第二十七話 聖地に襲撃するは逆翼の天使
……。
……。
……?
俺は、生きているのか?
指先が動かせるし、声も出せる。
ぼやけな頭の中がじわりと晴れていくと同時に、俺はゆっくりと目を開けていく。
今にも崩れそうな土壁と、同じ素材で出来た天井。
窓は一切無く、蝋燭数本でしか照らされていないせいか部屋の隅までしっかり見えない。
しかし、俺はここがどこなのかを瞬時に理解する。
土霊の国にあるルナティックの都へどう入ろうか、そして都の中にある礼拝堂に祭られた御神体をどう奪おうか画策していた時に襲撃を受けて囚われの身となり、ここで実の父親に拷問を受ける破目になってしまう。
誤魔化したり茶化したりしたが、このままではマジで殺されかねないと察した俺は、本当の事を話したわけだが、それにも関わらず、その内容があまりにも突拍子も無くかつ非現実すぎたせいか、瀕死だった俺はとどめをさされてしまった。
だが、なぜか俺は生きている。
さらにふわりと結われた白いリボンが愛らしい、綺麗な栗色セミロングヘアーの可憐な少女が手当てをしている。
どういう事だ?
「お前、何やっている?」
「喋らないで、手当てが出来ないわ」
俺が傷ついた体を無理矢理起こそうとしながら少女に話しかけると、少女は俺の両肩を細くしなやかな手で抑える。
俺は、彼女の優しく強くて温かい手を振り払えずに、起こそうとした体を再び横にした。
「……お前さん、自分が今何をやっているか解っているのか?」
追放者に情けをかければ、お前さんは勿論だがお前さんの家族にも迷惑がかかってしまう。
罪人に手を貸した奴も罪人っていうありきたりな理論だ。
ルナティックも当然そういうのはある、というか他より強い。
それを解っていて敢えて手当てをしてくれているならば、お前さんは天使か女神か、さては世間知らずの大馬鹿者か。
「月の女神様や長様の考えを否定はしない、むしろ素晴らしいと思っている。でも、怪我人は放っておけないの」
ああ、これは頭がいかれたタイプだ。
自分を犠牲にして他人を救うっていう、最も不毛で、かつ最も早死にする奴だな。
「ふむ、名前は?」
「トゥルー。巫女様のお世話をさせてもらいながら、時期巫女候補として修行しているの」
だが、俺は嫌いじゃない。
自分も相当おかしいからな、おかしい者同士気があうのかもしれん。
そして、こういう打算抜きで動いてくれる奴には酬いてやりたいとも思う。
……もっとも今のままじゃ、何も出来ないが。
それにしても、巫女候補か。
ルナティックは部族の人間を纏める長役の他にも、月の女神の声を聞いて関係者達に伝える役もある。
それを部族内では巫女と呼んでおり、月光術の扱いに長けていて容姿に優れた処女が選ばれるというのが習わしだ。
この娘も候補と言う事は、部族内でも秀でた才能の持ち主なのだろう。
他国の都の女子に比べれば華やかさも無いし、圧倒的に芋くさいがそこらへんの娘をはき捨てられるくらいには顔立ちがいいしな。
「手当てはもう十分だ、あとは寝ていれば治る。これ以上俺に関わるな、お前もとばっちり食らうぞ?」
「檻の扉は開けたままにしておきます。後は自由になさってください」
俺の言葉を無視してトゥルーと名乗った巫女候補の少女が急に改まった態度で話し出すと、その場から立ち上がって薬を入れていたであろうバスケットの中からパンと果物を二つずつを出して俺の側に置き、そそくさと去っていってしまった。
彼女の言うとおり、俺を閉じ込めるための檻の扉は開けっ放しのままで。
「さて、どうするかね」
逃げるには絶好のチャンスである事に間違いは無い。
どうせここに居てもまた親父から拷問を受けて半殺しにされるのは明白だ。
……半殺しで済めばいいが、次こそはマジで命無いかもしれん。
だがそうやって嬉々として逃げ出してだ。
今度はあの娘がタダじゃすまないのも事実。
「うーむ、案外俺様を逃げなくさせるように親父殿が仕向けた、という可能性も……」
俺は起き上がって少女が持ってきた食料を全て平らげると、再び体を横にして眠りについた。
それからどのくらい日にちが経っただろうか。
目が覚めて腹が空いたと思うと、トゥルーが現れて傷の手当てと食料を持ってくる。
追放者が余程珍しいのか?
確かにそう滅多と出るものじゃないが……。
そんな彼女によって食べ物と話し相手には困らずにいた。
相変わらず俺を閉じ込める為の檻の鍵は開いたままで、彼女にも何故逃げないのか?と何度も問いかけられてしまうが、まさかお前の為だなんて恥ずかしい事を言えるほど器は広くないので、とりあえず傷が完治するまでここにいるという事を伝え続ける。
さらに気になるのは、彼女がここへ来てからは親父殿が全く来なくなったという事か。
好き好んで拷問を受けたいなんて思う程、自分はマゾでは無いのでありがたい訳だが、何か理由があるのか?
外の様子も聞いた限りでは平穏平和みたいだし、マスターの予想は外れたか?
まあいいや、宣言通り傷が治ったらここを出て行けばいい。
ごろごろするのも飽きてきたしな。
それに御神体が無事ならばここにいる理由も無いし、無事だったことを報告すれば俺の仕事も終わりだ。
俺は自身の父親に傷つけられ、そして見ず知らずの少女の治療を受けた体を手で触る。
怪我の具合は良い、もう少しでここを出られそうだ。
さすがは巫女候補なだけあって、上手だし仕事が馴れているな。
――それから寝て起きてを二度ほど繰り返した後。
「いつも思っていたのだが、いいタイミングで来るよなお前」
「ついに行くのね」
傷も完治し、体力も回復した俺は起き上がると薄暗い檻の中からの脱出を決意する。
あのお人よしには申し訳ないが、俺もずっとここに居る訳にはいかない。
そう思った矢先、トゥルーは再び俺の目の前に現れ、何を血迷ったか俺の得物を手渡してきた。
「ああ、仕事も済んだしな。お前さんには悪いが、ここから出て行くぞ」
「ご自由にどうぞ」
まさか見送りに来たのか?
どんだけ物好きなんだこいつ?
よく解らん奴が巫女候補になったもんだな……。
まあいいや、どうやら止めに来たわけではないみたいだし、お言葉に甘えて行かせて貰うとするか。
俺は手厚い介護をしてくれた少女の方を向かずに武器だけ無言で受け取り、その場から去ろうとした。
しかし。
「……無慈悲な風が来る」
「ああ? 何を言っている……」
今までどこか一歩引いたような雰囲気を醸し出していて、かつ落ち着いていた少女がとても不安そうに独り言をつぶやきだす。
今までそんな少しもそんな素振りをしなかった少女の態度が俺は気になってしまい、彼女の居る方を向きつつも言葉の真意を問いただそうとした瞬間。
「な、なんだ!?」
大きくその場が揺れてしまい、俺とトゥルーは倒れそうになってしまう。
俺はその場で踏ん張ると、今にも倒れてしまいそうな少女を抱きかかえることに成功した。
「とりあえずお前はここに居ろ。絶対に出てくるな」
「はい」
抱きかかえた彼女の足がちゃんと地についた事を確認すると、ここから決して出てはいけないと念を押した後に俺は自身の得物を片手に外へと向かう。
そして、何日かぶりの太陽の光を体に受けようとした時――。
「てめぇ!」
目の前には過去の同胞の死体達と、屋根と壁が崩れ落ちてしまい無残の姿になってしまった礼拝堂と、かつて酒場を襲った、巨大な槌を軽々と担いだ喪服ドレスの金髪ツインテールの少女の姿があった。
「精霊の石は、貰っていくよ」
彼女の手元には俺が仕事で守るべきだった御神体が三体ともあり、小さな手では収まりきらないのか不思議な力で手の平の僅かな上を浮遊している。
「待ちやがれ!」
「……はぁ。あのさ、僕に指図出来る程、あんたは偉いわけ?」
いちいち言い方が腹立つ娘だ。
なんだその物良いは!?
大体お前は何様のつもりなんだ?
酒場の仲間は殺そうとするわ、御神体は奪おうとするわ。
とんでもねえクソガキだな。
「折角見逃してあげようって言うのに、そんなに死にたいなら殺してあげる!」
しかし、クソガキとはいえ……。
相手は人外であり、俺がどうあがいても勝てるわけがない。
このままやられっぱなしじゃ癪だから言い返してみたが、正直ほんの少しだけ後悔している。
人が死に対峙し、残酷な現実が降りかかる直前と言うのは、過去の記憶が頭の中を駆け巡るというのが定番だが。
くそ、まるで何も思い浮かばねえ。
ただ、ガキんちょ天使が俺を殺しにこちらへゆっくりと槌を振り上げて、そして下ろそうと……。
む、ゆっくりと?
酒場に現れたときは凄まじい勢いと速度だったはずだ。
なのに何故こんなに遅い。
俺は逆翼の天使が槌を振り下ろそうとした瞬間、その場から大きく後ろへ跳躍して相手の攻撃をかわそうとすると、敵の攻撃は俺がいた場所の地面を叩き割るだけだった。
俺自身、このままぐしゃぐしゃに潰されてお終いと諦めていたので、この結果には自分自身も驚いている。
「何で避けるの! ゴミクズはゴミクズらしく当たりなさいよ!」
「アホか! 当たってたまるかよ!」
理不尽な暴言を投げかけられながらも、逆翼の天使は再び手持ちの巨大な槌を振り回して攻撃をしかけくるが、先程と同じくそれら全ての動きが遅く見えている俺は、難なくかわすことに成功し続ける。
どうやらまぐれで避けている訳ではないらしいが、どうなってしまったんだ?
「もうあったまにきた、ちょっと本気出しちゃうから! 撃滅の逆光ダーティグロウアップ!」
戸惑いながらも、本来なら一方的にやられるであろう相手に対して、僅かな時間だけ優位に立てた事による優越感が俺の心の中で生まれかけようとしていた中、逆翼の天使はかつて酒場で見せた天空術を発動させる。
彼女の術の発動に伴い、眩い光の粒を撒き散らせながら体はみるみると成長していき、幼なかった少女は最終的にアロマちゃんよりもやや上くらいになる。
術の発動が完遂し、成長が終わると逆翼の天使はこちらへ勝ち誇った笑みを見せながら、猛烈な勢いで得物を振り払って来た。
「ふん。僕を馬鹿にするから悪いんだ、そのまま野垂れ死んじゃえ!」
……全く見えなかった。
気がついた時は、崩れた礼拝堂の壁に全身打ち付けられている事に気づく俺が居た。
「あ、あれ? 全く痛くないぞ?」
「う、嘘でしょ! あんた何者よ!」
本来ならば死んでしまう程の衝撃だったはず。
それなのに意識ははっきりとあり、かつ痛みは全く無い。
「知るかよ! 俺もどうなっているか解らん」
「はぁ!? 何で自分の事解らないのばっかじゃないの?」
傍から見たらおかしなやり取りをしていると思われても仕方が無いだろうな。
ましてや、命の取り合いをしている奴らの会話じゃない。
でもな、理由が全く解らんのだよ。
まさか俺もパワーアップしたのか?
馬鹿な、何のきっかけで?
内に眠っている力とか、血統とか、そんな都合のいいものは無いぞ?
「おかしくなってしまったようだな、良い意味で」
ああ、全くもって変になった。
俺が納得できていない現象を、他人というか敵に伝えられるわけもない。
「これならひょっとしたら、勝てるかもな!」
だが、これは千載一遇のチャンスだと言う事は理解した!
まあどうなったかとか、何故そうなったのかとか、これからどうなるかだなんて、この際どうでもいい。
今は憎たらしいこのクソガキ天使を倒す、ただその一点だ!




