第三十八話 琥珀色の月の女神
「我ら母の命により、お前らの命を貰う! もうお前らに対する慈悲の思いは一欠けらも無い」
今まで目を閉じ、まるで波紋の立たない水面のような佇まいだったサンダルフォンは目を見開き、大嵐が来た海原の如く胸の傷口から緑色の火炎を噴出させて自らの怒りを露にしだす。
「アロマ! ファルスさん、来るよ!」
怒れる天使は胸から溢れる猛り狂う炎に両手を突っ込んで何かを取り出してくる。
最初は炎の明るさで形状が解らなかったが、それは一振りの長剣だった。
「その武器は……、まさかサンクトゥス!?」
サンダルフォンが自身から取り出した武器は、エミリアお姉ちゃんがかつて天使だった頃に使っていた、天界の主より賜りし聖剣と瓜二つの剣。
「何を驚いている? サンクトゥスは生命の樹を元に作られた一振りであり、我らが敬愛する母の一部だ。私がそれを持っていたとしても不思議ではない」
最高位の天使にのみに振るう事を許された、神の炎を宿した唯一無二の宝具であるはず。
まさか、現在の主であるもう一人の天使が生み出したというの?
私が相手の怒りと、神剣を取り出した事に驚いて思考が一瞬停止した時、サンダルフォンは燃え盛る剣を私とは別のあらぬ方向へと振りあげる。
すると、遠方がほんの僅かの時間だけきらりと光り、今まで快晴だった空が緑色に染まる程の火柱が振るった方角から少し離れた場所に立ち上がった。
そこは、サンダルフォンを暗殺するべく狙撃をしたマスターと、万が一の時に備えて彼の護衛についていた女騎士がいる場所だった。
「あっちの方にはマスターさんとシュウが!」
「邪魔者は消えた、次はお前の番だ」
木々は一瞬のうちに灰となり、そこに居たであろう動物の気配も一切無い。
私は何とか気配を探ろうと試みるが、感じ取れるのは全てを焼き尽くす無情な熱さだけ。
「お、お姉ちゃん……?」
今までの接し方から察するに、余程大切な人だったであろう女騎士を失ったエミリアお姉ちゃんは、目の前の脅威がまるで見えていないようにそのまま呆然と立ち尽くす。
私は話しかけてみたが、余りにも大きなショックのせいでまるで声が届いていない。
「どうした、来ないのか天使よ。お前達は不意打ちしか出来ないのか?」
「……よくもシュウを! あなたを絶対に許さない! 大いなる光の力は慟哭を超え絶対不変なる絶望と苦痛を汝に与えん。滅亡の破光、カタストロフィ!」
お姉ちゃんは自らの怒りを敵であるサンダルフォンへとぶつけると、大きく跳躍し天空術の詠唱へと入り、大切な人の命を奪った相手を見下すと、両手の平を向ける。
すると、光の力がみるみる膨張し自身の身長の数倍程の大きさの球形になると、お姉ちゃんは何の躊躇いもなくそれをサンダルフォンへと解き放つ。
「それが禁断の天空術の一つか」
全てを飲み込み破壊しつくす光のエネルギーの塊は、自らが竜巻の如く荒れ狂う突風を纏い、周囲の環境を粉々にしながら敵へと落ちてゆく。
本来ならば、巨大な光はサンダルフォンを飲み込み爆裂するはずだった。
しかし……。
「なっ……! 消えたなんて!」
「本当に私へ通じるとでも思ったのか?」
恐らく、いや間違いなくエミリアお姉ちゃんの渾身の一撃は、奴の空間操作によって別の場所へと飛ばされてしまう。
光の塊は、まるで何事も無かったかのように消えてなくなってしまい、あたりに静寂が訪れる。
「危ない! お姉ちゃん逃げて!」
必殺の一撃を避けられてしまった衝撃と圧倒的な力を持つ相手への恐怖が、お姉ちゃんの動きを止めたであろうほんの一瞬。
サンダルフォンはその僅かな空白の時間でお姉ちゃんに迫り、自らの怒りを体現させている緑色の炎の聖剣を突きたて、貫こうとする。
私は急いでお姉ちゃんを救うべく、翼を広げて向かおうとしたが……。
「しゅ、シュウ……。生きていたのね。良かった」
「やっぱしこの状態で時間操作はきっついよ……。ふぅふぅ……」
次に気がつくと、空中には敵であるサンダルフォンしかおらず、なぜか地上には狙撃をしたマスターの護衛を務めている女騎士が悪魔姿に変身した状態で、エミリアお姉ちゃんを抱きかかえて地上へと降り立つ。
「マスターは別の場所に避難させたから、あたしも戦えればいいけれどもごめん、さっきので力使い切ったかも」
地面に足がつくと同時に、女騎士はいつもの人間姿へと戻ると、その場で息を切らせながら倒れこんでしまった。
「……確かに仕留めたはず。何故逃げられた?」
まさか時間を止めたなんて到底解るわけも無く、本来ならば命を奪えたであろう相手の姿を見失ったサンダルフォンは周囲を何度か見回した後に、こちらの姿に気づきゆっくりと悠然に降りてくる。
「アロマ、いくよ」
「勿論だよ、エミリアお姉ちゃん」
目線で合図を送ると、ファルスはぐったりとした女騎士を担いでこの場から離れてゆく。
これで天使以外はもう誰も居ない。
他の仲間には迷惑はかけられない、本来ならばこれは天使達の問題なのだから。
もう散々かけてしまったけれども……。
「まあ良い。来い、天使達。今ここで私がこの手で滅してやる」
だからこそ後には引けない、絶対に乗り越えてやる。
たとえ相手が空間を制御しようとも、私はここで負けるわけにはいかない。
「炸裂の光、ディバイニティスパーク!」
「稲妻の聖光、セレスティアル・サンダーボルト!」
私の強い思いが、エミリアお姉ちゃんにも伝わったのか。
二人の天空術により生成された雷と爆発が、一瞬もその勢いが緩む事無くサンダルフォンへと襲い掛かる。
敵が居た場所は瞬く間に土煙が立ち昇って姿が見えなくなるが、それでも私は全身全霊をこめて、天空術で休まず相手を攻撃し続けた。
「こ、これなら……! はぁはぁ……」
私の力をぶつけた連撃。
魔術師ラプラタはいかなる攻撃も別の並行世界へ飛ばすと言っていたけれど、これだけの物量と力ならばいくらサンダルフォンと言っても効いているはず!
そう強く私は願った。
しかし……。
「やはり空間操作して、私達の攻撃を全部受け流しているね」
「うん……」
土煙がおさまり、敵の姿が見えていく。
そこには、まるで何事も無かったかのように立つサンダルフォンの姿があった。
「この程度か」
マスターが狙撃した時に受けた傷以外、衣服の乱れ一つ無い。
やっぱり不意打ち以外の攻撃は一切通じないの?
「引導を渡すぞ。墜ちろ、未来の光すら届かぬ絶望の深淵へ。撃墜の逆光フォールダウン・ディザスター」
圧倒的な相手の前に、思わず後ずさりしようとした瞬間。
サンダルフォンは大きく目を見開き、青白くしなやかな指をこちらへ示しながら天空術を発動する。
私はみるみるうちに謎の黒い霧に飲み込まれてしまうが……。
「危ない! アロマ!」
「エミリアお姉ちゃん!」
恐らくはラプラタを退けた時と同様に、私を並行世界へ送還しようとした時だった。
私の大切な人であるエミリアお姉ちゃんは、私を突き飛ばしてサンダルフォンの術が及ぶ領域から出そうとする。
お姉ちゃん自身の身を挺した甲斐あってか、私は何とかサンダルフォンの攻撃を受けずに済んだ。
しかし、次に気がつくとうずくまり大怪我をしたお姉ちゃんがその場に横たわっていた。
「まだだ、自らの罪に自らが罰を下し、そして自らで裁け。崩落の逆光トランスファー・フォースロード」
「に、逃げなさい……」
私はお姉ちゃんへと駆け寄ろうとするが、ぼろぼろになったお姉ちゃんはそんな私をこちらに来ないようにする。
何の狙いか、何故エミリアお姉ちゃんの介抱をしてはいけないのか。
その意味を考えるべくほんの僅かな間だけ体が止めて、お姉ちゃんの傍に寄らないままでいた時、少し前に私達が攻撃した光のエネルギーが上空の何も無い空間から現れると、地に伏しているお姉ちゃんへと情け容赦無く降り注ぐ。
「次はお前の番だ」
酒場の仲間はもう戦えない、女騎士も満身創痍だ。
そしてお姉ちゃんは……、微かに息はあるけれどもとても戦える状況じゃない。
私達、負けちゃうの?
あまりにも絶対的な相手に絶望的な状況へと追い込まれた私は、泣きそうになりながらもまるで藁にもすがる思いでお姉ちゃんが直してくれた剣を強く握りしめ、相手を見据える。
「諦めろ、お前が私に勝つ事は万が一にも無い」
確かにサンダルフォンの言うとおりだった。
不意打ちが出来ず、空間操作の天空術で全てこちらの攻撃がいなされてしまう。
そんな相手をどう打ち負かすというの?
でも、それでも……。
風精の国のラプラタへ会いに行く道中、私はずっとエミリアお姉ちゃんが直した剣を見ていた。
それは何故か、この剣が私に訴えかけているような感覚がしたからだった。
何を伝えようとしているのかは今も明確には解っていない。
だけど、なんだろうこの気持ち。
今までの私だったら諦めていたかもしれないこの状態でも、諦めきれない、諦めちゃ駄目だという気持ちが強く沸いてくる。
だからここで負けちゃ駄目なんだ。
ここで私が諦めたら、何もかもが終わってしまう。
「私が皆を守るんだ! 酒場の仲間も、エミリアお姉ちゃんも、ソフィネだって!」
そんなのは嫌だ、折角お姉ちゃんにも合えた。
それに、ソフィネにもまだ私の気持ちを伝えていない。
それなのに、こんな所で死んでたまるか。
「お願いアルペストリス、私に力を貸して。私はどうなってもいい、この苦境を乗り越えて未来を掴む力を!」
絶対に生き延びてやる。
その為ならば、私の力だって体だって何だって差し出してやる。
だからお願い!
私の思いが届くならば、アルペストリスよ答えて!
「呼び覚ませ、混沌の力を司る琥珀色の月の女神!」
必死に生き延びてやる、こんなところで死んでたまるか!
仲間を救う為ならば自分はどんなモノにでもなってやる!
是が非でもサンダルフォンを倒して途絶えた運命の糸を繋げてやる!
この苦境を乗り切るというただその一心だけで、私は頭の中に浮かんだ言葉を口にした。




