第二十八話 月の女神は、清らかな乙女の意志を好む
「く、来るな! この化け物!」
「うるせえ! 人間から見ればお前の方が余程化け物だ!」
くっくっく、明らかに焦ってやがる。
そりゃあそうだよな、さっきからあの巨大な槌に何度も打ちのめされてるのに、こうやって生きているどころか無傷だ。
攻撃しても一切怯まずに迫ってくる相手とか、俺だって怖いし逃げちゃうね。
もっとも、逆翼の天使様のプライドが許さないのか、飽きもせず何度も攻撃し続けているわけだが。
「さて、こいつに殴られ続けるのも癪だからな。いよいよ俺様の反撃いくか」
俺は体についた埃を手で軽く払うと、自身の得物である三日月のように沿った曲剣を構え、ゆらりと天使に近づいていく。
それは相手に許しを請うためでも、贖うためでも、ましてや仰ぐためでもない。
俺の仲間や、故郷の同胞達を酷い目にあわせたこいつを俺の手で断罪するためだ。
日光が反射しているせいだろうか、剣はいつもよりも強く光り輝いているような気がする。
「よくやったファルス! 時間稼ぎはもう十分だ!」
満を持して、ついに俺は反撃を始めようとした時だった。
背後から親父の威勢のいい声が聞える。
俺はそちらを振り向くと、声の主と複数の女の子が神妙な面持ちのまま天使の方を見ていた。
服装や容姿から察するに巫女候補の少女達だろう。
しかし、今更巫女候補らが来てどうするつもりだ?
確かにルナティックの修行を受け、秀でた能力と容姿の持ち主達ではある。
親父も長として実力は十分にあるはずだ。
だが、それらが人外に太刀打ち出来るわけもない。
悪魔に変身出来る女騎士ですら、追い払うのに精一杯だった相手を人間如きが倒せるはずはないのだ。
「我がルナティックの怒り、とくと思い知れ! 聖天弓アルテミス、構え用意!」
俺は武器名を聞いた瞬間、今まで何故俺が負けなかったか、そしてこれから何が起こるかを理解する。
それと同時に大きく息を飲み込み、そして熱く滾る心に冷たい風が吹き荒むのを感じてしまう。
「第一射! 撃て!」
少女は手に持っていた白銀の長弓を強く握ると、矢を番えずに弦を引き絞る。
すると少女の手元、本来は矢がある場所は陽炎が発生したかのようにゆらゆらと揺れだす。
「女神の放つ一射は、命を狩る一撃! ルナティック・ハンティング・シュート!」
美しい少女が引いた弦を離すと、景色が揺らいでいた場所から光り輝く太い矢が現れ、天使の方へと真っ直ぐ向かい、そして――。
「そんなへなちょこ攻撃、効く訳ないじゃん! 叩き落して……うぐっ!」
天使は叩き落そうと大槌を振るった瞬間、光の矢はまるで意思を持っているかのように急激に加速すると、天使の片腕を貫く。
貫かれた腕が胴体から離れて地面に落ちると木の根のような物へと変化し、最後は腐敗して粉々になってしまった。
本来なら、絶対に倒せないであろう相手に傷を負わせた事は喜ばしい事であるはずだが。
俺はむしろ、不安と父親に対する怒りを募らせてしまう。
「第二射! 撃て!」
なぜならば、あの弓は使い手の魂をエネルギーに変換し、矢として放つからだ。
故に聖天弓アルテミスは大昔に月の女神から賜ってから今日に至るまで厳重に保管されてきており、実物はそう易々と拝める代物ではない。
そんな物騒な武具を取り出すほど、多大な犠牲を払う事を決意させるほどに非常事態というのも解る。
でもな!
一撃目を放った少女は、その場で眠るように倒れてしまう。
そして隣に居た少女が無言でその弓を手に取り、矢を放った一人目と同様に弦を引き絞る。
「女神の放つ一射は、破滅を払う一撃! ルナティック・ブロークン・シュート!」
「やめろ! 命が惜しくないか!?」
自らの命が無くなる事を、この少女らは知っているはず。
それなのに、彼女らには躊躇いが一切無い。
そんな光景が、俺にはとても異常で恐怖しか感じられない……。
二撃目は天使の片足を貫く。
射抜かれた腕と同様に、足も胴体から離れるとすぐさま朽ちてしまう。
天使は立っていられず、その場に倒れこんでしまい、悔しそうな表情でこちらを睨みつけている。
「第三射! 撃て!」
「もうやめろ! それを撃つな!」
次の一撃で、天使は確実に仕留められるだろう。
奴はもう虫の息だ、対抗する事も逃げる事も出来ない。
絶好のチャンスなはずなのに、俺は発射命令を出す親父を殴り倒していた。
こんなことがあってたまるかよ……!
じゃあ、何で俺様をルナティックのみが使える月光術で強化した?
あのまま三人の巫女によって強化され続けていれば、相手の命を奪う事は無理でも追い払う事は出来たかもしれない。
そう、あのまま俺に力を与え続ければよかったのに。
それでも状況の打開は出来ないと悟ったのか。
だから弓を準備するまでは俺を囮にして、用意が出来たらもう用済みというわけか!
……まあ追放者にはお似合いの役かもしれんが。
「トゥルー……」
第二射を放った少女もその場に倒れてしまうと、その隣に居た少女も今までの少女と同様に弓を取り、弦を引き絞る。
三番目に命を放つ少女は、奇しくも俺の面倒を見た少女だった。
「数奇なめぐり合わせを、女神様に感謝します。さようなら、お兄様」
お兄様……?
おい、お前まさか!
「……女神の放つ一射は、天をも号泣する一撃! ルナティック・ティアクライ・シュート!」
「やめろ! やめろーーーーー!!!」
どんなに叫んだって、どんなに望んだって、どんなに祈ったって。
それがどんなに強くても、誰にも負けなくても。
現実は、何も変わらない。
魂を解き放つ前、俺の顔を見ていた妹は笑顔だった。
矢は夜空に流れる星のようにすっと光の尾を引きながら、天使の体を飲み込んだ。
そして俺の妹は、その場で倒れたままもう二度と動く事は無かった。
「お前の言っていた事は本当だったのだな」
全てが終わり、力が抜けた俺は喉の痛みを感じながら立ち尽くしていた。
親父は俺が言っていた事が本当であった事を認めながらゆっくりと立ち上がると、取り巻きに指示を与えて三つの可憐な亡骸を、事務的に片付けていく。
「御神体は代えがたい物、我らがルナティックの魂と言っても過言ではない。だが、民がこれ以上危険に巻き込まれるのは、月の女神様達も是とはしないであろう。お前に預ける」
違う、そうじゃない。
確かに俺は御神体を求めていた。
だがな、違うんだよ……!
「何故、妹の命を犠牲にした」
俺は気がつくと再び親父を殴り倒していた。
「聖天弓アルテミスについては、説明するまでもなかろう。あれしか対抗する術が無かった」
「お前それでも父親か! このまま殴り殺してやりてえよ……」
自分の同胞を、家族を犠牲にしてその程度かよ!
てめえには人として感じることや思うことがあるだろう!
……殺らなきゃ殺られる、そんなのは見て解っていた。
ルナティックの都から追放されて、裏社会に身を投じてからも忘れないようにしてきた。
弱いことは悪い事、負ける奴の自己責任。そんなのも知ってる!
でもな、こんな結末ありかよ……。
クソッ、クソッ!!!
「……御神体は預かるぞ。あとその物騒な弓もだ。もうこれ以上そんな物の生贄になる必要は無い」
「好きにしろ。どうせルナティックの訓練を受けた処女しか扱えぬ代物だ、お前が持っていっても何の価値も無い」
ああ、もうこんな弓を誰にも使わせない。
俺の親しい人らが居なくなるのを、ただ指をくわえてみるのはもううんざりだ。
俺は御神体と弓を預かると、すぐに都を去りアジトへと帰った。
道中、たった一人の肉親だった妹の顔を思い出して周りに誰も居ない事を確認すると、俺は静かに涙を流した。




