第二十三話 コワレル、気丈なる仮面
わらわは女騎士の傷を治療し体力を元に戻す精霊術で応急処置を施すと、ファルス殿は彼女をアロマ殿の部屋へと担いでいった。
衰弱はしていたが、命に別状はないはず。
次に目が覚める頃には、怪我も疲労も回復しているじゃろう。
とりあえず、窮地から脱した。
だが……。
わらわは何の飾り気も無い酒場の天井を見上げつつ、この短い間に起こった事を振り返る。
本の中でしか存在しないと信じて疑わなかった天使がわらわの姉の命を奪った張本人で、独学や箱庭で知った姿とは異なっていて、想像もつかない不思議な力を操る。
それだけではない。
普段の姿は人間そのものだが、悪魔に変身出来る騎士の少女の存在。
ふむ、どうにも納得のいかない事ばかりだ。
「マスターよ。今回の件、どう思うか?」
「天使や悪魔なんて空想上の生き物がこうも容易く複数出てきて、どう思うと言われてもな……。この世界をある程度は知っていると思っていたが、……まだまだ解らない事だらけだな」
概ね、わらわと同じ考えだった。
しかし、今は共感によるかりそめの安堵は心の隅においとくとして。
これからどうすればいいのか、どうするべきなのかを考えなければならない。
わらわが仮に精霊術を使ったとしても、味方であろう悪魔はさておき、明確な敵である天使に対して通じるかどうか怪しい。
ならば、あれだけ強大な相手に立ち向かう術はあるのか。
足がかりがまるで無い、考えて対抗策を見出さなければ命が危ういと言うのに、わらわはどうすれば良いのじゃ……。
「何かあったの?」
最適解を見出す事が出来ずに悶々としていた時、無言の店内に聞きなれた声が響く。
声のした方を振り返ると、天使の襲撃の前に出かけたアロマと魔術師殿が、なにやら心配そうな表情をしたまま訊ねてきた。
「アロマ殿、そして輝色魔術師殿か。どう言えばよいのか解らぬが……」
まさか天使が酒場の人らの命を奪いに来たなんて、言える訳が無い。
言ったところで、信じて貰えるかどうかも怪しい。
ううむ、どう説明すればいいのじゃ。
「一緒に居た騎士の娘が怪我をして倒れている。命に別状はないがアロマの部屋で休ませている」
「どういう事なの!? シュウに何があったの?」
わらわがどう伝えようか困り果てている時、マスターは淡々と結果だけを簡潔に伝えた。
すると騎士殿の現状を知った魔術師殿の穏やかだった表情は、驚きと焦りと不安に満ちていく。
「うーむ、言えば解ってくれるかどうかも微妙なのじゃが……」
「人間以外の何かが、ここに来たんですよね?」
「どうして解ったのじゃ!?」
まさか仲間であるアロマ殿に隠し事をする訳にもいかない。
結果だけ伝えても納得するはずがないと思ったわらわが、何とか起こった状況を伝えようとしていた時、魔術師殿が少し寂しげだが、何もかもを知り尽くしたような眼差しでこちらを見つめてくる。
そんな目を見たわらわは、あまりにも真っ直ぐな視線を思わず避けようとしてしまうが、唾を大きく飲み込み、何故その結論に至ったかをなんとか問い返す。
「あなた達の様子から察したの」
よくよく考えれば、確かに魔術師殿の言うとおりだ。
長い付き合いになるであろうパートナーの不思議な力の存在は当然知っているだろうし、そのパートナーがやられて、わらわやファルス殿がこれだけ悩んでいる様子を見たら、感が鋭ければ察するであろう。
悪魔が並の人間にやられるとも思えないからな。
その程度の事も解らないほど、自分でも動揺しているという事なのか。
「……天使が攻めてきた。じゃが、その天使は本で読んだ姿とは少し違うのじゃ。背中の翼が上下逆転しており、雰囲気から温かさがまるで感じぬ。着ている服も真っ黒じゃった」
二人が不在の間にあった出来事を簡潔にまとめて伝えたつもりだが、やはり自分の中ではあまりにも非現実すぎて、かつ腹に落ちていないせいか、パンを喉に詰まらせた時のような不快な感じは拭えずにいた。
「突然こんな話をされても理解出来ないと思っておる。アロマ殿もエミリア殿も、わらわの言う事が信じられないじゃろう?」
しかし大切なパートナーの騎士殿が倒れており、こんな事態なのに。
何故二人はそこまで冷静でいられるのじゃ?
アロマ殿はずっと無表情のまま聞いているし、先程慌てていたエミリア殿も既に平穏を取り戻してこちらの話を真剣に聞いている。
「うーん、その事だけに関しては、アロマちゃんも私も問題ないかな」
「む? どういう事じゃ、何を言うておる……」
「説明するよりも見たほうが早いかもしれないね。変身するね」
恐らく現状を理解したであろう魔術師殿は、二歩ほど後ろへ下がった後に一度だけ深く息を吸い、そして吐き出す。
「天上なる神性への目覚め」
そして輝色魔術師は両手を広げて目を閉じ聞きなれぬ言葉を紡ぐ。
すると全身から白く輝く光が放出され、目も眩みそうな程の輝きに包まれると、今まで魔術師だった服装が瞬く間に白いホルターネックのドレスへと変化していき、黒かった長髪は明るく眩い金色になる。衣装と髪色の変化が終わると同時に、背中からは一対の純白の翼が生えた。
「やはりお前もそうだったのか」
「はい。気づいていたのですね」
「ど、どういう事なのじゃ……。そなたは人間では無いのか?」
酒場を襲撃した天使とは雰囲気がまるで違う。
今度は本で読んだままの姿と印象ではある。
敵意も無さそうで、むしろ味方になってくれそうな雰囲気すら感じる。
しかし……。
「うーん。簡潔に言うと元々は天使だったけれど、今は人間として転生した。でも天使としての力は失くしていない、が適切なのかな」
「じゃあ、まさかアロマ殿も……?」
「うん。今は人間の姿でいるけども、私もエミリアお姉ちゃんと同じだよ。黙っててごめんね」
軒並み周りの人らが人間では無いと言う事実。
わらわの命を奪ってきたのも非現実な存在であるという真実。
心に余裕があれば綺麗とか、神々しいとか、そういうポジティブな思いが勝ったのかもしれない。
「どういう事じゃ! もう訳が解らぬわ!」
でも今はそんな不可思議な存在達が、ただ純粋にわらわの胸中を不安で満たしてしまう。
立て続けに自身の考えの範疇を超えた存在が出てきて、ペンで黒い線をぐしゃぐしゃと書いたような乱雑で不快な思いが心と思考を蝕んでいく。
もう何が何だか訳が解らない。
そんな現実から本能レベルで逃げ出したくなったわらわは、自室へと戻りベッドへと身を投げて伏せる。
もういやじゃ……、どうしてこんなことに。
そう思いながら、今までの過去が頭の中を次々と過ぎっていく。
アロマ殿が天使で。
魔術師殿も人間じゃなくて。
騎士殿だって違っていて。
マリアンヌ姉上は、血の繋がったエリザベス姉上に処刑されてしまい、そのエリザベス姉上も殺されてしまった。
名家だったアルカティア家は没落し、わらわはこんな小汚い場所で借金を返さなければいけない破目になった。
姉上の反逆の前は、生涯で一度しかない成人の儀で……。
……成人の儀!
あれも本来のパートナーが来なかったではないか。
何もかも、全部おかしいことばかりではないか!
そうだ、この数ヶ月間おかしい事だらけだ。
ああ、そうだ、そうだった。
全部あの娘が悪いんだ。
あやつと出会ってから全てが狂った。
成人の儀でアロマと出会わなければこんな事にはならなかった!
あやつに出会わなければ、わらわは……、わらわは……!
「入るね」
「……何をしにきたのだ? この薄汚い悪魔め」
声が聞えると同時に、部屋の扉が音をたててゆっくりと開いていく。
そこには、わらわをこの状況に追い詰めた張本人が居た。
「わらわの家を、地位を、名誉を、血の繋がった家族を返せ! 平凡だった日常を返せ! お前にそれらを奪う権利があるとでもいうのか!」
彼女の姿を見た次の瞬間、既にわらわがアロマ殿の両肩を掴む自分と自身の喉に嫌な痛み、さらに室内の気まずい雰囲気に支配されている事に気づく。
彼女を不当に糾弾しても意味がない事は、これだけ混乱していても解っていた。
でも、それでも、口に出さなければわらわがおかしくなってしまう。
だから思いのまま全部吐き出した。
否、出してやる。
「何故そんな顔をするのだ? もっと嬉しそうにすれば良いじゃろうに! 何もかもお前の手で壊された憐れな人間の娘を笑えば良かろうに!」
その結果が、彼女のとても悲しそうな表情とはな。
目線はこちらを外しており、うっすらと涙ぐんでいるようにも見える。
「ずっと気丈に振舞ってきた! 弱さを見せないようにしてきた! いつか再び家が復興されるかもしれないって願ってきた!」
……わらわは何を言っているのだろうか。
自分が思っている言葉を一つ言えば言うほど、今の自分から、今の仲間から、現在からどんどん離れていくような気がする。
こんなに感情が昂っているのに、妙に冷静な自分がそう心の中で囁いた。
「でも頑張れば頑張るほど、我慢すればする程どんどんおかしくなっていく! こんな、こんな馬鹿げた事があってたまるか!」
ああ、自分が醜い。
最悪で最低な自分。
誰かを責める事でしか自分を正当化出来ないとはな。
「出てけ! もうお前の顔なんて見たくない!」
アロマ殿はわらわの手を優しく解くと、俯いたまま部屋を出て行ってしまう。
わらわは何をしているのじゃ……。
思っていた事をぶつけても気持ちは晴れるどころか、ますます曇ってしまったではないか。
最低じゃ……。
何も出来ないどころか、仲間を傷つけてしまうなんて!
胸の不快感と自分の不甲斐無さに耐え切れなくなったのか、目から自然と大粒の涙が零れ落ちていた。
それはまるで、降り始めの雨のように。




