三年後
―――『≪プログラム・ノア≫より、プレイヤーの皆様にお知らせ致します』
―――『本日、8月9日16時11分。当ゲームは攻略されました』
―――『18時より、全プレイヤーを順次ログアウトいたします』
―――『お疲れ様でした』
全てのダンジョンが攻略されたのか、“ストーリー”と呼ばれるメインクエストが攻略されたのかはわからない。
なにせ、“ストーリー”は自分のクエスト欄に登場もしていなかったし、自分が済む世界は、命を掛けて未開拓地を攻略する最前線ではない。全てのプレイヤーが1日目には到達した、第一の町の一画だ。
ゲームの攻略に、これっぽっちも関わっていない。
ただの一般プレイヤー。
こんな自分も、何かの為になれたのだろうか。
その問いかけに、答えてくれる人は居ない。
ただ、今はこう思えるのだ。
厳密な意味で攻略に関わらなかったプレイヤーなど居ない、と。
一般プレイヤーの生み出す金がゲーム内を巡り、商人が蓄え流通を増やし、鍛冶師は流通した素材で武器を作り、それによって攻略プレイヤーが強化された。
皆が、この世界に生きていた。
あの日、自分の世界は一変した。
フィクションでしかなかった世界に、自分が登場人物として入ることができたのだ。
ゲームには自信があったし、それ相応の準備もしてきた。
はじめのうちは、それはもう熱心にゲームをプレイしたものだ。だが1年も経った頃、ゲームクリアへの熱意は落ち着いていく。
理由は一つだった。いつかは乗り越えられるかと思っていた壁が越えられず、そうしていつか、乗り越えようと思う気持ちもなくなってしまったから。
自分の在り方を理解し、ゲームをクリアするのは自分ではないと、知ってしまったから。
それでよかったのだろうか。それを、ずっと考えていた。
今ならその問いに答えれる。良かったのだと、自信を持ってそう言える。
何せ、自分が最前線に居なくても、このゲームは攻略されたのだから。
確かに悔いは残っている。
倒したいモンスターは居たし、作りたいものもあった。やりたいことはまだまだあった。
しかし、あと2時間足らずで、このゲームからログアウトされる。
一つくらい、今からでもできることはあるだろうか。
今の自分にできること。
残された時間にできること。
今居るのは、レンガの屋根に、大きな煙突。
店も兼ねたプレイヤーホーム。
この家を買ったのは、1年も半ばを過ぎたあたりだったろうか。
「先生っ!」
店に入ろうとしたところで、後ろから声が掛かる。
振り返らなくても分かる。息を切らして店に来たのは、毎日のように聞いた、忘れようもない声。
「おかえりなさい」
金色の長髪が、夕日を浴びて輝いている。
そこに居たのは、細身の全身鎧の頭を外し、息を切らせた少女。
あと5年もすれば立派な騎士様になるであろうその外見は、出会って3年間、成長することはなかった。
少女の実年齢は中学1年生だという。
リアルの彼女は、もう中学校を卒業しているはずだ。
「間に合って、良かったです」
涙に目を潤ませて、こちらを見つめてくる。
心配されたのは嬉しいが、そんなに心配しなくても――
「そんな心配しなくてもまだ1時間以上あるし、フレンドリスト見たら居ることくらい、分かるでしょ?」
「それは、そうなんですがっ……」
照れ隠しだろう。彼女は指を動かし、フレンドリストを表示しては消すという動作を繰り返す。
そこに表示されている名前と、そして目の前に居る本人を何度か見る。
「外で話すのもなんだからさ、中、開けるよ」
「はい!」
右手の平を、扉に添える。
――『開錠されました。開放状態を選んでください』
いくつかの選択肢の中から、最後尾を選択。
――『開放状態:全プレイヤー』
プレイヤーホーム兼店舗の中は、いくつかの丸机と椅子、カウンター、奥の調理場で一番目立つのは、人の背より大きな石釜だ。
「適当に出すから、座ってて良いよ」
「あたしも……手伝いますよ?」
そう遠慮がちに提案される。
目を離した隙にワンピースに着替えているが、先程、普段は着替えてから来るはずの全身鎧を着たままだった。
恐らく、クリア報告を聞き、急いで狩りから帰ってきたのだろう。
「ううん、いいよ。座ってて」
いくつかある冷蔵庫のうち、一番背の高いものに手を掛け、今日の営業の為に準備しておいた食材を取り出していく。
まずはイチジクを2つ。皮を剥き、6等分にカット。
次に手を取ったのは、瓶に詰まったのはクリームチーズ、マスカルポーネ。
甘みはあるが、塩味はほとんどないチーズだ。
それを、イチジクの表面に塗りつける。今日くらい、多めに使って良いだろう。
大きなバットに入ったのは、カット後、取り出しやすいようラップと交互に重ねた生ハム。
個数分取り出し、クリームチーズが塗られたイチジクを包み隠す。
包まれたそれを皿に盛り、オリーブオイル、バルサミコ酢を軽く垂らして完成だ。
グラスに氷を入れ、ボトルに入った真っ赤な液体を注ぐ。
塩を軽く一つまみ、串切りにしたレモンを添え、マドラーを刺す。
「はい、おまたせ」
皿を1つとグラスを2つ。手にしたそれを、少女の待つテーブルに並べる。
「ふわぁ……いただきます!」
今にも飛びかかりそうな満面の笑みを浮かべるが、動作はとても丁寧だ。
自分で用意していたナイフとフォークを手に取り、まずは1つを半分に切り、フォークを突き刺し持ち上げて、中身を眺めて口に運ぶ。
「イチジクとマスカルポーネの生ハム包み――そのまんますぎるか。名前考えるべきかな。それと……」
「バージンメアリ、ですよね。先生はやっぱり最後まで先生だ」
バージンメアリ。
それは有名なブラッディメアリからウォッカを抜いたカクテルで、つまりは少し手の加えられたトマトジュース。糖分を入れず、トマトの持つ甘味だけを活かし、塩味を追加することでそれを際立たせる。タバスコを加えるレシピもあるが、未成年には早いだろう。
「好き嫌いはよくないからね?」
「先生のお陰で、トマト好きになりましたもんっ」
ぷーと頬を膨らませるが、フォークを持つ手が止まることはない。
生ハムで包まれたイチジクは、一つ、また一つと数を減らしていく。
「やっぱり、先生の料理は美味しいです。……こんな美味しいものが、もう食べられなくなるんですね」
皿を見つめるその表情は、とても儚げだ。
あまりの行儀の良さから良家の子女と決め付け、「このくらいいつでも食べてたでしょ」と言い、濁された時のことを思い出す。全く、あれは本当に無神経だった。
「今日で居なくなるわけじゃないんだから、また食べられるよ。それに、お父さんと、お母さん。あとお姉ちゃんにもお爺ちゃんにも、作ってあげればいいんじゃないかな」
「はい。……皆、元気でいてくれたらいいな」
「きっと皆、帰りを待ってくれてるよ」
リアルのことをほとんど話さなかった彼女が話してくれた、数少ないこと。それは家族構成だ。
いつも怖い顔をしている父親と、いつでも忙しそうな母親、家で唯一の話し相手だった、とても優しい実の姉。こちらに来る前、最後に話した祖父のこと。
「そうですかね。3年、かぁ……」
グラスを持ったまま、窓から見える空を見上げる。
現実かのように見える夕日。太陽。
この太陽を3年間も見続けていたのだから、現実の太陽を見たら“リアルじゃない”と感じてしまいそうだなと、要らない心配。
少女のグラスを持つ手は震えている。
ログインしたばかりの頃を思い出しているのだろうか。今ではおくびにも出さないが、会ったばかりの頃は物静かで、主張の少ない少女だった。
生憎自分はコミュニケーション能力が低く、女の子をあやすスキルなど欠片も持っておらず、彼女が不安そうにしている時でも、女性陣に慰められる姿を傍から見ているほかなかった。
「もう、終わりなんですね」
時計は16時30分を示している。3年続いたこの世界も、あと1時間半で終わりを迎えることになる。
「もっと早く戻りたかった? それとも……もっと遊びたかった?」
そう聞くと、少女は窓の外を、過去を思い出すように遠くを見て言った。
「最初は……帰りたかったです。でも皆優しいし、戦うのは少し怖いけど、皆で協力するのは楽しいし……今では、この世界にもっと長くいたいと思えます」
「……そっか」
「先生は、どっちなんですか?」
自分は――
口を開こうとしたところで、店の扉が大きく開けられる。
「おっつかれさまでーす!!」
扉に体当たりでもしたんじゃないかという勢いで飛び込んできたのは、金髪の美少年だ。彼も少女ほどではないが、長い間関わってきた少年。
彼は止める間もなく窓際の席に陣取り――
「いっちば……」
んのり、と続けようとしたのだろう。
奥のテーブルに申し訳なく座っている少女を見つけてしまい、「ば」の音で大きな口を開けたまま動きが止まる。
「……まだオープン前なんだけど」
「オープン待ったらゲーム終わっちゃうじゃないですか!!」
確かにその通りではある。
普段店を開けているのは18時、太陽が沈み、狩りに出かけていたプレイヤーが戻ってくる時間だ。
今日に限って言えば18時というのは開店時間ではなく、ゲームが終了する時間だが。
「ていうか、来るの早っ!いつから居なかったのていうかいつ来たの!?」
「ついさっき……」少女のか細い声が聞こえる。
少女は少年のテンションがあまり得意ではない。嫌ってるわけではないようだが、やはり波長が違いすぎるのだ。
「声が大きいからびっくりする」と、よく話していたものだ。
話を聞く限り、二人は同じ場所で狩りをしていたのだろうか。
二人ともゲーム開始当初からの付き合いだが、現在のレベルも、どこで何をしているのかも、全く知らないのだ。
始めの1年は彼と共に狩りをすることもあったが、自分のレベルの停滞した頃から、町の外で会う事はめっきり減ってしまった。
少年は、当初から有名なプレイヤーだった。最前線で狩りをしていたし、後に実力者揃いのギルドを指揮するようになる。そして何より、キャラが目立つのだ。元気な金髪の美少年キャラを演じるプレイヤーなど、他には居なかったのだから。
少女はどうなのだろうか。
1年が経過したあたりでは、まだ自分の方が高かったはずだ。彼女に教えたことは沢山あるし、時にはアドバイスをしたりもした。
しかし、自分が外に出なくなってからも彼女は外に出るのをやめず、そして、この最終日までゲームをプレイし続けた。
少年とも少女とも、町以外で会うことがないのだ。
少女から護衛や狩りの付き添いについて毎日のように提案されていたが、そのほとんどを断っていた。
自分よりレベルが高いであろう少女を、低レベルな狩場に付き合わせるつもりがなかったというのが一番の理由。
これが最後の機会なので、今まで聞くことがなかったレベルについて聞いてみるのも……と考えたが、それとは比べ物にならないほど大事な質問をしなければならない。それは――
「ちょっとまって。もしかして今から人……来る?」
ゲーム終了まで、残り1時間半もない。
アナウンスされるまでは、普段通り18時に店を開けるつもりだった。
つまり準備ができていない。今から作業を始めるにも、残り時間が短すぎる。開店準備すらしていなかったのだ。
何が言いたいのか分かったのか、リクは目を見開き、こう言った。
「あっ」
「ちょっと待って何が「あっ」なの? 来るの来ないの今から来るのは何人なの!?」
「ポータルで飛ぶ前にここで集合って言っちゃいましたごめんなさい! ギルメンは皆! 僕入れて7人と、あと……」
「白森の人も来るみたいです。……皆さん、彼に呼ばれたからって言ってるんですが」
少女が声を掛けてくれる。白森というのは、少女の所属するギルドだ。厳密には自分も所属しているが、元老という立場に落ち着いているので何か意見をすることもない。
「あれ、そうだっけ? ああそういえばあそこにミーさん居たから……」
「節操ないなどれだけ呼んでるの!」
「えーと、いっぱい! いっぱいです!!」
この野郎、数えるの諦めやがった……!
壁に掛けられた時計が示す、現在の時刻は16時32分。
最後くらいはのんびり過ごせると思ったのに、そんな時間は訪れなかった。
「今から5分で準備する! 手伝って!」
「はいっ!」
少女は声を掛けられるのを分かっていたのか、それとも待っていたのか。
いつの間にか生ハムを食べきり、トマトジュースも飲み終わり、皿を持ち上げ立ち上がっている。
「とりあえず前菜! 作れそうなもの適当に作ってって!」
「はいっ!」
少女にそう声を掛けると、石窯の表面に指を走らせ、ウインドウを開くと温度を500℃に設定。
石窯の口から一気に熱気があふれ出す。炎系の魔法でも喰らったんじゃないかという急激な温度上昇。
これがゲームで本当に良かった。リアルで石窯を1から点けると、軽く見積もっても1時間は掛かってしまう。そうなればもう終了間際だ。そこから何かを作れないこともないが、とても時間が足りるとは言えない。
チリチリと肌が焼けるような音。
髪が燃えることはない。演出上の音だ。
それでも、極僅かではあるがHPが減少している。このゲーム、被ダメージが存在しないはずの町中でも一部でダメージ判定が存在する。
その最たるものが、火。
ほとんどの場合石窯ではなく、鍛冶屋の使う炉ではあるが。
後ろから声が聞こえる。
ん。という、納得したかのような少女の声。
少女は冷蔵庫から数個のトマトを取り出しヘタを取ると、迷うことなく包丁を入れていく。
トマトをスライスするときは、実を潰さないよう、向きを変えず水平に。彼女は、こういう時でも細かいことをしっかり守っている。
量が多い。時間もない。どうしても荒くなってしまうような状況にあっても基本に忠実に、“どうしてそうしなければならないのか”を理解し行動している。
若いからなのか。
育ってきた環境が大きいように思える。
実際、飲食店で働いている者に、そのように思考する者は少ない。ほとんどの者は失敗してからそれにより理解をし、反復によって覚えるからだ。
トマトの瑞々しい断面が見える。驚くほど綺麗な切り口。
水分を多く含む野菜を切るのは、想像以上に難しい。
特にトマトのように中に水分を多く含むものは、包丁や押さえる手に力を入れるとぶちゅ、と中身が溢れ出してしまうからだ。
少女がゲーム内で料理をしだしたのはここ3年のことで、リアルでの料理経験は皆無に等しい。
それなのに全く迷いのない包丁捌きには、1つの理由がある。
小さな手に握られている包丁。
柄から刃までが1つの素材でできており、継ぎ目は存在しない。
見た目はステンレス系のナイフに近いその包丁は、このゲームでは調理器具としての『包丁』ではなく、武器である『ナイフ』に該当する。
それも等級の高いレアな武器だ。
武器としての性能を持っているナイフに包丁のステータスである“切れ味”は存在せず、“攻撃力”や“重さ”、“硬さ”が存在する。
そのナイフを振るう時は、ナイフのステータス、そして持ち主のステータスが影響する。
STRが高ければ力強く、DEXが高ければ鋭く、AGIが上がれば速く、というように、ステータスが、武器と同じように影響する。
一方で調理器具としての『包丁』は、それとは異なる性能を持っている。
武器の“攻撃力”のように、“切れ味”という数値が存在し、それが高ければよく切れるというところはナイフと変わらない。
問題はプレイヤーのステータスだ。
包丁を握っている時、DEXが高くとも鋭くはならないし、AGIが高くとも速くは切れない。全ては自分が身体を動かすしかないからだ。
STRも武器とは違い、ただ単に“筋力”が上がるだけだ。
物を持ち上げたり解体するのには必要だが、既に部位となった肉を切るのには何の役にも立たない。
包丁は技術で振るうしかないが、ナイフにはゲームとしての加護が詰まっている。
こう書くと、調理器具としての包丁に良い所はほとんどないようにも思えるかもしれない。
本当に、その通りだと思う。
武器と違ってモンスターがレアドロップすることはないし、武器としての応用が利かないので鍛冶プレイヤーが手を出すことはほとんどなく、市場に出回ることもほとんどない。初期装備の包丁を3年間愛用するプレイヤーも居たほどだ。
それでも包丁を使い続けた理由は、ひとえに“リアルの再現度”の高さ故。
慣れればゲーム内のナイフを調理に扱うことはできたろうが、生憎身体に染み付いた包丁使いのほうが信用できたというだけのことだ。
巨大なフライパンに並べられた数種類の鳥肉が、良い色に染まってきている。
一般的なニワトリに、キジバト、マガモ、カラスなど、様々な鳥類が並ぶ。中でも最も小さいのは、毛を毟って内臓を抜いただけのスズメの肉だ。サイズが小さい割に解体にも時間がかかるが、骨もそのまま食べられるスズメの肉は、嫌いではない。
表面は、食欲をそそられる狐色に焼けている。ひっくり返し肉の上にちょいちょいと、ローズマリーを載せていく。
ここで表面に焦げ目を付けたら、あとはオーブンに入れて中まで火を通すだけだ。頃合いを見計らって熱したオーブンに、フライパンごと投入する。
少女は1品目、カプレーゼを仕上げ、2品目であるカルパッチョを作り始めている。
これならなんとか間に合いそうだ。そう考えていると、表の扉が大きく開かれる。
「お邪魔します」や「お疲れ様」など、三者三様に言葉を掛け、数人のプレイヤーが店内に入ってくる。こちらに会話を仕掛けてくるつもりはなさそうで安心した。
……修羅場の空気を感じてくれたのだろうか。
「お疲れごめんカクテル作ってる時間はない! 誰かカウンター入って適当に作って! 何でも開けていいよ始めてて!」
「すみません誰か完成したの並べてください!」
……少女も絶賛修羅場のようだ。
テーブルには、少女の作った前菜が並べられていく。
トマトとモッツァレラチーズを用いて作られたシンプルなサラダ、カプレーゼ。
牛ヒレ肉を薄く切り、オイルと酢、香辛料を振り掛けたカルパッチョ。
そして今は、スライスしたバゲットを焼いて、表面にさっとレバーペーストを塗っているところだ。
どこまで作るつもりかはわからない。恐らく自分の作っている料理が仕上がるまでは作り続けてくれるだろう。
残すつもりがないのなら、食材は腐るほどにあるのだから。
少女の様子を確認すると、ピザ生地を延ばす。
直径30cmほどまで延ばしソースを塗り、具を並べ、チーズをまぶし、“ピザピール”という、大きなヘラで石窯に入れる。
焼き時間は凡そ2分。
宅配ピザのような、パン生地のものしか食べたことがないとイメージが沸かないが、所謂“ナポリピッツァ”というものだ。
薄いがそれでいてもっちりとした生地。生地には塩気があり、代わりにソースに塩はあまり入らない。
超高温の短時間で一気に焼き上げる為に、載せる具はあまり多くなく、薄く切った具材を、1枚につき3種程度載せる。
トマトソースのピザが仕上がる前に、次のピザを準備する。
オイルとチーズをメインにしたシンプルなものから、魚介を乗せてクリームソース、そして具を変えて再びトマトソース。
普段から具材の準備ををしておけば、時間がかからず数分で複数の種類のものが作れる。
ピザは修羅場の味方だ。
鳥肉が仕上がるまではピザを焼き続ける。これでもかというほど焼き続けるが、2枚入れるうちに1枚目が焼きあがるので、出して入れて出して入れてをひたすら繰り返す。
集中していて気づかなかったが、客席側は異様な盛り上がりを見せていた。
席が足りず、立って飲んでるプレイヤーも居るほどだ。こんなに人が集まったのは、開店以来ではないだろうか。
なんか机見ると、持ち込んだ酒とか食べ物まで並んでいる。
やりたい放題だが、最後なので気に留めることもないだろう。
話を聞く限り、どこかのボスを倒して得たアイテムにアルコール類が大量にあり、それを今開けてるようだ。
混ざって飲みたい気持ちもあるが、こちらを仕上げてからにしよう。来客はどんどん増える。それに対し、捌ける人員は二人だけ。彼らを満腹にさせるためには、一刻の猶予も許されない。
◇
―――『ただいまをもって、≪プログラム・ノア≫はアンインストールされます』
―――『終了まで、しばらくお待ちください』
騒々しかった店内も、最後のアナウンスで静まりかえる。
最前線で戦うプレイヤーも、町から一歩も出ないプレイヤーも、はてはNPCまでもが、皆一様に集う店。
そういう店を作りたかった。
今この光景を見れば分かる。その目標は、叶ったのだと。
今ここに集まっているプレイヤーを見ると、そう確信できるのだ。
1日の20時間近くを狩りに費やしていた、トッププレイヤー。
自分と同じ、中間層に位置するプレイヤー。
町から出るのは、新たな町が開かれる時程度という、生産職のプレイヤー。
鍛冶師、裁縫師、そしてこの店に食材を降ろしてくれたNPCや、プレイヤー達。
レベルは大きく異なる。
装備の等級も大きく異なる。
それでも、皆一様に笑って最後を迎えれたのなら、それ以上の幸福はないだろう。
「自分から、最後に言わせてもらえるかな」
口を挟む者など居ない。
「今まで、ありがとう。攻略したプレイヤーも、そうじゃないプレイヤーも。自分にとっては、皆同じでお客様だったんだから」
最後の言葉を考えていたわけではない。
ただ、自然と口から出ただけだ。
「リアルか、ネットか分からないけど。また皆に会える日が来ると良いなって、そう思うよ」
途中で脱落した者も多く居た。
もう帰ってこない者も居る。
それでも、ただの1プレイヤーである自分に、関わった全てのプレイヤーに。
心を込めてこう言いたい。
「今まで、ありがとうございました」
この場に集まった沢山のプレイヤーへ向け、深く頭を下げ、いつもより少しだけ大きな声で、感謝の言葉を投げかける。
攻略に背を向け、中間層に落ち着き。
ただ“店”を経営することで、ゲームから逃げないように自分を縛り。
自由に過ごした3年間。
こんな自分も、
誰かの為に、なれたのだろうか。
涙の潤む視界の縁に、幾度と見てきた光のエフェクトが煌く。それはHPを全損し、プレイヤーが死亡した時と同じエフェクトだ。
足の先からポリゴンのように分解され、その光は天に昇る。
「ん、もう終わりみたいですね」
そう呟いたのは、見慣れた金髪の美少年。
彼は既に下半身まで消滅しているが、そこに苦悶の表情はない。
死んだのではない。ゲームが終了しただけなのだから。
彼だけではない。徐々にではあるが、他のプレイヤーも同じように消滅を始めている。
「お疲れ様でした! お先に失礼します!」
最後まで、テンションの高い美少年だった。
リアルの年齢は自分と同じくらいでアラサーに差し掛かる年齢のはずだが、痛々しいはずの少年のロールプレイというのは、ああまでされると清清しい。
「またリアルで会いましょう!」
親指を立て、満面の笑顔を浮かべ。
金髪の美少年は、居なくなった。
店に入ってきた時と同じように、皆それぞれに別れの挨拶をし、一人、また一人と消滅していく。
皆を見送り、自分の番を待つというのは、少しだけ寂しいものがある。
10人も残っていない店内。
隣に立つ者が居る。
誰よりも早くこの店に来た、少女。
彼女に、右手を握られる。両手でしっかり離さないように握った少女は、震える声で問うてくる。
「さっきの質問、どっちだったんですか?」
先程の質問。
帰りたかったのか、まだ居たかったのか、という質問だ。
そういえば、まだ返答をしていなかった。
「可愛い弟子と、もっと一緒にいたかったな」
恋や愛ではなかったと思う。
妹に向ける感情かと言えば、一人っ子なので分からない。
ただ、これだけは、本心だった。
「最後にそんなこと言うなんて。先生は卑怯です」
少女の顔が紅く染まる。いつもより3倍増しで赤くなった少女は、深呼吸をし、ゆっくりと口を開く。
「先生、ずっと好きでした」
背伸びをしてきた彼女に頬を両手で掴まれ、唇が触れる。
その時間は、1秒ほどだったろうか。
目を開けると、少女の姿はなくなっていた。
店内に残るのは、自分を入れて二人だけ。
それも、よく知った顔だ。
西洋人形のような、整った顔立ち。
限りなく銀に近い灰色の髪をもつ、女性プレイヤー。
一緒に狩りをすることもあれば、口論することもあった女性。
キャラクターは10代を意識してメイキングしているようだが、リアルの年齢は全く知らない。そのような話をしたことがないからだ。
「最後にいいもん見せてくれんじゃん?」
テーブルに肘を着いたまま、笑みを浮かべる彼女はそう言った。
「……まさかあの子があんなことするなんて、驚いたよ」
「こっちとしてはいつするかとワクワクしてたんだけどね? いや、ヒヤヒヤか。あんた、あの子を恋愛対象としてみてなかったもんね」
女性から見ても、やはりそうだったのか。
それはあの子に、とても申し訳ないことをした。
「それは、そうとしてさ。……もう二人?」
「ぽいねー。さっきまで外で騒いでる奴らも居たけど、今はもう静かなもんさ」
窓から外を見上げると、幾筋もの青白い光が空に上っていくのが見える。室内に居たから分からなかったが、全てのキャラクターはあのように消滅していくのだろう。
「最後にフラグを立てて去るのも良いかなって思ったけど、生憎言葉が浮かばないや。あんたなんか気の聞いた台詞言えないの?」
「無茶を仰る。……次の世界でまた会おう、とか?」
「うぇ。なにそれプロポーズかなんか? あっちに戻って、前世で知り合いだったとか話しかけられても困るよ?」
確かにそれはあまり気持ちの良いものではない。
そういうのは自分などではなく、どこかの“主人公”が繰り広げる、波乱万丈ストーリーの序章にあるイベントだ。自分みたいなモブには、もっと平凡な出会い方しかできない。
「じゃ、話変えるわ。あんた、どこに住んでた?」
彼女にそんなことを言われるとは全く思っていなかった自分は、今とても呆けた顔をしていることだろう。
自分のリアルを語らない代わりに、人のリアルも尋ねることがなかった彼女。
それに何か理由があったのだろうか。
「愛知、だよ。そんなこと聞かれるなんて思わなかった」
「あはは、だろうね。あんたもあたしも、露骨なくらいリアル話避けてたし。……ま、最後くらい、許してよ」
後半は、微かに聞き取れるほどの音量だった。
猫科のような大きな瞳が潤んでいる。
複雑な事情があったのだろう。リアルの自分にはないような、ストーリーが。
「あたし……音大通ってたんだ。地元はあんたと同じで愛知だったんだけど、東京に出てきてね」
声は掠れ、溢れる涙を隠すこともない。
「ちょっと有名な楽団にも所属してさ。音楽家目指してたわけ。そこでさ、ちょっと面倒なことが起きて、逃げるようにこっちに来たんだ。3年も続けるつもりなかった。1か月やそこらで辞めると思ってたんだけどね。結局、今日まで続いちゃったよ」
皆、最後までプレイするつもりでこの世界に来たわけではないのだ。
3年間、最後まで続けるつもりでこちらに来たプレイヤーは、決して多くはなかったのかもしれない。誰もそんな話をせず、居なくなるものは黙って消える世界だったから、見ないようにしていただけ。
「あんたは、どうだった? この世界。心の底から、楽しめた?」
その表情は、初めて見るものだった。
大事な人が居なくなっても、人前で涙を流すことはなかった彼女。
馬鹿野郎と、悲しみを怒りで覆い隠していた彼女。
それが今、自分の前で両目からぼろぼろと涙を落としながら、こちらを見つめる。
「……わかんないな」
元の世界に未練があるかと言えばそうだし、この世界に未練があるかと問われれば、それにもイエスと答えるだろう。
「は、やっぱりあんたじゃ、しまんないな」
「ごめんね。……最後が自分なんかと一緒で」
「気にすんな。ま、あたしの言うことじゃないけど」
涙はまだ頬を伝っているが、その表情はとても明るい。
はじめて見る、良い、笑顔だった。
「きっと、皆に会いに行くから」
彼女は涙を袖で拭き、そう告白する。
「こっちからじゃなくて、良いのかな」
「良いよ。大学も楽団も、とっくに除籍されてるだろうし、久しぶりに実家に帰りたい。家族もそっちに居るはずだから」
大学生。
元、と前につける必要があるのかもしれないが。
雰囲気からは、もう少し上だと思っていたのだが、それは大人びて見える性格故にだろう。
「自分も、また1からやり直しだ。再就職してもいいけど、ここみたいな、皆が集まれる店作るのも良いかもね」
「そりゃ大変だ。手伝えたらてつだ……いや無理か。それはあの子に任せるわ。あたし食べる係な」
「軽く言ってるけど、割と大事な係だよそれ? 3年間もこの世界に居たんだから。今や昔と同じものが作れるとは思えないし……味覚もどうなってるかわかんないからさ」
「あれ、大役だった? ん……そろそろみたいだね」
彼女の足先が少しずつ光に包まれてゆく。
少し遅れて、自分の身体も。
「名前とか教えておいたほうが良い?」
「ん、いやいいよ。そのくらいは自分で探すから。じゃあね。あんたのお陰で、この世界もそれなりに楽しめたよ」
「お疲れ。またね」
音もなく彼女は居なくなり。そして――