第十二話 絶望と衝撃と困惑と苦悩の先にあるランドスケープへ
酒場内は、今にも雨が降りそうな暗雲たちこめる空のようにどんよりとした雰囲気で支配されている。
まあ、いきなりあんな事が起きればそうなるよね。
マスターが常日頃から、”お前ら死ぬなよ。死体を扱う仕事は陰鬱になる”と言っていた訳を、私も含めてこの場にいる全員が噛み締めていると思う。
「それで、どうするの?」
このまま一言も話さないのでは埒があかないと思った私は、ムードメーカー役を普段から買って出ている事も踏まえつつ、この暗くて重い沈黙が漂うムードを壊すべくマスターへ問いかける。
「執事の息はもう無かったが、娘は気を失っているだけだった。時期に目が覚めるだろう。どうしたいかはそいつに現状を話してからだな」
とりあえず今起きている状況とマスターに聞いた話から、ここへ運び込まれた貴族の令嬢は、かつてアロマちゃんが赴いた誕生パーティの主役である、アルカティア家の三女ソフィネであるという事。
ソフィネを抱きかかえて来た執事は過去のマスターの知り合いで、何らかのトラブルに巻き込まれて命からがらここまで逃げて来たという事。
恐らくはマスターを頼って来たのだろうと思うけれども何が起こったか問いただそうとしたら、執事は息を引き取ってしまい何も聞けずじまいだった。
マスターは簡素だがスラム街の共同墓地へ埋葬し、お嬢様はアロマちゃんの部屋のベッドに寝かせておいてとりあえずの処置はしたが、それ以上は何も解らずじまいである。
「ん? 起きたか」
「ここは……、どこじゃ?」
話が一区切りつこうとしていた時、今まで気を失っていたソフィネ嬢がタイミング良く酒場へと現れる。
顔色も良さそうだし、大きな怪我も無くて何よりだけどもやっぱり困惑している様子だ。
「スラムの酒場だ。お前は執事に抱きかかえられてここまで来た」
「ふむ。それで、その執事はどこじゃ?」
ソフィネ嬢は難しい顔をしたまま、視線だけを動かして自身を連れてきた執事の姿を探しだす。
「……死んでしまった。もう居ない」
今まで、基本的に何があっても動じずに居たマスターも、人の命となれば話は別かな。
目線や顔を逸らしたりはせずにソフィネ嬢の方を向いたままだけれど、とても言いにくそうに彼女が信頼している従者の最期を告げた。
「なっ……。どういう事じゃ! お前は今、何を言ったか解っておるのか? だいたい、何故こんな下民達と共にわらわがおる!?」
「知らん。俺は事実を言ったまでだ。……何かに追われて命からがら逃げて来た様子だったが、心当たり無いのか?」
「馬鹿な! そんな事はありえぬ! 何故わらわの命が狙わなければならんのじゃ?」
執事の最期を知った時、今まで悠然かつ堂々と振舞っていた少女の表情が青ざめる。
そしてそんな彼女の顔色から、どうやらこの一連の出来事に心当たりは無いらしく、本人も何が何だか解らない事を私は察した。
「お前達と話していてもどうしようもない。ここから出ていくぞ、わらわは帰る」
「待て、今帰っては危険だ。ここに居ろ」
「指図するな! 汚らわしい。だいたいお前はわらわの……」
今自分の身に起きた不慮の事態に順応出来ず生じる戸惑いと恐れ、信頼していた従者の死を受け入れられない事から生じる不安と困惑、それらがぐちゃぐちゃと下品に混ざりあい不協和音にも似た雑な感情を隠そうともせず、少女はマスターの静止を無視して再び外へ出ようとする。
「うるさいからまたおねんねして貰いましたよマスター」
「偶には気が利くなファルス」
しかし、ファルスは不思議な力を使い少女を再び眠らせる事に成功した。
少女はその場にゆっくりと倒れて気を失ってしまう。
「アロマちゃん程無口も寂しいですが、この娘の喋り声は頭に響くもんで」
文句を言いながらもファルスはぐったりとしているソフィネ嬢をおぶさり、再び二階の寝室へ行った。
子供好きはこういう時助かるわね。
「それで、どうするのあの子」
「どうするも何も、このまま話さないわけにも、放り出すわけにもいかないだろう?」
「そりゃあねぇ……」
酒場に二人きり、重い空気だけが残っている。
私も、私より人生経験豊富なマスターも今は答えが出せずにいる。
どんなに悩んでもきまづい雰囲気が消える事は無く、また消す術も見当たらず、かといって店を空けておくわけにもいかないので、無理に話そうとせず半分は今後の彼女の対応、残り半分はこの空気の悪さを改善する方法で悩みながら夜は更けていった。
そして翌日。
「ふわぁ~。マスター今日も早いわね」
「なるほど、そういう事か」
「どうしたの?」
「今さっき都の方へ行っていた商人からの情報では、アルカティア家の長女のマリアンヌが末っ子ソフィネの成人の儀を邪魔した罪により死刑。次期当主は次女のエリザベスに決まったようだ」
マスターからの情報で、私はとりあえず今起こっている出来事のおおよその察しがつく。
「それってもしかして……」
「ああ、証拠は無いが、恐らくソフィネを襲ったのもこの次女の手下だろう」
名門アルカティア家にも、他の貴族達と同じく世継ぎの問題があるってわけね。
他の二人もあの子のような性格なのかしら?
まあ、少なくとも次女のエリザベスはそれ以上なのかもしれない。
「その事実を話すの?」
「ああ、ここで言わなくてもいつかは知るからな」
十三歳の子供がこの事実を知ったらどう思い、どう行動するのか。
「……アロマと同年代か。酷な選択をさせてしまうな」
マスターの元々低い声のトーンがさらに低くなったような気がする。
そんな話をしている最中、まるで狙って来たかのようにこの事件に巻き込まれた少女が二階の寝室から降りてきた。
普段は綺麗に整っているであろう縦巻きロールの髪型は、手入れを怠ったせいか若干乱れてぼさぼさになっている。
「起きたわね。調子はいかがかしら? お嬢様」
「良いわけがなかろう。ふんっ」
昨日で逃げられない、自由に外へ出れない事とマスターが話そうとしているのを察したのか?
不満を露にしながらも椅子に座ると、これから話すであろうマスターを険しい表情のまま見つめる。
「どうやら覚悟は出来ているようだな。今お前の家は――」
「だいたいは予想がついておる。説明は不要じゃ」
やっぱり感づいていたのね。
他の貴族の様子や過去の歴史を知って、心のどこかではこういう出来事が自分にも降りかかるのでは無いのかと考えていたのかもしれない。
しかもそれが本当の事になってしまうなんて。
「そうか。それはこちらも手間が省ける。なら本題だ」
並の女の子というか、普通の人間ならショックで泣き伏せっていてもおかしくない状況だと言うのに。
今日は昨日とはまるで違う。
ついに腹を括ったというわけね。
格好はパーティの時とは比べものにならない程だらしないけれど、その時とは段違いにいい顔つきだ。
年上の私ですら、彼女の覚悟を素直に評価したいと思う。
まさに名実共に貴族と言うべきなのかしら。
同性には大して興味がある方では無いけれど、アロマちゃんといい、最近の女の子は面白い子が多いわね。
「いいか、お前の選択肢は二つだ。一つはお前の長姉を救出し、お前を亡き者にしようとした次姉を失脚させるか。もう一つはこのままお前は死んだ事にして隠者として過ごすか」
「それだけか?」
「ああ、それだけだ。選べ」
マスターはいつもの仏頂面のまま、彼女に二つの決断を突きつけた。
それだけでも同年代の女の子なら、彼のお世辞でも子供受けしない顔と洒落にならない事実を間に当たりにした直後に泣きじゃくってパニックになってしまうだろう。
しかし、ソフィネ嬢は何ら臆せずマスターの目をしっかりと見据えている。
「ならばわらわが依頼するぞ。姉上を共に助け、アルカティア家の不穏と混乱を取り除く事を手伝うのじゃ」
「金はあるのか?」
「わらわを誰だと思っておる? 成功報酬は期待しておれ」
「そうか。ならばその依頼、受けよう」
「頼むぞ」
こうしてソフィネ嬢の出した決断によって、この裏ギルド”花香る狐亭”創立以来最も困難かつ、国への影響の大きい仕事が開始する。
私は年甲斐も無く、胸の中を鉄も溶けるくらいの熱で満たしていた。




