牛肉
待ち望んでいた牛肉の普及は、ダグザの料理人界隈に革命を起こした。
明治時代の牛肉ブームにも負けていないのではという勢いで一気に広がった牛肉食は、より新鮮な牛肉を求めダグザからヴァハへの移民まで引き起こし、しばらくは焼き串のような簡単なメニューを露店で販売する料理人プレイヤーが急増するほどだった。
それにより、料理人界隈の数倍、料理スキルを取っているが使っていない――潜在的料理人の数も相当数居たということも知る。
まだ簡単な調味料しかない環境で難しい料理ができるわけでもないが、調味料開発は加速することだろう。日本人でもやはり肉が食べたいのだ。具体的に言うとすき焼きが食べたい。早く醤油を作ってくれ。
「というわけで、今日はハンバーグです」
「やったー!」
「これまではあって鶏肉くらいだったから、ほんと良い時代になったよねえ」そんなことを八重がしみじみと呟く。
「鶏肉も嫌いじゃなかったけど、魚もない牛肉も豚肉もないだったら流石に飽きちゃったよね……じゃ、頂きます」
「いただきまーす! うっわあ肉汁が! 溢れてくる!!」
「鶏にはなかったなあ、こういうん」
ナイフとフォークもあるのに箸だけで綺麗に割り、口に運ぶミッコが静かに呟く。
一番はしゃいでるのはミキだ。というか彼女は大体何食べてもこんなオーバーリアクションをしてるような気がするが、作る者として嫌な気持ちはしない。
ハンバーグにナイフを入れると、透明のエキスが溢れ出てくる。うん、これでこそハンバーグだ。
鶏肉に飽きそうになった時、鶏肉でハンバーグを作ったのだが、どうしても“つみれ”のようなものにしかならなかった。ケチャップをかけてもそうだ。やはり、ジューシーさという目で見ると牛肉を使ったハンバーグのような代物は作れない。
「あー……美味しい。最近牛肉ばっかだけど、色々調理方法試せば全然飽きないなあ」
ステーキ、ローストビーフ、ビーフシチューも作ったし、しゃぶしゃぶやピカタも作った。それでもやはり足りないのは醤油であり、それの代用ができるものはない。
時間はかかるがソースも作れるし、ケチャップは大量に作って作りおきをすることで手間を省いている。料理人界隈には、調味料を専門で作るプレイヤーも現れてきたし、開始当初と比べ、食卓事情は大きく変化している。それでもやはり、最初に料理スキルを取ってなかったプレイヤーは料理に参戦することが不可能という状況は中々厳しく、新規参入を妨げている現状だ。
「私も、作ってみたいな」
ハンバーグを食べながら、アイがボソっと呟く。机を囲んでいる皆には聞こえないかもしれないが、彼女を挟んだ形で座っている自分とミッコはそれを聞き取ることができ、チラリとアイの方を見る。
本人は本当に呟いただけのようで、二人に反応されたことにも気付いていなかったが、ミッコは「まあまあまあまあ」と言いたげな表情をしているし、個人的にも、人に料理を教えるのはまんざらでもない。
狩りをしないと生きていけないわけではないが、食事を取らないと生きていけないのだ。どうやら空腹値が0になるとどの場所にいても強制的に死んで町のポータルに戻ることになるようで、狩りをするプレイヤーからしても、食事は気にしないでいられるものではない。遠くへ向かうプレイヤーはほとんど町で買ったパンやサンドイッチを食しているようだが、やはり、温かいものが食べたくなることもあるようで、リクや他のプレイヤーからも「出張料理人サービスしないんですか?」とか聞かれる。しねえよ。
「いつか、料理教室とか始めたらどうなん?」
ミッコが唐突にそんなことを言う。まあ、彼女なりの配慮だろう。
「教えれることそうあるかは分からないけど、教師役くらいならできますよ」
「そうなんですか!?」
アイが驚いたように反応する。
うん、やっぱりさっきの呟きは無意識だったんだな、聞かれてたことを感づいてもいないようだ。
一応専門学校も出ているし、在学中はオープンキャンパスに来た中高生に料理を教えることもあった。まあ、たぶんできるだろう。町の料理教室くらいの規模で良ければ、栄養学や衛生学の知識を叩き込む必要もない。「今日は○○を作りましょう」みたいな流れでやればいいんだ。
「あ、明日にでも!」
「……うんアイちゃん落ち着いて。料理スキルはまだ取れないから、ネヴァンに行けるようになるまでは待っててね」
「はい……」
あっ見るからにしょんぼりしてる。うん、けどハンバーグを食べる手が止まることはない。喜んでもらえたようで何よりです。
家庭料理には慣れていないので、普段は作り慣れた西洋料理ばかりを食卓に並べている。特に文句を言われることはないが、それでもたまに「御飯と味噌汁が食べたいです」とか言われることもある。うん、米も味噌も見つかってないんです。パンやパスタ等の小麦粉製品くらいしかないんです。うどんも作れるが、醤油がないので作れても塩うどんだ。ちなみに鰹節もないので出汁もない。牛テールスープとかなら作れるが。
しばらくはハンバーグを食べながら料理話をし、食後の歓談タイムへと移る。
この時間になると八重、栄子、ユーリの三人は抜けて作業場へ行き、陽は店先へ行くので、ミキ、ミッコ、アイ、自分の4人が固定メンバーとなる。狩りに行くのもこのメンバーだし、生産志向と生活志向で別れるような、そんな構図だ。
全員が揃うのは食事中だけ、それも最近昼は狩りに出ることも多いので別々に取ることもあるが、一番抜けやすかった陽は店を持ってからは食事の席には必ず同席するようになったので、朝と夜は必ず全員が揃い、それ以外の時間は自由に過ごす。擬似家族のようなこの家庭にも、そんな形ができつつあった。
「そいやキヌ君、ヴァハの森の話って聞いとる?」
「森、ですか? すみません、聞いたことないですね」
「なんかな、ヴァハの東あたりに森系のIDがあるらしくてなあ。制限キツうてあのへん攻略しとるプレイヤー誰も挑めんらしいのよ」
ミッコの言葉に、ベータ時代の地図を思い返す。そういえば、確かにヴァハから少し進んだあたりに森があったはずだ。しかしあそこにID――インスタントダンジョンがあった記憶はない。一般的なオープンフィールドだったはずだ。
「レベルとか職制限とかですか?」
「それがなあ……『戦闘系スキルレベルが30未満のプレイヤー限定』やて」
「うっわ……」
それはキツい。思わず声が出てしまったほどだ。
全てのスキルは“戦闘”、“生産”、“採取”、“行動”の4種類に分けられ、“戦闘”スキルを更に細分すると、“装備”スキルと“攻撃”スキルへ分かれる。自分の所持スキルだと、『感染呪術』や『銃装備』は戦闘スキル、『料理』は生産スキル、『運び屋』は行動スキルへ分類される。
戦闘職によって手に入るスキルがすべて戦闘スキルになるというわけではなく、例えば調律師のバフスキル『調律』は戦闘スキルになるが、『譜面作成』は生産スキルだったり、猟師の『銃装備』は戦闘スキルでも、専用スキルの『解体』は行動スキルだったりと色々だ。
インスタントダンジョンの制限、“戦闘系スキルレベルが30未満”というのは、4種類のうち“戦闘”に分類されるスキルが1つでも30を超えていたら入室不可能ということだ。
――ちなみに使いだして2週間ほど経つ自分の『銃装備』スキルはレベル14だが、1か月ほぼ一日中狩りをしているリクの『槍装備』は以前聞いた話では47、変態盾ビルド神谷の『盾装備』スキルは50とか言っていたはずだ。彼らが特別高いわけではなく、戦闘職の“装備”スキルに関して言えば、装備して戦闘しているだけで勝手に貯まっていくから、町の外に居る時間が長ければ長いほど自然と高くなるものなのだ。
そうなると、“戦闘系スキルレベルが30未満”というのは、ほとんど町の外に出ないが一応戦闘スキルを持っているプレイヤーしか入れないことになり、それはほとんどの場合、生産職を選んだプレイヤー達となる。
「あれ、ミッコさんあんだけバフ育ってるんだからレベル相当上がってるんじゃないんですか?」
「わたし? 『譜面作成』は49まで育っとるけど、『調律』はたったの20よ?」
「……なんかおかしくないですか」
「おかしくないて。調律スキルに経験値入るんは、他人に使った場合だけやもん」
「…………あー」
言われてみると確かに、ミッコは町中で常にヘイストやエンチャントに分類されるバフを使っているが、それは自分に対する魔法行使だけだ。他人に使うことなどほとんどない。自分に使うだけでレベルが上がるなら戦闘せずにレベルを上げる行為が蔓延することになり、ゲームバランスとしてあまり宜しくないからか。使用回数による強化機能はあくまで“○回使用したことによる”強化なので自分に使ってもカウントされるが、それでは大本のレベルが上がらないので新しい魔法などは獲得できない、ということだ。
それならば、ミッコの“調律”レベルが低いのも当然だろう。
「ちなみに『譜面作成』に使う時もスキルレベルは上がらんから、『妖術』のデバフも全部低いまんまよ?」
「インスタントマジックって破かれるまでは発動してないことになりますしね……」
「そうそう、ま、わたしが行けんかったら話にも上げんて。皆はどうやろ? 皆で行けるんなら行ってみよ思うんやけど」
「えーと、自分は……」スキル欄を開いて確認する。普段からあまりレベルを意識せずにプレイしているので、こういう時くらいしか認識することがないスキル欄だ。
「『銃装備』14、『感染呪術』9、『類感呪術』21なので、全部30行ってないですね。…………『料理』は44ですけど」
「『爆風制御』25で、『爆風魔法』も25です! ちなみに『調合』は45! キヌさんに勝ってるの地味に嬉しいですねこれ」
「たった1ならすぐ追いつくんじゃないかなー」
「うっ調合の手が緩めれない……!」
確かに料理は一日中しているわけではないが、ミキの調合より1低いところまで上がってるとは驚きだ。作業時間は確実にミキの方が長いのだから、一回あたりの経験値量が違うのだろうか。普段からスキルレベルを意識してはいないのでどのくらいのペースで上がっているかは知らないのだが。
「私は『騎士道』が23、『両手剣装備』17と、『両手剣』が14、『盾装備』が9……私だけ低いですね。前使ってた片手剣も21ですし……」
「低いゆうことは、誰よりも効率よく上げれるゆうことなんやで? 気にせんでええて」
アイが申し訳なさそうにスキルレベルを伝えると、ミッコがすかさずフォローに入る。
ミッコの言う通り、この制限ダンジョンはほぼ間違いなく、初心者が周囲とのレベル差を埋めるための救済マップなのだ。他の狩場より経験値効率が良くなることは確定だろう。
「そ、そうですか……」
「うんうん、アイちゃんは可愛いなあ」
そう言うと、ミッコはアイの頭を抱きしめる。ずるい。それしたら絶対殺されるからしないけど。
途中で路線を変更したのだから、アイのスキルレベルが低いのも当然だ。騎士の専用スキル『騎士道』でヘイト変動ツリーではなく自己防御ツリーのみに特化し、盾を捨てて両手剣で切り合う姿は、スマートとは言い難いものがある。それでもスキルによる補正のお陰で防御を捨てた攻撃ができるところから騎士のフルアタック構成は並みの戦闘職を上回る火力を出せることまである優秀なビルドであり、序盤の敵に対してはほぼ無双とも言える性能を見せるものだ。
「じゃ、いつもの4人で行けそうですかね」
「せやねえ、どうせならフルパーティ組みたいとこやけど、制限キツいし贅沢も言っとれんわ」
「ですね。そんな中途半端に戦闘スキル上げてる知り合いとか居ませんし」
「ほなら、明日の9時頃からでええかな?」
「はーい、お弁当作っときますね」
メニューは被るが、ハンバーガーとかでいいだろうか。最近あまり食べてないし、ホットサンドとかもいいかもしれない。ホットサンド専用のフライパン売ってる人も居たし。
家に残る4人用の作り置き昼食もマンネリ化が進んでるし、ここいらで新しい食材を仕入れたいところだ。森に米とか自生してないかなあ……。
「ポーションいっぱい用意しときます!」
「え、えっと、武器研いでもらってきます!」
無理してミキのテンションに合わせなくても良いんだよ、うん。
「新しい銃、ようやく出番が来そうだなあ」
「フルパーティ推奨のIDやから、まあ手数足りんくなるやろなあ。君も火力に回らんといかんと思うで?」
「……ですね。弾、多めに買っておかないと」
ミッコの舎弟のようになっている銃商のプレイヤーから、新しい銃を2丁購入していたのだが、それらの出番は今のところなかった。普段の狩りだと火力に回る必要がないからだが、流石に今回のようなインスタントダンジョンでは火力に回らざるを得ないだろう。推奨から3人少ない状態で回るのだから当然だ。
「ま、デスペナくらいは覚悟しとかんとなあ」
「……ミッコさんでもそう思うんですね」
「そりゃあ、まだ1パーティもクリアしてないんやから、当然やろ?」
「…………いや、それ初耳ですけど」
「そやったか? ま、制限キツうて挑めないってだけで、難しいわけじゃないかもしれんしな。わたしも生産の知人に調査頼まれただけやからなあ」
ミッコはそんなことを言う。
ヴァハが解禁されて何日経ったろうか。少なくとも、森が見つかったのは昨日今日の話ではないだろう。
そんな中で誰もクリアしていないインスタントダンジョンなど、新素材の宝庫の可能性まである。市場破壊を狙っているわけではないからそれを独占するつもりもないが、生産職の人間にとって、未踏破ダンジョンの存在は重要なのだ。今のところヴァハ解禁で大きな変化といえば“牛肉の普及”だけなのだから、料理人以外の生産者がそれに近いレベルの何かを求めてしまうのは当然のこと。
「なんか、ワクワクします!」
「ミキちゃんは気楽でええなあ、攻略最前とは違うけど、緊張するもんなんやで? こういうんは」
「そうなんですか? 私、普段からほとんど攻略サイトとか見てなかったので、慣れっこですよ!」
「……それは真似できないな」
「君はむしろそっちがメインやからなあ」
「はい……」
うん……ミキさんは凄いな……。
自分は最先端の攻略情報を調べるより、既にある情報を精査し突き詰めるのが得意なのだ。0から1にすることはできなくとも、1を10にするタイプ。ミキとは、まるっきり違う性質なのだ。
自分が1に、礎になることなど、普段から全くといっていいほどないこと。流石に、何が起きるか心配してしまうのも無理もない。制限からして生産職が即死してしまうほどの難易度ということはないはずだが、簡単にクリアできるとも思えない。
「ま、数日かけて調査するくらいのつもりで行きゃ、ええんやないかな?」
「……ですね。情報がないなら、自分らで集めるしかないわけですし。とりあえず、いっぺんやってみてから考えましょう」
「はい! じゃ、私準備して寝ますね!」
「……私も、栄子さんのところ行ってきます」
「なら、わたしもおいとましよか。明日はよろしゅうなあ」
「……はい。よろしくお願いします」
一同は別れ、準備を開始する。
……まさか、あんなことが待ち受けていようとは、この時点では、誰も考えていなかったのだった。




