料理
「あっ痛い痛い目痛い痛い痛い痛い痛い!!!」
「なんだいアンタ! 珍しく料理人になろうって若いのが来たから指導してやってんのに、玉葱すら刻めないのかい!」
「い、いや、できる、できるよ? けど目痛くない!?」
「目が痛くなるのは当たり前だろ玉葱なんだから! ほらシャキっとしな!」
コックコートを着た恰幅のいいオバチャンにケツをべしべし叩かれる。痛いけどそれより目が痛い。なんだこれ硫化アリルの馬鹿野郎!
玉葱を刻むのは2年ぶりだ。といより、包丁を持つこと自体が2年ぶりとなる。仕事をしていた時代は毎日10時間以上包丁を握った日もあるし、玉葱を100個以上刻むこともあった。だから甘く見てた。甘く見てたんだ……。
「いやおかしくない!? 硫化アリル再現する必要なくない!? いや確かになかった味も栄養も落ちるんだけど、ゲーム内でそれ要らなくない!?」
もう号泣、鼻水ずびずびで超混乱。ちゃんと口呼吸を心がけていたのにこれだ。久し振りだからなのかちゃんと冷やしてなかったのか包丁の切れ味が悪いのかゲームデザインの設計ミスなのかなんなのかなんなのかなんなのか!!
いやもう涙目なんてレベルじゃない。なんか目が痛いような気がするの最初は錯覚かと思って切り進めていたら気付いたら後の祭り。手を止めるたびにケツ叩かれるから進めてたらもう地獄。駄目これ脱水症状と混乱で死ぬ。
「よし! ここらへんでいいだろう」
「ついに解放!?」
「次は人参だ」
「あっはいそうですよねティッシュください!!!」
流れるように紙を要求するとオバチャンに「しょうがないねえ」と言われ、ティッシュ箱を渡される。ありがとうオバチャンできることならその優しさもっと早く欲しかったよ……。
「涙さえ出なきゃ余裕!!」
2年間包丁を触っていなくとも、体は覚えているのだ。オバチャンに渡された人参を一瞬で微塵切りし、次に渡されたきのこ類も刻む。うん、寝ながらでも刻めるくらい体に染みついた行動なだけあって、2年ブランクがあり且つゲーム内という環境の違いがあっても普通にできる。たぶん野菜を刻む速度ならそこらのプレイヤーには負けない自信がある。早刻みコンテストみたいのあれば優勝狙える自信ある。絶対にないが。
「それにしても、よく動くな」
自身の体への感想だ。いつもと同じ行動をして初めて分かるが、ラグといったものは全くない。現実世界と同じように、体が動くのだ。
「だねえ、玉葱刻んだ時はズブの素人かと思ったが、この短時間でよくできたもんだ」
「ありがとうオバチャン! 野菜刻んで褒められるなんて生まれて初めてだよ愛してる!」
「子持ちに変なこと言うな玉葱刻むだけで号泣するガキが!」
「そのうち慣れるから! から!」
こんな会話も成立する。本当に、彼女が人間でないことに驚くほかない。
ここは小さなレストランの厨房だ。生産系職業である調理師の取得のために紹介されたレストラン。ベータ時代にこんな店があったかは知らない。――何故って、アラドの町はキャラを作ってから10分くらいしか滞在しない場所だからだ。
料理人という職業がベータ時代になかった以上、この店も新しく作られたのかもしれない。実は元からあって職業習得もできたなんてことがあっても驚けないほど、この町は全てのプレイヤーにとってスタート地点以外の意味を持たなかったのだ。誰も調べていなかったという可能性は、十分にある。
「よし! アンタのお陰で仕込みも楽に終わったよ! ありがとうね!」
「はい!」
「ホラよ、職業欄を見てみな、ちゃんと料理人になってるから」
そう言われて職業欄を――見――――
「オバチャン!」
「なんだい急に!? もう告白は受けないよ!?」
満更でもないのかちょっと赤面するのやめてくれ! 年上趣味はない!
「職業欄の見方が分からない…………」
「…………」
「……………………」
「私の真似してみな」
「……はい」
長い沈黙の末、オバチャンがそう言って動作を見せてくれる。
真っすぐ前を見、右手を左から右に払う――あっ出た。突然空中にアイコン出てきた。ゲーム画面で常に下に見えていたアイコン達だ。これさえ見えればもう分かる。出し方すら知らなかったが。
「えーと、触れば良いのかな。あっなんか振動というか触ってる感触ある! すごい!」
「……いや今知ったみたいな反応してるがアンタ、操作説明くらいはあっただろ?」
普通のNPCであるオバチャンでも割とこんな感じでメタな発言をしてくるから侮れない。なんというか、線引きが曖昧だ。ゲームの世界に入っているというよりTRPGをプレイしているかのような感覚。うーん、大丈夫だろうかこの世界。
「そういうメタ発言、こっからも皆するもんなの?」
「いや? 一応この町はチュートリアル専用だから、私達にも上位権限が与えられてるんだよ。アンタの言うメタ発言? ってのは、つまりそれだろうな」
「なるほど……良かった……」
オバチャンの発言に、本気で安心してしまった。あっ職業欄に確かに料理人って入ってる。スキルを開くと――
【職業専用】
●料理
【全職兼用】
○料理
「あっやっぱり2つあるのか……何が違うんだろこれ」
「ん? どれのことだい?」
オバチャンが横から覗き込む。丁度手を伸ばしたあたりにある画面? を普通にマジマジと見ると、オバチャンは「うん」と言う。
「これはね――」
「えっていうか見えるの!?」
「見えるわ! 不可視モードにできるアイテムがそのうち手に入るが、それまでは全員から見えるんだよそれ! ちゃんと説明書は読みな!」
操作説明、説明書、そんなもの、あったろうか――
考えてみると、ひとつだけ思い当たる節がある。キャラメイク後のオープニング画面だ。あそこ、全力でスキップしまくったからもしかしたらその中に説明があったのかもしれない……ごめんよオバチャン……。
「ごめんなさい……ってことでもう一回聞くけど、この画面って反対からはどう見える感じ?」
オバチャンの正面に立つ。
自分には画面のようなソレは透けて見えるが、反対側からどう見えるのかは分からないのだ。
「ああ、こっちからだと曇って何も見えないよ。見える角度があるから、他人のを見るならさっきのアタシみたいに後ろから覗き込むくらいだね」
「なるほど……」
なんか昔携帯電話の保護シートで流行ったアレだろうか。真正面からじゃないと何も見えなくなるやつ。ただあれ、直射日光とか強いとこだと画面何も見えなくなるから廃れたんだよな……。
そんな郷愁を感じていると、オバチャンが先ほどの説明の続きをしてくれる。
「そのスキルの違いは、簡単に言うと強化効果の有無だね」
「強化効果ってことは、バフとか?」
「アンタらはそう呼ぶね。料理人の作った料理を食べると自動的に強化効果が入るから、そこがこの職業の取り柄だ。兼用スキルの方の料理は、味はあるし腹は満たされるがそれだけ。アンタも好きな方を選ぶと良いよ」
「えっちょっと……今スルーできない単語が出たんだけど……」
「ん? どれのことだい?」
「……味、あるの? このゲーム。味覚エンジンが採用されてるなんて聞いたことないんだけど……」
「アンタ、味ないモン食いたいのかい……」
そもそも食材アイテムなんてものがなかったからベータテスト時は試せなかったが、あちらはただのオンラインゲームだ。味など存在しない。
しかし、こちらはどうなんだ。味覚反映されるなんて聞いたことがないし、そんなものゲームで本当に可能なのだろうか。味覚なんて、人それぞれ違うのだ。
それに今の口ぶりからすると――
「空腹値とかもあったり……?」
「あるに決まってんだろ。……そうだね、こういうのは、実際に食べてみるのが良いだろう。すぐに作るから表の席で待ってな。仕込み手伝ってくれたお礼だよ」
そう言うとオバチャンは冷蔵庫からいくつかの食材を取り出し、並べ始める。一通り並べ終わると、食材の前で立ち止まってしばらくフリーズ。――昔、よく見た光景だ。賄い飯を作る時、皆そうして考えるのだ。今残っているもの、古くなったもの、すぐに使いたいものを並べ、作れるもの、皆の食べたいもの、自分の食べたいものを考え出す作業。
こんな完全な隙間職においてもここまで細かい設定が練られているとは、この世界に来るまで、考えもしなかったことだ。今なら、中に人間が居ると言われても信じれる。きっと飲食店に嫁いで30年、47歳くらいのオバチャンが居る。絶対そうだ。
賄い飯ほど他人の助けを借りない料理は少ないので、特に手伝うことも浮かばず大人しく言われたとおり席で待つ。料理が出てくるまでの間は、ステータスやスキルを眺めて考え事だ。
覚悟はしていたことだが、攻略サイトの情報が見えない、他人の意見が見えないのは中々に苦労するものだ。ほとんどを頭に詰め込んだつもりだったが、何せ脳には索引機能すらない。知ってるはずなのに思い出せない情報が山だ。記憶の限り紙に書いて持ち歩くのが良いかもしれない。検索することはできないが、全てを脳に仕舞うよりかは幾分かマシだ。
ステータス欄を見てみると、HP、MPの他に、空腹値が確かに存在した。いや、文字が書いてあるわけでもないが、胃の形したアイコンの横にバーが伸びていればそういうことだろう。
数値は72/100。空腹と感じるほどではないが、別に何も食べられないほどでもない。ていうかこれ、どういう基準の数字なのだろう。どこまで減れば空腹を感じるんだ? というか空腹とか満腹ってどうやって感じるんだ? 分からん。とりあえず食べてみればわかるだろうか。
職業、スキルの組み合わせを考える。新規実装職業に目がなかったから突然料理人になってしまったが、これ、はたして意味があるのだろうか。
たぶん空腹値に関しては市販――たぶんされてるであろう――パンなりなんなりの買い食いで回復させられる値のはずだ。だから、兼用スキルの料理人に関しては本当に趣味スキルでしかない。だが、専用スキルの料理に関しては、未だ未知数というところが大きい。1時間以上かけて野菜は大量に刻んだが、まだ何も食していないのだ。オバチャン作の料理待ち。いや、オバチャンの料理にはバフはないかもしれない。NPCにも職業はあったはずだが、ベータテスト時は、生産職のNPCなんてほとんど居なかったからだ。だからやはり、とりあえず食べてみないことには分からない。
仮にバフの値がある程度高かったら、職業料理人を残したままのビルドを構築するのも良いかもしれない。幸いプレイ前に予定していた“ヘイトコントローラー”というビルドは、いくつか制限をかけることになるが、職業を料理人に固定したままでも扱える。
あと問題は、職業によるステータス補正だろうか。このビルドは全ステータスの中でも、飛び抜けて大量のMPを必要とするからだ。逆に一番不要なHPへの補正がかかったら選択肢としては微妙だ。力強さの値であるSTRや、器用さの値であるDEXは様々な装備に必要最低数値として設定されていることが多いので、戦闘で使わないにしても腐りづらい。なるべくならそちらへの補正があることを祈るばかりだ。
「お待たせしたね。きのこのグラタンと鰯のラグーソースパスタだよ」
「お、おおおおお…………」
思わず声が出てしまう。小さなココットに具とホワイトソースを注ぎ、パン粉と粉チーズを振ってオーブンで焼いたグラタン。鰯の身で作った魚介のミートソースパスタ。まさか、ここまでしっかり出てくるとは。空腹値、今すぐ下降しろ!
「匂いも、ある……」
「匂いだけじゃなくて、味も保証するよ。さあお食べ」
「頂きます!」
まずはグラタン。添えられていた小さなスプーンをココットに突き刺すと、パリっと気持ちの良い音がなる。たぶんこれは、粉チーズを上から振っただけではなく、ソースにも混ぜ込んでいるからだろう。
グラタンのきのこといえばゴロゴロと大きいものを想像するが、これは違う。……さっき自分が刻んだきのこだ、これ。一々細かいことしてきて惚れそう。
細かく刻まれたきのこと、透き通るのは玉葱だろう。具材とホワイトソースを混ぜたのではなく、多めのバターで炒めた後にそのフライパンに小麦粉を入れ、温めた牛乳を入れて具材ごとソースを作られているからか、ソースからもきのこの香りが漂ってくる。ああ、あああ……
パクリと一口。あっつ、熱、あつ、うま、旨い!!!!
あっこれ本当においしいやつだ! 声でない! 味覚エンジンとか言ってる場合じゃなかった。脳内麻薬でも流し込まれているのではないかと不安になるほど旨い。流石ベテランの料理人。
ホワイトソースの塩けは軽めだが、そこをチーズの塩分がカバーしている。焦げ目をつけるためのチーズ、表面に薄い膜を張るためのチーズ、そして味の決め手となる塩味のチーズ。なんと、この小さなココットに三種類もチーズに役割を持たせているのだ。きのこのグラタンというより、チーズのグラタンきのこ入りって感じだ。
熱い旨い連呼しながら一瞬で食べきると、次の皿を見る。
今グラタン食べたばかりなのに、喉がゴクリと鳴る。
白で攻めてきたグラタンと違い、パスタの主張は赤! 赤! 赤! トマトだけではなく、よく見ると赤パプリカと人参、鷹の爪の存在も確認できる。うん、絶対美味しいよこれ。
フォークでくるくると巻いて、パクリと一口。
あっ駄目本当に美味しい2年間トネさんの和食しか食べてなかったのはあるけどこれは駄目、泣く。
赤に彩られたその皿は、鷹の爪による適度な辛み、鰯の強い香りに負けないくらい、トマトが激しく主張する。ソースの塩けはほとんどないが、しっかりと塩を入れて茹でられたパスタと合えれば気にならない。
そしてトドメは、ニンニクだ。最初は気付かないが、口に含んだ後に一度呼吸をすると気が付くくらいの、主張の少ないニンニク。しかしこれが、あまり空腹感を感じてなかった胃に丁度良い刺激を与え、フォークはくるくる、くるくると回り続け、パスタも一瞬にして皿から姿を消してしまった。
食事時間は、凡そ3分。飲食店に勤めていると食事の速度が速くなると言うが、急ぐ以上に、料理が美味しいから手が止まらないのだ。
「ごちそうさまでした!」
「うん、美味しそうに食べてもらって何よりだよ」
「また食べに来たいけど……オバチャン、この町の人なんだよね」
第一の町、ダグザへ一度でも行くと、この町に戻ってくることはできなくなる。
攻略が進むと町中のポータルで各町を移動できるようになるが、それでも、空間的繋がりのないこの町、アラドへは、戻ってくることができないのだろう。
何せこの町は、ゲーム内の世界地図には記されてもいない。ここを出ると、もうそこが第一の町なのだ。別の空間に存在し、ただ混雑を緩和するためだけに存在する町、アラド。
こんなところで、こんな素敵な料理に出会えたのだ。仕事を辞めたあの日以来、忘れていた料理の楽しさを思い出させてくれたのも、この町があったから。
それなのに――
「あ、アタシかい? アタシの本当の店はネヴァンにあるから、そこまで来たら毎日でも会えるよ。いや、流石に毎日来られたら困るが」
「……え?」
「ここはアタシの店というより、アタシを含めた端末なんだよ。ちなみに町長さん含め他のNPCも全員同じで、この町の外に本体が居る。昔出会ったNPCに再会みたいな感動を提供するつもりらしいが、これ、アタシが言ったら意味ないような気がするね。なんでここまで権限与えられてんだか」
「……そのメタっぷりも、本体と同じ?」
「いいや、流石に本当のアタシはこんなこと言えないよ。ただ、アンタと出会った記憶は移されるからね。もしも会ったら、ちゃんと久し振りって言うんだよ?」
あっ駄目泣きそう。そこまで涙腺緩くはないはずなのに普通に泣きそう。
彼女にもまた会えるのなら、先に進む意味が増してくる。うん、速攻でネヴァンに行こう。――どこにある町なのかは分からないが。ベータテストでは未実装だったし……。
彼女に別れを告げ、レストランを出る。いつしか、職業の料理人を外す選択肢がなくなっていることにも気が付かず。