第十四話 数多の時を生きた天空の花が、懐かしの地上で見たもの
ここが水神の国の王都なのかな。
都の建物が青と白に塗られており、人工的に作られた堀には透き通った水が流れているおかげか、何だか気分が涼しげになる。
街の人達もそんな爽やかな街に相応しくほぼ全員がゆったりと過ごしており、私が本当の名前であるセレーネと呼ばれていた過去に地上を旅していた時、訪れた街にはほぼ必ずあった荒廃感、退廃感、みすぼらしさ、恐怖は一切感じられない。
私の時代もこうだったら、もっと別の未来があったのに……。
そう思いつつ、心地よい風にセミロングの金髪を少しだけ揺らされると、私は都の中へと入っていく。
「ここは……?」
私の前には細かな歯車模様のレリーフが特徴的な銀製の看板が掲げられている、青に塗られたレンガ造りの一際立派な構えな建物があった。
「おや、また風精の国の女騎士に憧れて武器や防具を見に来たお客さんかい?」
「どういう事?」
そんな一風変わった、でもどこかで見た事があるような意匠に視線を向けている時、店内から人が良さそうな大柄の男の人が出てくると、私へと気さくに話しかけてくる。
「ここから西にある風精の国に女の騎士がいるんだが、一番階級が低かったけど武勲をあげて大出世し、今じゃ一番偉い騎士様になるみたいだよ」
この店員からも好意的な印象しか受けない。
地上は物理的にも精神的にも荒廃しており、強者は弱者から奪い、弱者は拠り所を求めるために人達は天使や悪魔に縋っている。
かつての大洪水で一部の人達は難を逃れることが出来ただろうけれど、それども彼らにとって大打撃を受けた事に変わりは無いはず。
それをたかだが数百、数千年でここまでになるなんて。
「彼女の昇格の知らせはこの水神の国にも広まり、その影響なのか女の子でも剣術をやりたいって子らが出てくるようになったわけだよ」
ただただ感心するしかなかった。
そしてそんな感情と同時に安堵もしていた。
なぜならば、地上はもう大丈夫という確証と、この調子ならあの人も無事で生きているだろうという希望
という欲しかった二つのものを得られたからだ。
「うーん、興味ないかな。ごめんなさい」
「いつでもおいで、安くしておくからさ」
私は店員に軽く会釈をして断りを入れつつ、その場から去る。
この時、自分でも言いようの無い胸の温かさに心地よさを感じていた。
だがしかし、その気持ちも希望も確証もすぐに消えてしまう。
表通りの活気を十分確認出来た私は、細い横道に入り、日が当たらず昼間なのにじめじめとしている裏路地を少し歩いてた時。
「へへへ、いいじゃないか」
「お、おやめ下さい。私にはもう心に決めた人が……」
みすぼらしい格好をしている顔立ちの良い女の人が、身なりの整っている醜悪な顔の男に言い寄られている光景を目の当たりにする。
二人とも必死なのか、私には気づかない様子だ。
「へへ、何を断る理由があるのだ? 私は貴族だぞ?」
「どうかお許しください……」
なんとか目の前の相手を自分のものにしようとする貴族の男と、なんとかこの場を逃れようとする貧困の女。
公然と、そして当然のように堂々と強者が弱者を踏み躙る。
それは地上の人々の間では勿論、天使や悪魔たちでも行われてきた光景。
「ふへへ、私についてくれば贅沢は思いのままだ。貧しい思いもしなくていい、欲しい物は何でも買ってやるぞ。だからさあ来るのだ!」
「い、いやあ! 助けて!」
心が一気に冷えていき、私はその寒さに耐えようと胸に手を当てる。
どんなに年月が経とうとも、文明が発達しようとも、たとえ地上が浄化されようとも……。
「ふひひ、叫んだって誰も助けには来ないさ! 私は貴族だぞ、逆らおうなんて者は……」
最終的にはこうなってしまう。
それは生物だからこそ行われる、生きているからこそ繰り返される業なんだよね。
それが真実。私がどんなに悲しくても憂いでも変わらない事実。
でも、こんなのって……!
「早く逃げて」
「あ、ありがとうございます!」
私が自分の胸の冷たさに耐え切れなくなると、気づいたときには貴族の男を押し倒し、彼の首根っこを鷲掴みにしていた。
男に言い寄られて、放っておけば無理やりでも彼のモノになっていたであろう女の人は、涙目になりながらも二度三度頭を下げつつこの場を走り去っていった。
「ぐぐ、よくも私に……!」
「あなたがどんな生き方をして、どうやって今の立場にあるかは知らない。あなたにはあなたの思いがあるのかもしれないけれども、あんなやり方は納得できない」
女の人の姿が見えなくなったのを確認すると、男を押さえていた手を話す。
自由の身になった男は青ざめた顔のままよろめきながらも立ち上がり、彼もまた目を泳がせながら私から辛うじて距離を離そうとする。
「……き、貴様、この私を知らないのか? さてはスラムの人間か?」
「そんなの、あなたには関係ない」
それでも恐怖しているせいか、足がガタガタと揺れており、再びその場で座り込んでしまった。
私へ放たれる声も体もぶるぶると震え、そして異様に甲高い。
あれだけ自分の立場や身分を振りかざして強気だったのに、今は見る影もなく。滑稽さを通り越して憐れみすら感じる。
「え、衛兵! は、はやくこの小娘を!」
この最低な人間がなんとかこの場をやりきろうと考えていたであろう時に、私は人の気配に感じて振り向くと、街の巡回をしていた軽装の男三人が現れる。
衛兵達を見た貴族の男は、まるで地獄の底でもがき苦しんでいる最中、そこから救い出される為に垂れた糸を掴むかのように、彼らの一人に引きつった声のまま泣きながらすがった。
「はっ、おい大人しくしろ!」
元々戦闘をする事は無いだろうと思っていたし、街の中へ行くのに多少は綺麗な格好をしているのに不自然と思い、武器は置いてきた。
見た目は恐らく一般民と変わらないであろうが、貴族の男の異様なまでの怖がり方を見たせいで、私はたちまち衛兵に囲まれてしまう。
私が見たかったのはこんなものじゃなかったのに。
でも、ここで逆らってはますます騒ぎになってしまう、顔も見られてしまったから逃げたら酒場の人達に迷惑がかかってしまう。
迂闊な行動は控えたほうがいいと察した私は、胸の中を悪くしながらも衛兵の指示に従う事にする。
「ふむ。貴族に対する暴行と名誉毀損か、こんなに可愛い子がねぇ」
そして衛兵達に捕まってしまった私は、薄暗くて蝋燭の火で辛うじて私と衛兵の顔を照らす程度の明るさしかない、ここへ来た者の恐怖感を煽って誘導尋問する事が目的な部屋へと連行されてしまう。
とても女の子とは思えない、ぞんざいな扱いで部屋の中へと無理矢理入れられると、隆々とした筋肉を見せつけ、とても衛兵とは思えない程に人相の悪い、部屋と同じ雰囲気を強く出す男がうすら笑みのまま待っていた。
「うぐっ」
「貴族様に歯向かうなんて、実に馬鹿げているとは思わないのか? あぁん?」
男がゆらりゆらりと不気味にある程度迫り、私の肩にぽんっと分厚い手を置くと、次の瞬間手枷をつけられて立たされたままの私の腹部に鈍く痛む。
視界が緩やかに落下しようとした時、再び衛兵の意地悪くにやけた顔がうっすらと入ってくる。
「怖いか? 痛いか? 許して欲しいか?」
「あぅっ、くっ……」
その後、何度も顔や体に痛みが襲い掛かった。
僅かでも体や首をそらして衝撃を和らげようとするが、大の大人の無慈悲な連打は、天使とはいえ私の体力を確実に削っていく。
「どうしてもって言うなら、その綺麗な体でこの俺や兵士達を慰めれば……」
頭が引っ張られるようなちくちくとした痛みがすると同時に、景色が大きく揺れる。
ごく僅かな時の後、気づくと目の前には地面がある事に気づく。
もう我慢の限界だった。
風の悪魔にも命を奪わない事を約束したし、マスターも私にこれ以上手を汚さないよう配慮してくれてたれども仕方ない。
自身の反撃と、衛兵の下種な行為が始まろうとした時。
「なんだ! 折角いいところだったのに」
「釈放の命令だ。すぐに今しようとしている事を止めてその娘を解放しろ」
部屋の扉が開くと、別の衛兵が彼の行動を静止しつつ私の自由が告げられる。
「何故だ!? こいつは貴族に危害を加えた重罪人だぞ! それにこれから楽しい事が――」
「伝説の三傭兵の一人で監視者や、至眼の異名を持つ者からの願いでもか?」
下種な衛兵の声を遮り、もう一人の衛兵は凛とした態度のまま話を進める。
今まで私を散々な目にあわせてくれた衛兵は現状を理解したのか、すかさず私から離れていく。
彼の無抵抗な家畜に無慈悲な制裁を加えんとするような、相手を圧倒、蹂躙しようとしていた汚い風格は、主人の言う事を何でも従順に聞く家畜に似た、絶対的な力の前にひれ伏す弱者の雰囲気へ変わっていくのが解った。
こんな薄暗くて碌に辺りも見えない部屋ですら、彼の恐れや震えが伝わるほどだから、よほどその伝説の三傭兵というのが怖くて仕方ないらしい。
「ば、ばかな。こんな小娘とあの三傭兵に何の関係が……?」
「そこまでは知らん。だがあの方は今、じきじきにここへ来られている。何かしてみろ、お前……死ぬぞ?」
今まではまるで違い、私は触れてはいけない危ない神様のような扱いを受けながら地上へと案内され、そして建物の入り口には、見慣れた男の姿があった。
「ごめんね。迷惑かけちゃった」
「帰るぞ」
何故こうなってしまったか、どうしてここにいるのか。
全てを察知しているのか、それとも気にしていないだけなのか。
マスターは叱る事もせず、何の成果もあげられなかった私に対して怒っている様子も無く、経緯を問いかける事もしないまま私と酒場へ戻る。
マスターは自分の過去を一切話さなかったし、私も特別聞くような事はしなかったけれども。
伝説扱いされるほどの人だったとは。
「怒らないの?」
「情報収集は出来たのだろう? ならば良い。俺は仕事のフォローをするだけだ」
「伝説の三傭兵ってどういう事なの?」
「……過去の話だ」
一瞬、マスターの表情が翳ったような気がした。
何となく、この話題には触れないほうがいいかもしれない。




