第三十九話 逆翼の天使に鎮魂歌を捧げるもの
何だろうこの感覚。
あたたかくて、落ち着く。
私の愛しのパートナーと一緒に居る時と同じ感じ……。
「う、うう……。いたた……」
サンダルフォンの攻撃を受けて、辛うじて一命を取り留めたのは自覚していたが指先すら動かせない状況にあった。
当然、天空術を振るうだけの力も残っていない。
事実天使化は解除されて魔術師の姿に戻っている。
でも、どうして?
傷がみるみる癒され、体力と気力が戻っていく。
立ち上がれるくらいに回復した私は、実際に何がおきているかを把握するために目を開き起き上がると、信じられない光景が繰り広げられていた。
「アロマ……なの?」
まるで私を守っているかのように目の前に佇んでいる存在。
地面に引きずりそうな程に長くボリュームのある銀髪と彼女の体を包む純白のロングドレスは、まるで自ら光を放っているかのように眩く輝いており、それらと一対の大きく広がった白翼のせいなのか、煌々としている琥珀色の瞳が一際目立っている。
それはアロマと呼ばれて地上で暗殺稼業をしていた少女でも、私がかつてセレーネと呼び共に時間を共有していた天使でも無い。
過去に対峙した破滅の女神と見た目は酷似しているが、それとも雰囲気が違う。
さらなる上位の存在という可能性も考えたが、天使の力を使うことの出来ない今の自分がその力をただ感知出来ないせいか彼女の存在を掴み損ねている。
彼女は一体……?
「馬鹿な、お前は何者だ?」
サンダルフォンも私と同じ思いを抱いているのか。
険しい表情と胸の炎の強さは変わらないが、表情に明らかな不信感が見られる。
「自分でも解らない……はずだった。でも今なら解るよ」
新たな姿となったアロマであろう存在は、透き通った瞳に強い思いを宿しながら質問に答えようと口を開く。
「私は混沌を制し、滅びの運命を乗り越えて命を掴む者、神秘なる月の力を司る女神の一欠」
「何を言っているか理解できない。だが、お前の運命は少しも変わらない事を証明してやる」
アロマは、サンダルフォンの圧倒的な自信と怒りにも屈することなく、相手をしっかりと見据えたままその場から動かない。
サンダルフォンは、突然の変異に得体の知れなさを感じたせいだろうか、細く長い指をアロマの方へと向けて不浄なる天空術で攻撃しようとする。
「今ならば解る。サンダルフォン、あなたの力の真実に」
「やれるものなら、やってみせよ」
姿や面持ちから察するにかなりのパワーアップはされているはず。
それでもサンダルフォンの空間を操作する力に対抗出来るとも思えない。
相手の力は全くの異質、天空術や魔術とも違う新たな力。
そんな事くらいは十分解っているはずなのに……。
「お、お願いアロマ……。私を見捨てて逃げて」
だから今は逃げて体勢を整えるべき。
私はここで力尽きてしまうだろうけれども、このままじゃアロマも殺されてしまう。
共倒れするくらいならば、私を犠牲にしてせめてあなただけでも!
「大丈夫だよ、お姉ちゃん」
アロマは再び黒い霧に包まれようとしかけた時だった。
私の不安を察したのか、アロマはゆっくりとこちらの方を向いて無表情だが目で合図し言葉をかけると、アルペストリスを霧を払うかのように何度か大きく振り下ろす。
「なんだと!?」
霧を剣で斬ることなんて出来ないし、サンダルフォンの攻撃が止められる訳も無い。
本来ならば、別の空間へと送り込まれてアロマも致命傷を受けるはず。
そう私は思っていた、しかし霧はみるみると晴れていき、何も無かったであろう場所から突如、私の身長の半分程の大きさである蔓が巻きついた球状の物体が地面に落ちてゆく。
余程の重量なのか、着地した瞬間にどすりと鈍い音が発生し、僅かだが地面にめり込んでいた。
「あなたの能力はとても強大で、天使や人間の手にはおえない」
謎の球体には、アルペストリスで斬られたであろう切り傷が入っていた。
もしかして、あれで空間操作を行っていたというの?
「まさか私の”聖杯”を見破るとは」
「魔術や天空術では見破れなかった。けれど、月の光は全ての嘘偽を真実へと導く」
私はアロマとサンダルフォンのやり取りでなんとなくは今起きている出来事が掴めつつあった。
サンダルフォンが”聖杯”と呼んでいる物は誰にも見る事が出来ず、魔術を熟知しているラプラタ様や天使であるアロマや私ですら感知出来ない。
だから”聖杯”そのものが空間操作を行ってもまるで気づかれない。
でも天使よりもさらに上位の存在になったであろうアロマならば、隠れた”聖杯”を見る事が出来る。
結果として、今まで破る事の出来なかったサンダルフォンの空間操作を破った。
「あなた自身は、私が斬ったその物体によって空間操作が行われたのも今なら解るよ」
「……よくぞ見抜いた。その姿に相応しい力を手に入れたのだな」
その言葉が正しいのなら、他の逆翼の天使達も同じ様に強力な力を持った道具を使っているということなの?
という事は、もしかして他の逆翼の天使もそうなのかしら。
話では過去に酒場を襲撃し、ルナティックの巫女に倒された天使は大槌を持って自らを成長させる術を使っていたし、アロマの仲間だった少女は大鎌を持って大悪魔をも凍りつかせる程の冷気を操っていたと聞く。
それら全ても、自身の力ではなく道具によるモノなのだったとするならば……。
「お前の言うとおりだ。私達は天空術を制御出来ない。故に母から賜った聖具を扱う。不浄なる天空術はその聖具の力を解き放つ為の合言葉でしかない」
サンダルフォンは、私の推測していたであろう考えの通りの言葉を放つ。
相手の力の正体がこれで全て明らかとなったわけだけども。
それにしても何てとんでもない力なの?
空間操作なんて、今までの天空術や天使では一切出来なかった。
いやおそらくは、天界の主にも出来ない。
サンダルフォンだけじゃない、今まで襲撃して来た逆翼の天使達は、どれも従来の天空術では成せない事をしてきている。
相手の話から察するに、聖具は逆翼の天使達の生みの親から与えられた。
生みの親、現天界の主という事は……。
ラファエル……、あなたは何をしようとしているの?
そして何になろうとしているの?
「ソフィネを返して、そしてあなた達の本当の目的を教えて」
「何故教える必要がある?」
私の頭の中で様々な疑惑が交差している時にアロマは無表情のまま、パートナーだった少女の行方をサンダルフォンに問いかけるが、サンダルフォンは眉間にしわを寄せながらもアロマに答えを伝えない。
「もうあなたに勝ち目は無い」
そんな冷たい返答に対してアロマは、瞳を閉じて逆翼の天使の最期を告げるが……。
「既に勝ったつもりか? たとえ見えたからとて、私の力は母より賜りし神聖なるもの。故に絶対無敵! 何人たりとも破れぬ!」
サンダルフォンは胸の炎を再び強く燃え上がらせると、しなやかな指を強くアロマへと指す。
すると、今まで沈黙を保っていた聖杯と呼ばれる聖具が浮き上がり、アロマが斬りつけたであろう切り口が大きく広がる。
「あれは……、瞳?」
切り傷と思われていたものはどうやら目だったらしく、大きく広がった瞳孔がアロマの姿を映すと、アロマの周囲に黒い霧が溢れ出す。
聖具の放つ力の射程範囲内であれに見つめられる事で、視界内の物体を別の空間へ飛ばしてしまう事が解った私はアロマに対して逃げるよう伝えようと声を発そうとしたその時。
「女神が解き放つは、虚構を打ち消す奇跡の光。月光天空術エターナル・カラミティ・シュート」
私が修繕し鍛え直した銀の十字架、今はアルペストリスと呼んでいる聖剣はみるみると形を変えていき、今のアロマ自身の身長程度の長さの、まるで天使が翼を広げたかのような意匠の弓へと変化する。
アロマは、アルペストリスが変化した弓の弦を引いて聞きなれない詠唱をすると、矢を番えている場所にはまるで真夜中に浮かぶ月明かりのように冷たく強く光りだす。
「確かに、お前の力は余りにも強大で絶大。天使如きが敵うわけもないのだろう」
指先を向けたまま、サンダルフォンは聖具に自身の力と思いを注ぎ込む。
サンダルフォン自身の言葉に反して、胸の炎は今まで以上に強く激しく燃え盛る。
「だがしかし、それこそ驕り! 姿は隠せなくなってしまったが、聖具の効果が失われたわけではない!」
生成した光は一本の矢の形になると、アロマは弦を引く手を離した。
矢はサンダルフォンへと一切ぶれることなく真っ直ぐに突き進み、アロマの攻撃を並行世界へ受け流そうと待ち構えている聖具ごと貫こうとする。
あの光からは凄まじい力を感じる。
多分、当たればサンダルフォンは今度こそ倒せる。
でも、このままじゃ聖杯によって!
「お前の力を飛ばし、お前自身の命も別空間に飛ばして終わらせて……!」
敵も私自身も、アロマの放った強烈な攻撃は無効化されると確信していた。
今までの戦闘で不意打ちしか通じない事は解っていた。
しかし次の瞬間、私は驚愕し戦慄する。




