第二十二話 落日の逆翼天使(リバースウィングエンジェル)
「一体どうしたんすか! いきなりぶっ放すとか!」
マスターのいきなりの乱射がようやくおさまった後に静寂が訪れると、ファルス殿がいち早く立ち上がりマスターに理由を問いかける。
激しい攻撃が終わる頃には、酒場の扉が跡形も無く吹き飛んでおり、マスターの周りには無数の薬莢が転がっていた。
火薬のにおいが全く無いという事は、魔術の力を利用した武器なのだろうか?
「ま、マスター?」
「只ならぬ様子じゃな、ついていくか」
そんな事よりも、何故彼がいきなり攻撃を仕掛けたのか。
マスターは土足のままカウンターを飛び越えると、ファルス殿を無視して無言のまま再び弾を装填しなおしつつ、標的がいるであろう店の外へと足早に向かう。
他の者も、恐る恐る頭を上げて立ち上がり、突然の発砲の理由を知るべく彼の後を追った。
そして、外へ出た直後――。
「少女じゃと!?」
「マスター! まさかこんないたいけな子を撃ったのか?」
そこにはマスターに撃たれたであろう標的が、目を閉じてぐったりと倒れていた。
あれだけの攻撃を受けながらも全く乱れていない、結び目が髪色と同じ金色のヘアリングで固定されたツインテールと黒いヘッドドレス。
丁寧に飾られて綺麗に整った髪型に対し、銃撃を受けて穴だらけになってしまったぼろぼろの喪服ドレスを身に纏う肌の青白い少女。
「ありえんだろ……」
そんな少女をあれだけ酷い目にあわせたマスターに対して、ファルスは明らかに引いていた。
普段ならばこやつの女児に対するあまりにも過保護すぎる対応にうんざりするところだが、今回だけはわらわも彼に賛同してしまいたいほど、この少女は無垢で幼い印象が強い。
「あれ程強烈な殺気の持ち主が、まさかこんな女の子だったとはな」
しかしマスターは一切悪びれず、自分がした事に対して何の悔いも後ろめたさも感じていない様子である。
しかもそれどころか、さらに攻撃をしかけようと気を失っているであろう少女に銃口を突きつけた。
「あーあ、お気に入りのドレスが穴だらけになっちゃったよ」
マスターの引き金にかかった指が動こうとした瞬間、少女はまるで眠りから覚めたようにむくりと起きると、自身のぼろぼろになった服を確認しつつ残念そうな顔をする。
「んー、でも髪型は崩れていないみたい。良かったー、折角ママが地上へ行くからって綺麗にしてくれたもんね」
そう思いきや、髪型が無事である事が自身で触れて解ると、表情が急に明るくなる。
彼女の次々変わる態度と、攻撃を受けて一切怪我が無い状態を見たマスターは、軽く舌打ちをすると少女との間合いを開けた。
「ん? 挨拶したいのかな? はじめまして!」
今まで無視していたのか、本当に自分の事だけで手一杯で気づかなかったのか。
こちらの存在と視線に気づいた少女は、満面の笑みで挨拶をしてくる。
しかし、全く生気を感じられないライム色の虚ろな瞳のせいで、無邪気な笑顔はただ不気味な印象しかわらわに与えなかった。
しかもあれだけの攻撃を受けて立ち上がるとは。
何者じゃこやつ。
「誰だお前?」
「僕の事、知りたいの?」
マスターが銃口を少女に突き付けたまま、相手が何者か問いかける。
喪服ドレスの少女は現状圧倒的に不利であり、何か変な素振りをしようものならば眉間に弾丸をお見舞いされそうな状況である。
だがそれでも、少女は無邪気な笑顔を一切崩さない。
恐怖や不安をまるで感じていない様子に、むしろこちらが恐れてしまうほどだった。
「ふ、ふふふ……」
「何が可笑しい?」
それともあまりにも絶体絶命の窮地で気が狂ってしまったのか?
先程の攻撃で当たり所が悪かったのか?
「ばっかじゃないの! 教えるわけないじゃん! 何でも聞けば解ると思ってるわけ? ちょっと脳みそ腐っているんじゃない? キャハハハハ!」
しかしわらわのそんな考察は、純粋な笑顔から繰り出される、まるで相手を嘲笑するかのような下品で下劣な笑いと自分よりも年下とは思えない汚い言葉使い。
それらによって、彼女への庇護や情けと共に吹き飛んでしまった。
「僕の可愛い衣装、ぼろぼろにしてくれたのあんた達だよね? こんな酷い事してくれたゴミクズ共は殺しちゃってもいいよね? ママも許してくれるよね?」
「あ、あれは!」
そしてさらなる光景を目の当たりにしてしまう。
少女は笑顔のままゆっくりと立ち上がり、手の平を空に翳す。
すると、手のある場所から自身の身長の何十倍もの大きさの、木で出来た槌が現れる。
少女はその槌の持ち手を強く握ると、まるで羽根ペンのように軽々と二度程何も無い場所へ振り回してこちらを威嚇してきた。
間違いない、こやつの得物を見て確信した。
エリザベス姉上と、姉上が使役していたキメラを倒したのはこの少女じゃ!
どういう事じゃ、何故ここに現れる!?
姉上だけでなく、わらわの命も狙いに来たのか?
それとも、姉上殺害の現場を見た者を抹殺しようとしに来たのか?
「我に眠りし母なる力を開花させ、汝滅ぼす一振りとならん。撃滅の逆光ダーティ・グロウアップ」
少女は高らかに槌を天へと翳して目を閉じながら、なにやら聞きなれない術の詠唱をすると、彼女の体に変化していく。
身長が伸びていき、体格が一回り大きくなり、僅かだが胸も膨らむ。
それら体の変化に合わせ、顔立ちも大人っぽく変わる。
その結果、今までわらわよりも年下の印象だったが、今ではわらわと同じ年代か少し上くらいだろうか。
そして、背中には架空の生き物である天使の翼を上下逆転させたような翼が生えていた。
本の中の天使は真っ白な翼で描写されているが、この少女の上下逆になった二対の翼は先端がインクに浸したかのように黒ずんでいる。
自身の体格や年齢を自在に変化させる術だと。
そんな馬鹿な!
術の名称も聞いた事が無かった、勿論箱庭で習っていないし、数多くの書物に目を通してきたがそれらには記述されていなかったはず。
そもそも何故背中から羽が生えておる?
わらわはタチの悪い夢でも見ているのだろうか。
しかも逆さまの翼とな。
あれはいったい、なんなんじゃ……。
それは、わらわが抱いている清廉・潔白・純潔といった天使のイメージとは大きくかけ離れている。
例えるならば、不浄・落日・破滅……。
「んー、天使は居ないみたいだね? でも関係ないや。泣いて叫んで、おもらししながら僕に命乞いして、生きる事が嫌になって自ら死にたくなるまで嬲ってから殺してやる!」
少女は成長が終わると、憎しみと怒りに満ちた表情でこちらへ再び汚い言葉をぶつけてくる。
「逃げろ! 全員ばらばらにあいつから離れろ!」
相手のやる気とは逆に、あれだけ強気に攻撃を仕掛けていたマスターが、この場からの撤退を全員に命令する。
天使は居ないとはどういう事じゃ!
未知なる存在の遭遇、少女の放つ不可解な言葉、いつも物静かなマスターの狼狽。
何もかもが理解できぬぞ!
だが、たった一つだけ解っている事がある。
この場から、あやつから逃げなければ自身の命は無いという事じゃ!
「逃げる? 逃がすわけじゃん! 甘いよ甘過ぎる!」
マスターの言葉に少し遅れてわらわはここから逃げようとする。
しかし、逆さの翼を生やした少女が素直に見逃してくれるわけもなく、高く跳躍するとこちらへと槌の頭でこちらを押しつぶそうとしてきた。
あれだけ大きな得物を持ちながらなんという素早さ、跳躍力。
本当に天使だと言うのか?
じゃが、人間では絶対にありえん動き。
……わらわは、ここまでか!
「深淵なる力の解放っ!」
抵抗することは勿論、生きる事も諦めて、非情な現実を受け入れようとした時だった。
マスターに突き飛ばされ、のびていたであろう女騎士の声がすると同時に、酒場の中から黒い光が溢れ出す。
光がおさまると同時に、建物の中から黒い金属の鎧と手甲以外は体のラインを強調した装備を身に纏った、蝙蝠の羽を背中に背負う少女がわらわの前へと現れた。
全体的に体型は大人っぽくて膨らみとくびれを強調させており、耳先は尖がっていて、瞳は血のような赤に染まっている。
どことなく女騎士の面影があるという事は、一瞬のうちに着替えた……?
いや、それはない。体格が余りにも違いすぎる。
ここまで成熟していなかったはず。
そもそも背中の翼はなんじゃ、頭の角はどういうことじゃ。
……どうみても、彼女は悪魔ではないか。
「な、なんじゃ今度は!?」
「説明は後でするから今の内にみんなは逃げて、力と増幅のルーンを自身に付与し、刻印術、ストレングスブレス発動!」
圧倒的なまでに相手を圧殺せんとした逆さまの翼の天使の攻撃を、悪魔の少女は自身の手によって受け止める。
ルーンには火・水・風・地などから成る『元素』のルーンや、増幅・力・変質・再生・破壊などから成る『事象』のルーンがあり、それらを単独で使用したり、組み合わせたりするのが刻印術である。
刻印術はルーンさえ刻む事が出来れば精神集中や難しい詠唱が不要な、他の魔術と比較すれば発動だけなら難度は相当低く、元素や事象のルーン”単独”ならば僅かでも心得があれば使うことが可能である。
しかし”複数”のルーンを組み合わせて使うなれば話は別である。
個々のルーンに対する理解は勿論、組み合わせた場合どのような効果を発揮するのか?
組み合わせの良い悪いや、効果的な組み合わせは何か?
ルーンの数は膨大で莫大であり、研究が進められているがまだ全てが解明されていない。
それらの組み合わせとなれば、とてつもないパターンがあるのは当然だ。
あの悪魔の少女はそんな高等技術をまるで息をするかのように自然と、そして何の無理もなく使っている。
さらに驚きなのは刻印術の唯一にして最大の弱点である、ルーンを刻む行為を一切無視して術を発動しているという、常識はずれな事を平然としているのだ。
自身が魔術を習った水神の国の高等教育機関、通称”箱庭”を主席で卒業したわらわですら、そんな絶対に出来ない事をしようとも思わなかった。
例えるならば、スープを飲むのにスプーンを使わず、入っている器にも手をかけず飲んでいるという感じか。
悪魔だからこそなせる芸当というべきなのか?
「邪魔しないで……!」
名前やルーン、そして今の状況から察するに恐らくあの悪魔の少女は、自身の力を強化して天使に対抗したのであろう。
しかしそれでもまだ力が及ばないのか、天使の少女が振り下ろした槌に回転を加えて横に払うと、悪魔の少女は槌を振り払った方向へ吹き飛ばされ、壁に激突してしまう。
ぶつかった壁は埃と破片を撒き散らしながらぼろぼろと崩れ落ちていく。
「くっ……、今のままじゃ勝てない。でも……」
瓦礫の中からふらふらになりながらも、悪魔の少女が立ち上がる。
かつてキメラを一撃で押し潰し、姉上を一瞬のうちに倒した天使の攻撃を受けて、生きていられる時点で凄いとしか思えないが、彼女の力をもってしてもこの状況の打破には至らぬか。
「まさか悪魔まで出てくるなんて僕驚いちゃったよ。まあでも、ぶち殺すことに変わりはないけどね! それに大した力の持ち主じゃなさそうだし、このままでも十分だね」
やがりこのまま全員あやつの手にかかってしまうのか。
……それもやむなしか。
幸い、アロマ殿とエミリア殿がここに居ない。
彼女ら二人だけでも生き延びてくれれば!
「この状態で使うのは初めてだから、上手くいくかは解らないけども……。やるしかない。時と空白のルーンを組み合わせて、上級刻印術、タイムジャンプ発動! いけええ!」
「何その攻撃。遅すぎて笑っちゃう! キャハハハ、そのまま潰してあげるよ!」
悪魔の少女が再び刻印術の詠唱を完遂させると、自身が持っていた剣を突きたてて天使の少女へと真っ直ぐ特攻する。
先程の攻撃による影響なのか?
その動きはとても鈍く、天使の少女は勝利を確信した笑みに満ち溢れたまま、巨大な槌を振りかぶり悪魔の少女の突撃を一振りのもとにひねり潰そうとするが……。
「なっ、なんで……」
それはまるで、その合間だけ切り取られたかのようだった。
悪魔の少女が天使の少女によって圧殺されようとした時、わらわが気がつくと悪魔の少女の持っていた剣が、天使の少女の胸を貫いていたのだ。
「ぐううっ、こんな事って!」
悪魔の少女の攻撃は、確実に急所を捉えていた。
そして当たると思っていなかったのか、天使の少女の表情は引きつり、口元がかすかに痙攣している。
わらわにも正直解らない。
あんな遅い攻撃が何故こうも容易く相手に当たったのか。
先程の刻印術の力である事は何となく予想はつく、だがしかし具体的に何をしたのかまでは理解出来ない。
時のルーンとはなんじゃ?
詳しい特性が解っているルーンは一通り箱庭で習ったはずなのに、未知のルーンを使いこなせるというのか?
「……居なくなったみたいだな」
天使は自身の窮地が陥ったことを理解したのか、緑色の光に包まれてその場から消えてしまった。
……とりあえず、脅威は去ったと言うべきなのだろうか。
恐ろしい相手だった。
酒場の仲間達も、わらわも、何も出来なかったなんて!
「騎士殿! しっかりなされ!」
己の無力感に苛まれている時、悪魔へと変化した少女は騎士の姿へと戻ると、その場に崩れるように倒れてしまった。
先程の刻印術はよほどの負担だったのか顔色はとても悪く、ぐったりとしていて目を覚まさない。
まずはわらわ達を助けてくれたこの娘を介抱せねば。




