第二十一話 出会う花と翼、訪れる――
女魔術師がアロマ殿を連れて行ってしまうと、そのパートナーである女騎士だけが酒場に残ってしまう。
「ど、どうしよう。こういうお店来たの初めてだから、何て話せばいいのか解らないや」
どうやら心で思っている事が小声ながら口に出てしまっているらしい。
本人は毅然とした態度をとっているつもりだろうが、これでは逆にその姿が滑稽に見えてしまう。
「何も気にする事はないぞ。飲み物でも飲んで待っておれ」
「あ、ありがとうございますっ!」
途方に暮れていたであろう女騎士にわらわが気を使って冷えたミルクを差し出すと、まるで蕾だった植物が一気に開花するかのように、びしびしと固まっていた表情が緩んで笑顔になる。
それにしてもこの者、風精の国の騎士と言っておったか。
もしや……。
「無礼な聞き様で申し訳ないのじゃが、そなたはもしかして騎士ランク最低でどん色騎士と呼ばれていた……」
「ぶぶっ! な、なんてそこまで知ってるの!?」
図星だったのか、騎士の少女は飲んでいたミルクを思わず口から噴出し、むせるのを堪えながらこちらを驚いたまま見つめる。
何をそこまで驚く必要があるのだろうかと思いつつも、飛び散ったミルクを側にあった雑巾で拭きとる。
「うう、最低ランクだった頃の肩書きが、この国まで知られているなんて……」
「いやいや、気にするでない。土霊の国の戦争で、戦果を出した二人組みがランク最高と最低の女性のペアと言う情報を耳にしてな、もしやと思っただけじゃ。別に過去の事を問うわけではない」
驚いたと思いきや、今度は酷く落ち込んでいる様子だ。
感情の起伏の激しい娘じゃのう、もうちょっと落ち着けば良いのに。
だが、わらわの情報は当たっていたようじゃな。
この娘が噂の騎士とはな。
鎧を脱いだら普通の村娘と言っても違和感が無い程に、緊張感がないというかなんと言うか。
「へぇ、この娘っこそんなに凄いんか?」
「ああ、ソフィネの言っている事は間違っていない。兵士数百人をこの騎士とさっきアロマを連れて行った魔術師だけで相手している」
「人って見かけによらないって事だねぇ」
「何だか凄い酷い言われような気がする……」
マスターもどうやら彼女の事を知っているらしい。
ファルス殿は、どうやらわらわと同じ考えを持っていたのだろう。
気だるそうに頬杖をつきながら、意外そうな顔をしている。
そういえばマスターは、彼女の正体が知れても一切動じていなかった。
前々から気になっていて、仕事を一緒にしてきてから特に感じるのは、このマスターは様々な情報に通じているという事だ。
普段は仏頂面のままグラスを磨く事くらいしかしていないように見えるが、偶に出かけている時に情報収集をしているという事なのか?
「そんで、そんな騎士様と魔術師様がいったい何の様にここへ来たんだ? そんだけ強くて権力もあれば何でも解決するだろうに」
「んーっと、セレーネちゃ……おおっと、アロマちゃんを探しに来たんです」
「それは見れば解る。それ以外に目的は無いのかね?」
「はい」
マスターは騎士について一言話し終えると、自分からはこれ以上何もいう事は無いと言わんばかりに、再び無表情のままグラス磨きを始める。
その様子を見たファルスが、今度は興味と好奇の輝きを細い目に宿しつつ質問を始めていく。
「あとよ、何でここが解ったんだ? お前さんらが高い身分の人間とは言え、こんなスラムの小汚い店にいる女の子一人を見つけるのは相当至難だぞ?」
「小汚くて悪かったな」
「えっとぉ、あたしの上官がアロマちゃんのいる場所を教えてくれたんです。でもその方も水神の国のスラム街に居るって事しか解らなかったので、全部行ってみようってなったんですけども、たまたますぐに見つかったんです」
水神の国の貧民街や治安の悪い街は両手の指では足らないほど多いと聞いておる。
どの程度探したのかは実際に見ていないから解らぬが、口ぶりから察するにこの国に足を踏み入れてそう大して時間は経っていないのであろう。
「すげえ幸運だな」
「これはあたしじゃなくって、エミリアのお陰なんですよー。あの人すんごい勘がいいんですっ!」
エミリアというのは、あのアロマ殿を連れて行った女魔術師の事か。
そういえば、彼女の名前を聞いてからずっと気になっておったのだが……。
「エミリアってどこかで聞いた事あったような……」
「風精の国の輝色魔術師だな。魔術師団に所属しており、彼女もランク最高位だ」
風精の国には、魔術発動時に眩い光を発する事からその二つ名が付けられた魔術師が居ると聞く。
その力を用いて戦場で多くの戦果をあげているのは勿論だが、それ以外でも彼女の立ち回り、佇まいは良い意味で他の者に強く印象を残しており、戦線を共にした武官だけではなく、彼女が居る宴席に参加した文官や貴族、さらには芸術家達にもその名前が知れている。
わらわも過去に一度だけ、同席した事はあった。
その時もそのパーティの主役の貴族令嬢よりも、エミリア殿の方が注目されていた程だった。
しかも、さらに驚くべきは貴族の娘はそんな輝色魔術師に対して、何ら負の感情を抱いていないという事だ。
普通だったら、不愉快な思いをしたり嫉妬したりするくらいは当然じゃろう。
それが無いという事は、彼女が見た目や立ち振る舞いだけではなく、内面も純粋で美麗だと周囲に認められている証なのだろう。
「おお! そうなんですよ! やっぱエミリアは有名人だなぁ、うんうん」
「なるほど、あの魔術師かー。実物を見るのは初めてだからな、まさかあんな可愛い女の子だったとは」
うーむ、さすがは名の通った魔術師なだけに、裏稼業の人間にも名前が知れているとは。
まあ無理もないか。
む、ファルス殿の顔が緩んでおる……、こやつまた不埒な事を。
「おぬし、また変な妄想をしておらぬか?」
「馬鹿言うな箱入り娘! 俺様はアロマちゃん一筋だ!」
この場で堂々と言う事なのだろうか。
そして、よこしまな思いを抱いているという事を否定はしないのか。
危なすぎるぞこの者……。
「ろ、ろりこ……」
「あ? 何か言ったか?」
「ひっ!」
女騎士が今まで見せたこと無い変な表情をしながら、わらわの代わりにファルス殿を咎めようとした時、彼の血走った目を見て恐怖したのか、身を竦ませてしまい言おうとしていた言葉を飲み込んでしまった。
「んーむ、じゃあアロマちゃんと出会って何をするつもりなんだ? まさか”会いたい”だけじゃないんだろう?」
「うーん、それは……」
気を取り直して、ファルスが再び女騎士シュウ殿に話しかける。
しかし今までの和やかな雰囲気とは違い、騎士の少女の表情が厳しくなってしまい、彼女はその質問に対して何も答えなくなってしまう。
言いにくい理由でもあるのか?
二人が出会う理由が、そこまで彼女を頑なにさせるという事は、余程の理由があるというのを何となく察した。
聞いてはいけない事を聞いてしまったと察したのか、ファルスは鼻で大きくため息をするとばさばさの頭を掻いてこの沈黙した空気を打破しようとするが、勿論その程度で変わらない。
「まあ何でも良いではないか。魔術師殿とアロマ殿が出会えたのじゃろう? 今はそれでよいのじゃ」
「ま、そうだな! いい事言うじゃないかお嬢様」
「やめれ、もうわらわはそう呼ばれる身分では無い」
「んー、でも俺はお嬢様と呼び続けるぜ。お前さんの身分が変わっても、気概は変わらないからな」
この状況を変えるべく態々気を使ったのに、それをまるで横取りするような印象を受けてしまう。
こやつ、いい事言ったつもりでいるのか。
いい年した男がそんな恥ずかしい事を言うてどうしてそこまで得意げなのだ?
……解らぬ、わらわには解らぬ。
というか、解りたくも無い。
「何か賑やかそうな人達だなあ、そこまで怖がる心配もないかもしれない……」
再び、ぼそぼそと女騎士から声が聞える。
恐らく本人は心の中で思っているのだろうが、やはり今回も聞えてしまう。
まさか、わらわにしか聞えていないとか?
実は相手の思っている事が解るようになったとか?
そんな訳、あるはずがない。
だが、そう考えてしまうほど聞えてしまうぞ。
本人には言うべきなのじゃろうか、黙っておくべきなのじゃろうか。
ふむむ。
「むっ、どけえ!」
「うわあ!」
ようやく雰囲気が緩み、和やかになろうとしていた時だった。
ドスのきいた低い声でマスターが座っていた女騎士を突き飛ばすと、カウンターの下から古ぼけた長銃を出し、酒場の入り口に向かって五回程発砲する。
「い、いきなりなんすかマスター!?」
ファルス殿の問いかけにも無視し、マスターは弾を装填すると再び同じ方向へと発砲し続ける。
いつの間にか気づくと全員がその場で伏せっており、頭を隠しつつも状況の成り行きを見守るべく、何度も撃つマスターの姿と、マスターに撃たれて粉々になってしまった扉の方を交互に見返していた。
急に何が起こったというのじゃ?




