけしか食材がないと一瞬で思考は終了。
「ミキちゃんがなんか塩と砂糖作れたって言ってなかったっけ?」
「……塩化ナトリウムっぽい結晶とスクロースっぽい結晶だったような……? ちょっと、聞いてみます」
不穏な言葉ではあるが、塩化ナトリウムはそのまま塩、スクロースは糖の成分であることに間違いはない。……作ったって、どういうことなんだろう。
生産職の集まりなら、嫌な予感がしないこともない。
耳に手を当て誰かと話していた陽は会話を終えると、回答する。
「ミキさんは調合師ですけど、ポーション分解の時に塩っぽい成分と砂糖っぽい成分が作れたみたいです。一応、食べても害はないらしいですけど……それで、大丈夫ですか……?」
「大丈夫だと信じたい……」
嫌な予感が的中した。せめて食材から分解して欲しかった……。
元がポーションなら突然毒状態になったりはしないだろう。味が付けれるなら、それでも料理はできるはずだ。
ホームに向かって歩く彼女らに着いていくと、辿り着いたのはとても“プレイヤーホーム”とは言えない建物だった。
「……デカくない?」
「鍛冶場とかも中にあるからね! 生産職にしてみると、ほんといい物件だよここ」
「鍛冶場とかも、って……」
というか、1階が全部鍛冶場だ。NPC運営の店と間違えて入ってしまいそうになるほどに鍛冶場。
1階は店舗も兼ねているようだが、現時点では店舗を開けるほどに陽の露店スキルレベルが上がっていないので使えないらしい。
露店通りからすぐ行けて、通りに面した店舗もあり、鍛冶場まである。確かに生産職がホームとするにはこれ以上ないほど好立地の良物件。生産職などほとんどしたことがないのに、借金してまで買いたくなる気持ちが分かってしまう。
「えーと、さっきウィスで説明しましたが、この方が料理人のキヌさんです」
陽の紹介に、「おお……」と、少しのざわめきが起きる。ホームに集まっていたのは4人、皆が女性プレイヤーだ。
「こちらが、調合師のミキさん」ハンチングキャップを目深に被り白衣を着ている女性。「ポーションは任せて!」と親指を立ててくる。
「こちらが鍛冶師の栄子さん」目つきの鋭い、赤髪の少女だ。ペコリと頭を下げた彼女は、それだけ紹介をされると無言で階段を降りていった。
「すみません、悪い子じゃないんですが……」謝らないで。彼女のリアクション、痛いほど分かるから…………。初対面の人が料理作りに家に来て普通のリアクションできるはずもないよね……。
「こちらが木工職人のユーリさん」透き通るような水色の髪をした少女だ。……手にハンマーとノコを持ってなければもう少し第一印象は良かった。家の中でそれ持たれると結構怖い。
「こちらは調律師のミッコさんです」……調律師って戦闘職だよな? それもガチのサポート職。長い黒髪の女性、外見からは、この中での最高齢に見える。――と言っても20代後半くらいか。キャラメイク次第で実年齢はわからなくから、それが参考になるかは分からないが。ゆっくりと、丁寧なお辞儀をされる。
「私が裁縫師兼商人の陽で、こちらが細工師の八重、以上の6名です」
「よ、よろしくおねがいします……」
やけに緊張する。何故だろう。
人前で料理をすることが、久し振りだからだろうか。今この世界には、自分を排除した店の人間など居ない。だから恐れずに料理をしてもいいはずなのに、それでもやはり、緊張してしまう。
「1時間もあれば終わると思うんで、適当に時間潰してて下さい」
そう声を掛けると各々「はーい」と言って、自分の作業スペース兼自室に戻った。……そうか、生産職だから、家の中でもスキルが上げられるのだ。ここで暇をするのは戦闘職だけであり、ここは生産職の家。料理の作業を眺める人なんて、誰も居なかった。
少しだけ安心する。他人に手際を見られるのが恥ずかしいというよりは、働いていた時のことがフラッシュバックしそうで怖かっただけだが。