第五話 清らかな水に潜みし闇がりの正体は
「さあ行くぞ。お前戦えるか? 戦えないならトイレ掃除、戦えるなら見張りを頼む」
「……いや、もっと他の仕事できるぜ」
「ほう、なんだ? 見た感じルナティックのようだが……ぐふぅ」
俺は腰に下げていた刀身が三日月状に反っている剣の柄頭で、付き添っていた組織の男のみぞおちをつき、相手を動けないようにさせる。
ああ、もっといい仕事があるんだよ、こんな酷い組織をぶっ潰すって仕事がな。
さて、アロマちゃんはボスの所へ連れて行かれたとは言ってたが……。
ボスの居場所はどこだ?
むむ、しまった。倒さず聞けばよかったぞ。
まあやっちまったものは仕方ない。適当な奴を捕まえて聞くか。
「おい、どうしたお前?」
「見慣れない顔だな、新入りか?」
うろうろと砦の中を歩いていた時、組織の人間に二人出くわす。
二対一か、大したことは無いな。
「ああ、新入りだよ。もう辞めてしまったけどな!」
「何っ、血迷ったか! 直に応援を……」
「ここから生きて帰れると思うな……」
二人が何やら話そうとしかけた時、既に彼らの腹部は俺の剣によって引き裂かれており、最後まで話す事は無く息を引き取る。
戦いが始まってるって言うのにぺちゃくりやがって。
油断しすぎなんだよ。所詮は武装しただけで特殊な訓練を受けていないスラムの住人ってわけか。
ってあああああ!
またやっちまった!
くっそう、今度こそやらないようにしねえと……。
俺は武器を持っていない方の手で頭を掻き毟ると、自身の失敗による胸のもやもやをため息と一緒に吐き出して再び砦内を散策する。
しかし三度も都合のいい事は起きなかった。
「城内で次々と仲間を倒しているやつがいる! そいつを見つけ次第やれ!」
「あっちで見たぞ!」
ちっ、俺様の事がばれてしまったか。
このまま強行突破しても生き残る見込みはあるが、アロマちゃんにもしも何かあったら……。
ええい考えている暇はねえ。こうなりゃごり押すしかねえな!
だが、親玉が居る場所はどこだ?
何のヒントもないまま、俺は砦の内部を走り回った。
道中出くわす組織の人間は大した強さでは無く、狼狽していて統率がされていなかったせいかばらばらと少人数で戦えた為、難なく退ける事が出来た。
そして一際頑丈で、立派なエンブレムが刺繍させた旗が掲げられた扉を蹴り開けると、俺様が探していた仲間の姿と、今回の仕事の標的である貴族らしき男の二人の姿を確認する。
「アロマちゃん!!」
俺は急いで駆け寄り、男とアロマちゃんの間を割るように剣を振るう。
結果貴族らしき男は尻餅をつき、アロマちゃんを抱きかかえて距離を取る事に成功したが……。
「おい! 俺だ、しっかりしろ!」
「あ、ああ……」
アロマちゃんの目に光は無く、半開きの口からは消えそうな声しか出なかった。
くそ、意識は虚ろで呼吸も乱れている。俺の事解って……なさそうだな。
早くも教育は始まっているって事か?
「おや。これはこれは、珍しい客人ですね」
「うちの仲間は返して貰うぞ。このドスケベロリコン野郎!」
相手に戦意や殺気が全く感じられない。
取り返そうと必死になって襲ってくると思っていたが、まるで動く気配すら感じない。
むしろこんな時なのに妙な落ち着きを見せている。
何故そんなに余裕なんだこいつは?
兎も角、アロマちゃんはとても戦える様子じゃねえ。
このまま彼女を庇ってこいつをやれるか……?
いや、ここは一旦引くべきだな。
まずはアロマちゃんの治療が先決と思った瞬間、開いていた扉が勢いよく閉じてしまう。
開けようとするが、押しても引いてもびくともしないし、取っ手や鍵穴らしきものも無い。
魔術で扉を封印したのか?
何にせよ、この状況は……。
「逃げられないってわけだな?」
「ええ、彼女は新たな姫候補の一人。大事な商品ですからね。ホホッ」
どうりで何の抵抗も無く渡すわけだ。
てか元々渡すつもりなんて無い。俺様を始末してから、ゆっくりとアロマちゃんを姫へと仕立て上げればいいって訳か。
舐めるのも大概にしとけよこのクズ貴族め。
やっぱやるしかねぇか。アロマちゃんは大丈夫だろうか。
さっさと仕留めて酒場に戻らねえといけないが。
「おい、ゲス野郎。お前と戦う前に一つ聞きたい事がある。今日の競売で姫扱いされていた子に何をした?」
おおよその想像はついていたが、直接この男の口からはっきりと聞いておきたかった。
「ホホッ、そんな事を聞くのですね。いいでしょう教えましょう」
引っかかりやがった間抜けめ。
俺がここへ潜入する前、エルシアに頼んで貰い俺自身の体に魔術を施しておいたのだ。
それは術の効果中に俺が見たものと聞いたものを記録し、後に呼び出す事が出来るというらしい。
「元々彼女はスラムの人間でも、ましてや孤児でもありません」
「どういう事だ?」
ヤバイ仕事だったから、万が一標的を倒せなくてもこの事実を公にすれば、社会的に抹殺出来るであろうと踏んで保険代わりにかけておいたが。
どうやらそれが生きたみたいだな。
「この水神の国の属しておりながら、自治を認められた小国はいくつかあります。カタリーナとは我々が付けた仮の名前、本名はジュエリッタ・ローズアンク……」
「ってそれは行方不明の姫じゃねえか!」
確か宝石の国ローズアンクの王女は四人姉妹で、末っ子が公務の途中で行方不明になったという。
捜索の依頼はうちにも来てたが、一切の手がかりが無かった。
同業者も同じ様に何ら有用な情報を得る事が出来ず、結局行方不明のままなはずだが。
まさかアトランティスに囲われていたとはな。
「素晴らしかったですよ。幾多に及ぶ催眠、洗脳、調教とありとあらゆる快楽を与え続けていく事で人格を壊し、記憶を潰し、欲望しかその身に残らなくなった時に新たな人格を植えつけつつ、記憶を書き換えていく」
貴族の男はゆっくりと起き上がりながらも、意気揚々と姫だった少女にしてきた仕打ちを語ってくる。
ひでぇことしがやる。こいつには良心とか無いのか?
本当に人間かよ、まるで悪魔の所業じゃねえか。
「勿論、最初は頑なに拒絶しておりました。ですがそれも無意味。そのような様々な教育を受け、今では自分が一国の姫である事なぞ毛ほども思い出しません。主人に仕える忠実で、欲望に対して純粋な奴隷であることに誇りを持っているのですからね。ホホッ」
「やめろ、これ以上は不愉快だ」
「彼女は新たな主人にずっとついていくでしょう。たとえどんなに酷い仕打ちをされようとも……」
「もういい! 聞こえねえのかこの鬼畜!」
うんざりだ。こんな奴をのさばらせておく理由なんて無い。
正義の味方なんてクソ食らえで、世の為人の為だなんて柄じゃないのも解っている。
だがこいつはぶちのめす。この反吐が出るゲス野郎をこの世から消し去らなければならないと俺様の本能が訴えかけている。
「もうてめぇに聞く事はねえよ。さっさと地獄へ墜ちろ!」
「ホホホッ、お話は好きなのでいくらでもしてあげますが、地獄へは行きたくありませんね」
貴族の男が話し終えると、今まで目尻の下がりっぱなしだった瞳が、まるで猛禽類が獲物を捕獲する時の目の様に鋭くなり、男はみるみると黒い霧のような物に包まれてしまう。
「な、なんだ!?」
お、おい。一体どうなっているんだ?
何が始まるっていうんだよ!
霧はやがてゆっくりと晴れていき、今まで隠れていた貴族の男の姿がはっきりとしていく。
俺は奴を見て驚愕し、そして恐怖した。
「まじかよ。こいつ、ば、化物……か?」
ど、どういう事だよ……。
俺は何か悪い夢でも見ているのか?
「人間風情が大天使に向かって化物呼ばわりとは、その無礼な態度だけでも万死に値する」
現れたのは豪華な服を着た貴族だったが全身は眩い光に包まれている。
頭にはヤギのような角が二本生えており、表情に緩みは一切無く、背中には一対に白い翼が生えているその姿は、どうみてもこの世の者ではない存在の姿であった。
くそ、変な汗出てきやがったし鳥肌も立ってやがった。
大天使だと……!
馬鹿な。そんな昔話やフィクションの世界でしか居ないはずの存在が居てたまるかよ。
「予めいっておくぞ。命乞いは無駄だ、この姿を見てしまったお前を生かしては帰さん」
だが、この体の震え。
背中と手にかいた汗、心の底から沸き立つ嫌な感情。
間違いない。奴の言うとおり、俺の目の前にいるこの貴族は人じゃない。
「死ね、愚かな人間よ」
どうやら、アロマちゃんを救出する事もこいつを倒す事も出来ないようだな……。
だがこのままじゃ終われねえ!
「アロマちゃんだけでも逃げろ! 三日月の祈祷術、クレセントキュア!」
俺は相手の攻撃にあわせ、アロマちゃんにルナティックの訓練を受けた者が扱えるとっておきの力、月光術をかける。
へっ、ざまあみやがれこの人外め。
これでアロマちゃんは正気を取り戻すだろうよ。
俺はここでもう終わりだが、あの子ならば上手くやってくれるはずだ。
……あばよ、アロマちゃん!