第十九話 二厘の花の煌きを曇らす不穏な影、そして……
「グギャアアアアアッ!」
余りにも強大な力の意思の前に、身も心も折られようとしていた時だった。
わらわが精霊術の力で縛っていた生物兵器の体が何か大きな塊のような物に潰され、大量の悲鳴と体液を撒き散らしながらその場で絶命する。
それと同時に部屋の明かりが消えて、周りは一切何も見えなくなってしまう。
「な、なんじゃ! 何が起こった!?」
「精霊の石は、貰っていくよ」
わらわの自分でも意識せずに出た驚きの声を上書きするように聞えたのは、狂気と冷たさを与える声だった。
感じから察するに少女のものだろうが、それにしては妙に生気を感じない。
まるで魔術か呪術で操っている人形と対話しているかのような印象だった。
……今は考えている場合ではない、兎も角この暗闇を何とかせねば。
今何が起きているのか、生物兵器はなぜ倒されたのか、声の主は誰なのか。
様々な不安とこの暗闇を解消するべく、急いで魔術で光を生成する。
そして周囲が再び照らされると、目の前の光景を見て全身に鳥肌が立つ程、恐怖してしまう。
「あ、姉上!」
そこには自らの物であろう鮮血の海の上で仰向けになって倒れているエリザベス姉上が居た。
急いで駆け寄るが、一切返事は無い。
顔色はとても悪く、見開いた瞳には生命の光を宿しておらず、口の周りはおびただしい量の血を吐いた痕跡が残っている。
そんな光景を見たせいか、自身の体が震えるくらいの寒気を感じてしまう。
しかし、それをぐっと堪えて恐る恐る頬をそっと撫でてみるが、自らの冷たさなんて忘れてしまう程に触れた手が凍えてしまった。
「ど、どういう事なのじゃ。何故姉上が……?」
状況が全く掴めない。
どうして姉上が死んでいる?
剣の腕もあり、さらに魔剣まで持っていた姉上が何故声も上げず、この僅かな時間でやられてしまったのだ?
胸に鎧の上からえぐられた傷がある事から、死因はこの外傷によるものなのか?
「原因は解らないが、どうやら仕事は終わったようだな。アロマ、ファルス、もう死んだふりはいいぞ。起きて来い」
姉上の身に降りかかった不幸な出来事について様々な考察をしている最中、姉上に倒されたであろう二人がゆっくりと起き、何事も無かったかのように服についた埃を手で払う。
「お、おぬし等! 無事だったのか!」
「うん。驚かせてごめんね」
「やられたふりをして、隙をついてエリザベスだけを狙おうと思っていたんだがなー、ありゃ何なんだ?」
「暗くてよく見えなかったけれど、服装はロングスカートだったから女の子なんだと思う。でも顔までは見えなかったよ」
どうやら二人も、今おきている不可思議な現象について考えているらしい。
しかし女の子とは。
それならば、姉上と生物兵器を倒したのはたった一人の年端も行かぬ少女だと言うのか?
「そんな馬鹿な事があるか! あの生物兵器を一撃で仕留め、姉上の胸を鎧の上からでも抉り取る程の怪力じゃぞ? 魔術やそれに類する術で一時的に肉体を強化したとしても、有り得ん!」
人を殺める事に関してのスペシャリスト達が束になっても苦戦を強いる相手であった。
それなのにたった一人、単騎で乗り込んでそんな相手を倒すなんて。
まるで大岩を上から投げつけたように生物兵器を潰し、姉上の鎧の上から致命傷を負わせるという倒し方も気になる。
しかも暗闇になっていた僅かな時間でだ。
仮にわらわやアロマと同じくらいの年代であってとして、そんな少女にそこまでの力が出せるというのか?
暗闇の中でも正確に、かつ力強く動く方法が存在するのか?
わらわの精霊術が通じなかったキメラを倒す手段をそやつが持っていたというのか?
それとも、わらわが知らないだけで何か突破の鍵となる未知の術があるというのか?
解せぬ……、何故じゃ……。
「とりあえずここから出るぞ。考察は戻ってからにしろ」
「うん」
「おう」
「……ああ、そうじゃったな」
こうして様々な謎を残しつつも何者かに殺害されたエリザベス姉上の亡骸に、心の中で別れを告げつつ屋敷を出ていき、道中は今回の仕事を振り返りながら酒場へと帰った。
手段はどうであれ、本来の目的は満たした。
わらわの願いは達成された。
……しかしマリアンヌ姉上が処刑された時と同じくらいに後味は悪く、気分は晴れず、胸の内には不快感しか残っていなかった。
――エリザベス姉上が死んでから数日後。
現地の生物兵器の残骸から、アルカティア家は製造を固く禁じられている生物兵器を作り出した事が発覚すると、首謀者のエリザベスは死んだ身でありながら重罪人となり、全ての資産と領地の没収と爵位の剥奪が水神の国全土に伝えられた。
しかし首謀者は既に死んでいた為か、あるいは根回しがあったのか、他の血縁者に罪が及ぶ事は無く、エリザベス姉上の死体は本国から離れた孤島にある罪人用の墓地へ埋葬されるだけとなった。
わらわの事を何も触れないのは、恐らくエリザベス姉上にひっそりと抹殺された扱いになっているか、他国へ亡命したと思われており、今更捜査も追跡も不要と判断したのであろう。
案外、アルカティア家が終ってしまったからどうでもよい、と言う雑な処置をされたのかもしれないが。
まあ、今名乗りをあげたところで、死んだ姉上の変わりに罪を着せられ民衆の前で処刑されるのが関の山じゃろう。
解っていた事ではあったが……。
それ以外にも思い残すところは沢山あったし、今も割り切れていない事は無いと言えば嘘になってしまう。
だがまずはこれでいい、今はこれは最良の選択だったと自らに言い聞かせて日々を過ごすとしよう。
そして月日は流れていき――。
「何か飲むのか? さっさと注文するのじゃ」
「……店員なのに凄い態度だな。新人かマスター?」
「ああ」
家が没落し、資産も無くなり無一文となったわらわは姉上殺害の仕事の報酬を支払う事が出来ず、報酬分だけこの花香る狐亭で働く事となってしまった。
まさかこんな結果になってしまうとは。
ほんの数ヶ月前は全く想像もしていなかったが……。
「まあいいや。とりあえずワインとチーズで」
こんな辺鄙な店じゃ仕方ないと言わんばかりの態度を見せる客の注文を取りつつ、その事をマスターに告げると、今まで手を休めていた皿洗いの続きを始める。
しかし、当初は慣れなかった仕事にもようやく慣れてきた気はする。
表の酒場の従業員としてもそうだが、裏の暗殺者一味としてもそうだ。
エルシア殿が居なくなったせいか、魔術がらみの仕事はわらわが担当する事となり、実際に手を下す事はまだしていないが、それらの助けになる役目は何件かこなしてきた。
箱庭では学べなかった知識や、貴族という立場では絶対に解らなかったであろうものも多く見てきて、知りえたのは素直に喜ばしいと思うべきか。
だからこれでいい、今はこれでいい。
そしていつか必ずチャンスが来る。
いつか、たとえそれが何年後、何十年後であったとしても……。
このままでは終わらぬ、必ずわらわは……。
「こんにちは」
皿洗いの手を休めずに何度も自分に言い聞かせながら、今の状況が好転する機会を待とうとしている時。
スラム街の酒場には珍しい女の人の声がすると、入り口の扉がゆっくりと開いていく。
ふとそちらを見ると、スカートの丈が短い紺色のワンピースと同じ色の足首まであるマントを羽織った女の人が、魔術師がよくかぶっている先の尖がった帽子を色白な手で抱えながら、笑顔のままこちらを向いて軽く会釈をした。
頭を下げた時、綺麗で艶やかな長い黒髪がそっと揺れる。
そんな普段なら何も気にならない仕草が妙に強く印象に残るのは、彼女が整った顔立ちとすらっとした体形の持ち主である所以か。
しかし、スラムの酒場にこのような者が来るとは。
何かあったのだろうか?




