第八話 花と魔女の出会い。それは運命の歯車が噛み合い動き出す時
「はぁー、今日も退屈だね」
私は暇を持て余していた。
依頼なんてそう頻繁にあるものでもなく、酒場で働いている人達は私以外にもいるおかげで仕事が分散されてしまい、その結果こうやって何も無い日が続く事もある。
そういう時は基本表の仕事である酒場の仕事をするわけだけども、その酒場も大して客が入らない為にこうやって手持ち無沙汰なタイミングが出来てしまう。
「暇か? 仕事ならあるぞ?」
そんな私を見かねたマスターは無愛想なまま、一枚の紙を手渡してくる。
「仕事あるんじゃない。どれどれ……」
この無為な時を潰せる事に期待しつつ、私は恐らく仕事の内容が書かれているであろうその紙を手に取り、中に記された文章を読むが……。
「ふざけないでよ! 何なのこの仕事!」
仕事の内容を理解した私は、余りにも腹立たしくなってしまい紙をくしゃくしゃに丸めてマスターへと投げつけた。
「何がふざけているのだ? 普通の依頼だが?」
普通?
何を言っているの信じられない!
いくら暇だからって、こんな依頼を渡すなんて人間としておかしい。ありえない。
「あーそう! なら敢えて読み上げてあげるわ! 近隣に怪しげな集団がたむろしている地域がある、そこにいる集団の長を暗殺して欲しい。場所は水神の国、東方山岳部、長の名前は――」
「解っている。もうそれ以上はいい」
私の怒りとは逆に、マスターはため息まじりに私を静止する。
「本当に普通だなんて思っているなら、あなたを尊敬していた私の考えを改めないといけないわね」
私が激怒した理由は三つある。
一つ目、この仕事のターゲットとなる長は私がこの稼業に首を突っ込む前、身の回りの世話をしてくれた恩人であるという事。
二つ目、水神の国の東方山岳部で怪しげな集団と言ったら、人間の中でも特に魔術に長けた血筋の人達で、他からは魔女と呼ばれている人らがすんでいる場所で間違いない。
しかも今はもう血が絶えてしまい、絶滅寸前である。
そして三つ目、待てばわざわざ手をかけなくても居なくって解っているのに、敢えて種族の滅亡と混乱を企てる者の正体が水神の国の幹部であり、そこに住んでいる人達から貴重な魔術の資料を奪おうとする為に動いているという事が明白である事。
つまり己の身勝手で、私の家族の命を奪おうとしているのだ。
しかも、それを家族だった私自身の手で!
「……安心しろ。この依頼は確実に失敗する。仮に俺自身が向かったとしてもだ」
はぁ?
急に何を言っているの?
もう訳解らない。
「この依頼を受けた時に、先行して魔女達の集落の様子を探らせた。今、集落には風の悪魔がいる」
風の悪魔。
その単語を聞いた瞬間、沸いた湯を入れた鍋よりも煮えくりかえっていた私の腹の中が一気に冷えていく。
念の為に聞き間違いかもしれない、もう一度聞いてみるとしよう。
「風の悪魔って、もしかして風精の国の……?」
「ああ、そうだ」
その存在は、この稼業をしている者達にとって余りにも有名であった。
学術においては、今までの魔術の常識を覆すような研究結果や論文を多く世に放ち、現代魔術の発展に大きく貢献している。
ただの研究馬鹿かと思いきや、実戦においても無数の戦果を残しており、彼女に出会ったら逃げろと言われているくらいだが無事に逃げ切れた事例は殆ど無い。
そんな実績を数多く重ねてきた結果、風の悪魔とか、最強のペンと剣とか、机上と戦場の女帝とか、ともかく物騒な二つ名で呼ばれる超天才の女魔術師。
風精の国の宮廷魔術師長、ラプラタ。
マスターの見立て通り、この仕事はまず成功しないだろう。
正式な訓練を受けたエリート軍人が束になっても勝てない相手に、どうして私達みたいなならず者が太刀打ちできようか。
「それは新しい依頼?」
私とマスターがやり取りをしている中、二階の従業員が寝泊りしている部屋からアロマちゃんがエプロンをつけて現れる。
彼女も手空きだったのか、酒場の手伝いをするつもりだったのだろう。
しかし、依頼が書かれている事を察したらしく、くしゃくしゃに丸められ放り投げられて地面に落ちた紙を拾うとしわを伸ばして内容を読み始める。
「読んでも無駄よ。たとえあなたでもその依頼を成功させる事は出来ないもの」
あの風の悪魔が相手となれば、今までずっと任務を無事に完遂し続けたアロマちゃんであろうとも無理だろう。
マスターも何も言わずに他の作業をしているって事は、はなからこの依頼を実行する気なんてなかったのかもね。
「やるよ。私が行く」
「ちょ、ちょっとアロマちゃん! 確かに魔術の疎いあなたへあの人の恐ろしさを伝えるのは難しいけれども、今までの依頼で相手してきた奴らなんて比べものにならないのよ?」
マスターが成功しないと断言しているこの依頼を受けようとする事自体、はっきり言って自殺行為に等しい。
アロマちゃんは過去に何度も過酷な依頼を受け、そして生還してきた。
でもこの仕事は今まではわけが違う。
万に一つ、いやゼロね。
まず彼女と戦って勝てるわけが無い。
それとも戦わずにして任務を遂行させる見込みでもあるの?
風の悪魔を出し抜くなんて、戦うのと同じくらい難しいのに。
「そんなの関係ないよ。今日の夜、出発する」
私の思いとは裏腹にアロマちゃんは相変わらず冷たい表情のまま、依頼が書かれた紙を持っていくと自室へと戻ってしまった。
そして依頼決行日。
「ついてこなくていいよ。私一人で出来るから」
「そうもいかないわ。たとえあなたに嫌がってもついていく。ちなみにマスターの了承も得てるからね」
結局彼女の考えが変わる事は無く、何も躊躇わずに今回のターゲットがいる魔女の村へと向かおうとする。
流石に見殺しになんて出来ないし、万が一にも依頼をこなして私の大切な人がこの世から居なくなるのも困るので、どちらにしてもいざという時アロマちゃんを止める為に、私もマスターに同行の許可を貰ったのである。
私の目的が明確であり、かつ明らかな障害となるせいなのかな?
いつもの無愛想さにより磨きがかかっている気がしなくもないけれど、今はそんな甘い事を言っている場合ではない。
アロマちゃんも諦めたのか、私の妨害があっても遂行できる自信があるのか、以降私が後ろからついてきても無言のままだった。
そんな静かな行軍を半日続け……。
「ついたわね」
山間に藁と木で造られた簡素な家屋が点々としている風景が眼下に広がる。
それは村や集落と言うにはあまりにも規模が小さくて粗末で、普通の人なら気にもしないだろう。けれども、私にとっては胸から具体的な表現が出来ない何か温かいモノがこみ上げてくる程に懐かしくて尊い場所だ。
「ねえアロマちゃん。本当にこの依頼をこなさなければいけないのかな? 全ての仕事を請けなきゃいけないなんて理由も道理もないのよ? だから――」
「仕方ないよ。それが仕事だから」
私は諦めきれず、再び説得を試みようとするが……。
アロマちゃんの意志が変わる事は無く、私の言葉は途中で遮られてしまった。
どうしても行くというのね。
あまり使いたくは無かったけれども、私にだって守りたいものはある。だから!
私は意を決すると、アロマちゃんが先行して集落へと入ろうとするのを確認した後に、予め用意していたどんな相手も魔術の力で拘束する効果を持った水晶の指輪を中指つけて後を追った。
「待って、これ以上行くと見つかってしまう」
私がアロマちゃんの後を追って集落の中に入ろうとした時、草むらに隠れていた彼女に静止されてしまう。
元々故郷へ帰るわけだし、この依頼を妨害しなければいけないから、むしろ他の誰かに見つかった方が都合がいいのだけれども。
拘束する魔術をそのまま放っても、恐らくアロマちゃんには当たらないだろう。
それこそ、後ろからでも不意打ちするくらいしなければ。
今はこの少女の隙をうかがいつつ、こちらの行動を気取られないようにしないと。
そう思い、アロマちゃんに従い一緒に隠れる事にする。
「それでは万が一に備えて門の破壊、そしてこの道具を使いこの地上に結界を施して下さい」
「遂に時が来たのですね」
人の背の半分程しかない草むらを隔てた向こう側、集落の中から二人の声が聞こえる。
一人は懐かしい人、私の大切な人の声である事は間違いない。
もう一人は聞きなれないけれども、喋り方や状況から察するに風の悪魔ラプラタだろう。
「ええ、ようやく決着がつけられそうです」
「成功を祈っております」
それにしても何の事について話しているのだろう?
門の破壊?
地上に結界?
何の心当たりもないし、正直そこだけ聞いていても脈略が無さすぎて意味が解らない。
「ありがとう。では私は城へ戻ります。ですがその前に……」
彼女らがどんな会話をしているのか、もっと内容を理解する為に聞き耳を立てていた時だった。
隠れていた茂みが一瞬で蒸発してしまい、私は恩人と最も戦場で会いたくない人と目があってしまう。
「それで隠れていたつもり? あら、可愛い子ね。お姉さんに何か御用かしら?」
「おや、エルシアではないですか。お久しぶりです」
しまった、ばれてしまった。
と言うより、元々ばれていたというの?
喋り声も聞こえていないはずだし、ここへ来るまでに足音も立てなかった。魔術もまだ発動していない。
それなのに何故!
そうだ、今はそんな事よりも!
気取られたらアロマちゃんはこのまま二人に特攻するはず。
「族長! 今すぐここから逃げてください! 私がこの子を抑えている間に……!」
私の予想通り、アロマちゃんはラプラタの方ではなく、私の守りたい人へで迫ろうと物凄い勢いで駆け出す。
それと同時に、私は指輪に願いを籠めて魔術を発動させようとするが……。
「え、発動しない!?」
どういうわけか、本来指輪に封じられた魔術が発動する時は指輪自身が光り輝くのだけども、全く何もおきない。もちろん、アロマちゃんの動きが止まる事も無い。
「逃げてお願い!」
私が出遅れ、もう駄目だと思った次の瞬間に聞こえたのは。大切な人の苦しむ声ではなく、甲高い金属音だった。
恐る恐る目をあけて、今おきている出来事を直視し受け入れようとする。
視界にはアロマちゃんの無情な刃を、風の悪魔はどこからか出した禍々しく赤く揺らめいている杖で軽々と防ぐ姿があった。
「あなたみたいな子がそんな物、似合わないわ」
風の悪魔の表情は穏やかな笑顔のまま。
あの口ぶりから察するに、アロマちゃんが攻撃をする事も解っていたようだ。
な、なんとか助かった。良かった。
族長の無事という事実は私の翳っていた心を晴らし、陽だまりを作ってくれる。
それにしても流石悪魔と呼ばれている存在。アロマちゃんの攻撃は確かに速かった。並の戦士なら真っ二つにされてていてもおかしくないくらいに。
それをあんなにいとも容易く防ぐなんて……!
恐ろしい。やはりこの任務は失敗に終わりそうね。
そう安堵した瞬間、ラプラタの表情が微かに変化する。
今までの余裕な笑みが消え、真剣な眼差しで族長の命を奪おうとした少女を見下す。
雰囲気の変化に気がついた私は、緩んだ心を再び引き締め臨戦態勢を取る。
まずい。このままじゃ、今度はアロマちゃんが危ない。
「アロマちゃん、逃げなさい!」
すかさず私は手の平をラプラタの方へと向けて魔術で生成した衝撃派を放った。
正直、私の魔術が通じるなんて思っていない。
ただ僅かでも目暗ましになってくれれば、ラプラタが少しでも隙を見せてくれたなら。
アロマちゃんならその間にきっと逃げてくれる。
いくらなんでも、もう族長や風の悪魔を倒す事は無理と悟っているだろうから、ここは撤退してくれるはず。
「少し二人きりでお話をしましょう」
しかし物事は私の予想しない方へと向かっていく。
ラプラタはアロマちゃんの剣を防いだまま、空いていたもう片方の手で自ら持っていた杖の先端を覆う。
すると杖からは大量の赤黒い霧が噴出しだすと二人を取り囲んでしまい、何がおきているのか全く解らなくなってしまった。
私が放った魔術はその霧の中へと入っていったが、以降何もおきていない事から察するに、ラプラタへは当たらなかったのだろう。
風の悪魔とアロマちゃんが二人きりになってしまった。
まずいこのままでは……!