第三十三話 迷い、淀み、そして返り咲く花
「やっぱり、あなただったのね」
邪悪な気配のする方へと鉱山の奥へ行った私は、救っている魔物の正体と対峙する。
それは大きく、自分の身長の十倍は軽く超えるであろう蝿だった。
そして、あいつの足元には赤く鈍く光る鉱脈がある。
あれが高純度の精霊の石なのだろうことは見て明らかだ。
「洪水で傷ついた体と失った体力をここに来た人間を食べる事で治し、完全復活の機会を待っていたって感じかな?」
私は過去にこいつと戦ったことがあった。
しかし、相手の絶対的な力の前に敗北し死地を彷徨い、復活の代償として人間の肉体を捨てて天使となる事を余儀なくされてしまった。
「でも、そうはさせない」
大昔に地上は大洪水によって、一部の生物以外は全て洗い流されたはずだった。
その大洪水を受けても生きているなんて。
そんな驚異的な生命力と、かつて圧倒的な力量差で自分を倒した相手に、私は恐怖していた。
精霊の石なんて忘れて逃げようとも考えた。
でも、もしも逆翼の天使がこの化け物を倒せたならば?
彼らは奴の足元にある鉱脈から精霊の石を採掘してしまう。
それが、近い未来の自身の死を意味しているという事は容易に想像出来た。
故に引くことが出来なかった。
「あなたもそうでしょう? 私を逃がす気はないはず」
「天使の小娘め、粋がるなよ。今の状態でもお前を屠るには十分だ」
お腹に響く声が、洞窟全体に広がる。
私は過去に対峙した時よりは成長している自覚はある。
でも勝てるのだろうか?
「……やるしかない」
今は選択の余地は無い。
ただ目の前の最悪な相手、大悪魔ベルゼブブを退けて精霊の石を採る!
私が剣を持ち構えると、ベルゼブブは気だるそうに触手を二、三本こちらに向けてくる。
向けられた触手の先端からは、無数の害虫が放出され私を襲って来た。
「炸裂の光、ディバイニティスパーク!」
迫り来る虫の大群を、私は天空術によって迎撃する。
眩い光の爆発は、私を食い殺そうとした虫たちを消し炭にしていく。
しかしここは坑道内、落盤を警戒したせいか術を全力で発動出来ず、全ての虫を倒すことが出来なかった。
私は自身の持っている剣に光の力を付与し、襲い掛かる虫たちを打ち倒す。
少しでも虫に噛まれたら、奴らの持つ毒によって大きく不利になってしまう。
絶対に相手の攻撃を受けてはならない、たとえ一匹でも通してなるものか!
その気概と私の剣捌きによって、なんとかこの攻撃を防ぐ事は出来たが、次にベルゼブブは無数の触手を私へと向かわせてくる。
触手は猛烈な速度と勢いと物量で、私を絡めとろうとする。
「うう、このままじゃ……!」
絶対に捕まるわけにはいかない、先程と同じ様に少しのミスも許されない。
私は翼を広げ、壁や天井にぶつからないによう慎重に飛んで避け、あるいは剣で迫り来る触手を切り落とし続けたが……。
「ああっ!」
抵抗の甲斐も無く、片腕が触手に絡みついてしまい動きが鈍ってしまうと、他の触手も次々と私の体の動きを封じてくる。
どんなにもがいても、触手はただ伸びるだけで全く外れる気配は無く、締め付けているせいか巻きついている部分が酷く痛む。
「この毒液は、天使をも腐らせて殺せる」
ベルゼブブがそう告げると、真っ赤に染まった複眼でこちらをぎらりと見つめながら、先端が鋭くなった触手を私の目の前に出してくる。
槍のように硬く尖った部分からは、刺激臭のする液体がとめどなく流れ出ており、まるで私の恐怖感を煽るように鎌首をもたげながら、ゆらゆらと蠢いている。
「死ね」
ベルゼブブが無情なる審判を下した瞬間、毒液が滴れる触手が私の胸を突き刺そうと一直線にこちらへ向かってきた。
このままじゃ、殺される!
自身の最期を覚悟した時、私の頭の中にはある人の顔が思い浮かぶ。
それはとても優しくて、温かくて、私にとってかけがえの無い。
嫌だ、私はこんなとこで死にたくない。
折角セフィリア様に出会えたのに、これからずっと一緒に居れるはずなのに。
もっとお話したい、もっといろんな事したい、もっと甘えたい。
だから、だから……!
死ねない、こんなところで死んでたまるか!
私は坑道が壊れてしまうのを覚悟で自身の持てる力の全てを解き放つ。
全身から解き放たれた光は、今まで私の動きを封じていた悪しき呪縛を打ち破り、再び自由を与えた。
「死ぬのはあなたよ」
不意に聖なる光を解き放ったお陰か、ベルゼブブは怯み僅かな隙が生まれる。
今しかない、この時を逃したらもう倒せるチャンスは無い。
「全てを切り裂く断罪の神光、スラッシュオブディバイニティ! ここから消えて無くなれ!」
何としてでも生き残り、セフィリア様が待っている場所へ帰る。
私が使える最高の天空術に誰にも負けない強い思いを籠めると、剣は今まで以上に眩く光りだす。
そしてそれを全身のばねと空中からの落下速度を利用し、勢いをつけてベルゼブブの腹部へと叩きつけた。
しかし……。
「そっ、そんな……」
ベルゼブブの腹部を覆う硬い甲殻を叩き斬ろうとした時、剣は粉々に砕けてしまう。
その瞬間に今まで使っていた剣は地上で作られた普通の剣だという事、それをたとえ天空術で強化しても、大悪魔の中でも随一の実力者であるベルゼブブには通じない事を悟った。
自身の持てる全力でも相手に通じなかった現実にショックを受けながらも、刀身が粉々に砕けた剣を捨て、敵の次の一手に備えた私は思わずその場から後ずさりしてしまう。
触手を鉱脈に突き刺し、何かを吸い上げている!?
「まさか精霊の石から、エネルギーを奪っている!?」
次の瞬間、ベルゼブブの真紅の目がきらりと光ると、尾尻から赤い光が私めがけて発射される。
よ、避けられない、ガードも間に合わない、当たってしまう!
「うう……」
気がつくと、私は倒れていた。
全身が焼けるように痛い。
でも、起きなきゃ……。
こんなとこで……、死にたくない……。
しかし、私は立ち上がれなかった。
何度も起き上がろうと気力を振り絞るが、体が麻痺してていう事をきかない。
ごめんなさい、セフィリア様。
悔しいけれども、もう私じゃ……。
ううっ……。
「手こずっているようじゃな」
自身の力の無さを、ここで終わってしまう無念をただ泣き悔やんでいた最中に、聞きなれた声が聞えてくる。
「あ、あなたは!」
私は声がした方向を見る。
そこにはフリルをふんだんにあしらった、ふわりと広がっている黒いロングスカートが印象的な喪服ドレスを着た、縦巻きロールの栗色の髪の少女が立っていた。
「久しぶりじゃな、アロマ殿。いや、セレーネ殿と言うべきか」
「ソフィネ……なの?」
この喋り方、接し方は間違いない。
少し前に酒場から居なくなったソフィネだ。
でも、その姿は……?
「どうしたのその格好……?」
全身黒ずくめな格好もそうだけども、背中には先端が黒ずんでいて、付け根と翼角が木の蔦のようなものが絡みついた、上下逆さまの翼を背負っている。
これって、マスターが言ってた酒場を襲撃した逆翼の天使そのものだよね?
どういうことなの、ソフィネ?
「訳は後で話す。今はこやつを倒すぞ」
そう言うとソフィネは、何も無い場所から自分の身長ほどの長さの大鎌を取り出して構える。
解らない、彼女がどうなってしまったのか。
何故……。
「わらわの領域へは何人たりとも近寄らせぬ! 拒絶の逆光ディスペア・フリーズ」
まさか天空術!?
どうして、人間であるソフィネが使えるの?
もしかして、ソフィネは人間から天使になってしまったというの?




