第二十六話 追放された故郷に戻る月の信奉者
マスターの新しい隠れ家から徒歩で山を越え、船を使って海を渡り、荒野をまた歩き、そうやって六日程費やした頃、俺の目の前には懐かしい風景が広がっていた。
まさか、またここに帰ってくる事になるなんてな……。
砂と石しかない大地の先、それは砂漠の中のオアシスのような場所。
今までの人の気配も建物もほぼ何も無い場所から一変し、レンガと肌色の石で造られた家が規則正しく並んでおり、遠くには同じ色の円形のドーム状の屋根が取り付けられた礼拝堂が佇む。
他の町はどうか知らないが、ここは外界の情報を殆ど寄せ付けずにいた結果、昔の面持ちを残しつつも独自の進化を遂げたというべきか。
そんな他では中々見慣れない景色が、俺をノスタルジックな気分にさせてしまう。
「俺は何を考えているのやら……。ふむ」
しかし、そんな気分もマスターからの仕事の内容を思い出すと一欠けらも無くなってしまう。
今更、どんな顔して戻ればいいっていうんだ?
マスターから個別に受けた仕事で俺に与えられたのは土霊の国にあるルナティック達が住む街、その中でも総本山となっている俺の故郷へ行ってそこに祭られている三体の女神像、所謂ご神体が無事かどうか見てくることであり、かつ隙あらば手元に置いておくでだった。
女神像のモデルとなった月の女神は、アロマちゃんに良く似た可憐な少女風の女神セレーネ、鋭い眼差しとしなやかな体の大人っぽい女神アルテミス、セレーネとアルテミスの中間くらいの年頃の穏やかな雰囲気漂う女神ディアナの計三体である。
あれ、そういえばアロマちゃんの天使の時の名前もセレーネだったような?
偶然の一致か?
まあいいや、今はそっちよりももっと別の悩ましい問題がある。
「今更戻ってきても、どうせ半殺しにされてまた追放されるだけだよなぁ……」
俺は過去、”ある事件”をきっかけにこの街から追い出されてしまった。
勿論、今も許されたわけはないため、そんな奴が戻ってきたらどんな目にあうかは容易に想像出来る。
御神体は場所は礼拝堂にあり、ルナティックは一部の例外も無く熱心に女神様を信奉しているせいで常に誰かは居る。
それなのに隙あらば手元に置くってか、つまり盗めってことじゃねえか!
無理無理ぜったいむり。
「さてと、どうしたもんかねぇ」
だいたい、俺の専門は戦闘であってこういう潜入とかは年増の仕事だったはずなのに。
あいつがヘマしたせいで俺までとばっちりを受けちまうなんて!
ああああ、何だかイライラしてきたぞ。
……おっと、居なくなった奴の事を嘆いても仕方ないか。
ふむ、しかしどうするかね。
礼拝堂なんて警備厳重すぎてばれずに潜入なんてほぼ無理だし、街中も人だらけだし。
「あーっ! ファルスにいやん!」
どう仕事をこなそうか、あるいはどう口実をつけてサボろうか無い知恵を絞っている時、背後から懐かしい声が聞えてくる。
俺はその声のした方向へ振り向くと、褐色肌に黒髪の半裸な青年が笑顔で立っていた。
「お前……、もしかしてあのはなたれ小僧のフォーか? こんなに大きくなりやがって……」
俺が追放される前に、よく面倒を見ていた男の子だ。
まさかこんなに大きくなっているとは。
そういえば、追放されたのはもう数年前か?十数年前か?
うーむ、時が経つのは早いねえ。
「おいらはもう立派な大人だよ! そんで、今日はどうしたんだい?」
「んあ? いやー、ちょっとな……」
まさか御神体を盗みに参上仕った、なんて言える訳ねえ。
長弓を背負って、腰に解体用の短刀を下げている見た目から察するに外で狩りでもしていたのか?
理由はどうであれ、俺がここに居るってばれるのがそもそもまずいからな。
かといってばれたからとは言え、かつての身内の命を取るわけにもいかんし、うーむ。
「そういうお前こそ、ここで何やっているんだ?」
「それはね」
とりあえず何か良い打開策はないかと考える時間をつくるべく、話を広げようと試みる。
この場を上手く凌がねばと、再び思案に暮れようとしていた時……。
「ぐっ、お前!」
青年は腰に下げていた短刀をこちらへと突きたててくる。
慌てて背後に飛んだが、完全に避ける事は出来ず刃が半分程、脇腹へと刺さってしまう。
「追放者が都に近づいているから、捕まえて来いって言われたんだ。大手柄だよ。ありがとうな、にいやん」
くそっ、急所は何とかぎりぎりかわしたが意識が遠くなってきやがる。
短刀に何か仕込んでやがったか。
うう、目の前が……。
「ここは……? ああ……、ここか……」
次に俺が気がついた時、僅かな明かりしかない場所に居た。
視界はまだぼやけていてはっきりとは見えないが、この埃っぽさとかすかな血の臭いで、俺は今自分がどこに居て、どんな状況下に立たされているかを理解する。
「ようやく目覚めたか。この程度の毒で参るとは、修行を全くしていない証拠だな」
この声も忘れない、忘れたくても忘れるはずがない。
そんな事よりも、ここから脱出しないといけないが……。
くそっ、腕が動かねえ、きつめに縛ってやがる。
「何故戻って来た? この一族の恥さらしめ」
「ちょっと近くまで来てな、このしょっぼい田舎風景が余りにも懐かしいから来ちまったんだよ」
視界はぼやけたまま、声だけは明瞭に聞えてくる。
俺は笑いながらもその問いかけに冗談交じりに答えるが……。
「がはっ!」
「儂の前で嘘をつき通せると思ったか? 本当の事を言え」
腹部を何か硬く、そして熱い棒か何かに勢いよく突かれたようなひりつく痛みが襲いかかる。
あの時と同じだ。
篝火の中で熱した鉄棒を使って、俺の体をいじめているのだろう。
何も変わらないな、ハハハ……。
「ちょっと酷すぎやしないか? 一応あんたの息子なんだぜ、親父……」
そしてそんな酷い仕打ちをしているのがルナティック達の長であり、俺の実の父親であるのも解っていた。
「お前は死んだのだ、あの時からな。今のお前はただの罪深き追放者に過ぎん」
「ぐっ……」
腹、腕、足、頬、首……。
先程襲った苦痛が全身の至る部分を駆け巡る。
昔、都から追放される前もここで似たような事されたっけか。
しかも同じ相手に。
「儂の加護があったからこそ、今まで命があった事が解らない年でもなかろう?」
「ああ、あんたには感謝してるよ。だからその意を以ってここに……」
父親がそういった権力者であったからこそ、俺は命拾いしたのは事実だ。
追放された原因は、他の誰のせいでもなく自分にあるのは百も承知のうえだ。
だからこそ、今までここには近寄らず日陰で過ごしてきた。
「ぐはぁっ!」
「これが最後だ。何をしにここへ戻って来た?」
くそ、また頭がくらくらとしてきやがった。
このまま実の父親に殺されてしまうのか?
息子だから手加減……なんて期待できる相手ではないな。
この人は信念と信仰が人一倍、いや百倍は強いしな……。
「俺も命が惜しいからな、言ってやるよ」
このままごまかしたり、黙っていたりしてもきりがない。
俺は拷問の挙句に命を奪われ、そしてマスターの予想通りの未来が訪れるだろう。
でもな親父。
本当はな、俺はこの故郷が好きなんだよ。
だからこそ皆に迷惑かけたくないし、皆を救いたい。
一時の欲情に負けてしまった俺が言えた義理ではないが、せめて俺なりに孝行させてくれや。
散々痛めつけられ、再び意識が闇の中に沈もうとするのを必死に踏みとどまらせながら、俺はマスターから受けた今回の仕事について話す。
「近い将来、ここへ想像を絶する力を持った存在が御神体を狙ってくる。俺はそいつに御神体を奪われないようにここへ来た。御神体とお前さんらが助かりたいなら、さっさとここから出せこのクソ親父!」
マスターの予想とは、理由までは解らないが酒場を襲った天使達はアロマちゃんや輝色魔術師の命と、四大大国にそれぞれある”精霊の石”と呼ばれる不思議な力を宿した石を狙っているらしい。
水神の国はアルカティア家が家宝として代々当主が受け継いできており、アルカティア家最後の当主であったソフィネの姉であるエリザベスはその石をネックレスとして身につけていたらしく、それを奪うが故に鎧の上から力で無理矢理えぐられたという事だ。
土霊の国の精霊の石、それはルナティックが御神体として祀っている三体の女神像であり、馴染み深い俺が仕事を受け持つ事になった。
御神体がいかに大切な物でか、代えがたい代物か。
そんなのは俺でも十分解る。
だからこそ、何とかしたかったのだが……。
「解らず屋め、ちくしょう……」
ようやく目の霞みが治った瞬間、年老いた自分の父親が熱した鉄棒を振りかざす姿が視界に入ると、意識がぷつりと途切れてしまった。




