信じるもの
単発で出したので、少し長いですが最後まで読んでください。
「ねえ」
真冬の寒さが漂う部屋で彼女は口を開いた。
「なんだ?」
「…私達付き合ってるじゃん?」
体操座りで顔を埋めながら、恥ずかしいのか、声の調子もおかしかった。
「そうだな」
「どんな事しても嘘つかないって約束して?」
俺の方を見るその眼は、希望に絶望、更には哀れみや悲しみも見て取れた。
「約束、か。いいぜ。けど、お前、まだ俺さえも信じられないんだろ?」
「…誰も信じられない。信じたくない。でも、君だけは信じたい。信じれるようになりたい」
「なら約束な」
「…うん。ありがと」
あんな事件さえなければ、こいつもこんな風に人を疑うことしかできなくなってなかったろうに。
「…お前さ」
「なに?」
「学校とかどうすんの?」
「辞める」
即答。考え抜いた結果だろうか? まあ、けど、それが妥当か。戻れとは言えなかった。
「そうか」
「ごめん。私があんなことしなきゃ」
「気にすんな。別に、なんとも思ってねえよ」
「うそつき。嫌いになったでしょ」
「なれるか。あんぐらいで」
あんぐらいで。3回くらい、自問自答する。本当か? こいつの前で嘘はつけない。
「じゃあ、私のこと好き?」
「ああ。好きだ。大好きだ」
「今からでも愛してくれる?」
「それは…」
「年齢と私の不安定さ、それが不安?」
「まあ」
「年齢なんていいんだよ。私は大丈夫だから。愛してよ。キスから始めて、壊れるくらいに強く抱いてよ」
「壊したくない」
「むっ! 比喩なっ!?」
俺は言葉を遮ってキスをした。
「キスから始めるんだろ?」
「そ、そだけど! こっ、心の準備とか!」
「俺とは嫌、か?」
「…嫌じゃない」
「じゃあ、いいじゃねえか」
「そ、そういう問題じゃっ!」
また、キスをしてあげた。
「バカ。その気になっちゃうじゃん」
「誰が俺をその気にさせたんだ」
「私だね」
そうだ。そうやって笑ってくれ。昔のお前みたいに。可愛くて、明るい。そんなお前で居てくれ。病まれても困るんだ。色んなデートの計画立てたじゃねえか。
まだ、やってないことばっかだろ。美術館とか繁華街とか全然行ってないだろ。
「…来て?」
両手広げて、精一杯の笑顔で。嬉しそうに、俺を求めた。
「ああ」
俺は答えてやらないといけない。
答えてやりたい。
ああ、気付けば終わってしまうのに。気付かないのは、彼女が受け入れてないからだ。
「どうしたの? やっぱり私のこと嫌い?」
「顔を暗くするな。笑ってろ。笑ってなきゃ愛せない」
「じゃあ、笑う」
作り笑い。でも、可愛い。
「いいんだな?」
「襲ってるくせに、何言ってんの」
俺はまたキスをした。
彼女は満足気に寝てしまった。
俺は、寒くないように布団をかけてやる。一枚…じゃ、足りないか。二枚かける。
「…しかし、なんで、こうなっちまったんだろうな」
寝顔にそう聞いてもダメなのだが。
「はあ…」
ため息が漏れる。
漏らしたところでどうにもならないのだが。
「なんで、なんでこうなっちまったんだよ…」
また、そう言ってしまう。
彼女は、俺と付き合ったから虐められた。これまで信じていた仲間に、そんなことはしないと思ってた奴らに。
俺が、俺が悪かった。こうなることが分かってりゃ、あの時、こいつに告白された時に浮かれてた俺を蹴飛ばしてやりたい。地平線の彼方まで。
「ごめん。本当にごめん…」
「…謝んないでよ」
「! すまん。起こしたか?」
「うん。でも、大丈夫。私には君がついてるから」
「なに言ってんだ」
お前はなにも信じれないんだろう? 出かけた言葉を喉元で押し止める。
しかし、何も言わない俺を不思議に思ったのか、彼女は俺を見つめ言った。
「ねえ、私って可愛くない子かな?」
「は? 何言ってんだお前」
「そう言われたの。可愛くないブスが出しゃばるなって。屋上で。みんなに蹴られて殴られて。痛かった。…ねえ、撫でてよ?」
「分かりましたよ」
俺は、彼女の頭を摩る。綺麗だった髪は、生気を失ったかのようでさえあった。
「うん。気持ちいいな。手大きいよね。私の頭がすっぽり入る」
「お前の頭が小さいだけだ」
「そんなこと言わないでよ」
「本当だろう? でも、」
「"でも、そんなとこまで俺はお前が好きだ"かな?」
先回りして当てられる。
「ああ。俺はそんなお前が好きだ」
「…あは。なんだろ。とても嬉しい。胸のあたりがあったかい」
「それは、良いことだなきっと」
「うん。良いことだよきっと」
そう言って、笑ってくれる。その笑顔だ。その笑顔さえあれば俺は生きていける。
「なんでお前そんなに可愛いんだ」
「い、いきなりそんなこと言わないで。裏がありそうに思えてならない」
「裏なんてない。お前が好きでどうしようもないだけだ」
「嬉しい。ね、一緒に寝よ?」
「しょうがない。いくら重ねても寒いものは寒いからな。一緒に寝たら、少しはマシだろう」
「ほんとに!? やった! 嬉しい」
「さっきから嬉しいしか言ってないじゃないか?」
「ごめん…でも、ほんとに嬉しいの。だから、許して。お願いだから」
「謝んな」
「うん。ごめん」
謝んなって言ったんだけどなあ。
まあ、いいや。
「なあ、明日はどうする?」
「明日は、デートしよう? 外出て、デパートとか、うん。美術館とか繁華街とかね! 私は、デートはそういうところがいいな。ね! 連れて行ってよ」
「ああ。分かった。どんなとこでも連れて行ってやるさ。けど、何か買うときはちゃんと言えよ? お前金持ってないだろ?」
「うん。ない」
「よし。明日は繁華街だ。ちょっと遠くまで出ような。んじゃ、俺はもう寝る。朝になったらいないなんてやめてくれよ?」
「君無しで家から出たくないから、心配しなくていいよ」
「おう。なら、おやすみ」
「おやすみ」
「まだ、眠くない。ねえ、君は寝ているけど、なんで寝ていられるの? さっき少し寝たのもあるかもしれないけど、夢は大抵悪夢なのに、好き好んで見ようとも思えないよ。助けてよ…。私をあの悪夢から救い出して…?」
「んーっ。よく寝た……あいつは!?」
起きると横にはあいつがいなかった。
「あ、おはよ。朝ごはん作ってるよ」
「はあ!? ちょっ、待て。俺が作ろう」
「えー、いいよ別に。泊めてもらってる恩もあるし」
「そんなことを言い出す前に包丁の一つでも使えるようになってろ」
「…うん。そだね」
あ、なんだか、すごい傷つけたような気がする。
「だからな、こうやって切るんだよ」
「…こう?」
「だあ! 違うっ! なんでそこ持つんだ。そこ持ったら指ごと切れるぞ」
俺がつきっきりで包丁の使い方を教えてるんだが、一向に上達してくれない。
「んー、こう?」
「まあ、そうだな」
「それで、どうやったら切れるの?」
「そうだな。なんか切ってみるか」
そう言って、野菜庫から人参を数本取り出す。
「ここをこうやってだな…」
「え? 何今の。どうやって切ったの?」
「え? だから、こうやって」
「え?」
「え?」
顔を見合わせて、何かおかしくなって二人で笑った。
「やっぱいいよ。料理できなくて」
「ここまでしといて、なんでだよ?」
「私が作るより、君が作ったほうが美味しい気がするから」
「彼女の手料理も食べてみたいものだけどねえ」
そう、俺が言うと、彼女は、顔を少し赤らめて
「彼女って言われるの嬉しい。けど、料理は、私に合ってないよ」
と言った。
「最初はそんなものだろ。継続は力だぜ?」
「真面目だね」
「趣味が優先されてるだけだ」
「そんなとこ、好きだよ。全部好き」
笑う彼女は、可愛かった。
無事朝飯を食った後は読書の時間だった。毎日の習慣だ。
「あ、何読んでるの?」
「うん? 一人暮らしの本」
あ、しまった。そう思ったときにはもう遅く、目を大きく開けて、信じられないとでも言いそうな。
「え? 私、捨てられるの?」
と、彼女は一気に泣き出しそうな顔になる。
「馬鹿か。小説だよ。小説」
「あ、小説か! びっくりした」
涙目でありながら、心底安心したように笑顔を見せた。
「ねえねえ、それ面白い?」
「ああ。面白いぞ? 読むか? 一巻は…えーっと、あ、あった。ほら」
彼女に本を手渡す。
「ありがと。それじゃ、読んでみるね」
「ああ」
集中して読み出したのか、静かだった。時折、ペラッと紙をめくる音が聞こえるだけだ。
あいつは、このまま俺の家に居続けるつもりだろうか。ダメではないが。
昨日も考えたが、あいつは、俺と別れて、この本の主人公みたいに、一人暮らしを続けるほうが良いのではないか。
昨日?
「あ!」
「うわっ!? え? な、なに? どうかしたの?」
ビクって猫みたいに髪の毛が逆立ったように見えた。
「いや、昨日、繁華街とかにデートしにいくって言ってただろ?」
「……あ! うん! 言ってたね」
「それ思い出しただけだ」
「忘れてたの?」
「お前も忘れてたよな?」
「え? なんのこと? 私が忘れてるわけないじゃん」
あからさまな嘘だった。
ただ、いちいち付き合っていられないので、無視。
「午後から出ような? なんか買ってやるよ」
「え!? いいの? じゃ、服とか買って貰お!」
デート! デート! と、子供みたいに嬉しそうであった。そんな姿を見て俺も嬉しくなる。
「可愛い服買ったら、もっと可愛くなるなお前」
「うん! 可愛い服買ったら、私なんかでも可愛くなるよ!」
? なにか、意味合いが違った気がする。
「よし。ゲームしようか。読書は終わりだ。けど、面白かっただろ?」
「え? あ、うん。面白かったよ」
「あの、主人公が一人暮らしをするにあたった経緯とかほんとにまじでかよ!? ってなるものあるよな」
「た、多分そこまで読んでない、かも…」
「うわあ、やらかした! ごめん。続きが気にならないかもしれないけど、面白いから読んでくれよ?」
「君を熱中させるこの本が羨ましいな」
「なんだ急に」
「私も、君を熱中させたい。私のこと以外考えられないようにしてみたい」
ふふふ、と不気味な笑みを浮かべる。
「…なんだ、怖いぞ?」
と、言うと、ハッと我に返ったように
「ご、ご、ご、ごめんなさい! 嫌いになった? 嫌だよね、こんな彼女」
「あのな、熱中させてえとか言ってるけどな。俺は充分お前に熱中してんだよ。本なんか集中して読めねえよ。お前は可愛いし、優しい。少し、いや、結構変だけど、俺を熱中させるには、これ以上ない彼女だ」
「えへへ。うん。うん!」
「つーわけで、ゲームするぞ」
「なにすんの?」
「二人用RPG」
「素敵だね!」
「ああ」
昼までゲームに明け暮れた。けど、昼までだ。あくまで昼まで。
「これか!」
「ちげえって! リアルに塩と砂糖間違えてんじゃねえよ!」
「これ塩?」
「塩だ。かけるのは砂糖な。ったく、まあいいや。ハチミツとってくれ」
「はい」
「おう、せんきゅ」
ポンっとキャップを開ける、つんと特有な刺激臭が。そうそうこれが………オイ、ナンダコレハ!?
「お酢じゃねえか!」
「あれ? 違った? ハチミツってそんな色してなかった?」
「だいぶ無理矢理だが、見えないこともないな」
「でしょ?」
「だからといって間違えたら、ダメだぜ?」
「うう…。ごめん」
「まあいいさ。間違えて入れてはないからな」
「…あ、あったよ! 蜂蜜」
「おう、サンキュ…よし、蜂蜜かけて、完成だ!」
「おおー! ホットケーキ!」
「ジャムもあるぞ? ストロベリーにブルーベリー、白桃にマンゴー、チェリーまでなんでもござれだ」
「うーん。チェリーがいいな」
「おう。ほらよ。よし。ホットケーキ切り分けるからな? 包丁は、こうやって切るんだ!」
「美味しい! チェリージャムも美味しい! やっぱり、私よりも料理上手だよ!」
「まあ、そりゃあ、自分のホットケーキも切り分けれないやつよりか上手だな」
「えへへ」
「褒めてねえよ!」
「褒めてよ!」
お、おお。そう返されるとは思ってなかった。
「可愛いぞ」
「もっと!」
「綺麗だ」
「うーん、もっと!」
「左頬についてるジャムが可愛さを引き立ててる」
「え!? ジャム付いてる? ……あ、ほんとだ」
「昼から、デートだな」
「うん! よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ」
昼食はそんな感じで終わったんだ。
「結構寒いな」
「そだね。寒いね」
「お前、もっとあったかい格好してこいよ」
「女の子はあったかさより可愛さをとるの」
「風邪ひいたらどうするんだ…」
「診てくれるんでしょ?」
「平日は仕事だっつーの」
「え? 仕事してたの?」
「驚くなよ!」
「驚いてないよ。知ってたし」
なら、なんで驚いたんだ。
「あ、繁華街、あれ?」
「そうそう。あれだ。おお、いい匂いがしてきたな」
「すいません。角煮、二つください」
ある程度、見回って、これが食べたいとねだられたので、買ってやる。
「かしこまりました! どうぞ!」
「ありがとうございます」
そう礼を述べ、代金を払う。
「ほら」
「ありがと! はむ!」
彼女はおいしそうに角煮を頬張る。
「んん〜! 美味しい〜! とろけるよ。このお肉」
「まじかよ。それなら、俺も」
俺も、同じように頬張る。
「うおっ!? まじだ。とろけていく」
「ねえねえ! あの店も入ってみようよ!」
「ん? おう」
チリンチリーン
「いらっしゃいませ。一名様でしょうか?」
「いや、二名だ」
「おや。これはこれは。失礼しました。私には見えなかったもので」
まあ、こいつ小さいからな。
「チビだから見えなかったてよ」
「ちっちゃくないもん!」
たまには、からかうのも面白い。
「では、こちらへ」
先導されるままにテーブル席へ移動し、そのまま座った。
「来たはいいが、お前何食べるんだ?」
「ストロベリーパフェ」
即答。最初からそのつもりか。
「一緒に食べよ?」
「ああ。いいぜ」
こいつの頼みを断れるほど、俺はこいつを信じてなかった。
「すいませーん」
「はい。今すぐ!」
その言葉通り、店員さんはすぐに来た。
「ストロベリーパフェを一つ」
「はい」
「以上で」
「すぐにお持ちしますね」
そう言うと、店員さんは下がった。
「…可愛い人だったね」
「うん? そうだったか?」
「君の目は節穴か、と言いたくなる」
「俺の目はお前しか見てねえよ」
「私の目も君しか見てないよ」
お前はいろんなものを見たほうがいい。そうでないと、お前は
「お待たせしました! ストロベリーパフェでございます」
意外と大きい。俺は、オーガナイザーからスプーンを二つ取り出した。
「以上でお揃いでしょうか?」
「はい」
そう俺が答えると、スタスタと店員さんは歩いて行った。
「今の人、変な顔で私達のこと見てたよ?」
「は? そりゃ、いけないな。ほら、食え」
「はむ! んーっ! 美味しい。もう一口」
自分で取れよ! と思いつつ、俺はもう一口分、パフェから掬って口まで運んでやる。
「はむ。やっぱり、美味しい」
「ああ。良かった」
「………………」
急に、黙った。
「どうかしたのか?」
「私ってどうやって君と知り合ったんだっけ?」
「忘れたのか?」
「うーん。思い出せない。なんか、気づいたら君がいた気がする」
「あの時、お前は、俺を殺したんだ」
「え?」
「俺は、お前に殺された」
「な、何言ってるの? き、君は生きてるじゃん」
「そう見えるだけだ」
「そ、そんな。私が…?」
「いじめられてたストレスから、我を忘れて、そのまま」
「で、でも! 今日は、みんなちゃんと返事してた」
「これはお前の夢だからな。すべてご都合主義だ」
「嘘。こんなの嘘だよ!」
「はーい。そうだよ。嘘だよ」
「ふえ?」
彼女は間抜けな顔をしていた。
「ちょっと怖がらせたかったんだ」
「ば」
「ん?」
「ばかぁ!」
お、おう。怒ってらっしゃる。まあ当然か。
「…私は、君がいないと、なにも」
「そうだな。包丁すら使い切らないからな」
「…うん」
「お前は、俺を助けてくれたんだ」
「そうだっけ?」
「ああ。楽しそうに、社会なんてものに見向きもしないで、笑ってる。そんなお前を見るたびに救われてたんだ」
「楽しそうに…笑う?」
「ああ。覚えてないかもしれないけどな。笑ってたぜ。楽しそうに」
「そう。なら、今はもう私は君のこと救えないのかな?」
「何言ってやがる。今はお前がそばに居るだけで救われてるよ」
「パフェ、うまかったな」
無事、ストロベリーパフェを食い終わり、帰路途中なのだが、
「………………」
なぜか、ずっと喋ってくれない。
「もうすぐ家に着くな。今日の夕飯は何がいい?」
「…なんでもいい」
喋っても、何も考えてないような、そんなことを思わせるものだった。
そんな対応ばかりなので、どうにも会話が弾まない。
「なあ、おい」
「………………」
まったく、しょうがない。
「おい、綾香!」
「ひゃい!? え?」
驚いたように、俺の方を見てくる。
「何驚いてんだよ」
「あ、いや。ごめん」
「謝んなくていいのに」
「いきなり呼ばれてびっくりした」
「ぼーっとしすぎだ」
「うん。そだね」
それでもなにか、変だった。
「テレビでも見ててくれ。夕飯作るから」
家が一番だな。快適だし。
「うん。わかった。あ、ニュースしてる」
「あ、お前はニュース見とけ。なに、アニマックスに変えようとしてるんだ」
「うぐっ。ばれちゃった」
「ニュース見て、少しは現代社会について勉強してろ」
「うん」
「さて、と。なに作るかな」
キッチンに立った俺は、少し悩んでいた。今から作るものもだが、それ以前に彼女が、考えていたことが気になった。
「…そうだな。魚でも焼くか」
いや、刺身にしよう。鰤があったはずだ。
変なことを考えるのは後だ。
鰤、寒ブリだが、刺身なんて久方ぶりに作った。
「よし。時間もいい頃合いだし、飯にしようか」
そう言って、俺は刺身を盛り付けた皿を、リビングへ持っていく。
「あやかー、飯できたっ!? おい、大丈夫か」
リビングで、彼女が倒れていたので、慌てて介抱する。
「…思い出したの。私がしようとしたこと。それができなかったこと」
「それで、なんだ?」
「私は、なにしてたんだろ。こんなところで」
「俺の家に転がり込んでんだろ」
「ねえ、それは許されること?」
「知らねえ。けど、お前が望んでここにいるんだろ。だったら問題ないだろ」
「ダメだよ。甘やかさないで」
…依然として、人と一線を引きにかかってる。昔に戻ってきてる。
「私、出てったほうが良いよね」
「馬鹿。行く当てねえだろうが」
「迷惑かけるぐらいなら」
やっぱり昔みたいだった。思い出したって言ってたが、こいつがやることってなんだよ。
でもな、
「お前がこの家にいないほうが、最早、迷惑だ。俺にお前がいない毎日を暮らせというのか」
「私だって、やだよ。君のいないほうが嫌に決まってる」
「じゃあ居ろ。それでこの話は終わりだ」
久しぶりに見る、こいつのこの表情が俺を、明るい不安に覆わせた。
「ほら、夕飯食べようぜ」
「うん」
静かな、こんなに静かな食卓も久しぶりだった。なんだか、久しぶりなことばかりだ。
「ねえ」
「なんだ?」
「思い出したよ。君と出会ったときのこと」
「おう」
「私の自殺を止めてくれたんだったね。うんうん。はっきりと思い出した」
「…ああ」
あまりにも重い思い出なので、思い出したくもなかったことだった。
「私、君に酔ってた。今も酔ってる。多分、一生酔いは覚めない。次起きたら、また全部忘れてることだってある」
「そうか」
初めて聞く…わけじゃない。何度も何度も聞いた。その度に、お前は忘れるんだ。今日のことを。そして、お前だけあの日に戻る。
「ねえ、」
今度は…今日は、そんなに寒くないな。
「私達、付き合ってるじゃん?」
「ああ。そうだな」
「…でも、私は、君のこと、信じたい。信じてるよ」
「ああ」
「私は、君が好き。私の同級生の君が。私を救ってくれた君が大好きだよ…うん。思い出してきた。あの日、桜が咲いてたあの日。君の告白断ったんだった」
「いつの話してんだ。もう、五年も前の話だ」
「あれ? もうそんなに経つの。早いなあ。ね、ご飯出来てるんでしょ? 食べようよ」
「ああ。今日は刺身だ」
「お昼のお肉とどっちがおいしいかな。きい君はどっちだと思う?」
「…ああ」
つうと、涙が溢れてきた。
「きい君、なんで泣いてるの? 私、なにかした?」
「いや。なんでもない」
名前を呼ばれることがこんなに嬉しいだなんて知らなかった。とはさすがに言えなかった。
「変なきい君」
「お前が言うなよ綾香」
「むっ! 私は変じゃないよ」
「お刺身、美味しかったね」
「ああ。そうだな」
「明日は綾香はどうするんだ?」
「…なんでもしてるよ。掃除も家事も」
「家から出ないのか?」
「きい君と一緒じゃないと、楽しくないもの」
嬉しいこと言ってくれる。
「…俺は今幸せだ」
こいつとずっと付き合ってきて、こんなにも嬉しいのは初めてだった。だからこそ、時間が恐ろしかった。
「言う割に、怖い顔してる。私が覚えてなくても、捨てないでよ? 諦めたらダメなんだからね」
「…ああ。でも、お前を失うのは怖い」
「私は私だよ。いつでも、ここにいる。君のことが好きな一人の女なの。それ以上でも以下でもない。だから、君がここに帰ってくる限り、私は絶対に消えたりしないよ」
自信たっぷりに言い切る。そんな面もあった。俺すらも忘れていた。
「ふふ。お風呂沸かそうか」
そう言って、綾香は、風呂場へ消えた。
…これまでで、一番、元に戻っている。綾香…宮本綾香は、学生時代に受けたいじめによって、自殺を図り、それを俺が止めた。しかし、当時の綾香にとっていじめと自殺未遂は耐えられるものではなく、それを忘れ去ろうとして、記憶を消すことを始めた。一日を、寝て起きれば忘れている。心はいつまでも十七歳。身体ばっかり大きく…もなってないけれど。
「なあ、綾香。お前はどんな思いでこの五年間を過ごしたんだ」
「…独り言?」
「おわっ!? な、なんだ居たのか」
いつの間にか帰ってきていた綾香が後ろに立っていた。
「実はね、私、今日のことなら何もかも覚えてる。あの日のことも、ただ。その間の五年間は覚えてない。何があったのかも。ただ、ね、夢は覚えてる」
「夢?」
「うん。悪夢なんだけどね」
悪夢。そういえば、一回相談されたような気がする。
「私が先に死んじゃうの。その後を追ってきい君が死ぬ。それで、みんな泣くの」
「…それ、悪夢か?」
「私は、このまま衰弱して死ぬの。きい君は、自殺。嫌じゃない? 私が死んだせいできい君まで死ぬんだよ?」
「なんだ、そういうことか。なら、俺が先に死んだら、お前どうするんだ?」
「死ぬかも」
「だろ? それと同じだ。俺たちは、良くも悪くも互いが居ないとダメなんだ。番いの鳥のように」
「…そうだね。もうすぐ、お風呂入れるよ」
「ああ。そうだな。俺入ってくるよ」
「うん。待ってる」
「ふう…」
気持ちいいな。
「暖かい」
気を抜いたら寝ちまいそうだ。
…というか寝てた。ガララッと風呂場のドアが開くまでは。
「きい君、入るね」
入ってきたのは、タオルぐるぐる巻きの綾香だった。
「は、はぁ!? あ、綾香?」
「ダメだった?」
そう聞きつつも、着々と湯船に浸かる準備をしている。出る気すらないだろ。
「…そもそも、お前と入るの初めてなんだが」
「そうなんだ。五年間、手も出せなかったんだね」
バカにしたように笑われる。決して、手を出してないわけではないけれど、こいつにとって、昨日は既に蚊帳の外か。
「お前がこの家を嫌になって出て行かれたくなかったからな」
こいつに合わせるから、こんなことを言うしかなくなる。
「…嬉しい。大切に思ってくれて」
「まあ、彼女だからな」
「ははは。うん。決めた」
「なにを?」
「結婚しよ」
そう来たか。まあ、そう来るか。
「ああ。しようか。結婚」
まあ、明日、お前がまだ俺を覚えていたらだけどな。とかそんなことをいつも思う。
「…ねえ、結婚の話って何回目なの?」
「ん? んー、そんなにしてないぞ。四、五回ぐらいかな」
「その度に忘れるの? 私」
「ああ。そうだな」
「なんか悲しいね」
「もう慣れた」
「…忘れてたらごめんね」
「ああ。気長に待つよ」
「うん。ごめん」
「俺、先、あがってるよ」
「うん」
もう疲れた。今日は頑張った。とさっさと眠りにつきたかったが、そうはできなかった。
「…綾香。きっと明日になったら忘れてるんだろうな」
「きい君、まだ起きてるかな」
そんなことを言いながら、寝室のドアをゆっくりと綾香が開けた。
「ああ、起きてるぜ」
「きい君! 一緒寝ようよ」
魅惑的な誘いだった。
「朝になったら、隣にいないのだけはやめてくれ。心臓に悪い」
「あはは。うん気をつける。それじゃあ、おやすみ」
「ああ。おやすみ」
「んっ…」
静かに目を覚ました。
ん、身体が動かん。
見ると、綾香がガッチリ固定するように俺を抱きしめていた。
「…可愛いなおい」
今は何時だろうか。動かすことが可能だった左手で確認できるものを探す。
…あったスマホだ。
「七時、か」
それなりに朝だった。しかし今日は休日…いや! 仕事だ!
「おい、綾香! 起きろ」
「んー…なに? もう朝?」
「おはよう」
寝ぼけ顏の綾香は、俺を見るなり笑って
「おはよ、きい君」
と言った。
「…ああ。朝飯の用意して食うぞ」
「うん」
「いただきます」
「はーい」
朝は、綾香の作ったフレンチトーストだった。
つまり、久方ぶりのこいつの料理だった。
「…ねえ、きい君、朝からなに泣いてるの?」
「泣けるほど美味いからな」
「ありがと」
「んじゃ、行ってくるわ」
「うん。行ってらっしゃい」
そう言った時の綾香の笑顔を、俺は忘れることはありません。
まさか、あんなことになろうとは思ってもいなかったのです。
その日の晩、給料日だったのもあり、手持ち金はありました。なので、俺は、ケーキを買いました。朝は忘れていましたが、その日は付き合い始めた日付でもありました。
「ただいま」
家が変に静かなのを不思議に思いながら、リビングに入って、驚きました。
綾香が、
どうか驚かないでください。
綾香は、力なくソファに横たわっていました。
「…綾香?」
揺らしても、起きません。それに、なんとなく、冷たいのです。
それに俺は、ぞっとしました。
「あ、綾香? お、おい起きろよ!」
気付いてしまうと、脳はその思考から離れませんでした。
「俺のバカ! こいつは、こいつは!」
お前がケーキを楽しく選んでいる間に!
「…きい君? 勝手に殺しちゃやだよ?」
「…あ」
とても聞きたかったその声を思わず聞いて、とても間抜けな声を出しました。
どうだ? 少しは、錯覚したか?
まあ、そんなことは置いといて。
つまり、綾香は、俺を待っていたが、あまりに俺の帰りが遅く寝てしまったようだった。
食卓を見るに、どうやら、晩御飯を作っていた。
「た、ただいま」
「おかえり。きい君。見てみて作ったの」
食卓には、中華料理が並んでいた。
「絶対、昨日まで包丁が使えなかったやつじゃない」
「きい君のためなら、なんだって作るよ!」
「そういえば、海老とか家なかっただろ? 買いに行ったのか?」
あんなに、俺と一緒じゃないと外も楽しくないとか言ってたのに。
「うん! あ、それとね、ケーキも買ってきたよ」
「うん? ケーキ?」
「うん! だって、今日は記念日でしょ? あ、きい君、その持ってるのは…ケーキ?」
可笑しそうに、そう聞いてくる綾香に
「ああ。記念日だからな」
と答えた。
「じゃ、二つ食べようね!」
「なら、先にお前が作った、この中華を食べるか」
「絶対美味しいよ!」
「だといいな」
俺らは、確かにそこにある幸せに喜んでいた。
「綾香。いつにする?」
食後、ケーキも食べ終わった後、俺はそう切り出した。
「ん? えーっと、なんのこと?」
そう返されると、なんだか不安になる。昨日のあれは夢だったか。綾香は既に忘れているか。
「あー、なんだ、あれだあれ」
「なんだっけ?」
「………………」
…これは、またか。名前だけ覚えてるのだろうか。
「あああ! きい君ごめん! 式だよね? だよね! からかってみようかなって…なんか、すごい表情なったから…ごめん」
俺は、なにも言えなかった。
「…きい君?」
「綾香」
「な、なに?」
俺は、綾香の前まで行き、黙って見下ろした。
「き、きい君? 怒ってるっ!?」
俺は、綾香に最後まで言わせず、その口を塞いだ。キスをした。
「…きい君」
「なんだ?」
「もう一回」
「…しょうがない奴め」
「で! 式は来月します!」
寝る前に、綾香はそう言ってきた。
「おう。なら、今週末からでも用意始めるか」
「うん!」
「んじゃ、おやすみ」
「おやすみ」
二人は互いを思って寝た。幸せになるはずの未来を描きながら。