第三十一話 不浄なる天空術の脅威
「私は、マールと違ってあまり暴力的な事はしたくないのだが」
漆黒の花嫁衣裳と純白のベールを被った美形の天使が、辛そうな表情をしながら両手を広げる。
マールと言うのは、恐らく仲間の事なのかしら?
「それしか無いのならば……!」
天使が戦いの覚悟を決めたであろう瞬間、背中からは先端が黒ずんだ上下逆さまの翼が現れる。
エミリアが天使に変身した時とも違うこの雰囲気。
天使は本来、聖なる存在なのに、彼からはまるでそんな気配を感じない。
「不浄なる天空術の力、とくと味わうがいい!」
……妙な胸騒ぎを感じていた。
それは彼を解っていないまま戦闘が始まってしまったという事よりも、もっと別の何か。
「血の祝福を受けた黒き業火に焦がれて滅せよ! 黒魔術、ブラッディ・エクスプロージョン!」
私はそんな漠然とした不安の正体を探るべく、魔術による攻撃で相手をけん制する。
杖を振りかざし終えると同時に、天使の周辺が赤黒い炎を伴った爆発が発生し、紫色の煙で彼の体は包まれてしまった。
あまり威力を強くすると周囲にばれてしまうし、建物を壊してしまうから威力と範囲は最小限に抑えたが、魔術に耐性の無い者ならばひとたまりも無いはず。
「中々だ」
「……褒めてくれて嬉しいけども、その割には全然効いていないみたいね」
煙がおさまり、彼の姿が見えていく。
天使はまるで何も無かったかのようにその場で立っている。
一切の服装の乱れも無い、勿論怪我も無い、私が攻撃する前と何もかもが同じ状態だ。
「もう一度聞く、風の緑石を渡してくれないか。目的さえ満たせれば危害を加えるつもりはない」
何故彼には魔術が通じないのか?
宣言した割には天空術を発動させている様子は無いから、術で力の相殺をしているとは思えない。
そうなると、あの仰々しいドレスがバリアの役割になっているというの?
……確かめる必要があるわね。
私は手に持っていた杖に念を籠める。
すると、杖から魔力が勢いよく一直線に噴き出し、やがてそれは赤く輝く一振りの剣となった。
「あなたが可愛い女の子だったら、少しは考えたかもしれないわね」
これは凝縮した魔力で生成した剣よ。
射程は短いけれど、威力は先程の爆発の比じゃないわ。
どんな障壁をも切り裂き、どんな防御も突き破る!
私は跳躍して、天使が立つ場所へと降り立つと彼の体めがけて魔力の剣を振るう。
でも彼は一切動こうとしない。
まさか、着ているドレスが邪魔で動けない?
そんな馬鹿な事……。
そして射程距離内に入った事を確認した私は、剣を大きく振りかざして相手を一直線に切り裂いた。
もう避けれない、このまま彼を切りぬけるまで!
そう思った瞬間。
「傷つけられる前に敢えて言う。これは我が母に永久の愛を誓った時に賜った聖衣だ。理由以外には特別な事は何も無い。ましてやお前の術を防ぐ障壁の役割は果たさない」
その言葉の割には、彼は一切傷ついていない。
何故、どうして?
確かに捉えた、あの距離からは逃げるのは不可能なはずなのに。
彼のいうとおり、ベールや衣装で防いだ感じは無かった。
「お前は不安になっている。未知の敵に遭遇しており、ただ漠然と自分より勝っている事しか解らない」
まるで、幻を斬ったような感じ……。
でもあれは実体なはずだ。
「最後の警告だ。精霊の石を渡せ」
「ふむ、仕方ないわね」
もしかして、蜃気楼と同じ原理で天空術によって実像を歪めている?
そうならば、あれを使うしかない。
今は深く考えている時間は余り無い、即行動あるのみ。
「ラプラタ様……、その力は!」
「ここを壊さないように限界まで収束して撃つから大丈夫よ」
私は目を閉じ意識を集中させ、魔術の詠唱に入る。
「我が杖に宿りし悪魔の魂達よ、今こそ我が契りの血より目覚め、漆黒の裁きを下せ! 超黒魔術、血魂の錫杖・深黒の審判」
僅かな間を置いて詠唱が完遂し、術を発動すると、天使の周りを紫色の霧が支配していく。
そして彼の周りが薄暗くなるほど霧に包まれると、何も無い空間から黒い光線が四方八方から彼を貫いた。
この術は多角的に攻撃し、かつ黒い霧はありとあらゆる術の効果を阻害する。
結界や虚像を作っているのであらば当然破壊されるし、それは勿論天空術も例外ではない。
彼の言っていた不浄なる天空術というのは気になるが。
しかし、無数の光線が彼を貫こうとも、天使はまるで何も無かったかのように平然としていた。
やがて術の発動は終わり、霧が晴れていくと一切の傷や服の乱れすらない姿が明確になる。
この術でも駄目だというの?
一体、何者なの……?
「シュウちゃん」
「はい!」
「今起きた事をすぐにエミリアに報告なさい」
全ての攻撃が通じず、彼の思考や感情が解らない私の胸中は、確実に負の感情で蝕まれていた。
しかもそれらは手で掴もうしても掴めない、輪郭すら見えないただ漫然と、漠然とした物。
そのぼんやりと感じている不安や恐れは、決して気のせいや慎重さが招いた結果ではない。
……今の私でそれを払うことが出来ないのなら。
それならば、シュウちゃんだけは何があっても守らなければ。
そう思った私は、天使の襲撃を受けた事をエミリアに伝えるようシュウちゃんに告げると、彼女の胸に手を当てて魔術を発動する。
シュウちゃんに問いかけを言う暇を与えず私は、彼女を水神の国の港へと転送した。
「逃がしたのか? 貴重な戦力のはずだ」
「私だけで十分。なんて言えたらいいのだけれども、あの子が傷ついたらとても悲しむ人がいるからね」
人間相手ならば一切恐れないし、天使相手でも並の天使ならば十分勝算はある。
一部の近い関係の人にしか伝えていないが、それを裏付ける理由や自信もある。
でも、彼は違う。
確証や根拠は一切無いが、あまりにも強大で絶対的な力を持っている。
彼は危険だ、風の緑石は捨てて今すぐここから逃げろ。
少し戦った経験と、自身の本能がサインを出している自覚があるのだ。
「仕方ない」
幾多の魔術を繰り出してきた、一方的に攻撃をしてきた。
それらがまるで効かない。
しかもその理由が解らない。
これ程、恐ろしい事があるだろうか!
「落ちなさい。奈落よりも深い、底すら見えない深淵へ。撃墜の逆光フォールダウン・ディザスター」
私が心の底から震えようとした時、彼が天空術を発動した。
すると、彼の攻撃に身構えていた私の体を真っ黒な霧状の闇で包まれていく。
それに対抗しようと魔術の詠唱を試みるが、まるで何かに遮られているかのように力が使えない!
まずい、このままでは……!
全身が闇に飲み込まれ、視界が無くなり、やがて全身の感覚が消えていく。
そして意識すら暗黒に侵食されていき――。
「うあぁぁ……」
次に気がついた瞬間、私は地面に突っ伏していた。
口から火炎を流し込まれたかのように体の中は熱く、皮膚は永久凍土に延々晒され続けたかのように寒くて痛い。
視界は霞み、動こうと指を動かそうとすれば全身が引き裂かれるような激痛に襲われる。
「これを受けて生きているとは、相当の実力者なのだろう。素直に認めよう。だがもうその体では戦えない。自分の力を自身の傷の治療に回せ」
ま、待ちなさい!
く、体がう、うごか……ない。
でもあの天使が今まで何をしたか、身を持って体験することが出来た。
なんて恐ろしい力なの、私の攻撃が全て通じない筈ね。
シュウちゃんやエミリアに教えなければ……。
このままでは全員殺されてしまう!
指先すら動かせない自分自身に苛立ちながら、私は薄れゆく意識の中で、天使の背を見送った……。




